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ゲーム・スポーツなどについての感想と妄想の作文集です 管理者名(記事筆者名)は「O-ZONE」「老幼児」「都虎」など。
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何の気なしに「それ町」の十三巻を再読していて、紺双葉を卓球部に誘った先輩の名前が座成だということの意味が分かったと思うので、メモしておく。
この先輩は最初は非常にいい先輩なのだが、レギュラー(対抗戦メンバー)の座を後輩の紺に奪われた(コーチか部長に指名された)ことを快く思わない同学年メンバーの教唆で紺に意地悪をして紺と疎遠になる。つまり、この先輩の紺に対する姿勢はそもそも「お座成り」なものだった、ということだろう。「お座成り」の漢字部分だけをピックアップするだけで元の言葉が消える、というのは、やはり「謎作りの名人」である作者の特性が生かされていると思う。
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こういう、分かる人だけに向けたジョークは、理解できると自分の知性や教養が認められたみたいで嬉しいwww 



浅利与一義遠
@hologon15
生田斗真の嫁は、斗真の新造……




オサレ系の漫画や「個性」を売り物にしている漫画は、この種の「誰が何をしているのか分からない」コマが多い気がする。いや、そういうのは最初からほとんど見ないのだが、見なくてもだいたい推測できるwww 背景と人物の区別がつきにくい絵もある。電脳マヴォにやたら長い間掲載されている「夜のロボット」がまさにそれで、私はあの絵柄を見ただけで、一度も読む気になれない。SF系だと背景の描き込みが重要なのか、特にその手の漫画が多いようだ。
なお、アニメも同じで、戦闘部分などになると、誰が何をしているのかさっぱり分からないシーンが大半である。名作アニメでもこれは多い。「迫力」を出すために、ダイナミックな構図を用いるのだろうが、見ている方は、「誰かがバタバタ何かをやっているけど、まあ、分からなくても、どうせ戦闘シーンだし、ま、いっか」という感じの人が多いのではないか。それが夜の戦闘だと、暗闇の中で黒人(中東人)兵士が迷彩服を着て戦うシーンをどう描くのだろうww



純友良幸@「サレ妻の復讐」「筋肉紳士」連載中
@YSumitomo
と言いつつ、つい最近読んだ某ミステリのコミカライズはとても絵が綺麗で人物も好みの造形だったんだけれど、何をしているのかよくわからない絵がちょくちょくあったり、時々誰が描かれているのかわかんなかったりしたので「漫画として」これはあかんやろ…とは思ったけど;













これは凄い。漫画(一部)はコピーできなかったが、アマビエのキャラも可愛い。作者とされている漫画家のキラキラネームも実に今風である。(私は、「鬼滅の刃」の作者名が読めない。)
アマビエ自体は水木しげるの漫画にかなり前に既に出ていたが、まったく注目されなかったと思う。キャラも可愛くなかったし。


唐沢なをき
@nawokikarasawa
返信先:さん
あー、忘れてた!『星のアマビエ』!
時代を先取りしすぎて作者も忘れてる作品それが『漫画家総進撃』!コミックビーム2013年7月号!










「これ考えた奴天才だろwwwwって思った擬音」

というスレッドがあって、結局「シーン」という「沈黙の音」が一番だ、というありきたりの意見への賛同が多かったのだが、擬音というのは慣用されているものにだいたい優れたものが多く、今の漫画家などが独自の擬音を作っても、さほど拡散しない。
たとえば、ウグイスの「ホーホケキョ」など、それに代わる擬音を考えても、まず落第である。実のところ、ウグイスの鳴き声はまったく「ホーホケキョ」とは聞こえないのだが、それ以外に表現が不可能なのである。あるいは、驚いた時の擬態語「ドキッ」なども代替不可能だろう。まあ、「ビクッ」でもいいかと思うが、ニュアンスは違う。「よつばと!」で「ビクッ」が使われるのは「小さな驚き」の場合で、そこで「ドキッ」を使わないのは流石だと思う。つまり、「ビクッ」は心理的と言うより、条件反射的な、身体反応(としての驚き)なのである。
文学者では宮沢賢治と萩原朔太郎がオノマトペの名人だが、漫画の中のほうが擬音語や擬態語は多い。山松ゆうきちが大雨の降る様を表した「ザカザン、ザカザン」など見事である。

なお、「シーン」を最初に使った(作った)のは誰か、おそらく検証されていると思うが、その起源は「森閑とした」の「森閑」から来ているのではないか、と私は想像している。あるいは、人を黙らせる時に言う「シーッ」からかもしれない。


(追記)「シーン」を発明したのは自分だ、と手塚治虫が「漫画の描きかた」みたいな本の中で言っているらしい。(と言うか、私自身、読んだ記憶がうっすらある。)だが、その言葉がどこから来たのかは言っていないようだ。

(追記)ウグイスと並んで、鳴き声が文学で言及されるホトトギスだが、その擬声語を私は知らないので、ネット動画で聞いてみると「ピッピッピョピピピョ」あるいは「チッチッチョチチチョ」という感じである。文学などでホトトギスの擬声語がどう表現されているか調べてみたい。(母音の音の高さがア段から次第に下がってオ段に至ると仮定したら、「ピッピッピパピピョ」となる。)

(追記)探してみると、小説ではなく野鳥の会みたいなホームページにこうあった。私の耳もそう悪くはないようだ。ただ、「鳴いて血を吐くほととぎす」という文句から想像したような非痛感は無く、ひよこみたいだな、というのが最初の印象だった。

キョッキョッキョキョキョキョという鋭い声(雄)。

山本貴嗣がよくリツィートするので存在だけは知っているが、名前が「つしま」でいいのかどうかさえ知らない漫画家である。それとも「俺、つしま」が名前なのか。
それはともかく、この人が描く漫画は、キャラの描きかたが某漫画家のパクリである。名前は忘れたが、「Golden Lucky」とか何とかいうナンセンス漫画などを描いていた人(今思い出した。榎本俊二である。)で、ウンコの大好きな人だ。こちら(つしま)の漫画では猫はリアルに描いて、人物は極端に単純化したフォルムで描いているようだが、その人物のフォルムの描きかたが完全にパクリなのである。まあ、この「つしま」の漫画を見れば一目瞭然だが、残念ながらコピーできないので、指摘だけしておく。あらいけいいちの「日常」のキャラの描き方やギャグがあづまひでひこの模倣に近いという程度のものではない。
漫画家に特有の個性的なキャラは、著作権の対象だろう。つまり、そのパクリは犯罪行為である。まあ、最近は堂々とその犯罪行為をやる三流漫画家が増えているし、私は著作権法そのものには批判的だが、先達が苦心して作ったキャラを盗用する精神は最低である。

(以下引用)

や、どうも。つしまです。2019年5月27日に『俺、つしま』2巻がしょんがっかんから出ることになりましたよ。俺の特設サイトはこちらです。
竹熊健太郎も(肯定的な意味で)書いていたと思うが、「100日後に死ぬワニ」は、「100日後に死ぬ」と題名で予告しさえすれば、後はどうでもいいような日常話を描くだけで読者は「これが〇〇日後に死ぬんだ」と感情移入してくれて、勝手に脳内補完してくれるわけで、アイデアだけは抜群だったと思う。さほど漫画家として絵や話を作る才能が無くても、自分の友人など周辺にいくらでもある「若者の日常」を描くだけだから、ストーリーを作る苦労も無いし、起承転結も盛り上がりも構成も考えなくていい。
まあ、実は私は、その狙い自体が気持ち悪かったので、最終回しか見ていないのだが、「弱い存在を救って自分が身代わりに死ぬ」という、いかにもな「感動ポルノ」であった。
もっとも、その前の99回分をひとつも見ていないので、この評論が的外れである可能性は大いにある。しかし、多くの人が、100ワニの商業的失敗をザマア見ろ、と思っているらしいツィートが多いので、あながち私だけが異常者というわけではないと思う。感動はしたいが、「騙され」たくはないのが普通の人情なのである。その境目を上手く超えるのが上手い作り手、プロである。所詮は、タダだからついつい見ていた、というレベルのアマチュア漫画だろう。
同じアマチュア作品でも、高度で深い作品が「電脳マヴォ」などにはいくらでも載っている。

(以下「ネットゲリラ」から100ワニカフェの顛末を転載)


志村けんの死が無ければ、絶対にワイドショーに「今話題の~」つってぶっ込んでたよ。
志村けんが亡くなったので尺が無くなったのと、死ぬワニ商売は不謹慎すぎて流せなくなった。
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このコンテンツは作者ツイッターのフォロワー数減少を観察するのが今一番楽しい。
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いいかね?
入れ替え制の店内に東京メインディッシュの記者は店内に客は自分一人しかいなかったと書いた。
そして、ニコ動の記者も同じく自分の回には客は自分だけだったと書いている。
つまり開店当日、客は最低2名いたんだ。
最低でも客は2名いたんだよ。
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自粛期間中にオープンとか
ステマやった罰があたって本当におめでとうございます!
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ワニとか死ぬとか縁起悪すぎて電通のヤラセでなくても行かねーよ
馬鹿じゃなかろうか?w
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いいアイデアで100日もかけてワニ君に感情移入させたのに
お客の心情をまったく考慮しないで死後すぐにお祭り騒ぎ
今後儲け話失敗のお手本みたいな教材になるな
某working!!という漫画で知った、風呂関係の記念日である。まあ、シリーズが完了した後に販促用の漫画だけ集めて作った、反則的手法の巻だが。

六月二十六日:「露天風呂の日」(6.26の「.」を読むのがミソ)
四月二十六日:「良い風呂の日」
十月十日:「銭湯の日」(「1010」で「千十」)

この日には伊波(「いは」ではなく「いなみ」)さんという貧乳女子が他の女性群と風呂に入って悲しむことになっている。なお、登場キャラの中で性格は一番いいと思われる。ただし、男性恐怖症で、男が近づくと反射的に殴る習性がある。
昔から、「ワンピース」というタイトルも嫌いだったのだが、ワンピースと聞いて衣服のワンピースをすぐに想像するのは当たり前だろう。「ブリーチ」といい「ワンピース」といい、家庭科の授業かよwww
なお、「BLEACH」は本当にあの家庭用漂白剤で知られる「ブリーチ」の「漂白、脱色」の意味であるらしい。「ワンピース」は「ひとつながりの財宝」の意味だとか。「ひとつながり」であることに何か意味があるのか。そもそも、あれは財宝探しの漫画になっているか。行く先々で小ボスや中ボスと戦うだけのRPGで、しかもその戦いが話のメインなのではないのか。


前から疑問だったのですが、何故あのアニメの題名がルフィさんとまったく関係ない「ワンピース」なのでしょうか?
ルフイがワンピース着てる・・というシーンもないですね~~
何故でしょう??

ゆうきまさみのツィートだが、まったく同感である。そうした再掲載によって、若い人は過去の「超名作漫画」と出会えるし、漫画家には掲載料(出版社の支払う原稿料とは掲載料であり、著作権は漫画家にある。)が入るだろう。これは「漫画文化」が崩壊の危機にある現在、漫画家の生活を救う道でもある。
最初は短編漫画中心で、それが好評なら中編や長編にまで拡大したらいい。
さらに思うのは、「子供向け漫画」が消滅の危機にある現在、昭和の頃のように子供を対象とした過去の漫画だけを集めた雑誌を作ることである。手塚治虫や藤子不二雄、あるいは死去したりしてその存在すら忘れられた過去の漫画を再掲載するわけだ。もちろん、原稿料は遺族に払うのである。この「子供漫画誌」は子供の頭脳世界や心の世界(感情世界)を大きく広げることになるだろう。
もちろん、青年漫画でも同様の「再掲載枠」があるといいわけで、私などは宮谷一彦の漫画などが現在の青年誌に掲載されたら、買ってしまうかもしれない。(そこで大事になるのが編集者の漫画鑑識眼である。私自身がその「再掲載枠」のラインアップを決めたいほどだ。)
ちなみに、過去作品ではなく、大御所の新作が掲載されたために掲載誌が馬鹿売れした例が萩尾望都の「ポーの一族」である。これが示すのは「読者は本物の価値を求めている」ということだ。


(以下引用)


テレビに再放送枠があるように、雑誌に再掲載枠があってもいいように思う。>RT
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