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ゲーム・スポーツなどについての感想と妄想の作文集です
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「場末の。」から転載。
記事全体もいつも通りの素晴らしい内容だが、回全体の構成を論じているのが珍しいし、その分析も非常に的確だと思うので、称賛するために転載した。文芸(あるいは漫画)評論はかくあるべし、というものだ。評者自身がユーモアセンスに溢れていて、文章が面白いのも称賛に値するが、作品への愛情の深さにいつも感動する。
もこっちワールドへの「異物」としての平沢雫の登場(この「雫」は、「耳を澄ませば」の月島雫を連想させる。特に少女漫画を知らなくても、誰でも知っているジブリ映画の「少女漫画的主人公」である。)で、話の今後の展開が豊かなものになりそうである。果たして、「悪役」うっちー、ゆり、ネモ、ヤンキーの攻撃に「主人公」平沢雫のメンタルは耐えられるか! wwww


(以下引用)




……それにしても今回の話は様々な要素が詰め込まれていましたね。
まず、この話の出だしから「少女漫画」という今回のテーマを提示し、少女漫画での「お約束」をもこっちに否定させつつも、少女漫画のお約束の流れを組み込む構成が見事でした。
最初にその「少女漫画」を出してきたことにより、読み手である読者も「ああ、これは少女漫画をパロってるんだな」と分かりやすくなりますから。本当に導入がうまい。しかもその導入も突拍子もないものではなく、昼ごはんを食べる相手が居なくて困っている南さんから繋がっていますから、無駄なページが一枚もありません。
オチを担当してくれたうっちーはまさに少女漫画に出てくるライバルキャラのテンプレ台詞を言ってくれましたし、同級生の女の子に敵の多い平沢さんはまさに少女漫画の主人公であり、そして数少ない理解者(もこっち……厳密には理解者ではありませんが)が一人だけ居るという構成もよく見かけます。その他にも主人公(平沢さん)が先輩をキラキラビジョンで見てしまうというのもありがちです。
また、キャラクターの掛け合いが今回も楽しくてしょうがありませんでした。ギャグ漫画、そして百合好きの読者にとっても非常に秀逸な回であり、これぞわたモテ!だと思わされましたね!





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今回はうっちーを探せ回でした。なお、ほかにも幾つかある模様。初読では私はひとつも気が付かなかったwww




446: 風吹けば名無し 2018/04/05(木) 11:42:23.49 ID:O7f627la0

no title

456: 風吹けば名無し 2018/04/05(木) 11:42:54.86 ID:Zefk39u5d
>>446

462: 風吹けば名無し 2018/04/05(木) 11:43:00.06 ID:7FrvA9PX0
>>446
ヒェッ

467: 風吹けば名無し 2018/04/05(木) 11:43:10.63 ID:qcxiLpJR0
>>446

やっぱうっちー面白えわ

488: 風吹けば名無し 2018/04/05(木) 11:43:47.95 ID:Nk6K6gKR0
>>446
ヒエッ……

493: 風吹けば名無し 2018/04/05(木) 11:43:52.37 ID:VGuqq0M00
>>446

こんなんよく気付くなあ

519: 風吹けば名無し 2018/04/05(木) 11:45:03.95 ID:86sCt54b0
>>446
こわい

536: 風吹けば名無し 2018/04/05(木) 11:45:22.49 ID:Z8/w6kaY0
>>446
よく気づいたなこんなんw

447: 風吹けば名無し 2018/04/05(木) 11:42:29.31 ID:iwYoJBWhM
所々木の影からうっちーが監視してて草





「紙屋研究所」から記事の一部を転載。
白木葉子の愛の告白はちばの創作部分だったというのは初めて知った。
ちばと梶原という、まるで個性の違う、むしろ対立的な性格の創作家がタッグを組むことで、高度な人間ドラマが達成されるという、「弁証法的名作」が「あしたのジョー」だったのだろう。

(以下引用)



 ことによると、矢吹丈は、なりゆきまかせに拳闘の世界の外へ脱落していったほうが、パンチドランカーにもならず安逸な人生を送られたかもしれません。
 しかし、白木葉子という「悪魔」はそれを許さなかったわけです。
 たえず死地に呼び戻し、精神と肉体の極限にまでたっする死闘をさせたのが白木葉子です。
 白木葉子自身、丈が投げつけた「悪魔」という面罵をかみしめて、こういいます。

「悪魔……! 悪魔…… そうかもしれない ひょっとすると わたしは矢吹丈を生きながら地獄へひきずりこむ悪魔――」(文庫版8巻p.180)

 矢吹丈の野性、獣性の美しさをみたいがゆえに、矢吹丈の精神と肉体を消尽しつくそうとする冷血ブルジョア令嬢――これが白木葉子の役回りです。

 しかし、矢吹丈が「悪魔」と葉子をののしりつつも、「女神」だとそのヤヌス的性格を言い表わすのは、丈自身が拳闘によって自分の生命が最高度に燃焼することを知っているからです。

「そこいらのれんじゅうみたいに ブスブスとくすぶりながら 不完全燃焼しているんじゃない ほんのしゅんかんにせよ まぶしいほど まっかに燃えあがるんだ そして あとにはまっ白な灰だけがのこる… 燃えかすなんかのこりやしない…… まっ白な灰だけだ そんな充実感は拳闘をやるまえはなかったよ」(文庫版8巻p.382)

 運命の辻々で丈が白木葉子の用意した死闘を演じることは、丈にとって命を粗末にすることではなく、生命と人生を最大限に輝かせるために必要なことだったという、梶原流の野蛮な演歌――しかし人をひきつけずにはおかない演歌――なのです。まさに白木葉子が「悪魔」であり「女神」であるゆえんはここにあります。


 しかし、これこそ「梶原的物語」であり、ここではまだ白木葉子は実に機能的な役目しか果さぬキャラクターにすぎません。いわば矢吹丈の獣性をひきだす、一種の冷血機械です。

 白木葉子が生きた人間としての圧倒的な存在感を獲得するのは、ぼくは最後の最後、ラストにきて、矢吹丈に愛の告白をしたその瞬間ではないかと思います。


 パンチドランカーであることが明白になった丈に、ホセ戦に立つのをやめるよう、二人だけの控室で葉子は懇願します。

「たのむから…… リングへあがるのだけはやめて 一生のおねがい……!!」

 涙を流す葉子。そんな表情の葉子を初めて見たためにとまどう丈。

「すきなのよ 矢吹くん あなたが!!」



(文庫版12巻p.121)




 「まっ白な灰」になるまでたたかわせることが「女神」であり「悪魔」としての白木嬢の役割のはずですが、葉子はここでその機能的役割をかなぐりすてて愛の告白をおこないます。この矛盾にみちた、しかし必然的な白木葉子の告白によって、彼女は「梶原的物語」の機能的役割をうちやぶり、躍動する人間形象へと飛翔するのです。
 このシーンによって、白木葉子を心の恋人にしてしまった読者は少なくないはずです。


 斎藤貴男はこのシーンについて次のように書いています。

「実は、このシーンも(梶原の)原作にはない。葉子がジョーに抱いていたに違いない愛情を、なんとか形にしてやりたいちばの創作だった」(p.214~215)

 すなわち、この白木葉子の飛翔は、ちばという描き手を得てはじめて可能だったわけです。
 ちばという人間主義的な精神がなければ、白木葉子はここまで大きな存在感をかちえなかったというのが、ぼくの思うことなのです。

 白木葉子は物語全体の中で、矢吹の試合を観戦中、あまりの凄惨さに目をそむけその場を逃げ出そうとしますが、思いとどまりその試合を見続ける、という葛藤を三度まで演じます。たとえパンチドランカーになろうが廃人になろうが、「まっ白な灰」になるまで人生を燃焼させてやるという冷血機械としての役目を演じ切ることが、白木葉子の役割ですし、このシーンがなくて多少の葛藤を描いただけでも白木嬢の、物語上の役割は果たせたかもしれません(梶原思想の尖兵ともいえる)。

 しかし、土壇場に来て、これまで白木葉子が見せたことのないほどの取り乱しぶり、涙の懇願をするわけで、これは梶原的物語にたいする、ちばの巨大な反乱なのです。いっさいをかき乱す破調ともいうべきシーンです。

 この「反乱」によって、物語は、梶原的な必然の物語だけでなく、ちば的な生きた人間の物語へと変われました。
 ただし、「反乱」といっても、けっきょくは丈の最後の対戦はおこなわれてしまうわけで、この「反乱」は「鎮圧」され、最終的には梶原的物語が全体を制するのですが。


 白木葉子が、野獣にもどっていく丈をみて、

「バイオリンにストラディバリウスという名器があるけれど――
 ただ 名器というだけで だれがひいてもすばらしい音色を出せるわけじゃない
 名バイオリニストにめぐりあえて はじめて
 その名器のもつ本来の音色を奏でることができるんだわ……」



(文庫版8巻p.146)



とつぶやくシーンがあり、それが矢吹丈にとってカーロス・リベラという強敵だったのだというわけなのですが、この言葉は梶原とちばの関係そのものを言い表わした言葉のような気がします。






竹熊健太郎の「たけくまNOTE」から部分転載。
平田弘史は一流の書家でもあるから、構想ノートは文字で、しかも筆ペンで書いているようだ。いや、「ペンが持てない」状態だとも記事には書いているのだから、どうなのだろうか。


(以下引用)





手元に置かれている構想ノートによると、すべてのページに朱でバツが描かれてあった。思いついても一晩経つとバツになるのである。先生の作り方は、常に作品の核心テーマから思考を外さない。少しでも外れていると感じたらバツになるのだ。


これは大変なものを見た、と思った。これは講談社のために描こうとしている作品だが、講談社はこれをもう7年も待っているのだという。しかし先生は今、ご病気でペンが持てない状態である。「ペンが持てんから、こうしてひたすらストーリーを練っておるのだ。」







四者四様の表情である。今回、一番情報量が多いコマではないか。
一番無心なのは加藤さんで、一人で焦りまくっているのがもこっち。ゆりは「また黒木さんは」とあきれ顔、ネモが一番怖い顔をしている。サイコ顔www 笑顔で人を殺しそうな感じ。
まあ、加藤さんだけもこっちの中で高ランクであることを察して心穏やかでないことは分かる。





245: 2018/03/22(木) 11:35:09.11
最後はネモ安定の黒目
no title


まあ、漫画の矛盾など意地悪く探せばいろいろ出てくるが、「美味しんぼ」は原作者自身に読者への啓蒙意識が強くあるから、こういう矛盾を犯すと厄介だ。アンチ雁谷哲というのもフクシマ以降大量に出てきているし。まあ、擁護するわけではないが、私は自分が言ったことも人が言ったことも即座に忘れる程度の頭脳だから、昔言ったことと矛盾することを言うのは日常茶飯事である。
要するに、記憶する必要の無いことをなぜ覚える意味があるのか、という気持ちなのである。記憶力が悪いほうが毎日を新しい気分で生きられるし、一度読んだ推理小説に何度でも騙されてお得である。自分の誕生日くらいは忘れたくても忘れることが難しいが、他人の顔や誕生日などまったく覚えられない。フィクションの人物のほうがよほど記憶に残る。
もちろん、社会生活を送る上では記憶力は絶対的に必要だが、苦の種にもなる、と言いたいのである。太宰治や芥川龍之介として生まれるより、白痴として生まれたほうが主観的には幸福かもしれない。






44: 【63】 2015/12/13(日)00:19:50 ID:jBs
no title
荒木飛呂彦のキャラクターというのはどこか既視感があったのだが、団次郎だとは気がつかなかったwww 同じハーフ顔でもたとえば草刈正雄などとは違うんだよな。デフォルメされたような彫の深さという感じ。








荒木飛呂彦原作帰ってきたウルトラマン




コメント98は、的を射ている理解だと思う。最近は深層心理まで考察するコメントが多いし、私もその一人だが、実際の生活では、あまり深く考えないで発言したり行動したりしているものだ。ゆりの「バカだな」発言は、ネモの接近に戸惑いながらも、それに応えようという意図だろう。明らかに、ネモの「クロが味をしめてもう一組買った」発言は、「バカだな」のような発言を期待し、そうした応答が生まれることでゆりとの距離を近づけたいという意思を示している。(そうした計算は瞬間のものだが、仲がさほど良くない「他者」との接近を望むときにはほとんど本能的にやっているはずだ。)ゆりはネモの言葉に正しく対応したわけである。
またしても深層心理分析的になってしまったが、要するに、コメント98の言う「歩み寄り」は実に適切な表現だ、ということだ。
なお、その他の転載コメントも私が同感するものであるのは言うまでもない。




98: 浜風吹けば名無し 2018-03-01 16:29:05
「バカだな」はゆりちゃんからの歩み寄りやろ
ネモのほうだけじゃなくて、ゆりちゃんもネモと仲良くしようと思ったんちゃう
相手がそのつもりならネモがうまくやれないとは思えないので、ゆりちゃんが孤立することはまあないやろ


245: 浜風吹けば名無し 2018-03-01 21:37:01
キレイにまとまったことだし、そろそろ変態姉妹回もみたいところだな

256: 浜風吹けば名無し 2018-03-01 21:59:58
田村さん私の事が嫌い?で
今までだったら真っ黒なネモの黒目が薄まってる1コマこそが今回一番深いシーンだと思うのは自分だけ?
自分を偽ってきたネモの闇が晴れてきたってことだと思ったけど
偽りの気配に対して敏感なゆりちゃんに、澄んだ目を晒したことでゆりネモは今後仲良くなっていくんだろうな

261: 浜風吹けば名無し 2018-03-01 22:07:19
>>256
あの言葉を言う時にすごく勇気を出したんだろうなっていうのがわかるシーンだよね。

257: 浜風吹けば名無し 2018-03-01 22:02:45
次は三週間後やけど学校の描写する前に一回箸休めギャグ回が来そう
弟へのおみやげあたりで1つ





67の気持ちは分かるが、漱石の作品だったか「世の中に解決がつくことなんてありゃしないんだ」という意味のことを誰かに言わせていたように、我々の毎日の生活の些細な問題のほとんどは解決はされずに「自然消滅」するだけなのである。問題をすべて解決して先に進もうなどと考えていたら、頭がおかしくなるだろう。特に人間関係の問題は「相手がいる」のである。自分ひとりで「合理的解決だ」と思っても、相手は納得しない。
「いくつかの問題は解決しないままに(遠足篇は)終わらせた」わけだが、日常はまだ続いていくわけだし、人間関係の問題も当然その中で大きくなったり小さくなったりする。それこそが、現実世界に近いのである。
シンデレラは王子様と結婚して、御伽噺はそこで終わるが、シンデレラはそこで死ぬわけではない。彼女の人生はその後も続いていくし、問題はいろいろ起こったり消えたりするのだ。
わたモテ世界というのは、過去の小さなコマのさりげない描写が後で大きく意味を持ってくるような世界である。とすれば、あるところですべてが解決したとしたら、そこでこの作品は完全に終わりということだ。愛読者として、それを望むだろうか。むしろ、いつまでも終わってほしくない、というのがほとんどのファンの気持ちだと思う。(ジャンプ式の無理押し長編化を望むわけでは全然ない。)






67: 浜風吹けば名無し 2018-03-01 11:55:35
何だろう…キレイにまとまってるはずなのに何故かモヤっとする

86: 浜風吹けば名無し 2018-03-01 12:04:44
>>67
いくつかの問題は解決してないまま終わらせたからね。
キバ子はこじらせたまんまだし、ゆりネモは「あなたがわたしを拒んでもわたしはぐいぐいいくからね」っていうある意味宣戦布告だし。

でも、そんな火種が撒かれていても、みんなといっしょにいるのはやっぱり楽しい。
問題はあるまんまだけど、それでもいつもの日常がまた始まる。
俺はわたモテのこういう、強引に解決に走らないさりげなさが好き。



「ネットゲリラ」読者コメントの一部だが、力石の死がちばてつやの提案によるものだとは知らなかった。これは物語後半を運命づける大きな提案で、梶原一騎原作というより、梶原ちばの共同原作と言っていいのではないか。なお、「あしたのジョー」最終回も梶原案を蹴ってちばが考えた、というのは比較的よく知られている。
なお、「あしたのジョー」は、男と男の精神的ラブロマンスであるwww ただし、その愛は、心底惚れた相手を殴り倒したい、という熱情のこと。その欲望の前には女も割り込めない。ジョーが「I want you」というyouは力石でありリベラでありメンドーサであり、白木葉子も雑貨屋の娘(名前を忘れていたが、紀ちゃんだった。)も彼には邪魔な存在なのである。



(以下引用)


>死んでない。
>漫画の文法として、右から左に読み進めていくもの。
>顔が左に向いて終わってるってことは、ジョーの続きがあるってことの暗示。
これは夏目房之介の説ですね。


BSの番組で見たんだけれど
千葉先生は、満州からの引き上げで過酷な体験をしたらしいね。
(赤塚先生もだけど)
その時の人の死に接する体験から、過酷な減量をする力石を描いているうちに、彼は死んでしまうと感じ、原作者に提案してああなったんだそうだ。
力石の死に先生の戦争体験が関係しているとは・・・





(追記)「ネットゲリラ」が引っ張ってきた元スレのコメントの中に興味深いものがあったので追記しておく。基本的にヤクザな性根が生涯変わらなかった梶原一騎と、人間の高潔さや善良さを愛するちばてつやの性格の違いが良く出ている。


394名無しさん@涙目です。(やわらか銀行) [US]2018/03/05(月) 04:42:51.78ID:A6LPX+3x0
>>391
ちばと高森の見解の相違だろうね
当時の心情は何も書いてなかったので(書いてあったけど忘れたかもしれない)推測でしかないけど

原作者の高森は不良少年として終わらせたかったんじゃねえのかな
だから丹下に「試合には負けたけど喧嘩には勝った」って言わせたかった
けど、ちばは不良少年から成長したボクサーとして、ジョーを終わらせたかったから「前の不良少年に戻すなんて有り得ない」みたいな
丹下とジョーの今までやってきたというか、成長は何だったのかと怒ったんじゃねえのかな





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