「まさか50年も漫画家をやれるとは思ってもいませんでした。仕事がなくなってしまう自分をいつも想定して身構えて描いていましたから。これまでは自分の思い通り、やりたい通りに漫画を描いてきたので、編集さん泣かせでした(笑)」
『日出処(ひいづるところ)の天子』や『アラベスク』など数々の少女漫画の傑作を世に送り出してきた山岸凉子さん。画業50周年を記念した『山岸凉子原画集 奏(かなでる)』には、初期の作品から現在「モーニング」で連載中の『レベレーション(啓示)』まで、自ら選んだカラー作品20点が収められている。高精度の複製原画はあえて製本せず、「帙(ちつ)」という布張りの豪華なケースに収められ、書店での販売はしない完全受注生産。直筆のサイン入りだ。このような豪華な画集が出版されるのは漫画家では極めて稀である。
「こうした画集に入れる絵はだいたい決まっています。描いている間に『これは成功、これは失敗』と、わかっていますから。いちばん好きな絵はやはり『日出処の天子』。この絵はいまは、もう描けないかもしれませんね。根気と集中力が昔のようにはないですから、この時期に描いておいてよかったです。当時は一色塗るたびにベッドに倒れ込んで、気力を充実させてまた起き上がって描く、というのを繰り返していました。それが苦痛ではなかった。今はバタッと倒れたらそれきり起き上がれませんから(笑)」
エピソードには事欠かない山岸さん。漫画界に与えた影響は計り知れない。50年の間に印刷技術の精度は上がり、山岸さんの思い描く通りの色彩に近づいた。
「『日出処の天子』を連載しているときは、都内の24時間営業の喫茶店をはしごして“降りてくる”のを待っていました。最初に思いつくアイデアはあるのですが、どこかで『違う』という声が聞こえる。その『違う』を具体化させようとずっと考えます。それで突然『来たーっ!』となってやっと描くのです。ですから締め切りはめちゃくちゃ遅れてばかりで、ひどかったのです。この画集は綴じられていないので飾ることもできますから、ときどき箱から出して眺めたり、タンスの肥やしにしてほしいです(笑)」
山岸作品といえば『日出処の天子』を代表とする史実をもとにした歴史ものや『アラベスク』『テレプシコーラ/舞姫』などのバレエの世界を舞台にした長編作品が真っ先に思い浮かぶ。しかし『汐(しお)の声』『わたしの人形は良い人形』などのホラー、「天人唐草」「月読(つくよみ)」など、人間が抱える差別意識や家族関係から生じたトラウマを描いた短編にもファンは多い。少女漫画としては重く深遠なテーマに、常に第一線で取り組んできた。読者の心をえぐるストーリーテリングと、豊かな色彩を駆使した美しく繊細な画力はどうやって生み出されたのだろうか。
「これを描こう、こういう色で描こうというのを見つけられるまでに時間はかかりますが、苦労とは思わないのです。気に入った構図、気に入った色で描けると思うと嬉しくなりますから。ただ、新人の頃は『原色を塗れ』と教えられました。自分の好きな色彩ではないので、嫌で嫌で倒れそうになりながら最初はサクラクレパスで塗ったりしていました。あるとき、微妙な色が出なくてもいいと思って印刷に出したら色がきれいに出たのです。同業の大和和紀(やまとわき)さんなんかは、『山岸さんの絵が出せるなら、私のも出せるはず!』と印刷所に抗議したそうです。お役に立って良かった(笑)」
INFORMATION
『山岸凉子原画集 奏』
WEBにて2020年1月31日まで申し込み受付中。
講談社オンラインストア
https://kodanshaonlinestore.jp/products/detail.php?product_id=320
若い頃は、吾妻氏の漫画を理解できませんでしたが、不惑の歳を越え、その偉大さが少し理解できる気がします。
ご冥福をお祈り申し上げます。
それにしても、野次馬さん、凄いですね。
かれこれ45年か。週刊漫画の「ふたりとひとり」やったかな、記憶が曖昧だけど。二次元で抜いたのは後にも先にも、このひとだけやった。
合掌。m(__)m
Wikiの吾妻ひでおの項から「シベール(日本初のロリコン漫画同人誌)」に移ると川本耕二さんのお名前が。
「ちなみに吾妻は『失踪日記』で「私の転機ともいえる作品を描く時に現れる幸運を運ぶ人」と川本について語っている。」
吾妻ひでお と言えば 名作が多すぎて、代表作が個人ごとにタイミングごとに変ってしまうが、作品のマニアックさでは「不条理日記」が一番かもと思ってます。一番描きたいとおり描いてる感じがするというかなんというか。もしかしたら「SFのパロディー」というのがそれでしょうか。
だとしたら、すごい作品にかかわられてたんですね。
wikiで劇画アリスで検索したら、まぁ、錚々たる名前が・・・!
赤塚先生にアルコールを教えた先生の名前まで載ってた。
あがた有為
吾妻ひでお
安部慎一
飯田耕一郎
井上英樹
奥平衣良(奥平イラ)
川又千秋(麻丘ちあき名義)
高信太郎
近藤ようこ
坂口尚
清水おさむ
高井研一郎
田口智朗(田口トモロヲ)
つか絵夢子
土屋慎吾
宮西計三
森田じみい
劇画アリスはおいらは編集にかかわってなくて、コミケットの米沢くんが編集やっていた。
天才がいってしまったか。
おれは『やけくそ天使』の主人公が阿素湖素子(あそこ そこ)という、吹っ切れっぷりが好きだった。
それと前にも書いたが『ホーキ売りの季節』あたりが心に残る。
どういうわけか、マンガ少年→DUOなんかも読んでたな。
寂しいかぎりです。
吾妻先生の作品は
ミスターマガジンかコミックチャージかイブニングで
拝読したのが最初だったのですが
なんとかわいい女の子を描く人だと感嘆した思い出が。
先生に先んじてその漫画雑誌が先に廃刊したのは
なんの奇縁か・・・
70近くまで生き
布団の上で亡くなったことは
大往生だと自分は思います。
合掌
吾妻ひでお先生死んだんですか…。
ショックです。
唯一無二の天才でした。
ご冥福をお祈りいたします。
劇画アリスって、坂口尚も寄稿していたのか、エロ漫画書いていたんすかね?
漫画をほとんど読まない拙者は、吾妻ひでおと蛭子能収を混同していて、半ボケを装って下手ウマ漫画を描くギャンブル凶の汚ない爺が失踪したりアル中なったりしたのかと思っていた。
>田口智朗(田口トモロヲ)
プロジェクトXのナレーションや、植物男子で主演してた田口トモロヲがエロ漫画書いてたとは驚き。
◇シベール (同人誌)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%99%E3%83%BC%E3%83%AB_(%E5%90%8C%E4%BA%BA%E8%AA%8C)
・
>●川本耕次 ーーー 吾妻ひでおの担当編集者。みのり書房発行の『月刊OUT』1978年8月号「吾妻ひでおのメロウな世界」特集や同社発行の『Peke』に吾妻が連載した『どーでもいんなーすぺーす』を担当。1979年から自販機本『少女アリス』(アリス出版)編集長に就任し、すでにコミックマーケットで『シベール』を発表していた吾妻に再び原稿を依頼して『純文学シリーズ』(著者が得意とするギャグやSFを離れ、叙情的に描かれた少女のエロチシズムをテーマにした作品群。吾妻の「美少女」というテーマが明確に見える。奇想天外社から『陽射し』の題で1981年にB5判ハードカバーの装丁で単行本化された)を描かせる。のちに吾妻は『失踪日記』で「私の転機ともいえる作品を描く時に現れる幸運を運ぶ人」と川本について語っている。漫画原作者・評論家の大塚英志は吾妻の『純文学シリーズ』について「のちのロリコン漫画に直結する記念碑的作品である」と高く評価しており、以上の経緯から吾妻は商業誌・同人誌ともに1980年代のロリコンブームの立役者とみなされている。
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◆SFと美少女の季節(吾妻ひでおと川本耕次の関連年表) 米沢嘉博記念図書館 [PDF]
http://link3.jp/manga/yonezawa_lib/pdf/t_event12.pdf
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吾妻ひでお @azuma_hideo
>吾妻ひでお(本名:吾妻日出夫)、かねてから食道がん治療中でしたが、2019年10月13日未明、都内の病院で永眠いたしました。享年69歳。ここに謹んでご報告申し上げます。合わせて永年の読者の皆様のご支援と励ましのお言葉に改めて御礼申し上げます。
山下238 特撮はいいぞ @Yamashita238
>巨星、墜つ…。いや本当に吾妻ひでお先生は同人界隈では手塚治虫に匹敵するレベルの巨星、いやビッグバンなんですよ。なにしろ、40年前「男性向けエロ同人誌」というものを最初に作った草分けの一人。詳しくは「シベール」「ミャアちゃん官能写真集」で検索。「オリンポスのポロン」文庫版で山本直樹先生が解説していたのですが、「(要約)日本の漫画の流れは手塚治虫とつげ義春が作り、それを融合させたのが吾妻ひでお。つまり吾妻ひでおは日本の漫画の正当な流れ」。これは吾妻ひでお先生の本質を大いにとらえていると思います。
石川さんは「リトルマイナー」じゃなかったけか?
違ったリトルメジャーだ
混乱してる
芸術を生み出す苦悩が失踪とかアル中になったと思う。
天才でも自分を次々と否定しないと
新しいものが生み出せない時もある
ガス屋のガス公は
作者インタビューで写真まで撮られたのに
誰も気づいてくれなかったと描いていた。
ガテンネームは東英夫だったかな
吾妻せんせーあっちでもさっそく漫画描いてるでしょうなあ。
逝ったときの楽しみにしております。
ご冥福をお祈りします。
ご冥福を。
今月は、何故か遠方の現場ばかり引き受ける羽目になっちまって
現在わんこ蕎麦をつまみに、ビジホで飲酒中@岩手県某市ww
偉大な漫画家が亡くなったそうだが、オレの人生では漫画とは
一切の接点が無かったのが悔やまれる。
両親は共に鬼籍に入った次第だが、オヤジは超堅物だったので
「漫画なんて百済ねー」の一点張りで出張で不在の時のみコソッと
見れてた感じだが、お袋もコレまた西欧カブレの堅物で、ごっそり
と洋書を買い溜めては半ば強制的に読書させる始末。
なのでジャンプとかサンデーやらビッグコミックなんてのとも
縁の無いティーンエージを過ごしてしまった。
それでも今は両親に対しては感謝の念しかござらぬ五右衛門 乙ww
【 コロコロポロン OP 「オリンポスのポロン」 良い画質版! 】~1977年から1979年に『月刊プリンセス』に掲載、下ネタや不条理ギャグの無い吾妻ひでお作品~
https://www.youtube.com/watch?v=CW4WnNs2LnU
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◆吾妻ひでお「失踪日記」がイタリアのマンガ賞・Gran Guinigi賞を受賞(2019年10月4日・ナタリー)
https://natalie.mu/comic/news/350330
>吾妻ひでお「失踪日記」がイタリアのマンガ賞であるGran Guinigi賞のRiscoperta di un’opera(再発見された作品)部門を受賞。10月末に開催されるヨーロッパのコミックコンベンション・Lucca Comics & Gamesにて、授賞式が行われる。Gran Guinigi賞は1967年から続くマンガ賞。過去には谷口ジロー、浦沢直樹、松本大洋、松本零士の作品が受賞している。「失踪日記」は吾妻が2度の失踪やアルコール依存症の体験を描いたノンフィクションで、2005年3月にイースト・プレスから出版された。累計30万部を売り上げ、これまでに第34回日本漫画家協会賞大賞、平成17年度文化庁メディア芸術祭マンガ部門大賞、第10回手塚治虫文化賞マンガ大賞、第37回日本SF大会星雲賞ノンフィクション部門を受賞。また2013年10月には、続編の「失踪日記2 アル中病棟」も刊行された。
>「失踪日記」の翻訳版がイタリアで発売されたのは今年2019年。吾妻は以前より同国にてTVアニメ「おちゃめ神物語コロコロポロン」の原作者として認知されていたため、その原作者の衝撃的な実話体験を描いた「失踪日記」の刊行は、イタリア国内の新聞で大きく報じられた。
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・・・・Gran Guinigi賞のRiscoperta di un’opera(再発見された作品)部門を受賞ですが、表彰は10月末との事。吾妻ひでお(初期・絶版)作品ですが「復刻・復刊ドットコム」でも人気があり、『ゾンビ』の如く蘇ってイマスなぁ~。「ひでおと素子の愛の交換日記」シリーズは文庫復刻版が健在。やはり根強い人気がアリマス。
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おいちゃん @MTJMTJ02
>「輪舞 ロンド 完全復刻版」作詞/谷山浩子・作画/吾妻ひでお・・・。自費出版の本だったかと? 一時『産直あずまマガジン』をまんがの森で売られていた時に一緒に購入しました! 谷山さんの歌を漫画にしたものでして・・・。
いしかわじゅん @ishikawajun
>新聞社から連絡があった。吾妻ひでおが、13日に亡くなった。闘病しているのは知っていた。それを励ますための出版企画がいくつかあって、先日もひとつ了承したところだった。俺の1歳上だったから、まだ69歳。吾妻、長いつきあいだったな。やすらかに。
>ノーベル賞とって欲しかった
読んだ事無かったけど買って…ゲフンゲフン
>>SFのパロディ描かせたのも~
もしかして、マンが史上に残る名言、「唐突ですが、アルジャーノンに花束を上げて下さい」(「やけくそ天使」)の原作者?
当時はまだ、長編「アルジャーノンに花束」は未完だったはず(映画化はされていた)。
なお小生は「人間失格」が、やけくそ天使の次に好きだ。ショタなのに、すぐ「やらせろ!」といって、美少女を押し倒す主人公が実によい。
ゲェ〜〜揶爺午さんのせいで俺は右手首腱鞘炎になったのか
尻宅無かった(泣
ビタミンCで病を治せば89歳になっても楽しい漫画描けたのに寝
合掌