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ゲーム・スポーツなどについての感想と妄想の作文集です
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広尾晃は時々馬鹿なことも言うが、時にはいいことも言う。まあ、4分6分くらいでいいことを言っているだろうか。
部活などにおける体罰に関しては一貫して体罰を否定しており、それはいいところだと思う。

(コメント欄で指摘されている事実だが)平尾誠二が体罰肯定論を言っているのは、要するに、「勝てるチームを作るために」厳しい指導が必要だというのが本音だろう。
部員のころは体罰否定論で、指導者になったら体罰肯定論になる、というのは、指導者にとっては体罰否定論が手かせ足かせになるからではないか。だからどのスポーツ組織でも体罰がいつまでもあるのであり、その根底にあるのは勝利至上主義であり、勝つことによる指導者の既得権益維持である。



(以下「野球の記録で話したい」から引用)


[暴力」というコミュニケーション



貴ノ岩の悲劇、あるいは喜劇は、怒るべくして起こったという感がある。

はるかな昔、私は相撲界を少し知っている境遇にいたが、兄弟子が弟弟子に暴力をふるうのは、ごく普通の光景だった。

昭和の時代、「兄弟子とは無理篇にゲンコツと書く」と新聞や雑誌が書いていたものだ。何かミスをすれば殴られる。言い訳をしても殴られる。それどころか聞き返しただけで殴られる。何もなくても殴られる。
それが、相撲の世界だった。




大学野球も全く同様だった。1、2年生、いわゆる下級生は、3、4年生、上級生に殴られるために存在していたようなものだ。
古い野球選手は、「練習が終われば、一列に並ばされて片端から往復びんたを喰らったものだ」と述懐したりする。
そこには、「忌まわしい思い出」という感情は込められていない。むしろ「過ぎてしまえばいい思い出」とか「あの理不尽に耐えたから今の自分がある」と言ったりする。




海外でもそういう風習があるのかどうか、正確にはしらないが、日本のスポーツでは先輩が後輩を殴るのは犯罪にはならなかった。骨折するなど病院で治療が必要な暴力を受けても、誰も問題にしなかった。無茶苦茶である。

暴力は先輩、後輩の秩序を維持するためのマウンティングだったが、コミュニケーションとして認められていたのだ。

モンゴル出身力士の場合、数が少ないから部屋を超えて上下関係ができてしまう。彼らは民主国家に育ったわけではないから、人権の意識もコンプライアンスの意識もない。そしてモンゴルの力士は強いから、部屋も厳しく躾けなくなる。

平成の世になって、そうした異常な人間関係が問題視されるようになった。これは本当に良いことだが、いまだに古い指導者は「暴力」を賛美する傾向にある。

相撲に限らず、野球に限らず、暴力行為は一般社会の規範に照らして処罰すべきだ。選手を殴った監督は、傷害罪で告訴されるべきだ。「愛ある暴力は許される」というおよそ先進国とは思えない妄説を徹底的に粉砕すべきだ。









 コメント一覧 (5)

    • 1. hiwatt
    • 2018年12月08日 12:49
    • まったく同感ですが、あえて言うならば、モンゴルだけでなくこの日本もまた、民主国家ではありません。というか、精神的に封建国家なのだと私は思っています。21世紀になってなおこの精神性が残っていることは、恥ずべきことです。
    • 2. くろ
    • 2018年12月08日 20:14
    • >>選手を殴った監督は、傷害罪で告訴されるべきだ。

      全くの同感です。
      そして、殴られた側は、きちんと告発・告訴するという意識を持たなくてはいけません。
      「指導と称して殴るような指導者・先輩についていってもろくな事にならない」
      と意識改革するべきです。
      でないと、こういった暴力行為はいつまでたってもなくならないと思います。
    • 3. garan@nagoya
    • 2018年12月08日 22:17
    • NHKも
      「ロストフの24秒」とかいうスペシャル番組を作れるのなら

      「貴乃花部屋の1年」という番組を作ったほしい。
    • 4. ゴールドクラブ
    • 2018年12月08日 23:03
    • スポーツと暴力に関して気になる本と言えば、

      「殴られて野球はうまくなる!? (講談社+α文庫) 文庫」(元永 知宏)が参考になるのではないでしょうか。

      気になることを少し。
      甲子園で活躍したPL学園の主力である立浪・宮本両名が暴力や厳しさを肯定して、必要という認識を高校生からずっと今も持っていることが全てを物語っているように思う。
      「正直、僕らの時代では当たり前というか、あらゆる学校に、野球部だけじゃなくいろんな部活動に、上下関係はあったんですけどね。行きすぎた暴力は良くありませんが、最低限の厳しさは必要ですよ。正直、やりにくい世の中になったな、と思います」(立浪和義談 東洋経済オンライン 2018/8/16)
      『一方で、付き人制度を支持するOBは少なくない。ヤクルトで活躍した宮本慎也(45)は「今の時代では許されない」と前置きした上で、「信頼関係を築くには良い伝統だったし、PLの強さと関係していたと思う」』(PL学園の「付き人制度」 暴力の温床か、強さの源か 朝日新聞 2016年6月29日)
    • 5. ゴールドクラブ
    • 2018年12月08日 23:56
    • 続きます。

      >そこには、「忌まわしい思い出」という感情は込められていない。むしろ「過ぎてしまえばいい思い出」とか「あの理不尽に耐えたから今の自分がある」と言ったりする。

      くどいようだが私には平尾誠二・山中伸弥の共著「友情」の一節が浮かんでくる。
      『理不尽が人を成長させる』の章で

      平尾:世の中には理不尽なことがたくさんある、というのが僕の持論なんです。僕らが中学高校の頃は、ラグビー部に限らず運動部でのしばきがよくあったけど、あれも理不尽なやり方やった。(中略)
      でも、そういう時代って大事やと思うんです。暴力やしごきを肯定しているわけじゃ決してないんですよ。
      山中:理不尽なことに耐える、という意味で大事やと。
      平尾:そう。僕、「体育会系は日本を滅ぼす」という論を持っていたんですが、今は逆に、そういう理不尽さも必要だと思うね。理不尽や不条理や矛盾を経験しないと、やっぱり人間は成長しないし、強くならないと思う。理不尽な経験をポジティブにとらえれば、得るものがいろいろあるはずなんです。むしろ、逆にそれを面白がるくらいじゃないとね。「しゃあない、こんなこともある。でも、なんとかなるわ」という気持ちで理不尽に臨んでいける奴、そのなかで生きていける奴でないと、何をするにも絶対無理ですわ。

      「理不尽に勝つ」の一部がPHPオンラインで記事(2016/10/24)になっている。
      少年ジャンプの漫画「暗殺教室」にも「理不尽な事が世の中にあるのは当たり前、それを恨んだり諦めているヒマがあったら、楽しんで理不尽と戦おう」とある。

      理不尽とは?
      地震や冬の寒波といった自然天候も、ラグビーの試合の体重差も、人間による暴力パワハラや差別も、広い意味では「理不尽」だが…。
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私はフィギュアスケートは嫌いなのだが、こういうのは好きだ。つまり、選手によるwww
本田姉妹は本当にみんな可愛いが、一番の有望株は末っ子だろう。「ET」のころのドリュー・バリモアみたいである。ついでに、男の子もかなりハンサムだし、将来はこの子たち全員芸能人ではないか。







93: 名無しさん 2018/11/12(月) 15:06:58.79 ID:ACqWLq+ed
可愛いというかエロいんだよなぁ
no title


no title


no title


no title




「M字開脚」なんてタイトルを付けるものだから、女子水泳部かと少し期待してスレッドを開いてしまったではないかwww
まあ、冗談はともかく、大学生でも運動部はアホが多すぎる。もともとスポーツ推薦枠で入った連中ばかりだから当然だ。運動以外にやることも無いから、ますます馬鹿になっていく。
ちなみに、大横綱のひとりであった輪島も確か日大相撲部出身だったが、卒論は原稿用紙2枚で、2枚目には大きく「終わり」とだけ書いてあったそうだwww







Share on TumblrClip to Evernote
http://tomcat.2ch.sc/test/read.cgi/livejupiter/1541338105/

1: 名無し 2018/11/04(日) 22:28:25.24 ID:UASSWOQWd
no title


池江璃花子が進学予定の日大水泳部 恐怖のシゴキ現場

日大だが、水泳部の抱える問題の深刻さを物語る写真がある。その画像が、昨年10月1日にアフィスタグラム
(写真投稿サイト)内の24時間で投稿が消える「ストーリー」に掲載された一枚だと証言するのは、水泳部OBの一人だ。

「うちの部で、上級生が下級生に対して、とくに理由もなく、暇つぶしのようなノリで強いる悪ふざけです。二段ベッドの梯子に、
両手両足をビニール紐が肉に食い込むほどきつく縛り付け、口にはさるぐつわのように何かを詰められます。

 私も受けたことがありますが、両手を拘束し、身動きの取れない状態で心身が追い詰められる。この状態で部屋の灯りを消し、
1時間以上放置されることも珍しくなかった。アイマスクで視界を遮り、急に大きな音を出して怖がらせることもあります。
上級生はからかっているつもりのようでしたが、やられている側にとっては恐怖です」

https://www.news-postseven.com/archives/20181022_785590.html?PAGE=1#container


私は広尾晃の「今の基準では」とか「世界標準では」とか「ルールが変わった」という言い方が大嫌いなのだが、中畑の考え方もおかしいわけで、愛情があろうと無かろうと暴力は暴力にすぎない。
相手が自分の子供や妻だろうが、自分とは別人格の「他者」なのであり、そういう相手に暴力をふるうのは、結局相手が「弱者」だと思っているからだろう。それは、監督やコーチが部員に暴力をふるう場合も同じだ。ヤクザが一般人に暴力をふるうのも同じだ。兵士が民間人に暴力をふるうのも同じだ。社長が社員に暴言を吐くのも同じだ。
愛情ゆえの暴力など存在しない。

(以下引用)



スポニチで暴力、パワハラ問題について語っている
【中畑清 キヨシスタイル】パワハラ問題…暴力はダメ!でも情熱持つ指導者は必要
暴力がダメなのは分かってるよ。でも、なんでもかんでも暴力だ、いじめだと決めつけていいものか。教育、しつけのために愛情を持って手を上げるケースもある。
大事なのは手を出すにいたった理由。そして手を出された選手がどう受け止めているか。そこのところをしっかり精査してもらいたい。手を出したら一律アウトなんてことになったら、情熱を持った指導者はいなくなるんじゃないかという怖さを感じるんだ。
私たちが育った時代は殴られて当たり前。ケツバットもされたし、ボールを足に挟んで正座させられたこともある。痛かったし、つらかった。でも、今では感謝の気持ちの方が強い。痛みをこらえることで我慢を覚え、どれだけ免疫力を高められたか。大人になってからどんな壁にぶつかっても乗り越えられる。
昭和のカリスマ指導者はみんな、今ならパワハラと指摘されてしまう指導をしていたはずだ。パワハラのないスポーツなんてなかったんじゃないかな。


昭和の時代のスポーツ指導者は、こう思っているだろうなあ、という見本のような意見だ。
要するに、暴力を全否定したら情熱のある指導者はなくなる、というのが趣旨だ。「暴力」は情熱の一表現であって、選手への愛情があればそれは許されるということになる。

中畑清のこの意見は、今の基準では全否定されなければならない。
大事なのは手を出すにいたった理由。
どんな理由があっても、手を出せば全部アウト、追放である。

スポーツ界はすべての暴力を排除するところからスタートしなければならない。
「情熱のあまりだからOK」「愛情だからOK」「暴力を受けた側が感謝しているからOK」ということになれば、選手が被害届を出さない限り、すべての暴力が容認されることになる。
加害者は誰も「殴りたかったから殴った」「憎かったから蹴った」とは言わない。

民主国家である日本の法律では人権擁護の観点から、すべての暴力が刑事犯罪と認定される。しかし学校内やスポーツ団体、チーム内では「愛情があれば」人を殴っても良い。
そういうダブルスタンダードがこれまではまかり通っていた。そのこと自体が異常だったのだ。

さらにいえば「情熱」「愛情」の表現の一つが「暴力」「パワハラ」であるという今の日本のスポーツ界の異常性、後進性を認識すべきだ。牛や馬のように蹴ったり叩いたりして選手にスポーツを仕込むのは、今どきのスポーツの概念にはない。スポーツ選手も人間であり、言葉も通じるし、理論も理解できる。昭和の時代の指導者よりも知的レベルは上だ。その野蛮さ、レベルの低さを認識すべきだろう。

率直に言えば、この中畑清の意見に「そうだそうだ」とうなずくような指導者は、みんな即刻辞めた方がいい。今の基準に照らせば、あなたがたがやっていたのはスポーツ指導でも教育でもなく「隷属」「強制」「調教」であり、人権侵害だ。やくざと何ら変わらない。

端的に言えば、社会規範のルールが変わったのだ。昔はOKだったものが、ルール改正でだめになったのだ。そういう風に理解するしかないだろう。
「情熱があれば暴力も容認される」というのは「昔は打ってから三塁側に走ってもOKだった」というのと同じくらい「変」なのだ。

中畑清という指導者は滑稽で、明るくて、大好きだが、それだけに残念に思う。


まあ、確かに、バタ足のあの動き(上下動)で前に進む力が増すというのは考えてみればおかしいわけで、一番最初に習った時は誰でもそう思うはずだが、世界中の誰もがあのバタ足をやるのだからそれが正しいのだろうと、その疑問をすぐに忘れてしまうわけだ。
では、平泳ぎの煽り足(というのか?)は推進力になるのか、と言われれば、こちらも疑問符がつくが、手だけで泳ぐのも何だか不安だから、足も連動させるほうが体全体のバランスがいい、という程度の効果はあるのかもしれない。実際、立ち泳ぎをすれば、煽り足に多少の推進効果があることは分かる。バタ足で立ち泳ぎをしたことはないが。
つまり、実は、水泳というのはほとんど手の動きだけで推進力を得ている、ということではないか。その証拠に足の動きがほとんど意味を持たないバタフライが実は一番速いという説もあるようだ。ではなぜ自由形では皆クロールをするのか、と言えば、「みんなクロールだし、クロールの記録の方が上だから」だろう。水泳の上手い連中がみなバタフライをすれば、バタフライが自由形の記録を更新したりして。
まあ、そこまでは言い過ぎかもしれないし、上体の動きだけ考えてもクロールのほうがバタフライより推進力が勝っているのかもしれない。それに、バタフライは体全体の上下動が凄いから、その分、上下動のまったく無いクロールより時計が遅くなるのではないか。いずれにしても、クロールのバタ足に意味がない、というのは、子供の持つ一番最初の疑問が科学で証明されたわけだろう。
この、「クロールのバタ足」に似た「スポーツの迷信」は案外たくさんあるのではないか。



さんがリツイート

衝撃の事実判明で「クロールのバタ足」トレンド入り クロールのバタ足、速くなる効果なし むしろ水の抵抗増 


ほかのスポーツのインタビューもそうなのか、サッカーだけがそうなのか知らないが、インタビューでのコメントが台本によるものだったというのは少々驚きである。まあ、ビッグマウスで有名な本田圭佑だから、いつも台本で喋っているとは思えない。恐らくカメラの向こう側にフリップが出ていて、言葉に詰まった時に「助ける」システムなのが裏目に出たのだろう。




1: 2018/07/04(水) 14:45:41.82
3日深夜の「NEWS ZERO」では、ベルギー戦から現地で一夜明けた時点での本田選手へのインタビュー映像を放送した。冒頭、ベスト16敗退という結果に終わった今大会の「受け止め」を問われた本田選手は、「悔いはないです」と言い切った。
 そして、「本当に、子供の頃からこのW杯のためだけにサッカーをやってきたといっても過言ではない。そういう大会だったんですけど」とポツリ。「まあ今はすごく...、なんというんですかね、え~」と5秒ほど言葉に詰まった後で、今の心境について、
  「『きよきよしい』というか...。すごく、自分の中では気持ちの切り替えができている部分があります」
と口にしていた。

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180704-00000006-jct-ent
 

引用元:http://tomcat.2ch.sc/test/read.cgi/livejupiter/1530683141/


32: 2018/07/04(水) 14:51:42.83
これ台本読んでるん?
自分が出場した大会の感想を?

34: 2018/07/04(水) 14:52:28.71
>>32
マネジメント会社がつくと衣装とかマスコミ対応とか全部やってくれる代わりにほぼ言いなりやぞ

33: 2018/07/04(水) 14:52:25.27
聞いたことない言葉使うなよ

37: 2018/07/04(水) 14:52:55.81
馬鹿なことより台本な事が悲しい

40: 2018/07/04(水) 14:53:24.12
台本だったんやな
悲しいなあ


「逝きし世の面影」から転載。
「すべからく」は「ぜひとも」の意味であり、「すべて」の意味など本来は無かったが、誤用のほうがあまりに多いので、文化庁は「すべて」の意味も認める方針を出したようだ。

それはともかく、本田のこの「アッカンベー」は誰に対するものか、知りたいところである。相手チームや相手キーパーに対するものなら、スポーツマンシップのかけらも無い馬鹿行動だが、「これまで自分を馬鹿にしてきた人々(多くのサッカーファン、サッカー評論家、サッカーOB含む)」へのアッカンベーのような気がする。
この写真で見ると、偶然の表情ではなく、明らかに意図的だ。それにしても舌が長い。顎の先まで届いている。ビッグマウスは舌も長い。



(以下引用)


すべからく 見ているが見なかったことにする

2018年06月27日 | 政治
『全員で空気を読む(「不味い」と思った不快な事実をなかったことにする)日本』

世界最大のスポーツの祭典であるFIFAワールドカップロシア大会(24日、エカテリンブルク)で本田圭佑が同点ゴールを決めた場面は同時中継で日本国内でも放映され30%を超す高視聴率を上げただけではなく、翌日や翌々日にも何度も何度も繰り返し繰り返しテレビや新聞が詳しく報じている。
ただし、W杯で2010年の南ア大会、2014年ブラジル大会に続く3大会連続ゴールの本田圭佑の『あっかんべー』を全員で無視する摩訶不思議な日本のメディアが不気味すぎる。全員が周りの空気に支配されているのである。
本田圭佑のゴール直後の舌出しは、世界最高峰のイタリアのセリエAから格下のメキシコリーグに都落ちして最初の試合での初ゴールの直後にも行っていた。(日本のサッカーファンもマスメディアも同じで、世界中が注目するワールドカップでの『あっかんべー』はあまりにも不適当である事実を知っているので、全員が暗黙の了解事項として無視することに決めたのである)

『すべからく』

この言葉は漢字では『須らく』と書く。(必須などの使用例からも分かるが)字源からは『当然、』などの意味で『ある事を是非ともしなければならないという気持ち』を表すが、文化庁月報 平成24年7月号(No.526)にも『すべからく』が取り上げられ詳しく解説しているが、元々の意味には無かった『全て』の意味もあわせ持つようになった摩訶不思議な言葉。(ある意味では、これ以上に日本人的な言葉も無いのである)



広尾晃のブログで、キー局のスポーツ放映のつまらなさを批判した記事のコメント欄の一部だが、これはペスカトーレ氏の言葉が正鵠を射ているのではないか。
広尾は自分自身がマスコミの一端にいるからマスコミをスポンサーの奴隷ではなく社会的使命を持つ存在だと強弁しているが、そんなのは建前であって、資本主義社会の営利企業が社会的使命など考えるわけがない。せいぜいが、批判を避けるために時々それらしいことをやるだけの話である。
まあ、資本主義とは、金儲けのためなら何をしてもいいというのを究極の理想とする社会体制であり、それを「新自由主義」と言うのである。政治が資本主義の暴走にストップをかけないと、その社会は地獄になる。それが現在のアメリカであり、日本である。


(以下引用)

    • 6. ぺすかとーれ
    • 2018年06月20日 19:04
    • 地上波キー局を批判するのはナンセンスだよ。彼らは企業の宣伝ツールの一つにすぎないんだから、人々がもっとも食いつきそうなネタを垂れ流すことだけを考えるのは当たり前の話。

      批判すべきは、くだらないニュースを嬉々として見ている国民と、そんな国民性を作り上げた政府だと思うけどね。
    • 7. 広尾 晃
    • 2018年06月20日 19:45
    • ぺすかとーれさん

      >彼らは企業の宣伝ツールの一つにすぎないんだから
      違いますよ。電波法で電波を割り当てられた公的な企業ですよ。

      メディアは商売をするために公共の電波を使っているわけではありません。メディアは民主主義の公器であり、公共の利益に資する義務を有しています。だから言論の自由の担い手として、国民の知る権利を守るために、取材をし、情報発信します。
      もちろん、民間メディアは広告のビジネスで成り立っていますが、人々に良質の情報を提供する義務を負っています。ただの会社ではありません。

      そういう仕組みをちゃんと知らないと、議論するテーブルにつくことはできない。

広尾晃のブログの読者コメントから抜粋。コピーが重なって見えにくいが、Johnny氏の意見に同感である。スポーツは「ルールを守る」ことは教えるが、礼儀作法を教えるものではない。
広尾氏の本記事内容は、スポーツ選手に礼儀や常識が身についていないことから、その指導者を批判したものだが、私はスポーツ選手というのはもともと「子供のままで大人になった連中」だと思っているし、だからこそ凄いパフォーマンスを出せるのだと思っている。大の大人が球蹴りや球遊びをやること自体、子供っぽい話である。別に彼らは社会人の模範とすべき存在ではない。それどころか、大きな子供なのだから、スポーツが無ければ社会の落後者か厄介者になった可能性が高い。
昔の野球選手など、ヤクザそのものという選手がたくさんいた。だからわざわざ正力松太郎(だったか?)は「巨人軍は紳士であれ」と言ったのだ。裏を返せば、当時のプロ野球人に紳士はほとんどいなかったということだ。
昔と今は違う、と言う人もいるだろうが、中味は同じである。昔と違うのは、(マスコミの協力もあって)表面を誤魔化すのが上手くなったことだけだろう。そもそも、中学高校(あるいは大学まで)ロクに勉強せず、授業中は寝てばかりいた連中がまともなはずはない。これは野球部だけではなく、ほとんどの運動選手がそうだろう。それも、優秀な選手ほどそういう扱いになる。要するに脳筋として生きることを周囲からも黙認され、むしろ積極的にそう育てられるのである。
ただ、そういう存在を私は別に否定的に見ているのではない。むしろ、可愛らしい連中だ、面白い、愛すべき連中だ、と思っている。だが、だからと言って、可愛い犬や猫を人間扱いして一緒にテーブルに座らせて食事をさせるような馬鹿な真似をするべきではない、ということだ。

    • 1. こたにっち
    • 2018年06月19日 11:08
    • 「自分が中学生レベルの「礼儀作法」を学びなおさなければならない指導者がたくさんいそうな気がする」

      これに尽きると思います。
      教えようと思っても教えられない(そもそも教えたいとは思ってないでしょうが)。

      また、何かを聞かれて答えられないのは恥ずかしいので、自らの威厳を保つため、質問しない・できない子供を作ってしまうのかと。
    • 2. Johnny
    • 2018年06月19日 11:30
    • そもそも野球って、武道とかのように礼儀作法を重んじるような堅苦しい競技ではないと思うんですけどね。
      古くはタウンボールに端を発した、もっとレクリエーション要素の強い気軽な競技っていう認識ですが。
      試合開始の宣言だって"Play ball"(ボールで遊ぼう)って言うくらい、野球文化の根底に流れているものはもっと気楽な精神だと思います。それは草野球でも、高校や大学などのアマチュアでも、MLBやNPBのようなプロのトップリーグでも変わらないと思いますよ。

      礼儀作法の教育云々は、野球という競技自体の役割ではないし、野球という競技やその文化とはあまり関係がなくて、その選手たちが属している教育機関とか、彼らの肉親や家族を含めたコミュニティの問題ではないかと。
      もちろん、フェアプレイ精神とか相手に対するRespectとか、野球という競技に取り組むことで会得できる教育的な効果・意義はもちろんあるとは思いますが。
日本とコロンビアの試合中だが、コロンビアの選手がハンドリングでレッドカードを食らって退場させられたという事に、「えっ、ハンドリングくらいで?」と疑問に思って調べてみると、その反則で「確実なゴールが阻害された時」はレッドカードになるらしい。今回の場合がそうだったのかどうかは、試合を見ていないので分からないが、サッカーのように「ズルい行為」が戦略とされている競技の中で、ハンドリングが案外重い反則とされているのは意外だった。まあ、サッカーは「手を使わない」ことで成立している競技だから、サッカー好きには当然かもしれないが、超素人の私は、退場させるほどの反則かねえ、と感じてしまう。味方の危機に、咄嗟に手が出るのは人間の本能的行為だろう。相手選手や審判への暴行くらいの悪質さなら分かるのだが。手が使えないスポーツなら、最初から両手の無い人間限定でやればいいwww






カード(イエロー/レッド)となるハンドリング

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前回の記事で、どのような場合、主審はハンドリングの反則をとるか、ということについて書きました。その最後に、ハンドリングの反則で、イエローカードやレッドカードの対象となる場合がありますよ、ということを書きました。

 

競技規則できちんと規定されているので、確認しておきます。

 

競技規則 ガイドライン 第12条 ファウルと不正行為

ボールを手で扱う

(中略)

懲戒の罰則

競技者が次のように意図的にボールを手で扱ったとき、反スポーツ的行為で警告されることになる。
●意図的にボールを手で扱って、相手競技者がボールを受け取るのを阻止する。
●手でボールを扱って得点しようとする。


  

一つ目は、「バスケットボール」のように、手で相手のパスをカットするようなプレーはダメですよ、ということ。二つ目は、「ハンドボール」のように、手でゴールすることを狙っちゃダメですよ、ということです。(いわゆる「神の手」のようなプレーですね。)

 

これらのようなプレーをすると、サッカーじゃなくなるから「イエローカード」。
 
 

懲戒の罰則はさらに続きがあって、

 

しかしながら、競技者が意図的にボールを手で扱って決定的な得点を阻止した場合、退場を命じられる。この罰則は競技者がボールを手で扱うことによるものではなく、得点となりそうな状況を阻止するということによるものである。これは公正を欠いた介入で、(サッカー競技にとって)受け入れられることのできないものである

 

間違いなくゴールインするボールを、ゴールキーパー以外の選手が、ゴールキーパーのようにボールを手で扱って阻止しちゃ「絶対にダメ」ですよ、ということですね。

 

これ、注意が必要です。レッドカードは、「ボールを手で扱って、『決定的な得点を阻止』」した場合だけです。

 

では『決定的な得点の阻止』とは、

1)ボールがゴールマウスの枠内に向かって進んでいる。

2)その選手(ハンドした選手)より後方にはゴールキーパーを含む守備側選手が誰もおらず、他のプレーヤーの正常なプレーによってゴールインが阻止される可能性が全くない。

この2つの条件が両方とも満たされている場合のみ。

 

なので、主審は、「そのハンドリングがなければ、100%ボールがゴールに入っていた」という状況でのみ、その選手に「レッドカード」を提示できる。逆に、100%と言いきれない場合は、「レッドカード」を提示してはいけません。

 

つまり、「もしかしたら、クロスバーに当たっていたかもしれない。」「もしかしたら、ゴールキーパーが戻って対処できた可能性がある。」「もしかしたら、他の選手がヘディングでクリアできた可能性がある。」 などの状況では、「レッドカード」で選手を退場処分にすることはできません。(露骨なハンドリングの場合は、「反スポーツ的行為」として、「イエローカード」の提示はできますが。)

 

また、「ボールを手で扱って『決定的な得点を阻止』しそこなった場合」については、「得点を認め、手でボールを扱って得点を阻止しようとした選手にイエローカードの提示」となります。(あ、イエローカードになるのは、2つではなくて3つでした。前回の記事を訂正しています。)



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