忍者ブログ
ゲーム・スポーツなどについての感想と妄想の作文集です 管理者名(記事筆者名)は「O-ZONE」「老幼児」「都虎」など。
カレンダー
02 2024/03 04
S M T W T F S
4 8
10 13 14 16
17 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31
フリーエリア
最新CM
最新TB
プロフィール
HN:
o-zone
性別:
非公開
バーコード
ブログ内検索
P R
カウンター

「母が私を殺し、父が私を食べた」



1 眠れる森の美女

 王子は眠れる森の美女を見つけました。当然、王子は鼻息を荒げながら、美女のスカートを捲り上げ、自分の一物を美女の秘密の谷間にぶっすりと突き刺しました。眠ってはいても美女のそこはなかなか具合が良く、王子はこれまで経験したセックスの中で、これが最高だと思いました。
 王子が立ち去った後、王子の言動の一部始終を見ていた日本の老作家が王子の後から美女を犯し、その経験を「眠れる美女」という小説に書いて、ノーベル文学賞を貰いました。
 二人が立ち去った後、美女は眠ったまま二人の子供を出産しました。一人は白雪姫で、もう一人はシンデレラと言います。二人ともディズニー映画に主演して有名になりました。

2 シンデレラ

 シンデレラは、本名をツンデレラと言って、他人の前では好きな人にツンツンしながら、二人きりになるとデレデレするという二重人格者でした。フランスでは灰かぶり、日本では落窪という名前も持っています。三人姉妹の末っ子でしたが、素行が悪いためお城の舞踏会に連れて行って貰えず、知り合いの魔法使いに頼んでカボチャの馬車と鼠の御者を作ってもらいました。しかし、王子はカボチャも鼠も嫌いだったので、王子に好きになってもらうことはできず、王様の57番目の側女になりました。当然ながら、お后に憎まれて、両手両足を切られた上、お城の便所で「人間豚」として飼われることになりました。これは貧乏人は夢を見るなという教訓です。

3 白雪姫

 白雪姫のお母さんは雪の女王で、アンデルセンという王様との間に白雪姫を生みました。夏になって雪の女王が溶けた後も、白雪姫は冷凍庫で保管されました。王様は冷たい女はこりごりだと、今度は情熱的なスペイン女のカルメンと結婚しました。カルメンは白雪姫を冷凍庫で発見し、賞味期限が過ぎる前に解凍しましたが、解凍に失敗したので猟師に彼女を山に捨てに行かせました。猟師は当然、山で白雪姫をレイプしましたが、お后の命令に背いて、彼女を殺しまではしませんでした。泣きながら山の中をさ迷った白雪姫は、小さな洞窟を見つけ、そこの中の小さな七つのベッドを並べて眠りこみました。やがて帰ってきた7人の小人は自分たちのベッドを占領している巨人女に怒って、彼女を叩き起こすと、その後、奴隷にしました。一説には、7人でよってたかって彼女を犯したともいいますが、それはサイズの上から無理でしょう。やがて白雪姫は自分を捨てた継母を暗殺してその国の女王になったということです。継母にとっての教訓。生殺しは駄目。殺すなら完全に。

4 赤頭巾

 白雪姫を捨てるというおいしい役目を貰った猟師には奥さんと子供と母親がいました。つまり、家庭のいい父親だったのです。そういう人でも、山の中で若い女と二人切りという状況では、欲望をこらえるなど到底不可能な話であるわけで、それを簡潔に言ったのが「完全なる機会は人をして罪を犯せしむ」という箴言です。
 さて、この猟師には10歳くらいの娘がいました。1説には5、6歳くらいともいいますが、この後の話の都合上、10歳としておきます。言うまでもなく、この話は小さな女の子が狼に食われる、つまり男に犯されるという話に決まっていますが、問題は、なぜ狼がお祖母さんのふりをしたのかということです。実は、それは推理小説で言うところの赤ニシン、つまりミスリーディングで、この話の本質は、よほどの幼児でもなければ騙されないような嘘を「被害者」が「信じた」という点にあるのです。つまり、「騙されたふりをして食べられた」というのが事の真相で、セックスというものを経験したくてしたくてたまらなかった赤頭巾が、「狼」の荒唐無稽な嘘を信じたふりをしてセックスを経験したというだけの話だったのです。ですから、教訓は、「物事の見かけと真実は別だよ」ということで、これは世間に流通している赤頭巾の教訓とも一致しています。

5 美女と野獣と青ひげ

 お城に一人で住んでいる領主には何か後ろ暗いところがあるものです。奥さんを何人も殺した重婚者とか、怪物の姿をしているとか。しかし、そういう存在であっても、金がある限りは奥さんのなり手に不自由はしません。うまい具合にその青ひげやら怪物やらを殺す手助けをしてくれる若い男でもいれば、青ひげや怪物を殺した後、そのすべての財産を手に入れられますから、結婚するくらいどうってことはありません。それに、青ひげやら怪物やらが親切に「この部屋に入ってはいけない」と言ってくれているのに、そういう財産目当ての若い女は、必ず、何か金目の物でもあるんじゃないかと思って、そうした秘密の部屋に入るものです。でも、それで彼女たちが罰を受けるということはなく、彼女たちは何となく助かって、青ひげが上手い具合に死んでくれたり、怪物が美しい王子様に変わってくれたりします。教訓は、「図々しい奴ほど報われる」。

6 ラプンツェル

 ラプンツェルの話はとても分かりやすい話です。年頃の娘を持った男親なら、誰でも自分の娘をラプンツェルのように高い塔の上に閉じ込めておきたいと思うでしょう。そして、閉じ込められた娘が自分の長く伸びた髪を梯子代わりにして男を自分の寝室に連れ込むのも、世界中で無数に起こっていることです。つまり、女が男を欲しくなれば、それを防ぐのは不可能だという話。女房持ちの男の額には必ず角が生えているというのは、シェークスピアの作品で何度も出てくるフレーズです。女房でも娘でも話は同じ。

7 ジャックと豆の木

 世界中が狼ならば、どう生きるべきか。答えは、「狼と共に吠えろ」です。つまり、この世にモラルがあるならば、モラルを保って生きるのが正解ですが、モラルの無い世の中で自分だけがモラルを保って生きるのは自殺行為だということです。
 「ジャックと豆の木」という話では、巨人の城に入ったジャックはためらいも無く、巨人の財産を盗みます。日本の桃太郎も同じですが、相手が巨人や鬼や(西欧人にとってならアジア人とか)なら、何をやってもモラルには反しないという定理がここにはあるようです。しかし、もう少し視点を変えて見ましょう。黒澤明の『天国と地獄』ではありませんが、巨人の城は、高い雲の中にあります。もちろんこれは社会の上層階級の比喩でしょう。ジャックは下層階級の人間です。ならば、上層階級の財産とは、結局は下層階級から収奪した財産ではないでしょうか。それを下層階級の人間が盗むのは、実は自分たちの財産を取り返したにすぎないのです。
 こういう理論により、初期の共産主義は世間の犯罪者こそ我が友とばかりにスターリンのようなゴロツキをどんどん高い地位に上げていきました。そのためにやがては下層階級こそがひどい目に遭うのですが、それでも、上層階級が社会システムを利用して下層階級から奪い取った財産を下層階級が取り戻すには、同じ社会システムの中では不可能だということだけは言えるでしょう。

8 母が私を殺し、父が私を食べた

 質問。では、誰がこの話を語っているのでしょう。
 



◎ 参考文献『猫の大虐殺』ロバート・ダーントン
PR




その2


 


 関根金造監督はベンチでお茶を飲みながら居眠りばかりしていたわけではない。試合を眺めながら、自軍選手の能力や性格、勝負強いか弱いか、何が得意で何が苦手かを観察していたのである。選手とは野菜のようなもので、瓜や茄子がトマトやカボチャにはならないが、丹精こめて育てれば大きく育ち、それなりに美味い野菜になる。


 監督の見た所では、現在のチーム力は、昨年の成績が示している通りであり、じたばたしても始まらない。しかし、昨年のドラフト及びドラフト外で取った選手の中には、磨けば光る素材が多いと睨んでいた。中でも、ドラフト1位の荒野拓と2位の中矢速人、それに4位の田畑耕作の3人は、かなりの潜在力を持っているようである。2位の中矢は外野手で、大学野球でそれなりに名が売れていたが、荒野と田畑はまったくの無名選手である。これはスカウト部長の倉の大ヒットだった。彼は自分の足で見て回るだけではなく、インターネットを駆使して各地の有望選手情報を集め、勘がひらめいた場合は自分で見に行ってドラフト候補を決めたのである。荒野は北海道出身の投手で、野球経験はまだ少ないが150キロ近い剛速球を投げる。甲子園大会は予選2回戦で負けたために、全国的な知名度はゼロである。田畑は南の果ての、八重山の出身で、これも同じく甲子園に出ていないが、県大会では3回戦まで進み、打率8割、本塁打3本を放っている。もっとも、予選でその程度の成績を残す選手は珍しくないが、彼の場合は、肩も良くて、通算の盗塁阻止率が(それがどれほど正確な数字かはわからないが)9割以上であるということだ。野球マンガなら、一度も盗塁をされたことがないという捕手などが登場したりするが、盗塁というものは、半分は投手の責任であり、100パーセントの盗塁阻止率というのはありえない。高校生なら7割以上の阻止率ならば抜群の肩であり、プロなら4割程度でも十分に合格ラインである。それよりも、主将としてチームを引っ張り、出ると負けの離島チームを3回戦まで進めた根性が、買いだと関根は考えた。


 この3人以外にも楽しみな選手が多く、時間をかければこのチームは案外いいチームになりそうだ、と関根は考えていたが、来年再来年、自分がこのチームの監督でいられるかどうかは別問題である。関根はそれほど監督の座に執着はしていなかったが、このチームの行方を自分の目で見てみたいという気持ちはあった。


 一軍にもいい選手は数人いるが、数人では野球はできない。レギュラー野手8人と投手陣の粒がある程度揃わないと、野球にはならないのである。現在は、先発投手陣では藤井秀介、伊藤和明、ベバリンの3人しか一軍の能力を持った選手はいない。野手陣ではラミレスとベッツの二人以外では外野手の因幡一宏くらいが一軍レベルで、あとは他球団なら二軍というレベルの選手だけだ。しかし、この秋の入団テストで面白そうな選手が何人か入っていた。


 まず筆頭が、牙武という外野手である。高校卒業後、ノンプロの野球で3年を過ごし、今年の都市対抗試合で頭角を現した選手である。外野手としては守備が少し雑だが、足は速く、肩も強い。それに、何よりも打撃に迫力がある。三振も多そうだが、長打力は本物のようだ。名前の荒々しさとはうらはらに、顔は外人の血が混じっているような感じのハンサムで、ロシア人風の短い顎鬚がギャングの幹部めいた感じを与えている。そして、もう一人が、北海オーシャンズを整理された投手の東海林誠人である。球速が130キロ台という、球の遅さがプロレベルではないとして、一軍に上がることもなく首になったようだが、低めに集まるコントロールの良さと、打者に的を絞らせない頭の良さは、案外拾い物ではないかと思われた。


 投球というものは不思議なものである。野球マンガの好きな子供は、160キロの速球を投げれば誰にも打たれないと思いこんでいるが、日本最速の記録を持っている横浜シティボーイズのクレーン投手の防御率は3点台である。救援投手の防御率は低いのが普通だから、3点台というのは良くない数字だ。つまり、160キロの速球を投げても、プロは打つのである。160キロが170キロになっても、少し練習すれば打てるだろう。確かに、速球は、一番打ちにくい球ではある。しかし、速球一本槍で抑えられるほどプロは甘くない。大昔にあったヤクルトという球団の安田投手や、阪急ブレーブスの星野投手などのストレートは130キロ台であった。高校生でも140キロを投げる投手は珍しくないのに、130キロのボールしか投げきれない彼らが、なぜプロで好成績を残したのか。それは、投球術の有無である。つまり、頭のいい投手なら、プロで生き残ることはできるということだ。その反対に、150キロ台の速球を投げきれても、頭の悪い投手は生き残れない。


 投球にくらべると、打撃のほうが、まだ肉体的才能の関わる余地が大きいようだ。簡単な話、才能の無い人間は、ホームランは絶対に打てない。プロの投げるスピードボールにバットを当てることでさえ至難の業だが、しかもそれをバットに乗せて45度の角度で弾き返し、100メートルの彼方にあるフェンスを越えさせることができる人間は、プロでも限られている。もちろん、年間に1本か2本のまぐれ当たりは、プロレベルの肉体能力があれば可能性はあるが、それ以上に打つのは、能力によるしかない。その能力は、普通人には絶対に無いのである。だから、打撃の神様テッド・ウィリアムスも、「野球で一番難しいのがバッティングだ」と言っているのである。


別ブログに載せていた小説だが、今読むとなかなか面白いのでここにも載せておく。ただし、未完であり、冒頭部分だけである。

(以下自己引用)

例によって、冒頭部分だけを書いて、止めた作品だが、今読んでみると少し面白いので載せておく。会話も出来事の描写も何もなく、私がいかに小説の才能が無いかよく分かる冒頭部分だが、野球ネタの雑談としてなら読めるのではないか。
とりあえず、2回に分けて載せる。



人物メモ


 


① 関根金造(アンツの監督。爺さんである。)


② 須藤完(寮長兼二軍監督。オヤジである。)


③ クリート・ロビンソン(二軍野手コーチ。守備の神様である。)


④ ビル・テリー(二軍打撃コーチ。打撃の神様である。)


⑤ レフティ・グローバル・アレキサンダー(二軍投手コーチ。ピッチングの神様である。)


⑥ 田畑耕作(キャッチャー。八重山農林高校卒。18歳。ドラフト4位。山出しの田舎者だが、野球頭脳は抜群。捕手体型で、鈍足だが打撃も守備もいい。)


⑦ 荒野拓(投手。18歳。北海高校卒。ドラフト1位。火のような速球を投げるが、投球術は未完成。野球経験が少なく、甲子園には出ていないため、知名度はない。)


⑧ 馬場一夫(一塁手。32歳。大卒。守備は名人だが、打力が弱く、一軍に定着できない。性格はおおらかで、馬のような顔をしている。)


⑨ 野原二郎(二塁手。埼玉学園卒。18歳。素質はあるが、気が弱く、チャンスで打てない。守備は名人級。ドラフト3位。)


⑩ 山原遊介(遊撃手。北部農林高校卒。18歳。俊敏だがやや非力。当てるのは上手い。守備もなかなか。ドラフト5位。)


⑪ 牛岡三蔵(三塁手。24歳。大卒。2年目。見かけはもっさりしているが、守備は天才。打撃は弱い。ロビンソンコーチのお気に入り。)


⑫ 中矢速人(中堅手。23歳。大卒。ドラフト2位。足は韋駄天。守備も抜群だが、打撃は未完成。性格は悪くはないが、やや高慢で己惚れ屋。顔はいい。)


⑬ 左木善(左翼手。33歳。強打者だが鈍足で守備は下手。1軍通算・265、75本塁打。無口。)


⑭ 左右田左右太(右翼手。26歳。大卒4年目。スイッチヒッターで守備も内外野できる。長打力は無い。お調子者で、ポカもときどきある。顔は井出らっきょに似ている)


⑮ 山並敬作(控え選手。捕手31歳。二軍の主的存在。弱肩。性格はいいが、強引なところがある。度量は大きい。将来の二軍監督候補。)


⑯ 城之内和也(投手。22歳。2軍のエース。性格も制球力も悪い。相手によって気を抜く癖がある。)


⑰ 桜木健太(投手。23歳。球威はあるが、頭が悪い。)


⑱ 早川昇(投手。19歳。球は遅いが投球術を心得ている。)


⑲ 高井勇作(投手。21歳。左腕。球威は抜群だが、自らピンチを招く癖がある。)


⑳ 難波利夫(二塁手。24歳。積極性が無く、好機にはまったく打てない。)


 


球団


セリーグ


① 名古屋ドランクス(中落合監督)


② 東京ギガンテス(保利監督)


③ 大阪ウォーリアーズ(藤山監督)


④ 広島オイスターズ(山本山監督)


⑤ 横浜シティボーイズ(金星野監督)


     新宿アンツ(関根監督)


パリーグ


① 北海オーシャンズ(ヘルマン監督)


② 埼玉リアルエステイツ(糸鵜監督)


③ 南海パイレーツ(皇監督)


④ 千葉マリナーズ(S・バランタイン監督)


⑤ 神戸コンドルズ(名嘉村監督)


⑥ 東北パラダイス(之牟羅監督)


 


 


 


 


 


 


    『 のんびり行こうぜ 』       


 


○この小説は実在の人物や組織とはまったく関係はありません。モデルとなった人物や組織もありません。名前などが似ていても、それは偶然の一致にすぎません。


 


その一


 


プロ野球セリーグには東京に2球団あって、その一つは老舗の名球団、東京ギガンテスである。ここは保守系新聞の押売新聞を母体にしていて、テレビ局とのつながりもあるため、全国的知名度があり、また資金力に飽かせて有力選手を掻き集め、好成績を残してきた結果、日本一の人気球団となった。現在は昔ほどの成績は残していないが、人気だけはまだ保っている。


セリーグのもう一つの在京球団が新宿アンツである。球団本拠地が新宿だから新宿というチーム名になったのだが、いかにもスケールの小さい名前だ。昔存在したジャイアンツとかいう名球団にあやかってアンツと名づけたそうだが、巨人たちと蟻んこたちでは大違いである。かつては清涼飲料水の会社が球団を所有していたが、経営不振から経営権をアグリビジネスとかいうわけのわからない仕事をしているドン・ビャクショーという会社に譲り渡した。その際、高給取りの有望選手は大体金銭トレードされ、ほとんどはその名前にふさわしい蟻んこレベルの選手しか残っていない。


新球団としてスタートした昨年の球団成績は27勝115敗3分けである。このチームが27勝もしたのは奇跡のようだが、古いチームに愛着があって残った実力派選手も数人はおり、他球団に行けばおそらく10勝以上は堅い、藤井、伊藤などの有力投手の頑張りと、外人にしては比較的給料が安いということで継続雇用となったラミレス、ベバリン、ベッツなどの働きで27勝の成績は残ったのである。しかし、観客とすれば、野球見物に行っても5回に4回は負け試合であり、しかもその負け方が、0対10とか1対20とかいうラグビースコアでは、まるで相手チームの打撃練習、投球練習を金を出して見ているようなものである。当然、真面目な観客の数は激減したが、世の中は奇妙なもので、こうしたヘボチームのどたばたした試合が面白いと、寄席かバラエティショーでも見る気分で鑑賞する通人もおり、それに何しろチケット代が内野席でも2000円、外野席なら1000円と格安だったので、本拠地の新宿球場には、ナイターを夕涼みの場やデイトスポットとして利用する人間も多く、1年目の経営は(高額選手がいないこともあり)黒字になったのであった。


ドン・ビャクショーのオーナー大田田吾作は、浮いた金で千葉北部の山中にファームを作り、そこを文字通りの農場と二軍練習所にすることにした。若手選手は、そこで農作業の合間に野球の練習をするわけである。なるほど、ろくに一軍の試合にも出られない若手選手の有効利用と言えばそうだし、彼等の体位向上には役立つだろうが、野球の技術アップにはあまり役立ちそうも無いシステムである。この計画によって、若手選手の半分は自主退団した。何が悲しくて、俺のようなシチィボーイが千葉の山奥で豚を飼い、肥タゴをかつがねばならんのか、というわけだ。しかし、大田田吾作氏はなかなかの人物で、最初から、雇った人間は(金銭トレードは別として)解雇はしない、と言明していた。野球をやめても自分の企業(ほとんどが百姓仕事だが)で使ってやる、というわけだ。現在のように不安な雇用状況の時代では、これはなかなか立派な方針だとも言える。


そのせいか、この年の秋のドラフトで指名された選手のうち1位の中村宏典三塁手を除いて、2位から5位までは入団を承諾した。今その名前を書いても怠惰な読者はどうせ覚えていてくれないだろうし、作者も覚えられないから、名前は省いておく。


それに、他球団を解雇された選手がアンツの入団テストに思いがけず沢山集まった。その中には十分に一軍で使えそうな選手も何人かいたのである。であるから、少なくとも人数的には、自主退団した若手選手の穴を埋めるだけの選手は揃ったと言える。


アンツの監督は、関根金造という爺さんで、現役時代は投手も内野手も外野手もやった器用な人間だが、評論家生活が長かったせいか、自軍チームに対しても評論家的な目で眺めてしまい、あまり勝利への意欲は無かった。だからこそ、この悲惨なチーム成績でも発狂せずに無事に一年をやり通せたのだろう。そういう意味では監督としてはベストの人選だったかもしれない。そもそも彼はベンチにいてもほとんど指令らしい指令は出さず、選手たちに、好きにやってこい、と言うだけであった。「野球など、やっているうちに覚えるさ」というわけだ。試合中に時々呟く言葉には、中々含蓄のある言葉もあったのだが、なにしろ選手がそれを理解できるレベルではなかったので、彼はただのボケ老人と大方の選手からは思われていた。「二時間ベンチに坐ってお茶を飲んでいるだけで金が貰えるのだから、楽な商売さ」と陰口を言う選手もいたが、好々爺然とし、余計な命令をしないこの監督を大多数の選手は好んでいたようだ。もちろん、観客の野次や罵倒に耐え切れず、もっと真面目な試合がしたいと望んでいる真面目な選手も何人かはいた。そうした選手は、何の指令も出さない監督に不満を持っていたが、では監督が指令を出したとして、選手がそれを実行できるかと問われたら、おそらく言葉に詰まるだろう。


ともあれ、新宿アンツはファンからはともかく、敵(他球団)からは、苛酷なペナントレースの中の一服の清涼剤として愛されていた。選手たちはアンツとの対戦を心待ちにし、野手たちはその3連戦で少なくともヒットを5、6本、あわよくばホームランを1、2本打とうと考え、先発投手は完封勝利で防御率がどれだけ向上するか獲らぬ狸の皮算用をした。面白くないのは、出番がおそらくない救援投手や代打陣だけだ。アンツに負けるということなどまず考えられなかったから、首位を争うチームにとっては、アンツとの3連戦で一つでも負けることなどあってはならないことで、初年度の最終3連戦でギガンテスがアンツに1勝2敗と負け越し、そのためにペナントを落とした監督の原田は哀れにも更迭されてしまったくらいである。この原田監督は、その甘いマスクから高校野球のプリンスと呼ばれ、東都大学野球では18本の本塁打を打ち(野球に無知な読者には、これがどのくらい素晴らしい数字かわからないだろうが、大学野球は試合数が少ないので、通算で10本以上の本塁打を打っていればかなりの強打者なのである。とはいえ、東都大学の通算本塁打記録は、プロ入り後はほとんど打者としての数字は残せず守備の人になった小橋遊撃手の23本であるところが皮肉だが。)鳴り物入りでギガンテス入りしたものの、その前の時代に黄金時代を築いた皇一塁手や中嶋三塁手と常に比較され、中々の成績を残しながらいつも周囲から不満を持たれていたという、幸運なのか不運なのかよく分からない人物である。


どうも脱線が多くて申し訳ない。話を先に進める前に、現在のプロ野球の状況を簡単に説明しておこう。昨年のペナントレースの覇者はセリーグが「俺流野球」の中落合監督率いる名古屋ドランクスで、パリーグがお雇い外国人監督のヘルマン監督率いる北海オーシャンズである。ドランクやオーシャンに「ズ」をつけていいかどうかわからないが、とにかくそういう名前のチームである。特にパリーグは、年間の試合での1位がそのまま優勝とはならず、2位と3位の勝者が1位と戦い、その勝者となってやっとパリーグ優勝となるわけのわからないシステムで、オーシャンズも年間3位の順位でありながら勝ち上がってパリーグを制し、その余勢を駆って日本シリーズまで制覇したという幸運さであった。つまり実質的にはパリーグの3位チームが日本一になってしまったのであるが、驚いたことにこの馬鹿げたシステムが来年度からセリーグでも採用されることが決定していた。要するに、通常ならペナントレースの大勢が決まって観客動員数が減少する秋口に、勝ち上がりの優勝決定戦を作って観客を集めようという魂胆である。それによって優勝可能性が出てくる下位球団にとってはいい話である。これも大リーグへの有名選手流出によるプロ野球の人気低下の影響だが、取りあえずは3位以内を目ざそうということで、アンツには大いに希望が出てくる話であった。とはいえ、現実的には、昨年27勝115敗の(今後、数字などが出てくる場合に、前に書いた数字と違うとか言って、揚げ足取りをしないように。これはそういう話ではないのだ。)チームが、どうやれば3位になれるのか、雲を掴むような話ではあったが。


昔書いて、途中で書くのをやめた小説の一部である。以前に載せたが、私の野球観の出ている部分だけ短めに再掲載しておく。この小説を書いた当時の阪神の選手の名前などが出てきて、私自身興味深い。矢野の打撃を褒めているが、その気持ちは今でも変わらない。主人公の所属するチームがまるで横浜DeNAだが、その当時は別に横浜のファンでも何でもなく、DeNAは球団を買収していなかった。なお、主人公のチームも「投手8番」をやっている。ラミレスはべつにそれを参考にしてはいないだろうが、奇遇であるwww


「とある投手の独り言」(一部のみを再掲載)


 開幕第二戦の先発がおれである。開幕戦では、自分が登板する以上に胸がどきどきしていたおれだが、第二戦に登板した時にはすっかり落ち着いていた。相手は昨年のセリーグ優勝チームとはいっても、日本シリーズでロッテに子供扱いされたチームじゃないか。確かに、金本、今岡の4番5番は強力だが、日本シリーズで見せたロッテの内角攻めをうまく使えば、抑えることも可能だろう。阪神でもっとも優れたバッターは、実は7番8番を打っている矢野捕手だろうと、おれは思っていた。ほとんど隙のないバッターで、捕手という重労働をしていなければ、毎年3割を打ってもおかしくないバッターである。だが、彼にしても長打力はそれほどはない。
 おれは球はそれほど速くはない。抜群の変化球があるわけでもないし、コントロールはいい方だが、精密機械というほどではない。そのおれでも15勝できるのは、度胸がいいからである。だいたい、ほとんどの投手は考えすぎるのである。打者が打てるコースは、肩からベルトまでの間である。内角低めと外角低目の打率は、どんなに優れたバッターでも2割5分もいかない。つまり、ど真ん中を避け、内角低めと外角低目に投げていれば、それほど打たれるものではない。脅しのために、時々内角高めにボール気味のブラッシングボールを投げていれば、その外角低めもいっそう効果的になる。おれはコントロールはそれほど良くないが、フォアボールは滅多に出さない。出すとすれば、ピンチで強打者を迎えての敬遠フォアボールと、次がピッチャーの場合に、たまに8番打者を敬遠する時くらいのものである。つまり、意図したフォアボールだけである。フォアボールを出すくらいなら、真ん中に投げてホームランを打たれたほうがましだとおれは考えている。だいたい、フォアボールを出して喜ぶ人間はいないが、ホームランなら、少なくとも(敵側のファンだが)お客さんは喜ぶ。ヒットやホームランを打たれるのは、その打席では相手打者が勝ったというだけのことだ。今度は次の打席でこちらが勝てばいいのであり、最終的には、チームがその試合を勝てばいい。防御率が2点台だろうが、5点台だろうが、勝ちは勝ちである。相手がおれからヒットを10本打とうが20本打とうが、試合がこちらの勝ちなら、おれの勝ちということだ。
 というわけで、第二戦、おれは先発のマウンドに上っていた。初回、昨日と同じくスズケンがセンター前のクリーンヒットで出塁し、盗塁に成功、藤村のバントで三進した後、今日は3番に入ったタイラスがでっかい犠飛を上げて、今日は一点を先制した。相手投手は現在セリーグナンバーワンかとも言われる井川だから、この1点は貴重だ。
 さて、おれは阪神の先頭打者赤星を迎えて考えた。ヒットを打つ能力ではスズケンとは2ランクくらい落ちるが、塁に出せばスズケンよりも足は速い。2年連続のセリーグ盗塁王である。だが、おれとは相性が悪いのか、去年は13打数で2安打しか打たれていない。
 おれは内野を前に出して、浅く守らせた。深く守っていると、内野安打が怖い。
 結果は、3球目をシュートに詰まって、3塁ゴロである。2番平塚はライトフライでツーアウト。3番シーツにはヒットを打たれたが、4番金本をショートゴロに打ち取って、初回を0点で切り抜けた。
 この試合のクライマックスは早くも2回に来た。5番打者の水野、6番の今村が連続ヒットで出塁した後、7番の岡は三振でワンアウトになったが、続く8番の外野手、鳥羽に井川がフォアボールを与えてしまったのだ。おれのバッティングの良さは、前に話した通りである。おれは井川の初球をレフト前にクリーンヒットした。おれは左打ちだから、流し打ちである。うちの打線でこれのできるのは、スズケンとおれくらいのものだ。そのスズケンが、動揺した井川の2球目をライトスタンドに叩き込んで、スリーランホームラン。この回5点を上げて、試合の大勢は決した。その後、7回までにおれは3点を失ったが、8回、9回まで投げて、10安打を打たれながらも、完投で今シーズン初勝利を上げた。

 ピッチングの面白いところは、どんな大投手でも毎試合完全試合ができるわけではないというところだ。それどころか、1試合に必ず5,6本のヒットを打たれ、1,2点の失点があるのが普通である。つまり、打者だって無能ではないから、相手から必死でヒットを打とうとする。そのせめぎあいが野球の面白さなのである。
 だから、問題は、ヒットを打たれないことではない。ヒットは打たれて当たり前。それを同じイニングに集中されたり、いざというときに長打を打たれたりするのが本当の負けなのである。で、長打を打たれないためには低めに球を集めること、ってのは常識だが、低めばかりでも相手が最初からそれが分かっていればヒットしやすくなるから、時には胸元をついて相手の体を起こすことも必要、と、このあたりも常識。しかし、ゲームでそれがきちんとできないのが投手のつらいところだ。正直言って、プロのバッターなら、投手の球速が160キロあろうが、2、3回も対戦すれば打ち込めるものである。だから、世間の人間が夢の160キロなどと大騒ぎするのはあまり意味がない。横浜のクルーンにせよ、かつての伊良部にせよ、それほど相手を抑えているわけではないのだ。ちなみに、好成績を残した投手の中で、速球投手とコントロール投手とどちらが多いかを調べてみるといい。圧倒的に後者が多いのである。速球投手で成績のいいのは、そいつがコントロールもいい場合だけだ。しかも、速球が無くてもコントロールだけで好成績を残した投手は無数にいるのである。だから、漫画の「大きく振りかぶって」で、コントロールピッチャーを主人公にしたのは、実にいい着眼点であったわけだ。
 ところで、1試合のヒット数が5、6本という場合、一人で2安打する選手は一人いるかいないかということになる。普通、1試合に1安打だけでは2割5分の打率しか残せず、野手は皆減俸ということになるわけだが、実際には現代野球では、平均して2割7、8分程度の数字は残す。つまり、1試合の平均安打は10本くらいあると見てよい。それに四死球と長打がからむと、1試合に4点くらいは取られて当たり前、ということになる。いや、防御率3点台なら、優秀な投手と言えるだろう。毎試合の被安打が2、3本などという投手は、選手のレベル差が大きい高校野球までの話である。それも、高校時代の江川くらい、周囲とのレベル差があってのことだ。
 だから、大リーグの大投手の絶好調時でも、防御率は2点台であり、つまりは1試合に2点平均で取られていて、完全に抑えた試合なんてのは数えるほどしかないのである。2点で抑えたら、普通こちらは3点以上取っているはずだから、勝ち、というわけだ。
 しかし、話が長くなったが、おれたちのチーム、浦安ドルフィンズは、貧打のチームで、チーム打率2割3分、平均得点は3点にも満たない。これで勝つのは、相当に難しいことだ。したがって、おれの15勝は巨人や阪神の投手の20勝に相当すると考えてよい。だが、おれの年俸を査定する連中はそうは考えてくれないのだが。昨年、おれが15勝もできたのは、運の良さも大分あった。おれが投げる時に、味方打線がなぜか点を取ってくれることが多かったのだ。おれの防御率は4.32だのに、15勝もしているのは奇跡に近い。もっとも、これは、おれの救援をしてくれるリリーフ投手陣のおかげでもある。うちの救援投手陣は、おそらくセリーグナンバーワンだろう。中継ぎとリリーフを合わせた防御率は、おそらく1点台ではないだろうか。つまり、5、6回までをリードしていれば、その試合はほぼ勝てるということだ。特に、中心のストッパー、銀河は、一種の天才で、スタミナはないが、1イニングだけならほぼ完璧に抑える。しかし、奴の才能が分かったのは2年前からで、それまでの3年間は、先発投手として失敗を繰り返し、あやうく放出されるところだったのである。それを、投手コーチの英断でリリーフに転向させたのが大成功で、そのお陰でうちはおととしは5位、昨年は4位と上昇してきたわけである。




昔の書きかけの野球小説を見つけたが、今読むとなかなか面白いので、未完成だが載せておく。そのうち気が向いたら続きを書くかもしれないが、登場する実在選手がもはやほとんど過去の人なので、なかなかそれも難しそうである。






      「 とある投手の独り言 」       




 世間の人間はどう思っているか知らないが、おれは、野球ってのは球遊びだと思っている。大の大人がやるには少々恥ずかしいものだが、それでもプロ野球ってのは、世間に認知された仕事の一つで、しかも、プロ野球選手になれれば大金が手に入る。まあ、上役の目に怯えながら面白くも無い仕事をこなして家に帰ったサラリーマンが、ビールの一本もついた晩飯を食いながらプロ野球で一日の憂さを晴らしてくれるなら、我々の仕事にもそれなりの意義はあるってことだろう。他人の金を動かして金儲けをする株屋や会社乗っ取り屋たちの仕事よりはましかもしれない。
 ところで、おれはプロのピッチャーだ。プロ生活は7年目だが、これまで35勝を上げているから、まずまずの投手だろう。ガキの漫画では、一年に20勝30勝を上げないと主人公にはなれないだろうが、現実の野球は、おれのレベルの投手でも、十分に高く評価されるのである。しかも、おれの場合は、最初の2年間はファーム暮らしだったから、実質的には4年間で35勝、つまり、年間10勝近い勝ち星を上げているわけだ。その勝ち星も毎年上がっており、3勝、7勝、10勝、15勝であるから、今年は20勝だ、などと思うほどおれは甘くはない。正直言って、今年も同じ程度の成績が残せるか、不安でしょうがないのだ。だが、まあ、どうせ球遊びだ。俺が不成績だったところで給料が下がり、最悪クビになる程度のことだ。まあ、さすがにクビにはなりたくはないが、普通にいけば、今年も10勝はできるだろうとは思っている。そして、チームにとって、10勝投手というのは、野手のスター選手と同等に貴重な存在なのである。なにしろ、ピッチャーってのは、一人でゲームをぶち壊すこともできるんだから。
 ところで、おれは実は投手より野手としての才能があるんじゃないかと自分では思っている。守るポジションはどこでもオッケーだ。長打力という点では、さすがに体重75キロのおれでは、年間にホームラン15本がせいぜいだが、常時出場すれば、打率3割以上を残す自信がある。しかし、それに近い選手はほかにもいるわけで、やはりチームにとっては10勝投手のほうがはるかに貴重なわけである。まあ、おれが9人いれば、おれは20勝以上できるんじゃないかと思っている。
 ピッチャーとしてのおれは、さすがに歴史に名を残すというほどではない。タイプでいうなら、昔の北別府タイプで、コントロールでしのいでいくタイプである。現在なら、巨人の上原もそれに近いが、おれは彼ほど体力に恵まれていないし球も軽いから、少し疲れて球が中に入ると、簡単にホームランを打たれてしまう。首脳陣にとっては、変え時が難しいピッチャーだろう。ちなみに昨年打たれたホームランは22本で、これは多いほうから4番目であった。おれより多く打たれている連中は、おれより長いイニングを投げている奴らばかりだから、被本塁打率はあるいはおれが最悪かもしれない。平均的なパターンとしては、7回ぐらいまで投げて3失点くらいして変えられることが多い。完封勝ちは残念ながら、まだ一度もない。しかし、おれは成長が遅いタイプなのか、年々体力は向上しているので、今年あたりは完投数も増えるのではないかと思っている。そして、3年連続で10勝以上すれば、現在5千万円の年俸を、一気に1億の大台に乗せることも可能である。25歳そこそこで年収1億円なら、悪くはない。といっても、おれたちのチームは巨人ほど金持ちではないから、年俸に関しては、それほど楽観はしていない。まあ、キャリアのピークに達するまで、毎年上がっていけばそれでいい。
 おれたちのチームは、浦安ドルフィンズという、草野球チームのような、あまり強くなさそうな名前である。親会社は、千葉周辺で建設会社やゴルフクラブなどを幾つか経営している大川産業であるが、実質的オーナーは埼玉、千葉の山林王、山形京介、60歳である。日本の政界にも顔の利く大物らしい。球団社長は山藤明夫53歳、チームの監督は伊勢原幸男49歳である。以下、ヘッドコーチの毒島、打撃コーチ与那嶺、投手コーチ権堂、守備走塁コーチ白石などと続く。注意しておくが、与那嶺は、あの殿堂入りの名選手、ウォーリー与那嶺ではない。現役時代はいぶし銀のプレーヤーであり、けっしてスター選手ではなかったが、打撃指導には定評がある。権堂も、大洋の権藤とは別人である。日本人の名前は似た名前が多くて面倒だ。
 ドルフィンズは、まだ創設して12年という若い球団である。優勝経験はまだなく、2位が1度あるだけだ。最下位のほうは、6回もある。
 チームのスター選手は、若い外野手の鈴木健一。プロ野球選手としては細身で、パワーはそれほどないが、打撃は天才的で、過去8年間で首位打者を3回、打点王を1回、盗塁王を4回取っている。打順は1番か3番を打っている。4番打者は大田大悟一塁手で、これは打率は2割5分程度で三振も多いが、長打力はチームで一番だ。年間30本平均のホームランを打つが、スランプになることも多い。
 そして、チームのエースは三島一樹で、この弱小チームでこれまで100勝を上げている、なかなかの名投手だが、残念なことに今年で38歳と、投手としてのピークは過ぎている。それでも、昨年も13勝を上げたのはさすがである。今でも、おれより球は速い。
 言い忘れたが、おれの名前は、三神雄、オスではなくてユウである。顔は、映画俳優で言えば木村拓也に似ているが、あれほど生意気で酷薄な顔じゃない。誠実な性格がそのまま顔に表れたハンサムだ。野球をやめたらそのまま芸能界でも通用しそうな顔だが、あいにく連中のようにひっきりなしのおしゃべりをする能力はない。まあ、おれくらいの体力があれば、土方をやってでも生きてはいけるだろう。
 今年のセリーグの開幕日は4月6日、土曜日だ。おれたちの相手は阪神で、相手は去年の優勝チームだから、俺たちはビジターとして甲子園球場に行くことになる。ついでながら、おれたちは昨年は4位で、なかなか頑張った部類である。おれが15勝、三島さんが13勝、外人選手のロジャースが11勝、ベテランの新発田さんが9勝、若手の高幡が7勝、あと、2,3勝が何人かいて、62勝である。このうち、ロジャースと高幡は昨年以上に勝ち星を稼ぐ可能性が高いが、新発田さんは昨年は出来すぎという感じで、また、高幡以外の若手も伸びていないから、今年も昨年並みか、良くいって3位というのが、おれの見立てだ。
 ロジャースは白人選手で、多彩な変化球を持つ上に、スピードも150キロは出せる。まだ27歳という若さだから、大リーグに昇格する可能性もあったのだが、日本が好きで、(というより、日本の女の子が好きで)、そのために日本に来たという奇特なお方だ。若さのためか、ピンチになると逃げのピッチングになり、ボールカウントを悪くして打ち込まれるケースが多いが、それでも11勝12敗なのだから、波に乗れば20勝する可能性もある。というのも、彼が12敗した理由は、彼が投げているときに味方の援護が無かったからなのである。それはうちの投手陣全員に言えることだが、彼の場合は特にひどく、0対1の負けゲームが3回、0対2の負けゲームが2回もある。なにしろ防御率は2.90で、これはセリーグ投手成績の第3位なのである。おれほどではないがバッティングも良くて、野手に転向してもいいくらいだ。明るい性格で、女の子にもてるという点ではチームのナンバーワンだから、彼としても日本に来たことを後悔してはいないだろう。
 他の選手も紹介しておこう。
 トップバッターは、今村亮、29歳の外野手で、俊足だが、やや非力で、通算打率は2割6分程度、年平均の本塁打は10本弱、年平均盗塁数は20個前後だ。
 2番打者は、藤村康太、24歳の若い二塁手である。高卒でプロに入り、一軍定着して2年目だ。昨年は2割3分、3本塁打だが、選球眼が良く、出塁率はまずまずで、バントもうまい。守備も安定しており、おそらく今後15年間は、ドルフィンズの二塁を彼が守るだろう。
 3番打者はスーパー選手のスズケンこと鈴木健一で、彼のことは前に述べた。
 4番打者の大田大悟も省略。
 5番はキャッチャーの相羽で、大田に次ぐ強打者であるが、それはうちのチームの中ではということで、年齢も35歳であり、あと数年で引退だろう。リードはいいが、肩はすっかり弱くなっており、盗塁阻止率は2割を切っている。
 6番打者は若手の遊撃手、水野純一、23歳。大学を出て2年目で、昨年は打率2割2分でしかなかったがホームランを15本打っていて、ホームランバッターの素質がある。
 7番はベテラン三塁手の岡、34歳で、昨年は2割3分、12本塁打。
 うちの場合は8番に投手が入り、9番を第三の外野手が打つことが多かったが、どんぐりの背比べで、定着した選手はいない。しかし、今年は新外国人選手のタイラスという大物打ちが来るという話で外野と一塁が守れるということだ。したがって、彼が4番を打って、後は打順が一つずつ下がることになるだろう。
 チーム内でおれと一番仲がいいのは、二番手捕手の今悟である。打撃はまだまだだが、肩はいいし、リードもいいので、おれとしては自分が投げるときは今に捕手を務めてほしいのだが、若造のおれから監督に差し出口はできない。年もおれと同じで、話があう。
 スズケンはスーパースターだが、気難し屋で無口な男である。黙々と練習して、黙々とプレーし、試合が終わると軽く頭を下げるだけの挨拶で帰っていく。チームの中には、彼が喋るのをまだ一度も聞いたことが無い奴もいるだろう。しかし、なにしろスーパースターで完璧なプレーヤーだから、彼に文句を言う奴は、監督やコーチを含めて一人もいない。
 他には、やはり年齢の近い藤村や水野の内野陣とは話すことも多い。話す内容? まあ、スポーツしか能のない、頭の悪いスポーツ選手の話す内容は想像にまかせる。
 
 開幕戦の先発投手、つまり栄誉ある開幕投手は、去年の勝ち頭のおれではなく、百勝投手の三島さんだった。まあ、おれとしてはべつに文句はない。三島さんなら、調子が良ければ完投するし、悪くても3点以内に抑えて2番手にマウンドを渡すだろう。つまり、安全だ。おれが監督でも三島さんを使う。
 そして、うちの4番打者は例のタイラスである。33歳とやや年をとっているが、大リーグに7年いて、80本塁打を放っているというのは、助っ人としては期待できる数字だろう。ただ、肩も足もあまり良くなくて、結局、一塁を守ることになったため、昨年までの4番打者の大田さんが控えに回ることになってしまい、戦力的にアップしたのかダウンしたのか良くわからない。
 監督の伊勢原さんは、スズケンを久しぶりにトップバッターに持ってきた。出塁率の高いスズケンを得点圏に置いて、タイラスに返してもらおうという作戦だろう。
 そのスズケンは、初回、あっさりとレフト前の流し打ちで一塁に出た。そして、次打者の初球に盗塁に成功し、藤村のバントで三塁に進んだ。ワンアウト三塁という絶好の先制チャンスである。だが、3番に相羽さんを置いたのが間違いで、相羽さんはあっさりと三振でツーアウト。タイラスは、ボールカウントがノースリーになったところで敬遠。そして、五番の水野も三振で、得点無し。相手の先発投手下柳の勝ちである。
 うちの先発、三島さんは、対照的に、初回にツーアウトを取った後、3番シーツにファーボール、4番金本にホームランを打たれて2点を失った。その後はよく抑えたが、5回に再び金本のタイムリーで2点を失い、降板。あとは2番手3番手も面白いように打ち込まれて開幕戦は10対3の完敗であった。4番タイラスは見掛け倒しで、初回のファーボールの後、3打席とも強引に打ちに行って、3三振の散々なデビューであった。
 うちの得点は、スズケンの2点タイムリーと、代打の大田の、焼け石に水の代打ソロホームランの3点である。
 結局は、監督の伊勢原さんがあまりに早く、三島さんを見限って降板させたことが敗因だな、とおれは思った。三島さんは金本以外にはそれほど打たれていなかったのだから、後を抑える可能性は高かったはずなのだ。だが、それでも4点差はひっくり返せなかったかもしれないが。
 今年もうちの貧打線は健在か、とおれは溜息をついた。

 開幕第二戦の先発がおれである。開幕戦では、自分が登板する以上に胸がどきどきしていたおれだが、第二戦に登板した時にはすっかり落ち着いていた。相手は昨年のセリーグ優勝チームとはいっても、日本シリーズでロッテに子供扱いされたチームじゃないか。確かに、金本、今岡の4番5番は強力だが、日本シリーズで見せたロッテの内角攻めをうまく使えば、抑えることも可能だろう。阪神でもっとも優れたバッターは、実は7番8番を打っている矢野捕手だろうと、おれは思っていた。ほとんど隙のないバッターで、捕手という重労働をしていなければ、毎年3割を打ってもおかしくないバッターである。だが、彼にしても長打力はそれほどはない。
 おれは球はそれほど速くはない。抜群の変化球があるわけでもないし、コントロールはいい方だが、精密機械というほどではない。そのおれでも15勝できるのは、度胸がいいからである。だいたい、ほとんどの投手は考えすぎるのである。打者が打てるコースは、肩からベルトまでの間である。内角低めと外角低目の打率は、どんなに優れたバッターでも2割5分もいかない。つまり、ど真ん中を避け、内角低めと外角低目に投げていれば、それほど打たれるものではない。脅しのために、時々内角高めにボール気味のブラッシングボールを投げていれば、その外角低めもいっそう効果的になる。おれはコントロールはそれほど良くないが、フォアボールは滅多に出さない。出すとすれば、ピンチで強打者を迎えての敬遠フォアボールと、次がピッチャーの場合に、たまに8番打者を敬遠する時くらいのものである。つまり、意図したフォアボールだけである。フォアボールを出すくらいなら、真ん中に投げてホームランを打たれたほうがましだとおれは考えている。だいたい、フォアボールを出して喜ぶ人間はいないが、ホームランなら、少なくとも(敵側のファンだが)お客さんは喜ぶ。ヒットやホームランを打たれるのは、その打席では相手打者が勝ったというだけのことだ。今度は次の打席でこちらが勝てばいいのであり、最終的には、チームがその試合を勝てばいい。防御率が2点台だろうが、5点台だろうが、勝ちは勝ちである。相手がおれからヒットを10本打とうが20本打とうが、試合がこちらの勝ちなら、おれの勝ちということだ。
 というわけで、第二戦、おれは先発のマウンドに上っていた。初回、昨日と同じくスズケンがセンター前のクリーンヒットで出塁し、盗塁に成功、藤村のバントで三進した後、今日は3番に入ったタイラスがでっかい犠飛を上げて、今日は一点を先制した。相手投手は現在セリーグナンバーワンかとも言われる井川だから、この1点は貴重だ。
 さて、おれは阪神の先頭打者赤星を迎えて考えた。ヒットを打つ能力ではスズケンとは2ランクくらい落ちるが、塁に出せばスズケンよりも足は速い。2年連続のセリーグ盗塁王である。だが、おれとは相性が悪いのか、去年は13打数で2安打しか打たれていない。
 おれは内野を前に出して、浅く守らせた。深く守っていると、内野安打が怖い。
 結果は、3球目をシュートに詰まって、3塁ゴロである。2番平塚はライトフライでツーアウト。3番シーツにはヒットを打たれたが、4番金本をショートゴロに打ち取って、初回を0点で切り抜けた。
 この試合のクライマックスは早くも2回に来た。5番打者の水野、6番の今村が連続ヒットで出塁した後、7番の岡は三振でワンアウトになったが、続く8番の外野手、鳥羽に井川がフォアボールを与えてしまったのだ。おれのバッティングの良さは、前に話した通りである。おれは井川の初球をレフト前にクリーンヒットした。おれは左打ちだから、流し打ちである。うちの打線でこれのできるのは、スズケンとおれくらいのものだ。そのスズケンが、動揺した井川の2球目をライトスタンドに叩き込んで、スリーランホームラン。この回5点を上げて、試合の大勢は決した。その後、7回までにおれは3点を失ったが、8回、9回まで投げて、10安打を打たれながらも、完投で今シーズン初勝利を上げた。

 ピッチングの面白いところは、どんな大投手でも毎試合完全試合ができるわけではないというところだ。それどころか、1試合に必ず5,6本のヒットを打たれ、1,2点の失点があるのが普通である。つまり、打者だって無能ではないから、相手から必死でヒットを打とうとする。そのせめぎあいが野球の面白さなのである。
 だから、問題は、ヒットを打たれないことではない。ヒットは打たれて当たり前。それを同じイニングに集中されたり、いざというときに長打を打たれたりするのが本当の負けなのである。で、長打を打たれないためには低めに球を集めること、ってのは常識だが、低めばかりでも相手が最初からそれが分かっていればヒットしやすくなるから、時には胸元をついて相手の体を起こすことも必要、と、このあたりも常識。しかし、ゲームでそれがきちんとできないのが投手のつらいところだ。正直言って、プロのバッターなら、投手の球速が160キロあろうが、2、3回も対戦すれば打ち込めるものである。だから、世間の人間が夢の160キロなどと大騒ぎするのはあまり意味がない。横浜のクルーンにせよ、かつての伊良部にせよ、それほど相手を抑えているわけではないのだ。ちなみに、好成績を残した投手の中で、速球投手とコントロール投手とどちらが多いかを調べてみるといい。圧倒的に後者が多いのである。速球投手で成績のいいのは、そいつがコントロールもいい場合だけだ。しかも、速球が無くてもコントロールだけで好成績を残した投手は無数にいるのである。だから、漫画の「大きく振りかぶって」で、コントロールピッチャーを主人公にしたのは、実にいい着眼点であったわけだ。
 ところで、1試合のヒット数が5、6本という場合、一人で2安打する選手は一人いるかいないかということになる。普通、1試合に1安打だけでは2割5分の打率しか残せず、野手は皆減俸ということになるわけだが、実際には現代野球では、平均して2割7、8分程度の数字は残す。つまり、1試合の平均安打は10本くらいあると見てよい。それに四死球と長打がからむと、1試合に4点くらいは取られて当たり前、ということになる。いや、防御率3点台なら、優秀な投手と言えるだろう。毎試合の被安打が2、3本などという投手は、選手のレベル差が大きい高校野球までの話である。それも、高校時代の江川くらい、周囲とのレベル差があってのことだ。
 だから、大リーグの大投手の絶好調時でも、防御率は2点台であり、つまりは1試合に2点平均で取られていて、完全に抑えた試合なんてのは数えるほどしかないのである。2点で抑えたら、普通こちらは3点以上取っているはずだから、勝ち、というわけだ。
 しかし、話が長くなったが、おれたちのチーム、浦安ドルフィンズは、貧打のチームで、チーム打率2割3分、平均得点は3点にも満たない。これで勝つのは、相当に難しいことだ。したがって、おれの15勝は巨人や阪神の投手の20勝に相当すると考えてよい。だが、おれの年俸を査定する連中はそうは考えてくれないのだが。昨年、おれが15勝もできたのは、運の良さも大分あった。おれが投げる時に、味方打線がなぜか点を取ってくれることが多かったのだ。おれの防御率は4.32だのに、15勝もしているのは奇跡に近い。もっとも、これは、おれの救援をしてくれるリリーフ投手陣のおかげでもある。うちの救援投手陣は、おそらくセリーグナンバーワンだろう。中継ぎとリリーフを合わせた防御率は、おそらく1点台ではないだろうか。つまり、5、6回までをリードしていれば、その試合はほぼ勝てるということだ。特に、中心のストッパー、銀河は、一種の天才で、スタミナはないが、1イニングだけならほぼ完璧に抑える。しかし、奴の才能が分かったのは2年前からで、それまでの3年間は、先発投手として失敗を繰り返し、あやうく放出されるところだったのである。それを、投手コーチの英断でリリーフに転向させたのが大成功で、そのお陰でうちはおととしは5位、昨年は4位と上昇してきたわけである。
 中継ぎ投手は、宮原、牧、八十川の三人で、この三人ともスタミナは無いが、2回から3回を投げるだけなら、安心して任せられる。このうち宮原は速球派で、牧と八十川は技巧派だ。この中で、宮原と牧はあるいは先発で5回くらいは投げることも可能かもしれない。
 しかし、何と言っても、我がチームの欠点は得点力である。その欠点を解消する秘策がおれにはある。もちろん、おれが野手と投手を兼任することだが、そういう重労働をしてもどうせ給料にはねかえるわけではないだろうから、おれは自分からその案を口に出したことはない。ついでに言うと、二軍にいる投手の中で、梶田というのがなかなかのバッターで、投手としての才能よりそっちの才能のほうが上だとおれは思うのだが、なにしろ甲子園の優勝投手の栄光を持った男なので、本人も野手に転向する気はなさそうだ。入団して4年目で、まだ一軍定着できないのだから、いい加減投手稼業に見切りをつければいいのに、とおれは思うのだが。
 開幕戦は2連戦で、月曜日が移動日となっていた。おれたちは今度は名古屋球場で中日と3連戦である。その3連戦におれは登板する予定はなかったから、東京に残って、昼間に軽い調整をした後はベンチ入りもしないでよかった。投手をやっていて良かったと思うのはこんな時だ。もちろん、おれは野球は好きだ。だが、野球だけで一年が終わるというのは、若いおれとしてはやはり不満が残るのである。
 昼間の練習は二軍との合同練習であった。おれたちは軽いピッチング練習をした後は上がりだったが、その後、二軍同士の試合があったので、おれは何となく残ってそれを見ていた。おれは、自分でやるよりも、もしかしたら野球を見るほうが好きかもしれない。たとえそれが二軍の試合だろうが、見るスポーツとしての野球はいつまでたっても、おれの心をときめかせるものがある。
 相手チームは湘南シーフレックス、つまり横浜ベイスターズの二軍だ。我がドルフィンズの先発は、例の梶田であった。
 梶田は、一回二回は無難に抑えたが、それでも一回に1本、二回に2本のヒットを打たれていた。それはいい。前に言ったように、ヒットを打たれようが、点を取られようが、野球は勝てばいいのだ。しかし、一軍入りを目指す投手は、投球内容も厳しく見られる。だから、一軍に上がるまでと、一軍である程度の実績を残すまでが、プロ野球選手の正念場なのである。
 三回の表、梶田は先頭打者にファーボールを与えた。「まずいな」と俺は思った。ノーアウトでの四死球のランナーが点に結びつく確率の高さは、野球ファンなら誰でも知っていることだ。それでいて、ノーアウトでファーボールを出す投手は後を絶たない。自分の球に自信がある投手ほど、そういう粗忽なピッチングをしやすい。しかし、本当のエースなら、そんなピッチングはしないものだ。梶田の場合、甲子園で全国制覇したとはいっても、初出場の無名高校が、対戦相手にも恵まれ、波に乗って優勝したものである。田舎高校のエースであるから、名門野球高校のエースのようには頭が鍛えられていないのである。
 案の定、次の右打者は初球のストレートを待ち構えたようにレフトへ引っ張り、クリーンヒットした。ノーアウト一二塁、しかも次打者は相手チームの三番打者だ。三番打者は、四番打者ほどの長打力は無くても、確実性では上の選手が多い。それは、三番打者は、チャンスメーカー的役割になる必要があることも多いからだ。逆に、四番打者がチャンスメーカーにならねばならないようなら、その試合は負け試合だろう。シーフレックスの三番打者は、スズケンに似た感じの左打者で、初回にもヒットを打っていた。
「バントもあるかな?」とおれはちょっと考えたが、初球、外角にボールが外れた後、二球目の外角高めの球を、彼はレフトに流し打った。ボールは見事に三塁手の頭を越え、レフト線を破った。長打コースだ。レフトが拾って三塁にボールを返した時には、打者走者は二塁を落としいれ、ランナーは二人ともホームインしていた。
 それで止めていればまだ良かったが、続く四番打者にまたファーボールで、五番打者には再びタイムリーヒットを打たれ、梶田はそこで降板となった。
 おれは自軍のベンチに行って、二軍監督の大沢に会った。大沢は四十半ばの人当たりの柔らかい紳士で、現役時代は名遊撃手であった。見かけに似合わない熱血漢で、おれも二軍時代には彼にしごかれたものである。
「大沢さん、お久しぶりです」
「おお、一軍のエースじゃないか」
 大沢の冗談には取り合わず、おれはブルペンを指差した。
「大沢さん、いつまであいつにピッチャーをやらしとくんです?」
「うーん、俺もそう思うんだけどなあ。なにせ、あいつは球団社長のお声掛りで取った選手だから、ピッチャーをやめさせにくくてなあ」
「大沢さんも、うちの一軍の貧打線は知っているでしょう? 打者としての梶田の才能を知っていながら、無駄に二軍にいさせるのは、チームにとってもったいないですよ。野手としての守備に不安があっても、せめて代打としてでも、今のうちにはいいバッターが一人でも多く欲しいんですよ」
 大沢は考えこんだ。
「確かに、あいつの投手としての才能はあまりない、と俺も思う。しかし、甲子園の優勝投手だからなあ」
「大沢さんも、あいつのバッティングセンスは知っているでしょう? あいつなら、軽く三割を打てるバッターになりますよ。あの体なら、ホームランバッターにだってなれる」
「……足も速いから、コンバートするなら外野手だろうな」
 大沢の言葉で、おれは彼が梶田の野手コンバートに乗り気になっていることが分かった。
「おれは、投手のライバルがいなくなればいいなんて、ケチなことは考えていません。チームが強くなって人気球団になれば、こちらの給料だって上がりますからね。いくら一人で勝っても、チーム成績が毎年Bクラスのチームなんて、誰が見に来ますか。おれは、うちのチームが強くなって欲しいんですよ」
「そうだな。一軍にいい選手を供給できないのは、俺たち二軍首脳の責任だ。お前の意見は有り難く聞いておくよ。梶田になるかどうかはわからんが、今年中に上に二、三人上げられるように努力しよう」
「生意気なことを言ってすみません」
「いや、いい事を言ってくれた。俺たちは、つい目の前の試合に気を取られて、二軍の役割を忘れがちになるんだ。時々、また二軍を見に来て、意見を聞かせてくれ」
「ええ、どうも有難うございます」
おれは大沢に頭を下げてそこを離れた。

四月が終わって、うちのチーム成績は9勝13敗と大きく負け越していた。先発投手陣では、三島さんが2勝2敗、俺が3勝0敗、ロジャースが3勝1敗という成績で、あと1勝は、先発投手が打たれた後、中継ぎが踏ん張っているうちに珍しく打線が点を取って、宮原に勝ち星がついたものだった。先発陣の中ではベテランの新発田さんが0勝3敗、若手の高幡も0勝3敗と散々である。今年から先発に回った牧もまだ0勝2敗と、結果を出せずにいた。チーム打率も相変わらず2割4分台で、まともな成績を残しているのは、スズケンの3割4分・3本塁打と、タイラスの2割7分・5本塁打くらいのものである。タイラスは結局、大田大悟の打力を無駄にするわけにはいかないということで、レフトに回ることになったが、かなりの弱肩で、守備範囲も狭く、投手陣に負担をかけることになった。その大田一塁手もここまで2割4分・2本塁打では、タイラスを外野に回したメリットもそれほど無かったと言っていい。一塁守備だけで言えば、タイラスのほうがずっといいのだが、大田は一塁以外は守れないのである。そんな中でおれが3勝無敗というのは奇跡のようなものだが、まあ、これはおれの野球センスの良さと運の良さのおかげである。おれの防御率は3点台なのだが、おれが投げる時にはどういうわけか、チームが4点5点取ってくれるのだ。特にスズケンは相変わらず頼りになり、ここまでセリーグ最多の17打点を上げていた。もちろん、おれが自分で打って点を取ったこともある。あるどころか、実は登板した4試合のうち3試合で打点を上げているのである。16打数5安打4打点で、二塁打1本、犠飛1犠打2という成績は、スズケンに次ぐ打撃成績と言っていいだろう。三振も4つあるが、まあ、これは愛嬌だ。だいいち、競った試合の時に、下手にヒットを打ってランナーになると、呼吸が乱れるし、疲れもして、ピッチングに悪影響が出るのである。プロのピッチャーは、そういうわけで、打撃を真面目にやらなくなるわけだ。打った分も給料に加算してくれるならともかく、ピッチャーの給料はピッチングのみで計算されるのが普通だからだ。もともと、プロになろうという投手は、アマチュア時代にはクリーンアップを打っていた、打撃センスもある選手が多いのだが、その生涯打撃成績を見ると、2割もいかないというのはここに原因がある。打撃というのもなかなか大変なもので、あのイチローですら、3試合連続無安打ということもある。ちょっと考えてみたら分かることだが、ボールが投手の手を離れてから捕手のミットに納まるまで、1秒もない。その間にそのボールがストレートかカーブかスライダーか、それともシュートかフォークかを見極めてバットを振り出し、しかもわずか10センチそこそこのボールの中心2.3センチの部分にバットをジャストミートさせなければいけないのである。さらに、当てるだけでなく、それを飛ばすためには、バットを凄い勢いで叩きつけねばならない。時速150キロの、目にも留まらぬ速さのボールに、時速100キロで振り出すバットが、わずか2センチの範囲で当ること自体が奇跡のようなものだが、プロのバッターはそれをやっているわけである。だから、プロの投手を相手に1本でもヒットを打てた人間は、それだけで生涯自慢できると言ってよい。そのヒットを1000本、2000本と積み上げた選手は、やはり大変な仕事をしたと言えるのだ。
そういう、時速150キロを打ちこなすプロのバッターを相手に、時速140キロそこそこのおれが投げ勝つことができるというのも野球の面白いところだ。前に書いたかもしれないが、プロの打者は、球がただ速いだけなら、いつかは打つものである。今はピッチングマシンというものがあるから、そのスピードを160キロ170キロに上げて練習すればいいだけだ。しかし、投手は自分だけの力で球速を160キロにしようとどんなに頑張っても、肉体的才能の限界がある。もちろん、150キロを越す速球をヒットにできる選手はそう多くは無いから、快速球を投げられる投手は、それだけでも有利であることは確かなのだが、実は一軍と二軍を往復するような投手の中には、そんな選手は結構いるのである。というのは、プロのスカウトは、優先的に速球投手を取ろうとするからだ。速球投手として駄目でも、後で技巧派に転向できるが、その逆は不可能だと考えるからだろう。ところが、その考え方は安易である。技巧派投手というものは、長い訓練の結果作り上げられるものであり、プロに入った後で転向しようとしても、そう簡単に転向できるものではない。ノーラン・ライアンやロジャー・クレメンスなど、40歳を越えた現役の最後まで速球投手で押し通したのだ。速球投手と技巧派投手は、肉料理と魚料理のようなものと考えたほうがいい。打者の中には肉料理の好きな奴もいるし、魚料理の好きな奴もいる。(まあ、すべて好きという食欲魔人もたまにはいるが)だから、おれのようなへろへろ球の投手が立派に豪傑たちの間で生きていけるのである。ついでにいうと、あの伝説のホームラン王、王貞治が苦手にしたのは、ヤクルトの安田というへろへろ球の投手だった。
 五月に、二軍から二人の選手が上がってきた。その一人が梶田で、もう一人は水島という大卒一年目のピッチャーだった。梶田は身長が185センチの堂々たる体格だが、水島は175センチくらいで痩せ型の、一見頼りなげなハンサムボーイである。ところが、この男が見かけによらない異能の持ち主であることが後で分かることになる。しかし、この時点でおれが驚いたのは、梶田がキャッチャーとして登録されていたことだった。後で聞いたところでは、梶田は高校入学時にはキャッチャーだったが、投手に人材がいなかったために投手に転向し、投手で好成績を収めたためにそのまま投手を続けていたらしい。中学野球では、ずっとキャッチャーだったということだ。しかし、外野も多少はできるということで、うちのチームの野手の層がこれで厚くなるのは確かである。
 キャッチャーというのは、レギュラーになるまでは大変だが、いったんレギュラーになると、安定的に使ってもらえるポジションだ。つまり、投手の側から言えば、相手の癖が一定していさえすればそれに合わせてピッチングをすることはできるが、毎回違うキャッチャーを相手に投げるのは大変だから、同じキャッチャーがずっと正捕手でいてくれたほうが有り難いのである。だから、キャッチャーに関しては、あんまり肩が弱すぎさえしなければ、二割そこそこの打率でも正捕手としてずっと使って貰える例が多い。その点、これまでピッチャーをしていた梶田なら、肩の強さは保障つきだろう。もちろん、体全体を使って投げる投手の投げ方と、上半身だけで投げる捕手の投げ方は相当に違うから、彼が捕手としてのスローイングで盗塁を刺せるかどうかはまだ何とも言えない。しかし、あの大きな体だけでも、本塁をがっちり守り、ボールを受け止めることはできるだろう。
 実際、ブルペンで投げた感触は抜群だった。実に投げやすいのである。キャッチングもうまい。現在の正捕手の相羽さんよりも投げやすいとおれは感じた。問題は、リードの能力だが、こちらはあまり期待できないかもしれない。だが、ピッチングなんて、野村や江夏などの頭脳派選手が言うほど面倒なものではないとおれは思っている。要するに、外角低めを基本として、打者がそこを狙っていると感じたときは内角高めにブラッシング気味のボールを投げて、外角低めを打てなくさせればいいだけだ。ボールが思う所にいかなかったり、相手が上手く打ったら、あきらめるだけのことだ。そして、次の打者を打ち取ることに専念すればいい。おれがキャッチャーに望むのは、とにかくボールをちゃんとキャッチすることと、ランナーに盗塁を許さないことの二点だけだ。それに、ランナーに盗塁を許すのは、半分以上は投手の責任であると言われている。半分とは思わないが、まあ、三分の一くらいは投手の責任だろう。牽制をほとんどしないでランナーに大きなリードを許したり、一塁に投げるのかホームに投げるのかが、最初からわかってしまうような投手では、キャッチャーがいくら強肩でも盗塁を刺すのは難しい。だから、どんな名捕手でも、盗塁阻止率は好調時で5割から6割しかないのである。おれの考えでは、盗塁阻止率が3割以上あれば、一応は合格だ。つまり、3回に1回は失敗するぞ、と相手チームが思えば、やたらに走ってはこないだろう、ということだ。3回に2回成功するなら、走らせたほうが得だと普通なら思うだろうが、盗塁死は、最初からランナーが無いよりも、チームの勢いを悪くするものなのだ。せっかくのランナーを殺してしまったという失望感は、悪い方に大きい影響を与えるのである。したがって、盗塁企画数は、盗塁成功率の割りには、かなり少ないのが常なのである。盗塁阻止率が2割程度のキャッチャーでも、立派にプロの正捕手としてやっていけるのはそういうわけだ。だが、もちろん、2割よりは3割、3割よりは4割の盗塁阻止率を持ったキャッチャーのほうが投手にとっては有り難いのは言うまでもない。梶田の肩なら、4割どころか、5割以上の盗塁阻止率も可能だろう、とおれは思った。
 梶田にとって幸運なことに、相羽さんは開幕以来打撃不振で、打率は一割にも満たなかった。だから、梶田は一軍に上がってすぐに広島戦でスタメン(スターティングメンバー)で使って貰った。打順は8番である。そして、その時先発したのがおれである。
 今年の広島はあまり調子が良くなかった。4月終了時点で8勝14敗2引き分けの6位である。うちよりも下で、その下が横浜の7勝15敗だ。(ちなみに、1位は巨人で、18勝6敗の高勝率で、2位の中日に4ゲーム差、3位の阪神に4・5ゲーム差をつけている。)何しろ、金本という名選手を阪神に放出してしまったもので、打力が弱い。嶋や新井といった若手はまだ力不足だし、前田もかつてほどの力は無い。とはいえ、おれのような非力な投手は、どこのチームでも安心して投げることはできないのだが。
 緒方、東出という1、2番の出塁率は悪くないし、クリーンアップも打率は悪くない。しかし、勝負弱いのである。バッティングオーダーを見れば、2位の中日よりもいいメンバーに思えるのだが、2位と5位の差は、勝負弱さにあるのだろう。というより、先発投手の駒が足りないと言うべきかもしれない。黒田、大竹はまずまずだが、後は名前も知らないような若手が先発で出てくるようでは、勝率が低いのも当然だろう。かつての投手王国も、過去の夢である。
今日の先発はダグラスという新入団の外国人投手だが、ここまで2勝3敗、防御率3・25とまずまずの成績を残している。彼から3点しか取れないとなれば、おれは2点以内に抑えなければならないのだが、おれのボールでは打順のどこからでもホームランが出そうだから、2点というのは厳しい条件である。
 今日の試合は広島がホームチームだから、おれたちは先攻だ。初回、トップバッターの今村亮は初球を簡単に打ってライトライナー。当りは悪くなかったが、ライト正面で、簡単にワンアウトである。このあたりの淡白さが、今村の欠点だ。トップバッターには、相手投手の癖や調子を自分のチームが研究する間、粘る役目もあるのだが、彼はこうして初球から手を出す癖がある。しかも、その打球が野手の正面をつくことが多いため、今年の彼は2割3分しか打っていない。2番の藤村康太もショートゴロでツーアウト。こうなると三番のスズケンは長打を狙ってくるため、打率は低くなる。彼が本当にヒットだけを狙えば、平均打率があと1分は高くなるだろうが、クリーンアップとしては長打も要求されるのである。スズケンの当りはライトへ飛んだが、ライトが少しバックして簡単にキャッチした。あまり幸先の良くないスタートだ。






忍者ブログ [PR]