忍者ブログ
ゲーム・スポーツなどについての感想と妄想の作文集です 管理者名(記事筆者名)は「O-ZONE」「老幼児」「都虎」など。
カレンダー
06 2020/07 08
S M T W T F S
2
7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31
フリーエリア
最新CM
プロフィール
HN:
o-zone
性別:
非公開
バーコード
ブログ内検索
P R
カウンター
[1]  [2]  [3]  [4]  [5]  [6
「学校ぐらし」の場合は、勘の悪い私がなぜかこの「頭おかしいヒロイン」が本当に頭がおかしいのだ、つまりこれは「企みのあるアニメ」なのだ、と第一話から気づいた稀有な作品である。おそらく、それを示す事柄がどこかにひそかに描かれていたのだと思う。
「まどかマギカ」は、途中から話ががらりと変わることをネット情報で既に知っていたから、(男には気恥ずかしいあの絵柄にも関わらず)第三話まで継続視聴し、そして噂通りのハードな展開にワクワクした。
「けものフレンズ」は、それこそネットでその魅力を微細に語るクラスターがいたから、その「教え」によって作品の魅力が大きく増幅した。特に、サーバルのあほ面の可愛さ、というのは教えられないと気づかなかったと思う。
ネット漫画だと、「わたモテ」も、ネット批評と原作のコラボで魅力が倍増した例だろう。ネットで詳細に評論され称賛されて、鈍感な人間にもその魅力が理解されたわけだ。


(以下引用)

ちなみに「あまりに頭おかしいヒロイン」「これに萌えろとかここまで舐められていいのか!?」と頭にきて、1話目ラストシーンちょい前で切ったという。 すぐ後の世間の評判に「ん?」と不安になって改めて見て「やられたー!」と。 自分は繰り返しこういうミスをする… #がっこうぐらし
PR
鳥海永行はアニメ界の超ベテランで、既に逝去しており、宮崎駿の後継者云々は彼に失礼だったようだ。私はタツノコプロ作品にはまったく興味が無かったので、彼の存在を知らなかったのである。押井守の師匠格の人であったようだ。「雲のように風のように」が破綻なく作られたのも宜なるかな、である。
なお、小説家としても多作なようで、私が非常に関心を持っている「歴史伝奇小説」分野の作品が多いらしい。残り寿命があれば、そのうち読んでみよう。

(以下引用)

小説作品[編集]

『SFロマン 科学忍者隊ガッチャマン』 朝日ソノラマ(1978)
『月光、魔鏡を射る時』 ソノラマ文庫(1979)
『時の影』 ソノラマ文庫(1980)
『標的は悪魔』 ソノラマ文庫(1981)
『フルムーン伝説インドラ(前編)』 ソノラマ文庫(1982)
『フルムーン伝説インドラ(後編)』 ソノラマ文庫(1982)
『ダロスールナリアン伝説(神話崩壊編)』 講談社X文庫(1984)
『水無し川かげろう草子』 朝日ソノラマ(1987)
『LILY-C.A.T.(リリイ・キャット)』 ソノラマ文庫(1987)
『黄金の国から来た男ー球形のフィグリド(1)』 ソノラマ文庫(1988)
『天使の仮面を持つ悪魔ー球形のフィグリド(2)』 ソノラマ文庫(1988)
『双頭の虎ー山嵐妖綺伝』 角川スニーカー文庫(1989)
『死神たちの戦場ー球形のフィグリド(3)』 ソノラマ文庫(1989)
『南国水狼伝ー球形のフィグリド(上)』 ソノラマノベルズ(1991)
『南国水狼伝ー球形のフィグリド(中)』 ソノラマノベルズ(1991)
『南国水狼伝ー球形のフィグリド(下)』 ソノラマノベルズ(1991)
『妖門記』 朝日ソノラマ(1993)
『折れた聖剣ー光の騎士伝説』 電撃文庫(1993)
『青銅の魔剣ー光の騎士伝説』 電撃文庫(1994)
『復活の神剣ー光の騎士伝説』 電撃文庫(1994)
「黄金龍の息吹ー光の騎士伝説外伝」(『ドラゴン殺し』所収)メディアワークス(1996)
『聖・八犬伝 巻之一 伏姫伝奇』 電撃文庫(1995)
『聖・八犬伝 巻之二 芳流閣の決闘』 電撃文庫(1995)
『聖・八犬伝 巻之三 対牛楼の仇討』 電撃文庫(1996)
『聖・八犬伝 巻之四 庚申山の怪猫』 電撃文庫(1996)
『聖・八犬伝 巻之五 妖怪城の逆襲』 電撃文庫(1997)
『信長幻記 覇王欧州伝 ー冥府の軍師』ワニノベルス(1997)

監督[編集]

科学忍者隊ガッチャマン
宇宙の騎士テッカマン(笹川ひろしと連名)
破裏拳ポリマー
ゴワッパー5 ゴーダム
ザ☆ウルトラマン
創竜伝
ニルスのふしぎな旅
太陽の子エステバン
宇宙戦士バルディオス(劇場版)
ダロス
エリア88
LILY-C.A.T.
沙羅曼蛇
雲のように風のように[4]
満ちてくる時のむこうに
しましまとらのしまじろう(第1期オープニングコンテ&演出、エンディングコンテ&演出、第1期 総監督)
ピンカと海のお友達
「雲のように風のように」がNHKBSで放映されるらしいので、スタッフ・キャストをウィキペディアから転載しておく。名作である。
監督が誰か分からなかったが、鳥海永行という知らない人で、案外私の知っている他の作品もあるかもしれない。かなりの手腕だと思うし、たとえばジブリで宮崎駿に鍛えられたら大物になっていたのではないか。もっとも、宮崎駿は「後継者候補を潰す」(と言うか、潰れる)ことで有名だが。
キャラデザイン・作画監督は近藤勝也で、まさにジブリ魂の作画である。


スタッフ[編集]

キャスト[編集]

主題歌[編集]

  • 雲のように風のように
    • 作詞:真名杏樹、作曲:釘崎哲朗、編曲:山川恵津子 歌:佐野量子

主題歌は通常、歌詞の一部を省略して繋ぎ直した1分半程度のテレビサイズ(ショートバージョン)が採用されるが、劇場映画並みの中長編尺作品、1回限りの放送、CM挿入無しという異例の形式での制作・放送となったため、作風に合わせる形が採られ、イントロから演奏が始まる完全フルバージョンで流された。














小学生向けの、おそらく短編を集めた話(原作)を、あれほどハードな、しかもハートウォーミングな、適度にユーモアも交えた、起承転結のある脚本にした吉田玲子(ガルパンなども彼女)の功績は大きいのではないか。アニメのベテラン脚本家の存在価値はもっと高く評価されていい。もちろん、全体を高度な水準で見事に統一した高坂監督もたいしたものである。
ちなみに、宮崎駿の昔のアニメ「シャーロック・ホームズ」(犬たちが主人公で、いわば「わんわん忠臣蔵」パターン)をこの前初めて見て、やはり宮崎駿は凄いな、と思っていたら、何と脚本が片淵須直で驚かされた。





辻 真先

@mtsujiji
·
5月16日


今ごろ見たのかシリーズで,劇場アニメ「若女将は小学生!」を見る。現実と対峙せねばならぬハードな主題を、アニメで描ききった脚本監督の鮮やかさ。後景の演出、一瞬の間合い、巧みな省略など、プロの力量と同時に、人物の造形に心をこめたやさしい手つき。殆ど間然とする所がない。喝采を送ります。





あさりよしとおのツィートだが、考えると、一応子供向けアニメの中に女性のすっぴんの顔と化粧した顔の両方を見せたのは、史上初ではないか。
実写映画ですっぴんを見せた女優はいたような気がするが、覚えていない。たしか、化粧しても大差ない顔だったような気もするwww


(以下引用)


水領さんは、すっぴんが一番。 (異論は認める) >若おかみは小学生!

野木亜希子は好きな脚本家だが、「電脳コイル」って、子供が主役である以外は、非常にマニアックで、子供が理解できる内容ではなく、ユーモアも、或る回(アニメ内の別アニメが中心の回)以外はまったく無く、全体に陰鬱で陰惨な雰囲気が漂う作品だと思う。つまり、家族で観るアニメではまったく無いと私には思えるのだが、どうだろう。
もちろん、私はたとえばシュタインズゲートのような「頭を使うアニメ」が苦手だということもある。しかし、子供の理解力なら、私以下だろう。まあ、登場する子供たちを眺めるだけで、「何が何やら分からんけど面白いかもしれない」という子供もいるだろう。現実と別次元の現実とが侵食し合う話(たとえば「千と千尋の神隠し」)を子供がまったく理解できないとは言わないが、一見科学的な世界として描かれながら、それが異世界と交錯するのでは、かなり理解に苦しむと思う。
この作品の制作の中心となった磯光男はかなり才能のあるアニメ作家だと思うが、アニメは「時間芸術」である以上(つまり、誰もが見直しができるわけではない以上)、視聴者の瞬間的理解力に対する理解が無さすぎると思う。

なお、私は、そうした不満感と不快感をずっと持ちながら、一応最後まで見たのは、この作品の場合は結末まで見て評価しないと正しい評価はできない作品だろう、という義務感からで、観終わっての感想は、「膨大な時間を無駄にした」である。これは、作品を見ている間中、楽しさや面白さをほとんど感じられなかったのだから、当然だろう。まあ、もちろん、これは見る側の問題だ。
ただ、「家族で楽しめる」は、かなり稀な家族だけに限定されるのは確かだと思う。作品の創作性における質の高さと、その視聴価値はまったく別である。

(以下引用)


野木亜紀子
@nog_ak
あたらしいテレビの収録。実はおすすめ作品として『電脳コイル』も推しており無駄に力の入ったボードも書いていたのですが、AmazonPrimeで配信復活していた!家族で楽しめるジュブナイルSFアニメ。わくわくできて笑えてミステリーもあり最高なので未見の人は見ておくれ。



いとうのいぢ(「のいじ」だと思っていた)の下の名前の「のいぢ」は、ほかでは聞いたことが無い名前なので、ウィキペディアで調べて、初めて、女性だと知って驚いた。まあ、「のいぢ」という名前から男性しか想像していなかったのである。NOISYから来ているなら、日本語の名前で聞いたことが無かったのは理解できる。
なお、日本のイラストやアニメキャラは、「いとうのいぢ」以前と以後に分かれると思う。つまり、萌え絵キャラを確立したのが彼女だと思う。ただし、私はそのキャラが好きではない。つまり、模倣者たちによってあまりに類型化しすぎて、顔の判別が「素人」には不可能だからだ。


(以下引用)


ペンネームの由来は、“いとう”はSIAM SHADEのギターリストDAITA(本名・伊藤大太)から、“のいぢ”はSEX MACHINEGUNS(当時)のベースNOISYからとったものである。英文名公式表記は“Ito Noizi”、もしくは“Noizi Ito”である。


下の名前の本名は「珠里」[1]

「未来少年コナン」の「原作」である、アレクサンダー・ケイの「残された人々」を、アニメを見た人が読むと驚くのではないか。まったく、原作の雰囲気も内容もアニメとは別で、まったく「話が面白くない」し、「雰囲気が暗い」し、「人物に魅力が無い」のである。つまり、宮崎駿はこの原作をアニメにしたのではなく、この原作にヒントを得て、まったく違う作品にした、と言っていい。つまり、芥川龍之介がアンブローズ・ビアスの短編から発想を得て「藪の中」を書いたようなものだ。
この「換骨奪胎」は、宮崎駿の天才性をよく示していると思う。優れた作家でも、無から何かを作り出すわけではない。その作品そのものが優れていれば、元ネタがどこから来たかはさほど問題ではないと私は思う。手塚治虫も、素人作品を参考にして自分の作品に活かしたことはあったようだ。それは、その素人にとっては名誉と言うべきだろう。

黒岩涙香なども換骨奪胎の名人で、海外の作品(無名の大衆小説含む)を見事に日本を舞台にして名作にした。「鉄仮面」など、その代表的なものだ。ボアゴベーという原作小説作家は本国でも今では誰も知らない程度の作家であり、埋もれた作品らしい。(映画の「仮面の男」の原作はデュマで、まったく別作品)
一部で有名になってあちこちでリツィートされているものだが、宮崎駿が第一話のラナの描き方に大落胆したのは事実だろう。実際、原画の大塚康夫(字はこうだったか)は第二話以降はラナを描かせてもらえなかったと言う。
まあ、私が見る限りでは、第二話以降もそれほど「美少女化」したとは思えないというか、第一話のラナをとんでもないブスと思った宮崎駿のほうがおかしいと思うのだが、おそらく宮崎の脳内ではラナは「女神化」しており、自分でもどう描いていいか分からず、大塚氏に期待したのではないか。ところが、想像以上に「ブス」だったわけだ。つまり、漠然とした空想上の「美少女」との落差による失望だろう。
大塚氏にとっては非常に気の毒な話で、第一話のラナは海辺で気絶しており、意識が少し回復して顔を上げた途端、巨大なサメの顔と対面し、目を回すのである。その目を回す顔を「美少女」に描け、と言われたのだから理不尽な要求というものだろう。
で、「作品内現実」の次元で考えると、コナンは生まれて一度も女を見たことが無いのである。そういう子供に女性の美という観念があるだろうか。つまり、一目見た途端に、「一生この女のために頑張るぞ」と思うのは、ラナの美しさのためだとしたら、その美の基準は、たとえばおじいの老年顔の醜さとの対比によるものであり、他の少女と比較してのものであるはずはないわけだ。その意味ではラナが「絶世の美少女」である必要性は無い。
まあ、視聴者としては、ラナがブスや平凡な顔では視聴継続する気にもなれないし、宮崎駿もブスなヒロインのためにアニメ作りを延々と続けるのは御免だっただろう。まさに「永遠に女性なるもの、我らを牽きて往かしむ」なのである。それは、相手がフィクションの女性だろうが同じだ。
なお、宮崎駿をペドフィリア扱いする馬鹿がいるが、彼は単に少女というものを女性美の極致としているだけで、性欲的な対象としているわけではない。創作においてまで少女を美や崇拝の対象とすることは変態的だ、というのは馬鹿な精神科医か馬鹿なフェミニストだけである。
なお、ナボコフの「ロリータ」も、少女を性欲の対象ではなく、崇拝の対象とした物語である。主人公(語り手)のハンバート・ハンバートがロリータをセックスの相手にするのは、相手から誘われたから応じただけであり、しかもそれ以前にロリータは同年齢の少年と性体験を持っていたのだ。


三馬力 @NAUSICAA198403

宮崎駿監督「一話ですが……。僕はもう、一話を見た途端、首を吊ろうかと思った」
「ラナってのはね、コナンが一目見た途端に、 一生この女のために頑張るぞというくらいの美少女でなければならないと (僕は) 思い込んでるのに、すごいブスラナが出て来ましてね」










私は、この第一話があまりに「不親切」なので一話切りした部類である。「二話以降も続けて見れば分かる」、という傲慢な作り手の姿勢にカチンと来たとも言える。
ゴダールは、映画の出来は最初の五分で分かる、と言っていたと思うが、第一話を全部見ても話の内容がつかめない、というのは視聴者を馬鹿にしていないか。
私は、ヒロインは腕が義手なだけ(義手でタイプライターが打てるということ自体、ほとんどSFだが)なのか、人造人間なのか、第一話全部を見ても了解できず、第二話以降を見る気を失ったわけだ。単に絵がきれいというのは私の場合、アニメを見る必要条件だが絶対条件ではない。ただ、「ワンピース」のように絵柄自体に不快感がある場合は絶対条件に近い。


(以下引用)漫画家北崎拓のツィートである。

本放送当時はこの1話を観て、「絵が綺麗だけどよくわからんなー」という感想だったんだよね。 今ならこの冒頭だけで涙ぐめる!(ぐんだ) #ヴァイオレットエヴァーガーデン







忍者ブログ [PR]