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ゲーム・スポーツなどについての感想と妄想の作文集です
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某スレにゆりちゃんのこのコマを載せてあったが、これをピックアップしたのはなかなかの鑑賞眼だ。私も最初に読んだ時に、この口元は初めて見たな、と思ったが、そのまま読み過ごした。拡大して見ると、実にいい表情をしているのが分かる。別コメに、このコマでの目の描き方がいいという言葉もあったが。確かに、目もいい。かなり気を入れて描いたコマだと思う。
だが、この「笑顔」に気づかず、「バカ」という言葉にしか反応しないもこっちもなかなかの鈍感ヒーローぶりである。(異性と言うか、自分を好きな人間の好意に対して鈍感であるのは、ラノベやアニメの主人公にほとんど共通する特性であるのは常識。)

ちなみに、もこっちをヒーローと言ったのは「あえて」である。女性群の好意と好奇心を集めるもこっちはヒロインではなくヒーロー的立場であるのだから。ただ、それを「百合」と言ったらそれも少し違うと思う。性的なニュアンスはほとんどゼロだからだ。二次創作でわたモテを明白にレズとしてセックスシーンを描く漫画があるが、それは根本的に間違いだろう。もこっちは「変な奴」だったのが、「面白い」「興味深いキャラ」「案外、根がハイレベルな人間」「小動物的で可愛い」「でも、どこか危ないところがあるから、守ってあげたい」などの要素が絡み合って周囲の人々を「蠱惑」しているのである。それは性的なものとは違う。



592: 風吹けば名無し 2018/10/18(木) 11:53:32.23 ID:+bdps5z00
かわヨ
no title

625: 風吹けば名無し 2018/10/18(木) 11:54:23.86 ID:ccdAuRKta
>>592
今まで見たことないほど緩んだ口元



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たった1頁内の心理ドラマが凄い。何の発言もしていない真子の心理が表情だけで分かるし、ゆりの大決心が、すうと息を吸い込む1コマではっきり分かる。しかも、それが滑ったという、なかなか残酷なシーンである。これがあるからわたモテは純文学なのである。
絵として面白いのはエロゲをやっている時のネモの顔で、誰かのコメントにもあったが、ネモは実に表情が多彩で面白い。ただし、それを顔芸と呼ぶことには私は反対である。ネモは、自分をコントロールできなかった時に、表情が大きく変化し、しかもそれが読者が見ていて楽しい表情だ。表情が一番面白い点では吉田さんとネモが双璧である。吉田さんはもこっちに変な部分を触られて怒った時の顔が面白い。彼女らの表情は意図的に作る表情ではないから「顔芸」ではない。もちろん、表情筋10グラムのゆりちゃんの微妙な表情も貴重である。下のページの最後のコマはゆりちゃんが見せた最大の表情変化ではないか。一時的に表情筋が200%の性能を発揮したか。





no title
こみ何とかさんの「智樹くんのお兄さんになりたい」発言は、私も「?」だったのだが、さすがに下のコメントのような解釈はしなかった。まあ、その前、智樹が帰宅した時に、「今、同じ家に(属して)いる。つまり、『家族?』」と考えて性的興奮をする場面があったから、こみさんは、智樹の側にいるだけでも「それだけで嬉しくて、それだけで幸せなんだ」と完全に満足できるという、非常にストイックかつプラトニックかつセクシュアルな恋愛感覚の持ち主であるわけだ。
プラトニックなだけ、セクシュアルなだけ、という恋愛は多いが、この両者が両立している例はほとんど無いのではないか。
もっとも、下のような解釈も完全に存在不可能というわけでもない。
大島弓子の「すべて緑になる日まで」だったと思うが、ホモという存在を「生産性が無い」と杉田水脈みたいな理由で嫌っているノーマルな女主人公の親友で(時代的には腐女子という言葉もまだ存在しない頃だったが)BL好きな女の子の夢が、「性転換して男になって男を愛したい」というものであったwww

女として男に愛される(「抱かれる」という受動性が根本にあるわけだ。)より、男になって男を愛する経験をしてみたい、という願望が、いわゆるBL本を好む女性の中にはあるのかもしれない。


  • 122. 浜風吹けば名無し
  • 2018年10月07日 11:39
  • ID:6iO5zMVg0
  • 海外翻訳の感想みたら「兄になりたい」発言は「男になって智樹のケツを掘りたいのか」と受け止められてたな。あれほんま草やった



読んでいて、「ああ、伊藤さんの下の名は光か。伊藤だから、当然だな」と思ったが、伊藤光はオリックス(現DeNA)で、ロッテではないぞ。まあ、もともと伊藤さんは別クラスだったし、(今もそうか? と思って調べると、3年で初めて同クラスになっている。しかし、同じクラスにいる印象はあまり無い。)パリーグならOKか。








「場末の。」さんのブログが更新されていたので、印象に残った部分を転載。
わたモテを読んだ時点で、何か言葉にしにくい印象を受けた場面であるが、「場末の。」さんはそれを上手く言語化している。

この場面でのもこっちは、「きーちゃんちょっと元気なかったから」ときーちゃんを駄菓子屋に連れてきた理由を言うのだが、これはまぎれもなく事実であり、大げさに言えばもこっちが「聖人化」しつつあることを示す重要なシーンではないだろうか。
もこっちはもともと偽悪的な人間であり、現実世界ではコミュ障の小心者なのだが、それを心の中では裏返して、「心の中だけの強者」として生きてきたわけである。
ところが、高校生活中盤から、様々な人間との出会いを通して実は大きな「精神的変革」を遂げているのだが、ギャグ漫画的な部分によってその変革は注意深く目立たなくされている。この漫画は御説教的な「人間革命」の話ではないし、ギャグ性を失ったらこの漫画のアイデンティティも失われるだろうと作者たちは賢明にも分かっているからだ。
しかし、もこっちは明らかに精神的に物凄く成長しているし、それは通常の高校生には望めないほどの急激な成長だ。それは、吉田さんや小宮山なども含めた周囲の良い影響の結果だろう。
一番の「理想像」は生徒会長だろうし、ガチレズなどと言葉の上では見下してすらいた真子の存在も大きいし、自分以上にコミュ障なゆりの存在も、「人のふり見て我がふり直せ」の好例になっている。そして、吉田さんやこみなんとかさんの振る舞いやそれへの批判などもいい学習材料になっているわけだ。もちろん、成長の「ライバル」としてのネモもいる。
つまり、もこっちは、ありえないほどの周囲に恵まれて、その影響下に人間的成長を遂げているのだが、先に書いたように、ギャグに騙されて、読者はそれをあまり意識しないようになっている。だからこそ素晴らしい読後感がいつも残るのである。
最初に戻れば、元気の無い従妹を元気づけようとして駄菓子屋に連れてきて、「200円…いや、300円」という「大人」なおごりをし、きーちゃんの質問に対して、よく考えて真摯な答えをする、これのできる若者(大人も含め)がどれだけいるだろうか。
要するに、この時点で、もこっちは「人間力」においてすでに偏差値60くらいまで来ているのである。ただ、もこっちの内面の「毒舌」のために、読者はそれに気づかない。それはわたモテをギャグ漫画として純粋に楽しんでいる読者にとって幸福なことかもしれない。


(以下引用)



かつては一位に降臨したクイーンの文字がない勝敗ランキング。「もうカードゲームやってないの」と問うきーちゃんに「もう大人だしね…」と返すもこっち。
それに落胆を隠せないようで、「カードゲームやってたお姉ちゃん格好良かったのに」とぽつりと零します。(あれを格好良いと本当には思ってないでしょうが…。)



 



 



f:id:ciel_machine:20181001162202j:plain
「あの時カードゲームやってた奴らカードも学校も卒業したしね……」と一応当時の子供たちの現状も把握している様子のもこっち。さすがクイーン
それに対し、「新しい友達できたもんね」という事を話に持ち出すきーちゃん。やはり、自分以外にもこっちの魅力に気づいた存在が出てきたことを引きずっているようです。



……そんなきーちゃんの何処か強い言葉に対し、汗を流しながら自分なりに言葉を紡いでいくもこっち。
子供向けゲームの「アイカツ」を知らないであろうきーちゃんにも分かるように言葉を噛み砕いて説明しているのですが、それもなんだか成長を感じます。
……そしてその内容というのは、アイカツで一緒に遊んでいた中学生と小学生のペアを見つけたものの、小学生の方がある日ゲームを卒業したにも関わらず、中学生がずっとアイカツを続けている姿が「無性に悲しかった」と感じたからだったのです。
(一連のシーンでもこっちの服装が変わっているので、季節が一年過ぎ去ってもずっと中学生だけがそれを続けているのが分かります)



 



……ゲーセンやカードショップ等に通っている方ならひょっとして共感できるのではないでしょうか(私はそうです)。何処か切ないエピソードですね。
そして「駄菓子屋に来ると似たような感じがしてしばらく来なかった」とつぶやくもこっち。
あのランキング表を見れば分かる通り、殆どのメンバーが卒業しているのでやむを得ないことでしょう。(ひょっとしたら残り続けている「せいや」は同じ気持ちを味わっているのかも…)
ではなぜここに連れてきたのか問いかけるきーちゃんですが、「きーちゃんとならそんな寂しくないし」「きーちゃんちょっと元気なかったからお菓子とか食べたら元気出るかなって…」と、きーちゃんを慮る言葉をかけます。



f:id:ciel_machine:20181001162200j:plain
にも関わらず全く喜ばないきーちゃん。
この後のシーンで「お姉ちゃんに嫌がられても」と言っていることから、この言葉にうわべのようなものを感じているのでしょうね……。
しかし、きーちゃんが元気が無かった(友達が居るのを見て様子をおかしくしていた)のは確かですし、サイコ化を食い止める目的以外にも本当にそういう気持ちがあったのではないかと私は思います。




わたモテスレに時々出てくる二次創作の描き手だが、この人の絵の上手さと原作の特徴の掴み方は神技である。いつでも代原稿が務まるのではないか。名前を書かなければ本物と思う人もたくさんいるだろう。
ところで、このページの最後の二コマの意味が分からないのだが、加藤さんの後ろから自転車が来て危ないから手を引いたのだと思うが、その前の「糸みてーのついてるぞ」はどういう意味があるのだろうか。




no title
「漫棚通信」から転載。
ブロンディは、あの絵が大好きで、いつの間にか日本では見かけなくなったのが残念である。今でも米国では連載されているというから、恐ろしく長寿漫画である。

(以下引用)



October 30, 2007

ブロンディの成功と失敗


 岩本茂樹『憧れのブロンディ 戦後日本のアメリカニゼーション』 (2007年新曜社、5000円+税、amazonbk1)、読みました。



 以前にこの本のことをちらっと書いたとき、boxmanさんより詳しいコメントをいただいてからずっと気になってました。お値段が少々お高いので、近くの図書館に購入リクエストを出して買ってもらうというウラワザを使ってしまいました。


 『ブロンディ』は、チック・ヤングが創造したコミック・ストリップのキャラクター。なまけ者の会社員・ダグウッド、美人の妻・ブロンディ、男女の子ども、この一家の日常が描かれます。1930年から描き始められ、1973年にチック・ヤングが亡くなったあとも、息子ディーン・ヤングと協力者の手で描き続けられています。オフィシャルサイトによりますと、現在も55か国、2300紙の新聞で連載されているとのこと。


 かつてアメリカでの人気がどうだったかというと、「コールトン・ウォーは、一九四七年、アメリカン・コミックの中での人気ナンバーワンはキング・フィーチャーズ配給の『ブロンディ』と言い切」っていたほどだそうです。これは1947年という同時代の証言。


 そしてブロンディは、日本人にとってこそ特別な存在でした。『ブロンディ』が他の海外マンガと比べて、どこが大きく違うかと言いますと、戦後1949年から2年間、朝日新聞に連載された点です。


 毎日の新聞で読むアメリカの生活は、日本人の生活とどれほど違っていたか。


 日本人にとって驚きだったのは、まずダグウッドのつくる巨大なサンドイッチです。アメリカ人というのはあんなものを食っておったのか! ただしこれはアメリカ人にとってもギャグだったはずですけどね。


 また家庭電化製品のかずかず。ブロンディの家庭にあるトースター、そこからトーストが飛び出てくるのを見たとき、ギャグなのかホントなのかわからなかった、と書いてた作家は誰でしたっけ。電気掃除機、電気冷蔵庫、電気洗濯機。日本では「家庭の主婦ほどみじめな存在はない」と言われていた時代のことです。電化製品の存在しない時代の主婦は、一日じゅう労働に追われていました。


 そして夫ダグウッドをたてながらもうまく操縦する妻ブロンディ。このふたりの関係に、日本人は民主的なイメージを見ていました。


 戦後の日本人にとって、アメリカの中流家庭生活をかいま見ることができたのは、この作品だけだったのかも。この時期、まだテレビ放送は始まっていないし、雑誌記事ではよくわかんない。映画でいつもホームドラマをやってるわけでもなかったでしょうから。


 『憧れのブロンディ』は、戦後日本でアメリカ的なものはいかに受容されていったか、をブロンディを例に論じた社会学の本です。本書で論考されているのは多岐にわたっていますが、興味深かったのは「なぜ」ブロンディが朝日新聞に掲載されたか、という点。


 結論だけ言いますと、本書によればブロンディの朝日新聞への掲載は、GHQの言論統制の方針変更、レッドパージ開始に対する保身、恭順のシンボルであったのではないかと。なるほど、おもしろいなあ。


 朝日新聞での『ブロンディ』連載終了が1951年4月15日。この日はマッカーサーが解任され日本を離れた日でもありました。そして翌日から朝日新聞朝刊には、『ブロンディ』にかわって長谷川町子『サザエさん』が掲載されることになるのです。


 本書で大きな部分を占めているのが、家庭電化製品への憧れ。敗戦→アメリカのどこに負けたのか→アメリカの科学に負けた→日本の進む道は科学立国にあり→ブロンディにも科学=電化製品があふれているではないか。また女性側から見ると、日本の民主化には婦人の地位向上が必要→家庭生活の合理化→家庭電化製品の普及を。


 アメリカ、民主主義、科学、家庭電化製品、これらが一体となって『ブロンディ』のなかに存在していたのですね。


 本書のもとになってるのは著者の学位論文だそうです。丸山眞男や小熊英二、さらにはグラムシに言及されたりしていてけっこうムズカシイです。でもこまかくきっちりした記述に好感を持ちました。


 ただし本書に記載されてはいませんが、『ブロンディ』の新聞連載は結局失敗だったという見方があることも紹介しておきましょう。『別冊1億人の昭和史 昭和新聞漫画史』(1981年毎日新聞社)より。


電気掃除機も、電気冷蔵庫もなく、父権が、まだ地に墜ちなかった当時の日本では、そのウィットをハダで感じとることができず、“理解”というフィルターの彼方にしか受けとることができなかった。
苦しい2年間の連載で打切りを決めたとき、朝日新聞の担当者が、「登場させるのが10年早かった」と、いった言葉はまことに印象的であった。


 たしかに1950年前後の日本で、生活マンガというレベルのアメリカ作品を毎日読むのは、ちょっとキツかっただろうと想像できます。


 最後に書誌的なことを。日本での『ブロンディ』は、「朝日新聞」の連載が1949年から1951年まで。「週刊朝日」には「朝日新聞」より早くそして長く、1946年から1956年まで連載されていました。それからもちろん、文藝春秋「漫画讀本」に掲載されることもありました。


 単行本としては朝日新聞社から1947年から1951年に全10巻。その後1971年になって、スヌーピーで当てたツル・コミック社から全6巻。ツル・コミック社からはその他に、ぺらぺらのB5判の雑誌形式で2冊、あと『ブロンディのラブラブ英会話学校』なんてのも発売されてました。1977年に朝日イブニングニュース社から全6巻。また1989年から1990年にかけて、ディーン・ヤング版がマガジンハウスから全3巻で出版されたことがあります。


わたモテスレの多くは読んでいて面白いのだが、コメントの一部にはいつも何かの違和感と不快感を持っていたのだが、その理由は下のコメントに書かれている通りのようだ。
自分が流行に乗っている、あるいは流行を主導しているという錯覚を自慢に思う感性に、浅ましいものを感じるのだと思う。
他人は他人、自分は自分、ということこそ「わたモテ」の基本精神であり、だからこそ作者はこの「クズな」主人公を笑いながらも愛して描いてきたのではないか。だからこそもこっちはずっとぼっちでも誇り高く(周囲のリア充たちを見下しながら)生きてきたのではないか。
その精神とかけ離れた「キョロ充」(現実世界ではキョロ「充」ですらない、周囲をキョロキョロしているだけの下種連中)がわたモテスレに物欲しげに入り込んで、わたモテをけなしたり、自分の望む展開ではないと不満を言ったりするのが気持ち悪い。





  • 161. 浜風吹けば名無し
  • 2018年09月22日 13:36
  • ID:vwNd3uIb0
  • そんな大盛り上がりの大流行とかいらんねん。
    俺様一人が楽しめてればそれでええんやで。
    自分の好きな作品が世間でも流行ってると自慢げ、流行ってないと不安、って感性が俺様にはようわからん。そういう人らを外から煽る人らがいるのもわからん。
    ヒトって不思議やな。


先発が凄い。球速170キロくらいの剛速球である。ほとんどのネット民はバットに触りもせず三振だろうwww




100: 2018/09/20(木) 04:46:56.08 ID:Rn/OvInFa
1 中 なによ、あの色ガキ! 
2 三 あ、あたしのどこが不足だってのよ。そりゃ年上で、未亡人だけど… 
3 右 五代さん、がんばってくださいね 
4 遊 お願い…一日でいいから、あたしより長生きして…。
    もう、ひとりじゃ、生きていけそうにないから… 
5 捕 あなたに会えて、本当によかった 
6 指 変態よ、あの人。目つき見てわからない? 
7 二 おやんなさい、好きなだけ。誰とでも 
8 一 五代さんてあれで結構スケベなんですからねっ 
9 左 本当、すぐ騙されちゃうのね 

先発 この無職の甲斐性なしの貧乏人! 
中継 五代「これ締めてると出世できそうだな」→そんなことありませんよ 
抑え ここはね…パパとママが初めて会った場所なの…
気づきにくいところだが、一コマ目の吉田さんの表情は初めて描かれた顔ではないか。完全に油断しきった顔、ということだろう。
しかし、この犬は犬のくせに「ちんちん」を何だと思っているのだ。吉田さんにちんちんがあるわけないだろうwww
まあ、吉田さんがこういう目に遭うと、何となく嬉しくなるのは私だけだろうか。吉田さん、大好きなんだけど、こういう役回りの時が、一番楽しい。

なお、ずっと前に私が今後の予測、あるいは今後の展開への希望として書いた、「清純ビッチ」の平沢雫(この下の名も、清純そうで案外いやらしいwww)がもこっちの弟と関わってきそうな雰囲気があって、楽しみである。


(再掲載しておく)


わたモテの今後の展開だが、一番面白いのは、「清楚ビッチ」の平沢雫が1年上のカッコいいサッカー少年智樹に惚れて接近し、智樹も絶対に「清楚タイプ」が好きなはずだから、彼女に恋をするのだが、小宮山、ちんこちゃん、吉田さんが乱入してきてどったんばったん大騒ぎ、というのではないだろうか。もちろん、最後には雫より他の3人のほうが「人間として上」だと気が付くわけである。
まあ、もこっちの「女友達ハーレム」もいいのだが、せっかく出した平沢雫という清楚ビッチを活用してほしいと思う。なお、造形的には私が一番好きなのはちんこちゃんである。あの子の体はエロい。性格は小宮山、顔は吉田さんが好きだ。





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