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ゲーム・スポーツなどについての感想と妄想の作文集です 管理者名(記事筆者名)は「O-ZONE」「老幼児」「都虎」など。
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第十三章 破滅の前の夜
 
 その夜、真は眠れなかった。イフリータの面影が目の前にちらつき、振り払うことができない。
 彼は寝床から起きて、バルコニーに行った。
 明るい月夜である。青く見える空に大きな白い月がかかっている。この世界が破滅の前にあることが信じられない平和な夜空だ。
「真? 何してるんだ」
 後ろから声を掛けられて、真は振り返った。シェーラ・シェーラであった。
「ああ、シェーラ・シェーラさん。眠れなくて」
「お前もか。へへ、俺もだ」
 二人は並んでロシュタルの町と、その上を照らす月を眺めた。
 シェーラ・シェーラは、二人でロマンチックに夜景を眺める甘い気持ちと同時に、今、言わなければ言う機会は無い、というあせりに駆られていた。
「お、俺よう、実は……」
 シェーラ・シェーラは、小さな声で言って口ごもった。
「えっ? 何ですか」
「いや、何でもねえ。お前、今でも地球に帰りたいか?」
 そう聞かれて、真は考えた。そういえば、地球に帰りたいという事を、ここのところ考えたことは無かった。家に帰れば、なつかしい家族に会える。しかし、それはここで出会った人々と別れることでもある。
「僕は、このエル・ハザードが好きですわ。ここの人々はみんな善良で優しい。素朴な人ばかりや」
「そ、そうか。じゃあ、地球に帰らないんだな。安心したぜ」
 真はシェーラ・シェーラを見て、微笑んだ。
 シェーラ・シェーラは赤くなった。
(この笑顔に弱いんだよなあ。ええい、行けえ!)
「真!」
「うん?」
 真は横を見て驚いた。シェーラ・シェーラが目を閉じて軽く顔を上向けているではないか。つまり、キスを求めているのである。
(あっ、シェーラ・シェーラさん、僕が好きやったんか)
 真は困った立場になった。シェーラ・シェーラのさっぱりとした性格は大好きだし、女の子としても可愛い子だ。しかし、異性として意識したことは無いのである。
「シェーラさん、僕……」
 シェーラは、目をあけて、真の困ったような顔を見た。
「おめえ、やっぱり、あのナナミって奴が好きなんだな!」
「私がどうかした?」
 背後からの声に、二人は振り向いた。そこに立っていたのは、もちろんナナミである。
「二人でラブシーンなんかしちゃって。世界の終わりが目の前だってのに、いい気なものよねえ。真ちゃん、あんた、この世界でずいぶんモテモテじゃん」
「い、いや、これは」
 真はうろたえた。
「おい、お前、男だろう。俺とあいつとどっちが好きかはっきりさせろよ!」
 シェーラ・シェーラは真の胸倉を捕まえて問い詰めた。
 その時、宮殿を揺るがす轟音が聞こえた。
 宮殿の東の塔が崩れ落ちていく。
「な、何事や!」
 バルコニーから身を乗り出してその様を見た真は、月の光に照らされて空中に浮かぶ物を見た。
 イフリータであった。
 冷たい顔で、今自分が破壊した塔が崩れる様を眺めている。
「イフリータ!」
 真の声に、彼女は振り向いた。そして、真の方に向かってすっと飛んできた。
「お前は何者だ。なぜ、私を親しげに呼ぶ」
「僕や、水原真や! 本当に覚えておらんのか?」
 イフリータはバルコニーに降り立った。
「そんな者は知らん。私は、この宮殿と町の一部を破壊しに来た。降伏を受け入れねば、どんな目に遭うのか教えるためにな」
「そんな事しちゃ、あかん。何で君がそんなひどいことしなきゃああかんのや!」
「それが私に命ぜられたことだからだ」
 二人の会話を聞いていたシェーラ・シェーラが、我慢できなくなって、彼女の前に駆け寄った。
「この野郎、ロシュタリアを破壊するだと? そんなことさせてたまるか! これでも食らえ!」
 シェーラ・シェーラの打ち出した炎の球を、イフリータは平然とかわした。
「私の邪魔をするな。命令に入ってはいないが、私の邪魔をする者は殺す」
 イフリータの杖が、シェーラ・シェーラの胸に向けられた。
「あかん! やめろ、イフリータ」
 真は、何も考えず、イフリータの杖の前に飛び込み、その杖の先端を手で押さえた。
「あっ!」
 驚いたのは、シェーラ・シェーラとナナミだけではなかった。イフリータの顔にも、驚愕としか思えない表情が表れた。
 真が杖の先端を押さえた瞬間に、真の記憶がイフリータの記憶回路に流れ込んだのである。真が初めてイフリータを見た、あの夜の思い出。真によりかかって涙を流しているイフリータ自身の姿。
「お、お前は何者だ! 私はお前と会ったことは無いはずだ」
「僕は、君と出会って、このエル・ハザードに来たんや。イフリータ、本当に覚えていないんか?」
 イフリータの心に、真にしがみついていた時の自分の気持ちについての感覚がはっきりと残っていた。それは、愛としか言えない感情である。しかし、機械である自分に感情があるはずがない。
「お前は私に何をした? なぜそんな事ができる。お前は一体何者なのだ!」
 イフリータは、その武器である杖を真に向けて叫んだ。その時、バルコニーの異変に気づいて、衛兵たちがどやどやと二階に現れた。
 イフリータは、それを見て、すっと空中に浮かんだ。
 物問いたげな瞳を真に向け、しばし空中にたゆたった後、彼女は流れるような飛翔で闇の中に消えていった。


第十四章 混乱の会議

 翌日、ロシュタリア王宮にエル・ハザード各国の代表者が集まって、エル・ハザード公会議が開かれた。真はまたしてもパトラ王女の格好でこの会議に出席することを余儀なくされたが、ルーン王女の傍で座っているだけの仕事も、結構つらいものがある。
(イフリータ……)
 エル・ハザードの危機について諸国王たちが侃侃諤諤の議論を交わしている間、真の目の前には、イフリータの面影が浮かんでいた。
(「真、真、やっと会えたね……」)
 あの切なげな、愛情に満ちた悲しい笑顔。あれはいったい何だったのだ。そして、自分たちの敵である彼女に、自分はなぜこんなにも心を揺さぶられるのだ。
 はっと気がつくと、ある国の代表が、ルーン王女に神の目の作動を強く迫っていた。
「ルーン王女、今こそ神の目を用いる時です。さもなくば、エル・ハザードはすべてバグロムによって支配されることになりますぞ。あの鬼神イフリータの力は、たった一人でこの世界全体を滅ぼすことができるものです。この会議に出席しなかったアリスタリアは、すでに自らバグロムへの屈従を申し出たのです。それも当然。目の前でアリスタリア第二の町、ファルドが一瞬のうちに消滅させられたのですからな。あのイフリータに対抗できるのは、神の目しかありません。ルーン王女、どうか、神の目の使用を御決意ください!」
「神の目は……」
ルーン王女が言った。
「最後の手段です。古代文明が滅びたのは、イフリータではなく、本当は、神の目を作動させたからです。イフリータによって我々は滅びるかもしれない。しかし、滅びるのはいくつかの国でしかありません。国が滅びた後にはまた別の国が生まれ、栄えるでしょう。神の目は文明そのものを滅ぼすかもしれないのです」
「我々にとっては、自分の国が滅びるかどうかだけが問題なのだ! あなたが神の目を動かすことにどうしても反対するならば、我々はあなたをエル・ハザード全体の盟主とすることはできない。ロシュタリアがエル・ハザード諸国の盟主であるのは、ロシュタリア王家には神の目を動かす不思議な力が伝えられているという、その一点によるものだからな」
「そうだ!」
「そうだ!」
 他の国王たちも、一斉に叫んだ。
 ルーン王女は、蒼白な顔で、気絶せんばかりである。
「王女、神の目を動かすことにしましょう」
 真は王女にささやいた。
「しかし、パトラがいないと、動かせません」
「そう言わないとこの場はおさまらないでしょう。とりあえず、この場を誤魔化しておいて、パトラさんを探し出すことに全力を上げましょう。最後の最後まであきらめなければ、なんとかなります」
 気休めだったが、真の言葉は王女を動かした。
 ルーン王女は頷いた。そして、会議の面々に向かって言った。
「分かりました。神の目を動かすことを承知します。バグロムへの返答の期限は明日の正午。その時間に、神の目を始動させることにします」
「ちょっと待った!」
 突然、声が掛かった。
 その声は、ルーン王女の右手に座っていた王女の婚約者、ガレフのものであった。
「言いたくないことだが、パトラ王女は今、失踪しているという噂がある。つまり、神の目を動かすことはできないということだ」
「ガレフ殿、何を言うのです!」
 会議の面々は動揺した。
「パトラ王女が失踪しているだと? 現に目の前にいるではないか」
 一人が声を上げた。
「あれは王女の影武者だ」
「ガレフ、あなたは、なぜそんなことを言うのです!」
「王女、神の目を動かせるのはあなたではない。今や、私が神の目の主人なのだ」
「えっ、どういうことです」
「パトラ王女を誘拐したのは私だ。パトラ王女の脳波を調べて、神の目を動かす原理を調べるためにね。まだ完全というわけにはいかないが、ある程度は動かせる自信がある」
「なぜ、何のためにそんな事をしたのです」
「もちろん、私がこのエル・ハザード全体の支配者となるためだ。こうなれば、ここにおいでの皆さんも、私に従うしかないだろう。それともバグロムに降伏するかな?」
立ち上がってあたりを睥睨するガレフに、諸国王たちは顔を見合わせた。
「仕方あるまい……。神の目を動かせる者が、エル・ハザードの支配者だ」
「いけません! 不完全なまま、神の目を動かしたら、どんな災いが起こるか分かりません!」
 ルーン王女の叫びは、しかし国王たちを動かせなかった。
「畜生、ガレフの奴、こんな事をたくらんでやがったなんて」
 会議室の隅で会議の行方を眺めていたシェーラ・シェーラは歯軋りをして小さく叫んだ。
「あきまへんな。ロシュタリア王家もこれで終わりどす」
 その傍にいたアフラ・マーンも呟く。
「御可哀相に、ルーン王女様、婚約者にこんなに酷い裏切りをされるなんて」
 会議の行方を知るためにロシュタルに来ていたミーズ・ミシュタルも涙ぐんで言った。
「ねえねえ、王女の婚約者って、あの青い顔の人?」
異世界からの客として、特別に会議に出席を許されていたナナミがアレーレの袖を引っ張って言った。
 その言葉に、他の人々は、ぎょっとしたように一斉に振り返った。
「青い顔だって? あのガレフがか?」
「そうよ、自分がエル・ハザードの新しい支配者だとか言って威張ってた人」
「畜生! 幻影族だ!」
 シェーラ・シェーラが飛び出した。
「みんな、騙されるな! そいつは幻影族だぞ!」
「何、幻影族だと!」
 会議の場は大混乱に陥った。
「くっ、なぜ私の正体が見破られた!」
 ガレフは本性を現した。まるで幽鬼のように青ざめた顔である。その傍にさっと現れた美少年も、同じように青ざめた顔をしている。
「てめえ!」
 シェーラ・シェーラが炎をガレフめがけて打ち出した。しかし、その瞬間にガレフの姿は消えていた。
「畜生! どこへ消えた」
 うろたえて、シェーラ・シェーラはあたりを見た。
 その瞬間、彼女の肩口に鋭い痛みが走った。
「あっ!」
 彼女の服の肩が切り裂かれ、赤い血が流れている。
「あかん、見えない相手に勝ち目はおまへん」
 くやしそうに言うアフラ・マーンをナナミがきょとんとした目で見た。
「あんたたち、あいつが見えないの? ほら、ガレフは今、ルーン王女のそばに、もう一人のちっちゃいのはシェーラさんの後ろにいるじゃない!」
 二人の法術士は、さっと駆け出した。
「シェーラ、後ろや!」
 アフラのその言葉と同時に、シェーラ・シェーラは腰の剣を抜いて、自分の背後の何かに向かって横なぎに払った。ズン、という手ごたえがあり、何かが倒れた。
 ミーズの方は、ルーン王女の周りに高圧水流で水のバリアを作り出す。
 ルーン王女を攫って逃げようとしていたガレフは、回転するその水流に阻まれて、手が出せない。
「くそっ!」
 ガレフは身を翻して広間から逃げた。
「ガレフを逃がしてはあきまへんえ! ナナミちゃん、真はんと一緒にガレフの後を追いなはれ。私らもすぐ行くさかい」
「オッケィ! 真ちゃん、行こ」
 真は、ナナミの後に続いて走りだした。おそらく、ガレフの行くところにパトラ王女が監禁されているのだろう。パトラ王女に会えば、神の目の秘密も、自分たちがこの世界に来た理由も分かるかもしれない。
「おーい、お前たち、どこへ行くんだ?」
 廊下でぶつかった藤沢に、真は叫んだ。
「パトラ王女が見つかりそうなんです。先生も来てください」
 藤沢は二人の後を追い、さらにその後からシェーラ・シェーラ、アフラ・マーン、ミーズ・ミシュタルも追ってきた。
 ガレフが逃げ込んだのは、王宮の背後にある、王家の祭壇のある建物であった。そこは禁断の場所であり、シェーラ・シェーラたちの捜索も及ばなかった所だ。

第十五章 パトラ王女の救出

「ガレフの奴、こんな所に入り込んでいたのか!」
シェーラ・シェーラが叫んだ。肩口の傷は、ミーズ・ミシュタルの治癒の法術で応急処置が取られ、ふさがりつつある。
「パトラ王女様が中にいるなら、人質に取られて手が出せなくなる。早く行かないと!」
真の言葉に他の者たちは頷いた。
 ガレフが逃げ込んだのは、王家の墓所であった。暗い中に永遠の燐光が光り、無数の墓を静かに照らし出している。
「お前たち、それ以上近づいたら、パトラ王女の命は無いぞ」
 墓所の奥に進み、ある部屋に入ると、そこにガレフはいた。ガレフだけではない。三人の幻影族の人間がいて、その者たちは、部屋の中央の奇妙な機械を操作していた。その機械の中心の椅子には、長い黒髪以外は真と瓜二つの美少女が、気を失ったまま縛り付けられている。
「パトラ様!」
 ロシュタリアの者たちは悲痛な声を上げた。
「もはや、こうなっては、我々の野望は潰えた。おい、神の目を始動させろ!」
 ガレフは部下らしい幻影族の三人に命じた。
「ガレフ様?」
「し、しかし、そうすると神の目は暴走しますが?」
「かまわん!」
 しかし、ガレフの部下は、スイッチを入れるのをためらっていた。
「おい、ガレフ、あんた何を考えてるんや! この世界を破滅させる気か」
 真の言葉にガレフは凄みのある微笑を浮かべた。
「その通りだ。我々幻影族は子孫を増やす手段を持たない。一代に一度の分裂で、自分と同じ個体を残せるだけだ。事故や病気で死ねば、その分だけは減っていくしかない。つまり、我々は最初から破滅を運命づけられた種族なのだ。私は、神の目を動かすことで始原の時間に戻り、我々の運命を変えるつもりだった。それが駄目になった今、全エル・ハザードを道連れに破滅するのも悪くない」
 ガレフは部下に向かって頷いたが、部下はまだためらっている。
「ええい、俺がやる。どけい!」
 その瞬間が、シェーラ・シェーラの狙っていた瞬間だった。彼女は、ベルトにつけていた短剣を抜き、ガレフめがけてそれを投げた。
 短剣は、見事にガレフの胸に突き刺さった。
「ぐあっ!」
 ガレフは声を上げて倒れた。
「お前たち、まだやる気か?」
 シェーラ・シェーラが言うと、ガレフの部下たちは首を横に振って機械の前を離れた。
 真と藤沢は、機械中央の椅子に縛りつけられたパトラ王女を助けだした。
 墓所から外に出ると、明るい世界が広がっている。しかし、パトラ王女は麻薬で眠らされているらしく、目を開かなかった。

「パトラ王女様! アレーレ、心配しましたわ!」
 パトラ王女が目を覚ますと、その前にはアレーレの心配そうな顔があった。
「おう、アレーレではないか。私は助かったのじゃな」
「はい、この方たちのご活躍で」
 パトラ王女はベッドの周りの人々を見たが、ルーン王女、侍従長、親衛隊長、幕僚長、大神官以外に、見慣れない顔が三つある。真、藤沢、ナナミの三人である。
「この者たちは?」
「真様は、パトラ様がいらっしゃらない間、代役を務めていらっしゃったのですよ」
「何と、この私に良く似ておるのう。美しい娘じゃ」
「あのう、僕、男なんやけど」
「な、何い。私の代役に男だと? けしからん、誰がそんな事を許したあ」
 麻薬で眠らされている間は、楚々とした美少女だったが、目が醒めたところは案外、何だかなあ、の性格である。
「パトラや、目が醒めたばかりで申し訳ないけど、今、エル・ハザードは危機的状況にあります。神の目を動かさねばならないのです。手伝ってくれますね」
「神の目をですか? それは大変だ」
 ルーン王女は、パトラに状況を説明した。
「仕方ありませんな。バグロムたちにこの世界を支配されるよりは、危険でも神の目を動かすしかないでしょう」
「神の目を動かすと、どうなるんです?」
 真はルーン王女に聞いてみた。
「人間の精神エネルギーを強大な物質エネルギーに変えて、目指すものを破壊するのです。おそらく、イフリータでもこれにはかなわないでしょう」
「イフリータを破壊するんですか?」
「当然です。そうしなければ、こちらが破滅します」
「でも、イフリータは自分の意志で動いているわけやないんですよ。可哀相や」
「真ちゃん、あんたやたらとイフリータの肩を持つわねえ。やっぱり、本気であの美人の戦争人形に惚れているんじゃないの?」
 我慢できなくなって、側からナナミが突っ込む。
「い、いや、僕はただ……」
 言いながら、真は、ナナミの言う通りかもしれない、と思っていた。しかし、人間でもないものに恋するなんて、そんなことがあるものだろうか。


第十六章 イフリータの涙
 
「アフラ・マーンさん、お願いがあるんやけど」
日が地平に落ちようとする頃、真はアフラ・マーンを見つけて声を掛けた。
「何どすか、真はん」
「実は、バグロムの軍隊の中に忍び込みたいんやけど、協力してくれへんやろか」
「バグロムの中に? そんな無茶な」
「明日、神の目を動かしたら、大変なことになる、いう気がしてならないんですわ。その前に、何とかして陣内を説得して、この戦いをやめさせようと思っとるんです」
「それは、無理やないかなあ。あのお人は、ちょっと『あっち』へ行っている方でっしゃろ?」
「それはそうやけど、このまま何もしないでいるよりは……」
「まあ、ええ。どうせ、明日の戦は、私らくらいの力では何の役にも立たない戦になりそうや。最後のお勤めに、悪あがきするのもよろしいやろ」
「おおきに、アフラさん」
 アフラ・マーンが真を連れて空に飛び上がろうとした、その時、
「おめえら、ちょっと待った!」と声が掛かった。
「シェーラ・シェーラさん……」
 二人を呼び止めたのは、シェーラ・シェーラであり、その側にはナナミもいる。
「あんた達、二人でどこに行こうっての!」
 ナナミが目を三角にして言った。
「いや、陣内にこの戦いをやめさせようと」
「嘘おっしゃい! どうせ、あのイフリータとかいう顔のきれいなロボットに会うつもりなくせに!」
「ぐっ……」
図星であった。
「いい、今度こそ、命は無いわよ。あんな危険なロボットの相手をするのはやめなさい。どうせ、明日神の目を動かして相手を消し飛ばしてしまえば、バグロムなんてお終いよ」
「どうしても行くってんなら、俺たちも一緒だぜ」
「そうよ、真ちゃん。私たち、あんたが心配で、ずっと見張っていたんですからね。一人で勝手な行動して死んだりしたら、恨んでやるから。死ぬ時はみんな一緒よ」
「すまん……。じゃあ、みんな、来てくれるか?」
「もちろんだぜ!」
 真はアフラ・マーンの顔を見た。
「仕方ありまへんな。こうなったら、一蓮托生や」
 真は、宮殿の方を見て、藤沢先生に別れを告げた。
「先生、さよなら。この戦争で生き延びることができたら、ミーズさんとお幸せにな」
 ナナミはアフラ・マーンの背中に乗り、真はシェーラ・シェーラが操る馬に一緒に乗ることにした。馬といっても地球の馬とは少し違って、額に角が生えたユニコーンだが、速さは地球の馬よりも速い。
「しっかりつかまってろよ!」
 自分一人では馬に乗れない真は、後ろからシェーラ・シェーラにしがみつくだけである。
 夕日の中を真と一体になって馬を走らせたこの思い出が、結局シェーラ・シェーラの最高の思い出となった。
 道中、二人にはほとんど言葉を交わす余裕はなかったが、自分の背中に真の体を感じているだけで、彼女は至福の感じを抱いていたのである。
 空の色が菫色に変わり、やがて星が見えてきた。真がこれまで見たことのない、満天の星である。そして、しばらくすると、月も昇ってきた。
「きれいやなあ」
「ああ? あの空か。うん、きれいだな」
「なんでこんなにきれいな世界なのに、戦なんかあるんやろ」
「みんながみんなお前みたいな優しい奴なら、戦なんか起こらねえさ」
「……」
 やがて、彼方にバグロム軍の野営地が見えてきた。
 シェーラ・シェーラが馬を止めると同時に、アフラ・マーンも地上に降下した。
「ここからは、気をつけないとな」
 シェーラ・シェーラが言った。すると、アフラ・マーンが静かに言った。
「無駄ですわ。もう見つけられましたで」
 月光の中を、滑るように飛翔してこちらに向かってきたのは、イフリータであった。
「イフリータ!」
 真は叫んだ。
「水原真か。何をしに来た」
「明日の戦は、したらあかん。ロシュタリアは神の目を動かすつもりや。あんたがどんなに強くても、神の目にはかなわん、いう話や」
「神の目か。それがもし本当なら、その通りだ。しかし、神の目は人間には制御できない。王家の者といえどもな」
「嘘や。王家の者なら制御できるいう話やで」
「私は目覚めてから、自分が作られた文明が数千年も前に滅んだことを知った。その原因は、神の目だ。人間には、自分の思いのままにならない深層心理がある。神の目を作った人々でさえ、それはコントロールできなかったのだ。だから、神の目は暴走し、その文明は滅んだ。おそらく、このエル・ハザードもそうなるだろう」
「嘘だ、ロシュタリアに神の目を使わせないためにそう言っているんだ!」
 シェーラ・シェーラが叫んだ。
 イフリータは冷たい目でそちらを見た。
「私は、この戦でどちらが勝とうと興味はない。ただ、主に命ぜられた仕事をするだけだ」
「イフリータ! 」
「私はそのように作られた存在なのだ。さあ、もう行け。さもなくば、お前たちを殺すしかない」
 真はイフリータに向かって一歩歩いた。
「止まれ! 今度は本当に殺すぞ」
「君には僕は殺せない。なぜなら、僕は元の世界で君に会ってここに来たからだ。その時、君は僕を愛していた。そして今、僕も君を愛している。君には僕を殺せない」
 他の三人の女たちは、真のこの言葉にそれぞれショックを受けたが、しかし、それはかねてから予期していた言葉でもあった。
「私には心は無い。心の無い者が、どうして人を愛せる」
「いや、君には心がある。涙を流すことだってあるんや。僕は君の涙を見た。あんなきれいな涙を見たのは初めてやった」
「嘘だ! 側によるな!」
 イフリータは、真を殺すために、構えた杖を作動させようとした。そういう風にプログラムされていたからである。自分に危害を加える存在は、殺せ、と。
 真の手がイフリータの杖に触れた。
 そして、再び、二つの心はシンクロした。
 真が見たものは、殺戮と破壊と炎の記憶。その中心にはイフリータの姿があった。無表情に、自分の破壊の跡を眺めるその顔に、しかし真は悲しみを見た。
 イフリータが見たものは、平和と幸福の記憶。普通の高校生の、何気ない、平凡な日常の中の喜び、幸せ、小さな挫折や悲しみ。それにもかかわらず、生きていくことの嬉しさ。それらは何一つとしてイフリータが持ったことが無いものだった。
「イフリータ。君の中には、主人に従うことを強制するシステムがあるはずや。僕はそのシステムを壊そう」
「ああ、もしもそれが可能なら、そうしてくれ」
 二人が交わしている会話は、他の三人には聞こえなかった。他の三人には、二人がただ見詰め合って黙っているようにしか見えなかったのである。しかし、そこで何か神秘的なことが起こっていることは伝わった。
 真はイフリータの心に入り、主人に従うシステムを探した。やがて、彼のイメージの中に、あのイフリータの杖のような物が現れた。
「これや!」
 真は、その杖を引き抜いた。
 イフリータの心で、何かが溶けていった。
「君の心の自由を奪っていたものは僕が取り除いた。君は、もう自由なんや!」
「自由? この私が?」
 イフリータは空を仰いだ。そして、人々は初めてイフリータの涙を見たのであった。
「そうだ。自由だ。私は、自分の好きなように動くことができる」
 しかし、その言葉とともに、イフリータの体は地上に崩れ落ちた。
「イフリータ! どうした。どないしたんや」
「大丈夫だ。私の体は、この数千年で、案外がたがきていたらしい。少し休ませてくれ」
イフリータは、真を見て、にっこりと微笑んだ。その微笑は、初めて会った時の微笑であった。
 その時、アフラ・マーンが悲鳴を上げた。
「神の目が、神の目が動いている!」
 その指差した空の彼方には、一つの青い大きな星があった。そして、その星は、かすかに、気がつかないほどの速度で地上に向かって降下していたのであった。

第十七章 涙のキッス

 真たちがイフリータを連れてロシュタル宮殿に戻った時には、神の目はもはや宮殿の上空百メートルくらいのところまで降りていた。
「何でや! 神の目を動かすのは、今日の正午のはずやったろ!」
 真は藤沢を捕まえて問い詰めた。
「うーん、しかし、神の目を動かすには、それに乗り込まんといかんらしいから、早目に動かす必要があったらしいんだ」
「王女たちは?」
「王家の祭壇にいる。面会謝絶だ」
 真は、イフリータをベッドに寝かせて、シェーラ・シェーラ、アフラ・マーン、ナナミと一緒に王家の祭壇に向かった。
 王家の祭壇の前は数十名の護衛兵で守られていた。
「そこを通してください。大事な用があるんや!」
「真殿、王女たちは今、誰にもお会いできない状態なのです。お引取りください」
「もう、神の目を動かす必要なんかないんです。イフリータはこちらの味方になりましたから」
「イフリータが? まさか」
「時間が無い! ここを通してください」
「できません!」
「真の言うことは本当だぜ。ここを通さないと、大変なことになるんだ」
「シェーラ・シェーラ様の言うことでも、王女のご命令にそむくことはできません」
「仕方ねえ、強行突破だ!」
 シェーラ・シェーラは、炎の法術を使う構えをした。
「お待ち、それは危なすぎます」
いつの間に来ていたのか、ミーズ・ミシュタルが背後から声を掛けた。
 彼女の呪文とともに、激しい水流が、扉を守っていた衛兵たちを吹っ飛ばした。
「事情は、アフラ・マーンから聞きました。ここは私に任せて、中に行きなさい」
「すまねえ」
 真、シェーラ・シェーラの二人は、建物の中に入った。
 道は途中で、王家の墓所の方面と、王家の祭壇の方面の二つに分かれる。
「しまった! 王家の祭壇の中には入れねえ」
「なんでや!」
「王家の血を引く者以外には扉が開かないようになっているんだ。どういう仕組みかは俺にも分からねえ」
 祭壇のある部屋への扉は、頑丈な金属でできていた。
 その中央に、青い宝石がはまっている。
 真は、イフリータの眠っていた洞窟の扉のことを思い出した。
 真はその青い石に手を触れた。石は光を発し、扉が開き始めた。
「ま、真、おめえ、王家の血を引いていたのか?」
「わかりません。でも、これが僕の能力のようです」
 最後の部屋の扉が開いた。
 その部屋では、ルーン王女とパトラ王女が、それぞれ黒曜石のような台座に手を置いて、祈っていた。
「何者です! 祈りの邪魔をすると許しませんよ」
 足音に気づいて、ルーン王女が二人に顔を向けた。
「王女様、もう神の目は動かす必要はないんです。イフリータは僕らの味方になりました。もう、神の目を動かすのはやめてください」
「嘘じゃ、お前はバグロムの手先にでもなったのであろう!」
パトラ王女が叫んだ。
「いえ、真の言うのは嘘ではありません。私が証人です」
 シェーラ・シェーラが大声で言った。
「シェーラ・シェーラがそう言うのなら、本当であろう。パトラ、神の目を動かすのはやめましょう」
「お姉さまがそうおっしゃるのなら」
 しぶしぶと頷いて、パトラは台座の上の手を持ち上げようとした。
「手が、手が動かない! 台座から離れない!」
 ぎょっと驚いて、ルーン王女は自分の手を離そうとしたが、こちらも動かない。
「駄目です! 神の目を止めることはできません」
 真とシェーラ・シェーラは操縦席に上って二人の王女の手を台座から引き離そうとしたが、動かない。
「それじゃあ、神の目に乗り込むというのは、どうなるんだ?」
 シェーラ・シェーラが真に聞いた。
「きっと、ここで操縦している人間とは別の人間が乗り込むんやな。よし、僕が乗り込もう」
「真様、それは危険です。神の目は、時空を越える力を持っています。操作を間違えば、あなたご自身が、時空の彼方に飛ばされてしまいます」
 ルーン王女の言葉に、真は微笑んだ。
「どうせ、僕らは他の世界から来たんや。これでもとの世界に戻れるかもしれませんて」
「真、お前、ここが良かったんじゃないのかよう」
 シェーラ・シェーラは情けない顔で顔一杯に涙を流しながら言った。
「ああ、大好きやで。でも、誰かが行かなきゃあならないなら、それはきっと僕なんや。シェーラ・シェーラさん。楽しかったなあ。これでお別れや」
「真う、行かんでくれよう」
 真はその頬に軽くキスして、操縦席の階段を駆け下りた。
 シェーラ・シェーラは、その後ろで、床に座り込み、恥も外聞も無く、大声を上げて泣いていた。

第十八章 イフリータの最後

 外に出た真を待ち受けていたのは、藤沢、ナナミ、ミーズ、アフラ・マーン、アレーレの五人だった。
「真様あ、いったい、私たちどうなっちゃうんですかあ」
 アレーレが心配そうに聞いた。
「大丈夫や。きっと何とかなるて」
 アレーレに笑いかけた後、真は藤沢たちに言った。
「先生、ナナミちゃん、僕、神の目に乗り込んで止めてきます。あのままにしておくと、世界中を破壊しかねませんから」
「乗り込むって、お前、大丈夫か?」
「大丈夫です。どうやら、僕はここでは、機械の心が分かる不思議な力があるみたいなんや。多分、神の目を止められるのは、僕だけでしょう」
「なら、仕方ないか……」
「真ちゃん、本当に大丈夫よね。あんたを好きな女の子がたくさんいるんだから、死んだら承知しないわよ」
「大丈夫、大丈夫。じゃあ、アフラさん、すまんけど、神の目の中まで、僕を運んでくれませんか」
「分かりました。あんた、みかけは女みたいやけど、大変な男やな」
 上空の神の目は、今や、誰の目にもはっきりと分かる異常な気配を見せていた。まるで、空中放電の実験のような火花があちこちから出ているのである。
「じゃあ、行きますえ。覚悟はよろしゅうおすな」
 真は、頷いた。
 その時、空中からひらりと降り立ったのは、イフリータであった。
「真、神の目に入るのは、私の仕事だ。私は、もともと神の目と一体となって作られた存在なのだ。だから、神の目のことは私は良く知っている」
「イフリータ! しかし、神の目に入ったら、君は時空の彼方に飛ばされるかもしれんのやで!」
「おそらくそうなるだろう。だから行くのだよ、真。そうして、私はお前に会うのだ。行かせておくれ。そうしなければ、私はお前に会えないのだから。お前に会うために、一万年の彼方へ私は行こう」
「でも、君の体はもうぼろぼろなんや。一万年も、持つんかいな」
「持つさ。きっと私はお前に会うのだから。大丈夫だよ」
イフリータは、手にしていた杖を真に渡した。
「これを、真。これは私の体の一部だ。これを持っていれば離れていても私と交信できる。私が神の目の中に入るまで、これを持っていておくれ」
「でも、これがなきゃあ、君を動かす人がいなくなる」
「私はもう自由なんだ。お前が私にそれを与えてくれた。さようなら、真」
 イフリータはふわりと空中に浮かび上がった。そして、神の目の中に吸い込まれるように消えて行った。
 イフリータの心は、しかし、真の手の中の杖を通して、真と交信していた。
(「真、お前に会うまでは、私にはたった一つの思い出さえなかった」
「思い出さえ? なら、僕が君にそれを上げよう」
「えっ?」)
 イフリータの心には、真の様々な思い出が流れ込んだ。高校の入学式、夏休み、運動会、授業風景、……。そして、その一つ一つの思い出の中の真の側には、高校生となっている美しい、しかし普通の人間であるイフリータの姿があった。
 初めてのデート、並んで眺めた夕焼け、秋の爽やかな風の声を聞く二人、
 それらは真が作り上げた幻想であっただろう。しかし、イフリータには、それは現実の思い出と同じだった。
 イフリータは涙を流していた。
「真、真、ありがとう……」
 そして、イフリータの姿は神の目の中枢に消えた。
 やがて、一瞬の閃光があり、神の目は再び上昇していった。エル・ハザードは、イフリータの犠牲によって救われたのであった。ロシュタル近郊に迫っていたバグロム軍は、イフリータを失って、自分たちの森に向かって引き上げた。
 太陽に輝きながら青空の中に昇っていく神の目をみつめて、真は呟いた。
「イフリータ。いつか、僕は必ず神の目の秘密を解き明かし、君のところへ行こう」

第十九章 時空の彼方で

 一万年の時が流れた。未来に向かって? それとも過去に向かって?
 時空の闇の中、沈黙の夜の中をイフリータの体は旅し、そしてその体は耐久の限度を迎えていた。その時、イフリータは目覚めた。
 彼女の前に一人の少年が立っていた。
 驚いたように彼女を見つめているその顔は、彼女が一万年待ち続けた顔だった。
「真、真、やっと会えたね」
イフリータは少年に向かって歩いた。
「一万年、……一万年、この時を待っていた」
 イフリータは少年の胸に顔を埋めて涙を流した。
「夢を……
夢を見たよ。
……
数え切れない夜の間で、
ただお前の夢だけを、
見ていたよ……」
 少年は呆然としているだけであった。
「時間が無い。一万年の間に、私の体は消耗し尽くした。
私にはただ、お前をエル・ハザードに送る力が残されているだけだ。
後はお前に任せたよ」
 イフリータは、真をエル・ハザードに送るために祈り始めた。
「ちょ、ちょっと。僕には何がなんだか」
 少年は戸惑った顔で言った。
 涙を流しながら、イフリータは真への最後の言葉を言った。
「あのなつかしい世界に行ったなら、私によろしく言っておくれ」
 真の姿が光に包まれ、彼と、そこから数十メートルの範囲にいた人間のすべてがエル・ハザードに送られた。

 イフリータはほとんどすべての力を使い尽くし、地面に崩れ落ちた。
 やがて、やっとのことで立ち上がり、イフリータは歩き出した。
「ここは、……学校?」
 校舎の中に入って、教室の中を眺める。真から貰った思い出の中で知っている風景。
 校庭にでると、空には星が広がっていた。エル・ハザードの満天の星とは違って、ぼやけたようにまたたいている。
 校庭のバックネットに凭れて、イフリータは目を閉じていた。心が空っぽになったみたいだ。
 ふと、何かの気配を感じて、イフリータは目を上げた。
 夜が明けようとしていた。薔薇色の朝空に、秋の雲が薄くかかっている。
 力なく、イフリータは再び目を閉じた。
 その時、もう一度、強い気配を感じて、イフリータは顔を上げた。
 今度は本当だった。
 グラウンドの向こうに空間のゆがみが生じ、そこに人の姿が現れていた。その姿は……。
真の姿だった。白い服を着てイフリータの杖を持ち、彼女に向かって、あの懐かしい微笑を浮かべている。イフリータを迎えにきたのだ。
 イフリータは走り出した。その顔は生まれて初めての喜びに溢れ、尽きることの無い幸福の涙を流していた。
 真は手を差し伸べて、イフリータを待っている。
 二人の手が結ばれ、二人はしっかりと抱き合った。



   「我が愛のエル・ハザード」   THE  END



    読まなくてもいい、残酷なエピローグ

 こうして、人間の心を持った人形は、幸福になった。しかし、心を持つものは、また夢も見る。イフリータが最後に出会った真の姿はイフリータの夢ではなかっただろうか? しかし、それが大きな喜びを与える限り、夢と現実に、どれほどの違いがあるだろうか。もしも、最後の瞬間に美しい夢を見ながら死んでいったとしても、その幸福な思いが平凡な一生のすべての幸福に匹敵するものだったなら……。




付記:この小説は、OVA「神秘の世界エル・ハザード」を元に、TV版からの借用と、人名その他に一部勝手な改変を加えたノベライズである。主要状況設定、ストーリーやキャラクターは、すべて原作のビデオ・アニメに負うており、特にラスト・シーンはほとんど原作に忠実にノベライズしたつもりである。エピローグは、原作の意図への私なりの解釈だが、原作の美しいラストを汚す解釈だ

と思う人も多いだろう。最後の真が現実であれ幻想であれ、原作のエンディングの素晴らしさに変わりはない。小説でそれが再現できたかどうかは疑問だが。
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第八章 バグロムの攻撃

 大神官ミーズ・ミシュタルの熱心な勧めで大神殿に一泊した真、藤沢、アレーレの三人は、翌日、名残惜しげなミーズに別れを告げた。
「ぜひ、またいらしてくださいね。ここの暮らしときたら、本当に退屈で、お客様は大歓迎ですわ」
 ミーズは藤沢の手を固く握って言った。
(大神官が、そんな事言ってええのかな?)
 真は心の中で思ったが、ミーズの心は藤沢に集中していて、その考えが読まれることは無かったようだ。

「藤沢先生。ミーズさん、先生に相当気があったみたいやけど、あのままでええの?」
 神殿を振り返りながら、真が言った。
「な、何を言ってる。あの方は、我々を客としてもてなしただけだ」
「鈍いなあ、藤沢様って。女からあんな目で見られて、まだ気がつかないんですか?」
 アレーレも真に援軍を送る。
「い、いや、しかし、あの方は大神官という大事な仕事があるし、俺は早く元の世界に戻らないと、学校を首になっちまうかもしれないし、これは最初から無理な話だよ」
「ああん、もう、煮え切らないなあ」
「とにかく、俺は結婚なんて考えられないんだよ。結婚なんてしたら、休みごとに山に行くこともできんしな」
 山登りは、藤沢の一番の楽しみであり、結婚生活と山登りは確かに両立は難しそうだ。彼が女に積極的でない一番の理由はそこにあった。
「あっ」
 突然、アレーレが言って立ち止まった。
「バグロムの声がする」
「何っ?」
「神殿の方向だわ」
 三人は神殿の方を振り返った。
 確かに、耳を澄ますと、ざわざわという音が遠くから聞こえてくる。
「ミーズさんたちが危ない!」
 三人は神殿に向かって駆け出したが、中でも藤沢のスピードは異常に速く、他の二人をあっというまに置いてけぼりにした。
「すごい速さ。愛の力かしら」
「前に言ったやろ。あれが藤沢先生の本当の力なんや。でも、この前は何で駄目やったんやろ」
 神殿に到着した藤沢が見たのは、百匹近いバグロムの群れであった。
「さあ、者どもかかれい! まずはこの水の神殿を血祭りにあげ、それから首都ロシュタルへ侵攻するのだ」
 神殿のバルコニーからバグロムたちに命令を下している学生服姿の男に藤沢は見覚えがあった。
「じ、陣内! お前、何をしているのだ」
「おや? 誰かと思えば、藤沢ではないか。今の私は陣内などと呼び捨てにできる人間ではない! 恐れ多くも、バグロム軍司令官、陣内克彦である。おい、お前たち、かまわんからあいつもやっつけてしまえ」
「藤沢様、助けにいらしてくださったんですね」
 陣内の後ろで、バグロムの一人に捕まっているのは、ミーズ・ミシュタルである。藤沢を見て嬉しそうな声を上げている。
「あっ、ミーズさん! おいっ、陣内、お前ミーズさんになんてことをするんだ」
「ミーズ? このおばさんのことか?」
「お、おばさんですってえ?」
ミーズの形相が変わった。
「私は、まだ二十八よ。それを、おばさん呼ばわりするとは、許せない!」
「ふん、おばさんをおばさんと呼んで何が悪い」
 ミーズは、怒りの顔で、何やら呪文を唱え始めた。
 その間に、藤沢は近くのバグロムたちと戦いながら、ミーズを救うためにバルコニーに駆け上ってきていた。
「ミーズさん、助けにきました!」
 その瞬間、神殿を取り巻く湖の水が竜巻に吸い上げられたように盛り上がり、バルコニー目掛けて襲ってきた。
「うわーっ! な、何だ、こりゃあ」
 陣内も藤沢も、二階にいたバグロムたちも、その水に飲み込まれ、流された。
 やっとのことで神殿の傍まできていた真とアレーレは、その光景を眺めるだけである。
「凄いなあ、あれが大神官の魔法か」
「ミーズ様は、特に水の魔法がお得意なのよ」
「でも、先生まで流してしもうたな」
「まあ、いいんじゃないですか。あとで拾えば」
 真とアレーレは、水に流されたバグロムたちの間から藤沢を見つけて助け出した。
「お、覚えておれよ。今はひとまず退却するが、この仕返しは必ずしてやるからな!」
 陣内の声に、真は驚いて振り返った。
「陣内君! やっぱり君もここに来ておったんか」
「お、お前は、我が永遠のライバル水原真。そうか、お前はまたしても私の邪魔をするためにここに現れたんだな」
「何を馬鹿なこと言うてるんや。陣内君、バグロムと友達になったんか。前から変な奴やと思っとったけど、虫の仲間になろうとは思わなかったな」
「仲間ではない。私はバグロム軍の司令官だ。いいか、真、我がバグロムは、必ずやお前たちを我々の足元にひれ伏させてみせる。それまで楽しみに待っているがいい。さらばだ」
 陣内の退却の合図に、バグロムたちは一斉に引き上げた。

「ミ、ミーズさん……」
ミーズの魔法の水に溺れた藤沢が気がつくと、目の前にはミーズの顔があった。
「気がつかれましたのね。ミーズ、感激ですわ。私のために藤沢様が戦ってくださるなんて」
「い、いやあ、ところで、私はどうしたんでしょう。何か知らんが、水に巻かれて気を失ったような」
「いいえ、藤沢様は私を助けてくださったんですわ。まるで、白馬に乗った王子様みたいでした」
 傍で聞いていた真とアレーレは顔を見合わせた。どこをどう見たら、この、顎に無精ひげを生やしたむさくるしい三十男が白馬の王子様に見えるのだ?
「ともかく、ミーズさんが御無事でよかった」
「先生、それより、陣内がバグロムの仲間になってましたよ」
「そうだったな。あいつは昔から変だったが、とうとう非行の道に入ったか」
「こういうのも非行と言うんですか?」
「これも、教育者である俺の責任だ。何とかしてあいつを真人間に返してやらなければな」
「まあ、さすがは教育者、素晴らしいですわ」
 ミーズが胸の前で手を組み合わせて感嘆する。
(そうかなあ。僕には陣内はまともにならんような気がするんやけど)
 真は心の中でそう考えるのであった。

第九章 最終兵器

「しかし、水原真がこの世界に来ていたとは……。まあいい、あいつを叩き潰すことが、この私が世界の支配者になる第一歩と考えていたのだから、ちょうど良い」
 バグロムの要塞に戻った陣内は、部屋に籠もって次の作戦を考えていた。
「陣内殿、良いかな」
 部屋の戸を開けて入って来たのはディーバである。この女の運動量は、部屋から部屋へと行く程度しかない。後は一日中お茶を飲み、化粧をし、菓子や飯を食っているだけである。しかし、権力欲だけはどこの王族の人間にも負けない。いったい、世界を征服して、何がしたいのか疑問だが、虫には虫なりの理由というか、本能でもあるのだろう。
「何だ、ディーバ」
「水の神殿を破壊する計画は失敗に終わったそうだな」
「うむ、まさか、大神官にあれほどの力があるとは知らなかった。お前が悪いんだぞ。何で、その事を教えてくれなかった」
「いや、陣内殿なら、人間の事は良く知っているかと思ったのだ」
「私は異世界から来た人間だ。いかに私が天才的な頭脳を持っていても、敵の力を知らないでは戦えん。敵を知り、己を知れば百戦百勝する、と孫子も言っておる」
「おお、素晴らしい言葉だ。しかし、知るだけでどうして戦に勝つのだ?」
「馬鹿な事を。知った上で、それを利用するのだ。たとえば、私の世界には原子爆弾という強力な武器があってな、それを独占している国が他の国を脅して支配しているのだ。つまり、お互いについての知識だけでも支配できるのだ。ここには、そんな武器はないのか」
「あるぞ。確か、人間が自由に操れる、イフリータという大魔人がいる。その力は、世界のすべてを滅ぼすこともできるくらいのものだという」
「おお、それこそ私のために作られた武器だ。それほどの武器を手にすれば、言うことを聞かない者などいないはずだ。待ってろよ、水原真、今にそのイフリータを手に入れてお前を私の前に膝まづかせてやる。キャーッハッハッハッ!」
 自信を取り戻した陣内は頭のてっぺんから出るような高笑いを上げた。

第十章 ナナミの野望

 真たちがロシュタル宮殿に戻った同じ頃、陣内ナナミは旅のキャラバンと別れて、ロシュタリアの首都ロシュタルに着いていた。結局、旅の間に稼いだ金は、その間の食事代と相殺されてわずかしか残らなかったが、それでも1万ロシュタル、日本の1万円くらいはあった。
「たとえ僅かなお金でも、これを元手にして稼いでみせるわ。そうよ、この商売の天才、ナナミにできないことはない!」
 自信とバイタリティに溢れたところは、兄にも似たところがあるが、この兄妹は非常に仲が悪く、ナナミは兄をこの世の誰よりも軽蔑していたのである。
「さあて、何をしようかな。商売のコツは、右の物を左に移すこと。地球にあって、このエル・ハザードに欠けているものは? テレビ、映画、新聞、雑誌、ゲーム、……。いろいろあるけど、私がそれを作るわけにもいかないし。まずは地道に行こう。やっぱり、人間、食べるのが最優先よね。エル・ハザードの食事はどうも薄味すぎてあんまりおいしくないから、このナナミ特製の弁当を作れば、きっとうけるはずだわ」
 幸い、エル・ハザードの野菜や穀物の中には、地球のトマトやタマネギや小麦に似たものがあったので、ナナミはそれを利用して、まずはケチャップを作り、それから、さらに工夫してピザソースを作った。
「これで、ピザ屋が開けるわ。見ていなさい。この世界の人が食べたことの無い、おいしいピザを作ってみせるからね。なにせ、ケチャップもマヨネーズも知らない連中だもん、あまりのおいしさに目を回すはずよ。おーっほっほっほっ」
 笑い方の似ているところはやはり兄妹である。

「アフラさん、シェーラ・シェーラさんを見ませんでしたか?」
真は、宮殿の廊下で幕僚長のアフラ・マーンを見て声を掛けた。
「さあ、見まへんなあ」
アフラ・マーンはロシュタリアの京都と言われる(誰が言うのだ?)イケーズの出身である。
「おおかた、町に買い食いにでも行ったんやろ。食い意地の張った子やからなあ」
「困った人やな。パトラ王女の捜索はどないなってます?」
「まだ、なんも分からしまへん。もしも幻影族が人間に化けていても、我々には見分けはつきまへんからなあ」
「僕、イフリータやら言う魔人の眠る、古代の遺跡を調べに行きたいんやけど、ルーン王女にそう言ったら、シェーラ・シェーラさんを連れていけ、言われまして」
「イフリータやて? やめとき。危険すぎますわ。その魔人が目覚めたら、世界が滅びると言われてますのに」
「ルーン王女は、ええ言うてました。もしかしたら、そこにパトラさんが隠されているかもしれん、言うて」
「パトラ王女が?」
 アフラ・マーンは考える顔になった。
「そうや、あそこは我々ロシュタリアの人間が近づかない場所や。ちと遠いが、王女を隠すなら絶好の場所やな。よろし、私も行きまひょ。兄さん方だけではこころもとないよってな」
 思いがけず、アフラ・マーンも同行することになったが、法力を持つという彼女の同行は、心強くもある。
 真、藤沢、アレーレ、アフラ・マーンの四人は、宮殿を出てロシュタルの街に入った。
 とある街角で、一軒の店の前に行列ができていた。
「あの行列は何やろ?」
 ロシュタリアでは珍しい光景に、真はアレーレに聞いてみた。
「ああ、新しくできたお店ですよ。何でも、すっごくおいしい、珍しい食べ物なんですって。ねえ、私たちも食べていきましょうよ」
「あかん、あかん、僕たちはそれどころやないやろ」
「あれ? あの赤い髪は」
 藤沢が行列の前のほうにいる人間の頭を見て言った。
「シェーラ・シェーラやね。やっぱり、こんな所におったんか。あの馬鹿娘!」
 アフラ・マーンが吐き捨てるように言う。
 つかつかと行列の前に行き、赤毛の娘の腕をつかむ。
「お、何だ。アフラ・マーンじゃねえか。お前も評判のここのピザを食べに来たのか?」
「ピザだか膝だか知りまへん。あんた、こんな事してる場合やおまへんやろ」
 さすがに、周りの人間をはばかって、パトラ王女の事は口にしない。
「あ、ああ。しかし、腹が減っては戦はできねえしよ」
「あんたは食い物の事しか頭にないんか。私らは真さんらと古代の遺跡の捜索に行くところや。あんたは来ないのどすか? 来ないならそれでもええけど」
「真が? いや、行くよ。しかし、もうすぐ俺の順番だから、ピザを買ってから……」
「あきまへん。来ないなら置いて行きますよってな」
「行くよ。行くったら。あーあ、せっかく今まで待ったのに……」
 とぼとぼと行列を離れてシェーラ・シェーラは真たちの所に来た。
「よっ。また旅に出るんだって? お前たちも忙しいなあ」
「シェーラさんも一緒に行きますか?」
「まあ、お前たちだけじゃあ心配だからな。このシェーラ・シェーラ様が来たからにはもう大丈夫。ハッハッハッ」
「何を偉そうに」
 と呟いたのはアフラ・マーーンである。
 こうして一行は、ロシュタルの町を離れて、バグロムの森のさらに彼方にある大山脈に眠る魔人の墓に向かったのであった。

第十一章 魔人イフリータ

 ロシュタルを離れて一週間、真たち一行は、ロシュタリアとバグロム帝国との境界にある大河を前にしていた。ここを越えれば、バグロムたちがいつ出てくるかも分からない大森林が広がっている。
「さあ、いよいよだな」
 シェーラ・シェーラが、高い崖の端から遠くの大森林を眺めて言った。
「バグロムたちと戦うのは久しぶりだ。ちきしょう、血が燃えるぜ!」
「シェーラ・シェーラさんは、バグロムたちに勝てるんですか?」
「あったりめえだろう。国王親衛隊長は伊達じゃねえぜ」
「でも、バグロムには普通の武器は通用しないと聞きましたけど」
「ある程度以上の力があれば、奴らの甲殻を貫くこともできるさ。それに、俺の剣は普通の剣じゃない。炎の法術を併用した、俺にしか使えない剣だ」
「良く言うわ。なまくらな法術しか使えないから、剣など使ってる人が」
「何だと!」
 アフラ・マーンの言葉に、シェーラが怒り出した。
「まあまあ、お二人とも、喧嘩せんと」
 真が二人をなだめる。
「とにかく、ここから先は危険が一杯というわけだ。気をつけんとな」
 藤沢が言う。
 しかし、大河を越えて森の中に入っても、バグロムたちは中々出てこなかった。
「どうしたんでしょうね、先生。バグロムたち出てけえへんけど」
「産卵期とか、冬眠期とか、そんな時期かな」
 大森林の中を進むのは大変な作業だったが、それでも、それからさらに一週間ほど進むと、北の果ての大山脈の麓に着いた。短い時間なら、風の法術を得意とするアフラ・マーンは飛翔の術が使えたが、他に三人の連れがいては、自分一人飛んでいくわけにもいかず、歩いて森の中を横断したので、それだけの時間がかかったのである。
「普通の人間が連れだと、手間がかかるわ。もっとも、法術士のくせに飛翔の術も使えない落ちこぼれよりはましやけど」
「何だと、アフラ・マーン、今の言葉だけは聞き捨てならねえ。お前とは、いつか決着をつけようと思っていたんだ。やるか!」
 シェーラ・シェーラがぱっと飛びすさり、戦いのポーズをした。
「あんた、私に勝てるなんて思うてるの? 神官学校でも一度も勝ったことがないくせに」
「てやんでえ。べらぼうめ。あの頃と今の俺とは違うんでえ」
 二人は真剣な顔で睨み合った。もはや、二人の衝突は必至という勢いである。
「二人とも、旅の疲れでいらいらしてるんですよねえ」
 アレーレが真に小さい声で言った。この子は調子が良すぎるところもあるが、他の二人に比べて我慢強く、献身的でもある。
「しかし、こんなとこで二人が戦ったら、どうなるんや?」
 シェーラ・シェーラが「ハァーッ!」と気合をかけると、その体の周りに炎のオーラが立ち上った。
 同じく、アフラ・マーンも「ハッ」と気合をかけ、周りに風を呼んだ。
「ヤーッ!」
 シェーラ・シェーラが手を振ると、その指先から炎が発せられ、その炎は生き物のようにアフラ・マーンに向かう。同時に、アフラ・マーンも相手に向かって腕を振った。
 アフラ・マーンの体を襲った炎は、アフラ・マーンの手刀で作られた真空で消し去られた。
「畜生!」
「やっぱり、あんたの技はこの程度やな。次はうちの番やで」
 アフラ・マーンの言葉に、シェーラ・シェーラは攻撃への防御の姿勢を取った。しかし、アフラ・マーンが攻撃をかける前に、異変が起こった。
「あっ、あれは何や!」
 空をさした真の指の先には、編隊飛行をする、百匹近い虫の姿があった。地上からは小さく見えるが、実際にはそれぞれが巨大な羽虫だろう。
「大変、バグロムですわ!」
 アレーレが叫んだ。
「はっはっはっ、真、最終兵器イフリータはこの私が貰うぞ」
 蜂型のバグロムの上に乗った陣内が、空中から真たちを見下ろして高笑いの声を上げた。
「まずい。あいつらにイフリータを手に入れられたらおしまいだ!」
「ここは休戦どすな」
 争っていた二人の女は、顔を見合わせて頷いた。
「早く、魔人の棺のある洞穴に急ぎましょう」
 真は叫んだ。
「よし、取りあえず、シェーラ・シェーラさんとアレーレは俺が連れて登る。真、お前はアフラ・マーンさんと一緒に山頂に飛べ!」
 藤沢の言葉に、真は頷いた。彼には、なぜか知らないが、自分こそが山頂に行かねばならないという確信があった。
「すみません、アフラ・マーンさん。僕を抱えて、山頂まで飛んでください」
「よろしゅうおす。私の背中にしっかりつかまっているんでっせ」
 真を背中にしがみつかせて、アフラ・マーンは空中に浮かんだ。
 こんな危急の折だが、若い女性の体に後ろからしがみついているというのは、まだ十七歳の真には刺激の強すぎる経験である。
「あんさん、変なこと考えてはいけまへんえ」
アフラ・マーンも、その気配を感じて、顔を赤らめて言った。
「す、すみません」
「あっ、腕を動かしてはいけまへん。そこは……」
「し、しかし、腕が痺れて」
精神の集中を失ったアフラ・マーンは、山頂を目の前にして墜落した。
 幸い、そこは頂上に近い尾根で、二人には怪我は無かったが、下の方から今しもバグロムに乗った陣内がこちらの方に向かう姿が見えた。
「いてて……。あっ、アフラさん、大丈夫ですか?」
「うちは大丈夫や。うちがあいつらを食い止めているさかい、あんさんは早くあの洞窟を探してみてや。イフリータは、最初に動かした人間を主人にすると言われていますさかいにな」
「分かりました。アフラさん、死なんといてや」
「いいから、早く!」
アフラ・マーンは、呪文を唱えて、竜巻を巻き起こした。空中のバグロムたちは、その竜巻のために、地上に降りられずにいる。
真は元陸上部のダッシュ力で、洞窟に向かった。
洞窟の中には、入ってすぐに金属の扉があった。分厚く、重そうな金属で、普通の力では動かせそうにない。
しかし、その扉の中央の青い石に真が手を触れると、その扉はかすかな音を立てて、自分から開いたのである。
十メートルほどの間隔でもう一つの扉があったが、そこも同じである。
「なんや。これやったら、扉の役目を果たさんがな」
 不思議に思いながら、真は目の前に開けた部屋の中に入って行った。
 その部屋は、周り全体が奇妙な機械で埋め尽くされていた。そして、部屋の中央には、ガラスともクリスタルともつかない透明な棺に入った人体らしきものの姿があった。
 青い光を放っているその棺の前に進み出た真は、思わず息を呑んだ。
「こ、これがイフリータやて?」
 そこに眠るように横たわっていたのは、エル・ハザードに真が来る直前に夜の学校で出会った、あの不思議な、絶世の美女であった。
「これが、世界を滅ぼす大魔人イフリータ? まさか」
 真は、とにかく棺を開けようと思って、棺の周りを探した。
 棺の傍に大きな金属の杖、いや、鍵のようなものがあった。
 真がそれに手を触れると、棺を覆っていた透明の蓋が開き、同時に、眠れる女性は、目を閉じたまま、上体を起こした。
「イフリータ? 君がイフリータなんやろ? 目を覚ましてや」
 しかし、彼女は目を開けない。
 その時、真の後ろから、聞きなれた甲高い声がした。
「水原真。またしても私を出し抜こうとしたな。しかし、無駄なことだ。私がここに来たからにはお前の好きなようにはさせん」
 陣内の合図で、バグロムの一人(一匹か?)が真を捕らえ、体の自由を奪った。
「よせ、陣内、イフリータに手を出すな!」
「黙れ、お前だってこれを動かそうとしていたくせに。お前もやはり私同様、世界を支配する野望を持っていたのだな? しかし、こいつを動かすにはどうする。おお、そうか、お前が手にしている、その棒が鍵だな」
 陣内は真の持っていた棒を奪い取った。
「はて、これをどうするのか……。おお、そうか、これはきっとゼンマイで動くに違いない。これがゼンマイを動かす鍵だな」
「ゼンマイやて? まさか、そんな原始的な」
 しかし、陣内がイフリータの後ろに回り、その背中に見つけた穴に棒をさしこんで回すと、イフリータの体に生命が甦り、彼女は目を開いたのであった。
「見ろ、真、天才の発想は凡人には分からぬものよ」
 勝ち誇った陣内は高笑いの声を上げた。
 イフリータの体は完全に生命を取り戻した。しかし、その表情は、真が覚えている、あの優しい、愛情に満ちた表情ではなく、むしろ恐ろしいまでに冷酷な表情だった。
「お前が私を動かしたのだな?」
 表情と同様に冷たい声で、イフリータは陣内に顔を向けて言った。
「そうだ」
「では、あなたが私の主人だ」
「そうか、そうか。では、イフリータ、まずお前の力を見せてみろ」
「命令が具体的でない。何をすれば良い」
「お前は何ができる」
「お望みなら、何でも」
「よし、それでは空は飛べるか」
「簡単なことだ」
「では、私を乗せて洞窟の外に出ろ」
「了解」
 イフリータは、陣内を抱えてふわりと空中に浮き、滑るようななめらかな飛行で洞窟の外まで飛んだ。
 バグロムたちはその後を追い、真もその一匹の小脇に抱えられて外に出た。
 真が洞窟の外に出ると、そこでは丁度、アフラ・マーンが、やっとここまで登ってきた藤沢やシェーラ・シェーラの助太刀で、外にいたバグロムたちを全滅させたところだった。
「あっ、真」
 シェーラ・シェーラが真を見て声を上げた。アレーレも叫んだ。
「大変よ。今、男の人を抱えた女の人が飛んで行ったけど、もしかして、あれがイフリータ? 」
「そうや。あれを逃がしたら大変や」
 バグロムに捕まったまま、真は叫んだ。
 アフラ・マーンはイフリータを追って空に飛び上がった。
「真、今助けてやるぜ」
「ちょ、ちょっと、シェーラさん。炎の魔法はいかん。真まで丸焼けになってしまう」
 藤沢は叫んで、真を抱えたバグロムの懐に飛び込んだ。
 パンチ一発、バグロムはノックアウトされ、真は無事救出された。
 空中のイフリータを追ってきたアフラ・マーンを見て、イフリータは陣内に聞いた。
「私たちを追ってくる女がいるが、どうする?」
「あいつは敵だ。やっつけてしまえ」
「待ちなはれ! このまま逃がさへんで」
 アフラ・マーンは、飛びながら鋭い真空波を送って、イフリータを攻撃した。
 イフリータは手にしていた例の金属の杖を一振りした。すると、アフラの真空波はそのまま、アフラの方へ逆進したのであった。
「あっ! 」
 自らの真空波に打たれて、アフラ・マーンは墜落した。
「まずまずの力だな。しかし、お前の力はこの程度ではあるまい。そうだ、あの山を一つ消してみろ。できるか? 」
「簡単だ」
 イフリータは杖を地上に向かって一振りした。
 杖の先端から閃光が発し、その先にあった山は一瞬に消滅した。
「ハハハハハハ! こいつは凄い。これで私はこの世界の支配者だ!」
 高笑いと共に飛び去った陣内たちを、山頂の真たちは呆然とただ見送るしかなかった。

第十二章 ナナミとの再会

 地上に激突する寸前にやっとの事で体勢を立て直し、真たちのところに戻ってきたアフラ・マーンは、目の前で見たイフリータの力を真や藤沢に話した。
「悔しいけど、うちらの力ではイフリータには勝てまへん。この国はもう終わりかもしれまへんな」
「何を言ってやがる。むざむざとあんな奴らに降参するつもりか」
 シェーラ・シェーラが怒鳴った。
「そうしなければ皆殺しやろな。とにかく、うちはこのまま飛んでロシュタルに戻り、イフリータがバグロムの手に入ったことを伝えてくるさかい、あんたらもできるだけ早く戻ってや」
 頷く真たちに軽く手を上げて、アフラ・マーンは再び空中に飛び上がり、南の空に消えて行った。
「あいつ、今の戦いで傷ついて、疲れ果てているだろうに……」
 シェーラ・シェーラが呟き、意外そうに見ている他の三人に気づいて、少し顔を赤くし、えへんと咳払いをした。
「まあ、人に弱みを見せるのが嫌いな奴だからな。いいさ、ほっとけば。我々もさっさと戻ろうぜ」
 それから十日ほどかかって真たちは首都ロシュタルに戻ったが、その頃ロシュタルにはエル・ハザード全土から国王や領主たちがエル・ハザードの危機について話し合うために集まってきていた。
「明日、会議が開かれるそうだ。ついては、真殿にもう一度、パトラ王女に変装して会議に出席して貰いたい」
 侍従長のロンズが真に申し出た。彼は、パトラ王女の失踪について知っている数少ない人間のうちの一人である。
「ええーっ。またですかあ。勘弁してくださいよ」
「いや、今回の会議にパトラ王女がいないと、非常にまずいことになりそうなのだ。おそらく、諸侯たち、諸国王たちは、エル・ハザードの危機に際して、神の目を作動させることを要求してくるだろう。バグロムは、今日届けられた降伏要求に対して三日以内に返事が無いと、イフリータにエル・ハザード全土を破壊させると言ってきている。かつては、バグロムとは戦うだけだったが、人間の言葉で要求を出してきたのは初めてだ。どうやら、あちらに人間の参謀がついているらしい。……それで、神の目を作動させるには王家直系の二人の人間が必要だが、パトラ王女が失踪していることを他の国王たちが知ったら、会議がどういう結果になるのか予想もつかんのだ」
 ロンズの言葉に、真は頷くしかなかった。
「陣内の奴め。とんでもないことをしているなあ」
 ロンズが去った後、真は呟いた。
 藤沢の方は、自分たちの部屋で酒を飲んでいて、まったく頼りにならない。まあ、イフリータのあの力を前にしては、たかだか人間数十人分の力の藤沢では何の役にも立たないだろうが。
 廊下の向こう側から、シェーラ・シェーラが歩いてきた。右手に何かを持って、もぐもぐ食いながら歩いているようだ。しかも左手には大きな箱を抱えている。
「おっ、真。いいところで遭ったな。どうだい、お前も食わねえか」
「それどころやないですよ。世界の終わりだってのに、まったく暢気な。あれ? その食べ物」
「ピザってんだ。ナナミの店と言ってな、最近できた店だけど、大人気でさ。行列をしても中々買えなかったんだが、最近の騒ぎで客がいなくなったんで、一っ走り行って買ってきたんだ。これを食わないままで死んだら、この世に恨みを残しそうだからな」
「ナナミの店? ナナミちゃんだ! 」
「おい、真、どうした! 」
 後ろで叫んでいるシェーラ・シェーラを残して、真は王宮から外に走り出た。
 ナナミの店には、確かに行列が無くなっていたが、それでも二、三人の客はいた。
「いらっしゃあい。今、空いてますよお」
 入って来た真に、キッチンから声が掛けられた。その声は真の聞き覚えのある声である。
「ナナミちゃん! やっぱりここに来てたんか」
「あれ? 真ちゃんじゃない。真ちゃんもエル・ハザードに来ていたの? 嬉しい!」
 二人は再会を祝って、抱き合った。
「おい、おめえら、どういう関係だ? 」
 二人の背後から声がした。
 真が振り返ると、シェーラ・シェーラが二人をジト目で睨んでいる。
「ああ、シェーラ・シェーラさん。この子は僕の同級生の、ナナミちゃんや。僕たちと同じ時に、このエル・ハザードに飛ばされたみたいなんや」
「そうかい。じゃあ、仕方ねえな」
 シェーラ・シェーラは、ぷいと去って行った。
「あの人、真ちゃんのこと好きなの?」
「まさか。友達やけどね」
「真ちゃんは、女の子の気持ちには鈍いからねえ。それより、エル・ハザードが滅びるって本当なの?」
「ああ、そうなるかもしれん」
「ええーっ。折角、ここまで稼いできたのにい」
「残念やけど、お店どころやないな。まあ、ナナミちゃんも王宮に来たらええ。その方が安心やろ」
「そうね。真ちゃんのことも心配だし、店はたたむことにするわ」
 ナナミは店の前に「当分休業します」と張り紙をして、真と一緒に王宮に向かった。
 道々、真の語った話で、今回の騒動に自分の兄の克彦が大きくからんでいることを知って、ナナミは怒り狂った。
「あの、馬鹿兄貴! 前からおかしい奴だったけど、完全にイっちゃったのね」
「まるで、子供に爆弾を持たせたようなもんや。イフリータも可哀相に。あんな奴を主人にしたせいで、自分の意志でもないのに、人殺しをさせられるなんて」
「真ちゃん、そのイフリータってのが好きなんじゃない?」
「ま、まさか!」
「真ちゃんって、気持ちがすぐ顔にでちゃうのよね。でも、相手はロボットなんでしょう? 可哀相も何もないんじゃない?」
「いや、それが、イフリータには感情があるらしいんや」
 最初に遭った時のイフリータの涙を思い出しながら、真は小さく言った。
「感情があると見えるようにプログラムされたロボットなんじゃないの? それに、感情があったところで、ロボットとは結婚できないしね」
 真は自分の胸に顔を埋めた時のイフリータの感触を覚えていた。あれは、どうしても人間としか思えない温かで柔らかな感触である。
 仮に、あのイフリータと、自分と陣内が目覚めさせたイフリータが同じなら、自分が初めて出会った時のイフリータは、なぜあのような目で自分を見て、「後は任せたよ」と言ったのだろう。わからない……。


    「我が愛のエル・ハザード」



   第一章 夜の学校

 1999年9月9日金曜日、午後九時、S県立東雲高校では翌日の文化祭を前に四人の人間が夜の校舎に残っていた。化学部の出し物の仕上げに居残りしていた二年生の水原真、宿直の教師藤沢真理、その藤沢に夜食の弁当を売りつけようとしてわざわざ学校にやってきた二年生の陣内ナナミ、ナナミの兄である陣内克彦の四人である。陣内は、この高校の生徒会長であったが、幼い頃から真を自分の永遠のライバルと見做し、真がいなくならない限り、自分の栄光は無い、という妄想に駆られて、真を闇討ちするというとんでもない目的で、この夜中に学校に訪れたのであった。
「やあ、陣内君、どうしたん。何か僕に用でもあるんかいな」
 真は無邪気な笑顔を陣内に向けた。真の方は陣内に対して幼馴染としての親愛感しか持っていない。まして、その妹のナナミとは仲の良い友人である。
「水原あ。お、お前さえいなければ、俺は、俺はなあ……」
 陣内は後ろに隠し持ったバットを振り上げた。
「陣内君、何するんや!」
 小学校の時に関東のこの県に越してきて、今なお大阪弁の治らない真は、大阪弁の悲鳴をあげて、後ろを向いて逃げ出した。
 バットを振り回しながら追う陣内の攻撃を避けながら、真は部室の戸口から逃げ出し、階段を駆け下りて、校舎の裏側に廻った。
 教室の敷居につまずいて転んだ陣内は、真がどこに行ったのか見失い、校舎の表側に廻った。
 校舎の東の端に宿直室があり、そこから明りが漏れている。
(ふん、きっと助けを求めてあそこに逃げ込んだに違いない。だらしの無い奴だ。男なら正々堂々と勝負せんか)
 相手を闇討ちしようとした自分の卑怯さは棚に上げて、陣内はそう一人ごちた。こうした自分勝手さと、根拠の無い自信と妄想がこの男の特徴である。
「あら、お兄ちゃん、何でこんな所にいるのよ」
 宿直室の中には、陣内の妹のナナミがいた。可愛い顔をしているが、金儲けが何より好きな、ガッチリ屋の女の子だ。
「お前こそ、こんな所で何をしている」
 陣内は、ナナミの前にいた教師の藤沢をジロリと見た。こちらは、山歩きと酒と教育以外には興味の無い、野暮な独身教師である。
「い、いや、陣内君、これはナナミ君が私に夜食を持ってきて、というか、弁当を売りつけに来ただけで、べつに怪しいことはしていないんだ」
「ナナミがどうしようとかまいませんよ。しかし、先生、ここに誰か来ませんでしたか。さっき、怪しい奴の姿を見かけたんですがね」
 藤沢は陣内が手にしているバットを見た。
「泥棒か?」
「多分、そうでしょう。まあ、私を恐れてもう逃げてしまったかもしれませんがね」
 後で水原から訴えられた時に、泥棒と思って殴りかかったのだという言い訳をしようという考えなのである。そういう点では頭の回る男であった。
 三人は、校内の見回りをしてみようと外に出た。

 その頃、水原真の身の上には不思議な事が起こっていた。
 校舎の裏手に回った彼は、校舎の裏側に五メートルほど離れて聳える崖の土が突然に崩れ、そこから闇の中に眩いほどの光が溢れ出すのを見た。
 眩しさに目を細めて見ると、その光の中から人の姿のような物が現れ、その姿は彼に向かって歩いてきた。
 驚いている彼の前で、光の中の人影は若い女性の姿となった。しかし、何と奇妙な姿だろう。体にぴったりした濃紺のウエットスーツのような服の上に、艶やかに光る材質の、戦国武将の羽織をモダンにしたような長い上着を着ている。天女のようにも、中国の武者のようにも見える姿だ。肩までかかる紫色の髪は長くウエーブし、その髪を覆うような薄い布の髪飾りが特徴的だ。
「真、真、やっと会えたね」
 その若い女性は、(しかし、何という美しさだろう。真はこれまで、これほどの美人を見たことが無かった。そもそも、日本人とも西洋人ともつかない顔で、強いて言えば、憂いを帯びた天使のような美しさである。)真を見て、目に一杯の涙を溜め、愛情に溢れた切なげな笑顔を浮かべて彼に手を差し伸べた。その低いかすかな声は、深く真の心に染み透っていった。
 真はわけがわからず、呆然として立ちすくんだ。
「一万年……。一万年、この時を待っていた」
 その女性は、真に近づき、彼の胸に顔を埋めた。そして、かすかな声で囁いた。
「夢を……
夢を見たよ。
……
数え切れない夜の間で、
ただお前の夢だけを……
見ていたよ……」
 真は永遠の彼方から聞こえてくるようなその囁きを聞き、心なしか甘い匂いのする髪をただ見下ろしていた。
「時間が無い」
 その女性は突然真の胸から顔を離し、一歩後ずさった。
「一万年の間に私の体は消耗し尽くした。私には、ただお前をエル・ハザードに送り届ける力しか残されていない。後は、お前に任せたよ」
 女性は胸に手を組み、何か祈り始めた。
「ちょ、ちょっと。何の事やら、僕にはさっぱり……」
 女性は涙を一杯に溜めた目で真をじっと見て、悲しげな微笑を浮かべた。
「あの、懐かしい世界に行ったら、私によろしく言っておくれ」
 突然、その女性の体から目も眩むような光が溢れ出て、その光はあたり一面に広がった。真はその光に包まれて気を失った。

第二章 エル・ハザード

 真が目を覚ました時、そこは学校の裏手ではなく、どこかの森の中だった。
 倒れて気を失っていた彼は、目を開けて上半身を起こすと、周りの様子を眺めた。
「いったい、ここはどこなんや。変な所やな。まるでジャングルや」
 茂みの中を歩き出した彼は、すぐに何かに躓いて倒れそうになった。
「痛え! 」
 真が躓いた物体は、そう声を上げた。
「あ、すんまへん。人がいるなんて気がつきまへんで」
 むっくりと身を起こした人物を見て、真は驚きと安心の入り混じった声を出した。
「なあんだ。藤沢先生やないか。何で先生がこんな所におるんでっか」
 藤沢はきょろきょろと辺りを見回した。
「真、ここはどこだ。俺はさっきまで校舎の見回りをしていたはずだが。それに、陣内やナナミはどこへ行った」
「えっ、陣内も一緒やったんですか」
 真は昨夜(だろうと思うが)陣内に襲われたことを藤沢に話した。
「まさか、いくら陣内がおかしな奴でも、そこまではせんだろう」
 藤沢は笑って、信じない様子である。
「まあ、ええわ。それより、ナナミちゃんも一緒やったんなら、どこへ行ったんやろな」
 真は歩き出した。その後から藤沢もついてくる。
 しかし、周りの様子は、どう見ても日本の森の中には見えない。どことなく、東南アジアの森の中といった雰囲気であり、時折見える動物も、見慣れない奇妙な生き物ばかりだ。
「どうも学校の裏山には見えんなあ」
 藤沢も頼りない声を出した。
 その時、がさがさと茂みを分けて、二人の前に現れた生き物がいた。二人はそれを見て呆然となった。
 体長三メートルほどのその生き物は、どう見ても昆虫である。強いて言えば、巨大な蟻だろうか。しかし、体長三メートルの蟻がいるものだろうか。しかも、一匹だけではない。
 その巨大蟻たちは、ギギギと不気味な声を上げながら二人に迫ってきた。後ろ足で立ち、前足は威嚇するように振り上げている。その体の大きさからすれば、前足の一撃は相当な威力だろう。下手をしたら、死んでしまうかもしれない。
 逃げ出そうとした二人の前に、他の蟻が素早く回りこんだ。スピードも相当なものだ。
「あかん、先生、どないしましょう」
「どないも糞も、戦うしかないだろう」
 藤沢は、ヤケクソの勇気を奮って、巨大蟻に向かって行った。その足の速さに真は驚いた。山男で力は強い方だが、いつものそのそして鈍そうな男だったのである。カール・ルイスみたいな速さで蟻の懐に飛び込んだ藤沢は、パンチを振るった。
 なんと、巨大蟻は、五メートルほども吹っ飛んでぶっ倒れた。
「なんや、見かけ倒しやな」
 真は近くにいた蟻に自分も向かっていこうとした。しかし、その蟻が振り回した前足で、木の幹が簡単にへし折られたのを見て、彼は悲鳴を上げて退却した。
「こら、あかん。見かけ倒しでも何でもあらへん。でも、何で藤沢先生、あんなに強いんや?」
 蟻に追われながら、真は藤沢が次々に巨大蟻たちを倒していくのを見た。だらしないジャージー姿の藤沢が、特撮ヒーロー物の主人公みたいに敵を倒す有り様は、奇妙な眺めであったが、暢気に眺めている余裕はない。幸い、真は元陸上部員でもあり、足には自信があった。
 突然、蟻たちの様子が変わった。一斉に、ある方向を見て、それからさっと退却したのである。藤沢に殴り倒された奴らも、何とか起きて茂みの中に姿を消した。
「おおい、大丈夫か」
 遠くから人声が聞こえた。いや、聞こえたような気がした。というのは、その声は耳で聞いたというよりは、真の心の中にふと思い浮かんだだけのように思えたのである。
 彼らが戦っていたのは、茂みの間のちょっとした空き地であったが、その一方から現れたのは、奇妙な服装の男たちだった。アラビアンナイトにでも出てきそうなパンタルーンにチョッキ姿で、手には弓矢や刀を持っている。すべて本物の武器のように見える。
 真と藤沢は互いに顔を見合わせた。
「こんな森の中を無用心に歩いていては、バグロムに襲われても当たり前というもの。気をつけなさい」
 先頭の男が二人に言ったが、その男は真の顔を見て、はっと驚いた顔をした。
「パトラ王女様!」
 彼らは互いに顔を見合わせてざわざわとした。
「王女様がいた!」
「しかし、あの格好は何だ」
「いや、あれは王女様ではない。良く似ておるが」
「王女様だろう、まさか、あれほど似ている人間が二人といるはずがない」
 真はこらえきれず、口を開いた。
「王女様、王女様って、いったい何です。僕は男ですよ」
 男たちは驚いた顔をした。
「お前、どこの人間だ。それはどこの言葉だ」
 真は、男が喋る時に口を開いてないことに気がついて、驚いた。まさか、彼らはテレパシーで話しているのだろうか?
「僕らは東雲高校の生徒と先生です。ここはいったいどこです? ディズニーランドかどっかですか。それにしてもさっきの蟻は良くできていましたな」
「?」
「?」
「?」
「?」
 男たちが真の言葉に途方に暮れているのが真には分かった。
「おい、真、こいつはアトラクションでもなんでもなさそうだぜ。だって、俺のこの力を見ろよ」
 藤沢が、傍らの大木に手刀を打ち下ろした。大木は見事にへし折られて、大きな音を立てながら倒れた。
「こいつには何のトリックも無いことは、俺の手応えで分かる。しかし、俺は何でこんな力を持っているんだ? そいつが分からねえ」
 男たちも藤沢の怪力に驚いていたが、やがてそのリーダーらしい男が二人に丁重に言った。
「どうやら、あなた方は不思議な世界から来られたようだ。わがロシュタルの宮殿に客としてお迎えしよう」
 真と藤沢は顔を見合わせたが、この申し出を承知することにした。ほかには、今の奇妙な事態を解決する妙案もなかったからである。


第三章 ロシュタリア宮殿

 森を出ると、そこにはなだらかな起伏の丘と草原が広がり、丘の下には麦畑のような畑が広範囲にあって、その間を街道が通っていた。そして、そのはるか彼方には大きな町らしい集落が見えたが、遠目にもその町が異国の町であることははっきりと見て取れた。
 近づいていくに連れて、その町の中心にある宮殿の建物の姿ははっきりとしてきたが、それはまるでアルハンブラ宮殿か、昔のペルシャの宮殿のような建物であった。幾つかの塔を持ち、塔の屋根は丸く、赤、青、金色のスレートか金属で覆われているようである。
 真と藤沢の二人は、宮殿に着くとすぐに国王へのお目通りを許された。
 二人が驚いたことに、国王はまだうら若い女性である。
「ルーン王女様でございます」
 二人を連れてきた男が小声で二人に言った。
 ルーンと呼ばれた王女は、真を見て驚いた顔になった。
「きれいな人ですねえ」
 真は王女に頭を下げながら、隣の藤沢に言った。
「うん、そうだな」
 藤沢は簡単に答える。この男は、自分は女性には縁が無いと決め込んでおり、そのためあまり女性には関心が無いのである。
「あなた方は、異国から参ったのですか? それとも、ヤジールの申すように、異世界から来たのですか?」
 ルーン王女の言葉は、他の男たち同様、真と藤沢の心に直接話し掛けられた。
「はい、実は私たち自身も、自分たちがなぜここにいるのか分からないのです。ここは、何と言う国ですか?」
「ここはロシュタリア、この世界全体は、エル・ハザードです」
 真と藤沢は顔を見合わせた。どうやら、自分たちが来たのは、単なる外国ではないらしい。すると、いったい自分たちは元の世界に帰れるのだろうか。
 藤沢が事情を説明しても、王女は理解できないような顔であったが、二人が怪しい者ではないことは信じたようである。
「ところで、そちらの少年は、名前は何とおっしゃるのですか?」
「僕ですか? 水原真、いいます」
「ミズハラ・マコトですか。では、マコト殿、あなたはパトラ王女と何か関係があるのですか?」
(また、パトラ王女のことか。一体、何なんやろ)
 真は心の中で思ったが、それだけで、すぐにルーン王女は首をかしげて言った。
「そうですか。パトラの事は何も知らないのですね。実は、あなたにお願いがあります」
 二人は謁見の間から王女の個室(それぞれ二十畳くらいの、三間続きの豪華な部屋だ)に連れていかれ、内密に話を聞かされた。その場にいたのは、ルーン王女以外には王女の護衛らしい長い赤毛が特徴的な女騎士と、理知的な美人だが冷たい顔をした女性と、王女の侍女らしい小柄な可愛い娘の三人だけである。
「紹介しておきましょう。この三人は、あなた方のお役にきっと立ってくれるでしょう。こちらは、王室警備隊長兼国王親衛隊長のシェーラ・シェーラ」
 赤毛の女性が軽く頷いた。年齢は二十歳前後だろうか、それより、もう少し若いかもしれない。体の線がはっきりした、ボディコン・スーツ風の騎士服もすべて派手な赤で、しかも、その騎士服の下は、見事な脚線美を露出した大胆なミニスカートである。顔色は健康的な小麦色で、可愛いが、利かん気の少年のように頑固で喧嘩早そうな顔つきだ。
「こちらはロシュタリア幕僚長のアフラ・マーン。優れた法術士でもありますわ」
 理知的な顔の女性が、真と藤沢に冷たい目を向けたまま、軽く頭を下げた。年齢はシェーラ・シェーラと同じくらいで、鉢巻風のヘアバンドに、全身を隠した青いエアロビクスタイツ風のスタイルだが、こちらもプロポーション抜群である。
(法術士? 何だ、そりゃあ)
 真と藤沢は同じことを考えた。
「法術士をご存知ない? あなた方の世界には法術は無いのか?」
 その女性は、少し気を悪くしたように言った。
「いやあ、我々の文明は、どちらかというと物質的な科学の発達した社会でありまして、そうしたまやかし、いや、そのう魔法のようなものは、すべて迷信として途絶えてしまっているのですよ」
 藤沢の言葉に、アフラ・マーンはそっぽを向いた。
「まやかしかどうか、今に分かる」
 相手の機嫌をすっかり損ねた事で、藤沢は困って頭を掻いている。
「私は、アレーレと申します。パトラ王女様付きの侍女でございますが、私のいない間に、王女様が大変な目にお遭いになって、もう、私の責任だと悲しんでおります」
 十四五歳くらいに見える小柄な侍女は、舌足らずな声で、ぺらぺらと喋った。この世界の言葉のようだが、意味はそのまま真たちの心に伝わった。声とテレパシーが同時に行なわれたのだろう。
「これ、アレーレ、そうペチャクチャ申すでない。……真殿、藤沢殿、話は今アレーレが申した通りです。実は、妹のパトラが行方知れずになっています。しかも、三日後にはパトラの成人の儀が王宮で行なわれることになっており、諸国の国王たちがすでにこの地に向かっています。今さら、式を延期にするわけにもいかず、困っていたところです。で、お願いと申すのは、今から三日間、真殿にパトラの影武者を勤めて頂きたいということでございます」
「王女、こんな得体の知れない奴らにそんな大事な役を任せていいのですか? こいつらが失敗したら、ロシュタリア王家にとって、取り返しのつかない大変なことになりますぜ」
 シェーラ・シェーラが乱暴な口調で言った。これがこの娘のいつもの話し方らしく、王女もそれを咎める様子は無い。
「それ以外に手は無いのです。成人の儀は王家の男女の十八歳の誕生日と定まっております。パトラの誕生日は知れ渡っており、成人の儀式に式に出られなかった者は、神の祝福を受けられないと信じられていますから、この儀式を欠席することは、パトラの将来にとっても良くないでしょう」
「しかし、この事が後で世間に知れたら、同じじゃないですか?」
「パトラ王女さえ無事に戻れば、この儀式についての疑惑なぞ、問題にはならない」
 アフラ・マーンが冷たい口調で言った。
「お前が、早くパトラ王女を探し出せば済むことだ」
「何を、この野郎! 俺が何もやってないとでも言うのか」
「二人とも、やめなさい! アフラ殿、シェーラ・シェーラは一生懸命に働いています。しかし、王女の失踪は世間には隠されていること。捜査にも限界があるのです」
 ルーン王女が間に入って、二人は喧嘩をやめたが、お互いにそっぽを向き合っている。どうやら、この二人は相当に仲が悪いらしい。
 王女にとんでもない申し出をされた真は、あきれて呆然としていた。この自分に女の役をやれだと? そりゃあ、自分は子供の頃から女の子のように可愛いと人からは言われてきたが、中味は十分に男だ。女の役なぞできるか。
 しかし、ルーン王女の訴えるような目を見ると、真はそれを断ることはできなかった。この気の弱さ、あるいは優しさが、彼の欠点なのか長所なのか、どちらかは分からない。
「分かりました。そんなに僕がパトラ王女に似ているんなら、影武者役を引き受けましょう。でも三日間だけでっせ。それでよろしいんなら、やります」
「有難うございます。あなた方のお世話は、このアレーレに何でもお申し付けください」
 真と藤沢は王女の前から退出して、与えられた居室(パトラ王女の部屋らしい)に案内された。そこで二人はやっと一休みすることができたのであった。

第四章 影武者

「いやあ、豪華な部屋やなあ」
 真は周りを見ながら声を上げた。一流ホテルのスイートルームもかくや、という豪華な部屋である。部屋の大きさは先程のルーン王女の部屋と同じ、二十畳くらいで、壁には様々な壁画が描かれている。その一つの前で真は足を止めた。
 美しい、若い娘の絵である。しかし、その顔は真そっくりなのだ。
「それがパトラ王女様でございますわ。本当に真様そっくり」
 アレーレにそう言われても、真には嬉しくはない。女に似ているなどというのは、男にとって褒め言葉にはならないだろう。
「しかし、どうしたものかなあ。何とかして、元の世界に帰らにゃあならんが、その手が見つからん」
 藤沢はベッドに腰を下ろして途方に暮れたように言った。
「そもそも、ここは地球なのか、それとも他の星なのか、それさえも分からん」
「多分、地球やないですか。だって、周りの人間はみんな普通の人間やもん」
「しかし、地球には、ここに来る途中で俺たちが見た、あんなでっかい蟻はいないぞ」
「蟻って、バグロムの事ですか? へえ、よく無事でしたねえ。普通の人間じゃあ、バグロムに襲われたら、無事じゃあすみませんよお」
 アレーレが興味津々といった顔で口を出した。かなり遠慮の無い性格のようだ。
「その事やがな。藤沢先生、ここに来て、異常な力の持ち主になっているらしいんや。ねえ」
 真は藤沢に同意を求めたが、藤沢の方は何か考えているらしく上の空である。
「ああ? ああ、そうだな。ところで、アレーレさん、ここには、そのう、アルコールはないのかな。あったら、少し飲んでみたいんだが」
「アルコール? ああ、お酒ですね。ありますよ。ロシュタルのお酒はおいしいんで有名なんですよ。今、持ってきますからね。その間にお風呂でも入ったらどうですか。もし、お背中を流す侍女が必要なら、おっしゃってくださいね。あ、それから、私の事はアレーレと呼んでください。アレーレさん、なんて言わないで」
 アレーレは頭を下げて部屋を出て行った。気は良さそうだが、お喋りな娘である。
「先生、お酒、あんまり飲まんほうがええんとちゃいますか?」
「まあ、そう言うな。少しアルコールでも入れんと、こんなおかしな話は考えられん」
 間もなくアレーレが盆に酒瓶と銀のゴブレットを載せて戻ってきた。
「真様もお飲みになりますか?」
「いやあ、僕は未成年やから」
「そうですかあ? じゃあ、藤沢様、どうぞ」
「おっ、すまん、すまん。後は手酌でやるからかまわんでください」
 藤沢はゴブレットの酒の匂いを嗅いだ後、それを一息で飲み干して「くはあっ、うめえ」と声を上げた。
「酒なんて、何がおいしいんやろ」
「まあ、お前も大人になればこの味が分かるさ」
 藤沢は立て続けに酒を飲み、顔が赤くなった。
「ところで、さっきの話ですけど、藤沢様は、本当に武器も無しでバグロムたちをやっつけたんですか?」
「ああ、すごかったでえ。こう、ばったばったと、な」
「へえ、見たいですねえ、その力」
「先生、アレーレがそう言ってますけど、先生の力、ちょっと見せてくれませんか?」
「ああ? いいぜえ。よし、見てろよお。こんな置物くらい、ちょちょいのちょい、と。あれ?」
 部屋の真ん中にあった女神像らしい二メートルほどの高さの石像を持ち上げようとした藤沢は、予期に反して持ち上がらない石像にあわてて、やっきになったが、石像はただ傾いただけである。
「あっ、危ない、先生、倒れる!」
 次の瞬間、藤沢は石像の下敷きになって気を失っていた。
「おっかしいなあ。これくらいのもん、持ち上げきれないなんて」
「藤沢様の力って、本当なんですかあ?」
 アレーレは疑わしそうに真を見た。
「本当、のはずなんやけどなあ」
真は困って、誤魔化し笑いをするだけである。

真は、藤沢をベッドに寝かした後、アレーレに王宮やこの国の話を聞いた。この世界には、ロシュタリア以外にも幾つかの国があるが、その中でロシュタリアは最大の国らしい。と言っても、人口はせいぜいが百万からニ百万の間のようだが。文明は、高度に発達した精神的文明らしく、人々はテレパシーで意思を通じあっている。中で精神的に優れた人間は、精神エネルギーを物質的な力に変換させる、いわゆる法術が使えるらしい。
「それのできるのは、神官たちと貴族や王族の一部だけですけどね」
とアレーレは言っている。
「へえ、見てみたいもんやなあ。魔法使いなんて、話だけかと思っていたけど」
「魔法って言うと、何かいかがわしく聞こえますよ。これは人間の精神能力の発達したものなんです。真様の世界の科学と同じです。我々のご先祖様は、もっと素晴らしい能力を持っていたらしいんですけど、その能力が仇になって、世界が滅び、その文明の記憶はほとんど残っていないんです。でも、王室の言い伝えや、神殿の記録の中に、少しは残っているようですけどね」
「古代の言い伝えだと?」
ベッドに寝ていた藤沢がむっくりと体を起こした。
「先生、起きていたんですか」
「おい、真、もしかしたら、そいつの中に、時空を越える秘密があるかもしれんぞ。そいつを見つけたら、元の世界に帰れるかもしれん」
 アレーレは肩をすくめた。
「あんまり、期待しないほうがいいと思いますよ。それより、真様は、パトラ様の影武者でドジを踏まないように、これから特訓です。いいですか、覚悟してくださいよ」

 翌日一杯、真はアレーレから特訓を受けた。パトラ王女の服を着て、パトラ王女のように振舞う訓練である。スカートをはいた真は、下半身に何とも頼りない感じを味わっていた。
「真さまあ、そんなに大股で歩いちゃあ困ります。もっと楚々として、シナを作るんですよ。もっとも、パトラ様って、あんまりおしとやかじゃあなかったけど」
「ところで、トイレはどないしよう。この格好じゃあ男の方には入れないはずやし」
「儀式が終わるまで我慢してください」
「儀式はどのくらい続くんや?」
「まあ、半日くらいですかね。もしかしたら、一日かかるかも」
「そんな殺生な」
「言葉のほうは、あまり喋らなくてもいいはずです。儀式の後、宴会がありますが、疲れたとか言って部屋に引っ込んだらいいと思いますわ」
 アレーレの言葉通り、儀式は半日続き、その後宴会が開かれた。
 儀式の間、真は必死で女の子らしく振舞っていたが、その甲斐あって、諸国の招待客たちは彼をパトラ王女と信じて疑わない様子であった。しかし、その中でただ一人、彼に疑惑の目を向けている男がいた。
 その男は、ルーン王女の婚約者、ガレフである。美しいブロンドの長髪に、彫りの深い美しい顔の青年だが、自分を見るその目に真は何か不快なものを感じていた。
「パトラ王女がここにいる? そんなはずはない」
 呟いたガレフの後ろに立っていた冷たい顔の美少年が、背後からガレフに囁いた。
「あの者は、偽物です。正体を暴きましょうか? 」
「いや、いい。パトラ王女の脳波を調べるのにはまだ時間が必要だ。かえって、パトラが健在だと思わせておいたほうが都合がいい」
 パトラ王女としての真の演技は、他の客たちに対しては通用したようである。 

第五章 昆虫の王

 その頃、真たち同様にロシュタリアの北側の大森林の中に投げ出された陣内は、気が付くと、バグロムたち、つまり真たちがエル・ハザードで最初に遭遇した昆虫人間たちに周りを取り囲まれていた。
「な、何だ、お前たちは。私が東雲高校生徒会長と知っていて危害を加えるつもりか!」
 意味不明の言葉を言いながら、陣内は逃げ場を探した。
 しかし、昆虫人間たちは互いに顔を見合わせながら、戸惑っている様子である。
(セイトカイチョウ? ナンダ、ソレハ)
(ドウモ、エライ者ノコトノヨウダ)
(デハ、ダイジニアツカウ必要ガアル)
(でぃーば様ノトコロニ連レテイコウ)
 なぜか、陣内の言葉が彼らには通じているらしいのである。
「何だ、お前たち、案外いい奴ではないか。そうか、そうか、私の偉さがお前たちにも分かったか」
 陣内は、ご満悦である。自分の存在を高く評価してくれるなら、相手が人間だろうが、虫だろうがかまわないらしい。
 バグロムたちが陣内を連れていったのは、森の奥の谷間にある巨大な建造物であった。蜂の巣か蟻の巣をより高層化し、立体的にしたような要塞で、外壁は土を固くしたもので作られている。
 そこで陣内が引き合わされたのは、バグロムたちの女王であった。これが何と、見かけはほとんど人間の女と変わらない。頭から触角が出ていることを除けば、まあ、いい女と言ってもいいくらいである。これが卵を産んで、すべての兵隊蟻たちの母親になるのだと考えると、あまりぞっとしないが、陣内にはそういう偏見は無い。彼の唯一の美点は、人間も昆虫も同じレベルで見ることができるということであろう。
「お前がこの昆虫たちの女王か。なかなか美人ではないか」
 そう言われて、バグロムの女王ディーバはポッと顔を赤らめた。生まれて初めてお世辞を言われたのだから、虫とは言え、嬉しいことは嬉しいのだろう。
「まあ、何と好いたらしいお方」
「そうだろう、そうだろう。私の名は陣内克彦、この世の支配者となることを運命づけられている男だ」
「何と、この世の支配だと? それこそ我々バグロムの望むこと。我々は、人間どもを駆逐して、エル・ハザード全体を我々の支配下に置くことが、かねてからの望みなのだ」
「それでは、お前たちは願ってもない男を手に入れたことになる。私の頭脳をもってすれば、相手がどんな奴だろうが打ちのめすのは容易なこと」
「そ、そうか。では、陣内殿、我々のために働いてくれると?」
「そうだ。まあ、それなりの待遇はして貰わんと困るがな」
「いいだろう。毎日、アブラムシ十匹ずつ与えようか? 」
「アブラムシだと? そんなもの食えるか。まあ、食事は自分で適当に見繕うからいい。まず、この世界の様子を話してくれ」
 陣内の見たところでは、この昆虫人間どもの知能指数、精神年齢は、人間なら小学低学年程度であった。
(こいつら、体力だけはありそうだし、女王の命令には絶対服従ときている。まさに理想的兵隊というもの。支配者たるべき私のために準備されたも同然の連中。この世界こそ、まさしく私のためにある! キャッハハハハハ)
 心の中で高笑いしながら、陣内はかねてからの夢である世界征服に一歩を踏み出した喜びに打ち震えるのであった。

 第六章 ナナミの運命  

 一方、同じようにエル・ハザードに転がり込んだ陣内ナナミの方は、兄ほど幸運ではなかった。
 エル・ハザード西部の大砂漠に出現した彼女は、真たち同様に、やがてここがまったくの異世界であることに気が付いたが、とは言っても元の世界に帰る方法は分からない。旅のキャラバン隊に拾われた後、彼女はキャラバン隊の雑用係、炊事係としてこき使われながら、元の世界に戻る機会を待つことにした。うら若い娘が男の集団の中にいたら、普通ならすぐにでも貞操の危機に見舞われそうなものであるが、どういうわけか男たちはナナミにまったく興味を示さなかった。べつに女に興味が無い連中というわけでもなさそうなのだから、その点が不思議と言えば不思議である。(まあ、この話全体が、日本人の女性は外国人にとって魅力的だが、男性はそうではないという事実の逆パターンである。)
「とにかく、働いてお金を稼ぐのよ、ナナミ。金は世界のパスポート、金さえあればどこに行ったって何とかなるわ」
 そう決心して、彼女はひたすら働きまくり、小金を溜めまくるのであった。

第七章 大神官ミーズ・ミシュタル

「王家の言い伝えですか? それが、あなたたちが元の世界に戻る方法と何か関係があるかもしれないとおっしゃるのですね」
 ルーン王女は小首をかしげた。
「確かに、かつてこの地にいた人々は、高度な文明を築き上げ、その能力の中には時空を超える力もあったと聞いています。しかし、その文明は何千年も前に滅び、その遺跡の中の物は、私たちには理解できない機械ばかりです」
「機械ですって? では、かつての文明は、今のあなた方の文明とは違って物質文明の発達したものだったんですね」
 藤沢が聞き返した。真も同じことを考えていた。
「いえ、精神的にも物質的にも極限にまで発達した社会だったようです。その遺跡は三つ知られています。一つは王家の祭壇、もう一つは神の目と呼ばれる空の星、もう一つは、封印された大魔人の墓です」
「大魔人ですって?」
「ええ、そこにはイフリータと呼ばれる恐ろしい魔人が眠っていて、その者が目覚める時が、この世界の滅びる時だと言われています。あの、かつての文明を滅ぼしたのもその魔人だったようです」
 藤沢と真は顔を見合わせた。その魔人とは、できれば、会いたくないものだ。
「神の目ってどんなものですか?」
 真が聞いた。
「このエル・ハザードのはるかな上空にある人工の星です。王家の血を引く者だけがその中に入ることができ、世界を支配する力を振るうことができると言われています。しかし、そのためにはまず神の目を地上に下ろさねばならないのですが、それには契約されし二人の者の心が一つになることが必要なのです。残念ながら、あなた方には、それは許されないでしょう」
「契約されし二人って、誰ですか」
「王家の血を引く二人の人間です。今は、私とパトラがそれに当たります」
「では、パトラ王女を探さない限り、俺たちが元の世界に帰ることもできないってわけだ」
 藤沢はもともと細い目を閉じるようにして考えた。
「よし、それじゃあ、我々二人もパトラ王女の捜索に協力させてください」
「よろしいのですか? 危険な目に遭うかもしれませんよ」
「なあに、私には普通人の数十倍の力がありますから、きっとお役に立てますよ」
「先生、あまり安請け合いしない方が。だって、この前、失敗してるし」
 真が藤沢の服の袖を引っ張って言った。
「あの時はたまたま調子が悪かっただけだ。心配するなって」
「そうやね。パトラ王女を探すのには僕も賛成や。もしも、悪者にさらわれてでもいたら、可哀相やもんな」
「では、まず大神官の神殿に行って、ご託宣を聞いてはいかがでしょうか。もしかしたらあなた方が元の世界に帰る手掛かりも得られるかもしれません」
「へえ。じゃあ行ってみます」
「アレーレに案内させればいいです。途中でバグロムに襲われるかもしれませんから、シェーラ・シェーラを護衛につけましょう」
「なあに、大丈夫ですよ。この前だって、私一人でバグロムたちをやっつけたんですから」
「バグロムを甘く見てはなりません。バグロムのために、このロシュタリアでは毎年、数十名、いや百名以上の人間が死んでいるのです。バグロム討伐のために組織された軍隊も、バグロムの森の中で何度も敗北しています。彼らには人間にない超感覚があり、人間の数倍の力があります。普通の武器では、彼らの固い外殻を貫くことさえできないのです」
「ここには、鉄砲なんか無いのですか?」
「鉄砲? 何ですか、それは」
「鉄砲を知らない? では 火薬は?」
「存じません」
 藤沢は真に顔を向けた。
「どうやら、この世界には火器は無いようだな。だから、あんな原始的な武器で戦っているんだ。まあ、ある意味、平和な世界ではあるな」
「ともかく、その神殿に行ってみましょうよ。じゃあ、王女さま、おおきに」
「お二人の旅の御無事を祈っております」
 真と藤沢は、早速王宮を出発した。同行者は、案内役兼世話係のアレーレと、護衛役のシェーラ・シェーラの二人である。
「まったく面倒くせえなあ。何で俺がこんな連中のお守りをしなきゃあならねえんだよ」
 赤毛の女騎士はぶつぶつ文句を言っている。
「大神官ってどんな人や?」
 真はアレーレに聞いてみた。
「私もお会いしたことはありませんが、ミーズ・ミシュタルとおっしゃって、とてもおきれいな方らしいですよ」
「へえ、そうなんやって、先生」
 真は藤沢に言ったが、朴念仁の藤沢はまったく興味を示さない。
「ああ? そうか。それより、アレーレ、大神殿には酒はあるかな」
「多分あると思いますよ。神様にお神酒はつきものですから」
「そりゃあ、そうだ。そういう点は、どこの世界も同じようなものだな」
 藤沢は急に元気が出たみたいである。
「ちえっ。酔っ払いに、女みたいなガキの相手か」
 シェーラ・シェーラは一層不機嫌になった。
 二日の旅の後、白く輝く大神殿が四人の前に現れた。見た感じは、ギリシアのパルテノン風であるが、周り全体が広大な人工の湖に囲まれているところが特徴的である。
「少しどきどきしますねえ。何しろ、大神官ですからね。滅多には会えない方ですよお」
「なあに、大した奴じゃねえよ」
「あら、シェーラ・シェーラさん、ミーズ様をご存知なんですか?」
「ああ、ちょっとな」
 シェーラ・シェーラは、そっぽを向いた。あまり話したくない過去でもあるようだ。
 四人は、二人の若い巫女に取り次ぎを頼み、大神官の登場を待った。
 やがて、真っ白に輝く美しいローブ姿の大神官ミーズ・ミシュタルが四人の前に姿を現した。
 アレーレが言っていた通り、かなりの美人である。
「美人やなあ」
 真は呟いた。
「そうですね。でも、思っていたよりちょっとふけていますね」
 アレーレが言った。
「そりゃあそうさ。普通なら二十五で大神官をやめてさっさと結婚するところを、相手がいないもんで二期目を勤めているオールドミスだもんな」
 イッヒッヒと忍び笑いをしながらシェーラ・シェーラが真たちにこっそり言った。
「聞こえてますよ。シェーラ・シェーラ。神官養成学校の落ちこぼれが何を言ってますか」
 ミーズは厳しい顔でシェーラ・シェーラを睨んで言った。
「あれ、シェーラさんも神官やったんですか」
「お、おう、昔はな。あんまりつまらねえんで、こっちからやめてやったんだ」
 シェーラ・シェーラは顔を赤くして強がりを言った。
「嘘をおっしゃい。舎監を殴って退学になった子が。まったく、こんな品性のかけらもない乱暴者が王宮の親衛隊長をしているなんて、世も末だわ」
「へん、何を言ってやがる。こっちだって、お前の恥ずかしい話は幾つも知っているぜ。みんなばらしてやろうか」
「ま、まあ、お二人とも落ち着いて」
 藤沢が二人をなだめた。
「あなた方は、何の用でここに参られたのですか?」
 問い掛けるミーズに、真と藤沢はこれまでのいきさつを話した。
「それは不思議な話ですね。お困りでしょうが、残念ながら、私にも時空を超える力はありません」
「パトラ王女の行方はどうだ?」
 シェーラ・シェーラが口をはさんだ。
「それも何度も占いました。しかし、前に言ったように、王女は王宮からそう遠くない所にいるとしか出ないのです」
「王宮近くは何度も探した。それこそ、民家の屋根裏までな。お前の占いが間違っているんじゃねえか?」
「パトラ王女の失踪に関係のある人間についても占いました。すると王室に関係のある人間だ、と出ました」
「そんなの、何人もいらあ。もっと具体的な手掛かりは無いのかよ」
「青い顔の男が関係あります」
「青い顔? 幻影族か?」
「そうかもしれません」
「そいつは厄介だな」
「幻影族って?」
真が聞いた。
「幻影族ってのは、まあ、このエル・ハザードの異端者だな。人数は数百名くらいしかいないんだが、我々人間とは仲が良くない。向こうも見かけはほとんど人間と同じなんだが、心がまったく違う。まあ、冷たいというか、残酷というか、要するにモラルが無い。それに、奴らには奇妙な力があって、人間に幻を見せて操ることができるんだ。我々の力ではどうしてもその幻影を見破ることができない。もしも、パトラ王女がその幻影族につかまっているとすれば、捜索は非常に厄介なものになる」
「では、その幻影で、シェーラさんの捜索が妨害されていたんやないですか?」
「かもな。しかし、だとしたら、それを打ち破る方法が無い」
「だけど、王室関係者で、男となったら、容疑者が絞られるんやないですか」
「だが、相手は身分のある人間だからなあ」
「そんなこと言ってる場合やないでしょう。パトラ王女の命が危ないかもしれないのに」
「そうだ。お前はいいことを言った。気に入ったぜ。よし、俺はすぐに王宮に戻る。お前たちはここでゆっくりしていきな」
 シェーラ・シェーラは一刻も惜しむかのように神殿から走り去った。
「あなた方は、お疲れでしょうから、こちらでお休みください」
 ミーズの言葉に従って、真、藤沢、アレーレの三人は客間風の部屋で休むことにした。ミーズも巫女の一人にお茶の接待を命じた後、三人の傍に座った。
「もう少し、あなた方のお話を詳しくお聞きしたいわ。特に、藤沢さま、向こうの世界ではどんなお仕事をなさっていたんですか?」
 ミーズは色っぽい目で藤沢を見て言った。
「い、いやあ、仕事と言っても、高校の教師でして……」
「まあ、先生ですか。それは大変崇高なお仕事ですね。きっと、教え子たちに人間としての正しい生き方を教えていらしたんでしょうね」
「ま、まあ、そんな先生もいますがね」
 真は、こっそりとアレーレに言った。
「ミーズさん、藤沢先生に興味津々やな」
「まあ、真さんよりは年が近いですからね。結婚相手として狙っているんじゃないんですか?」
 お茶をすすりながらアレーレが言う。
「あんな美人なら、結婚したがる男は仰山いそうなもんやのにな」
「そうでもないですよ。なにせ、相手は大神官ですからね。浮気などしたら、どんな目にあわされるかわかりません。だから、たいていの男は怖がるんですよ」
「難しいもんやな」
 ミーズの攻勢に対して藤沢は防御一辺倒のまま、日は暮れていったのであった。


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