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ゲーム・スポーツなどについての感想と妄想の作文集です
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町山智浩による「サマー・ウォーズ」批判を転載。「サマー・ウォーズ」を見た時の違和感の一つが何か、自分ではわからなかったが、多分これだったのだろう。もちろん、「水戸黄門」に限らず、権力の側に身を置いて、自分は安全を保証されながら「悪」と戦う、というのは観客にとっては快感セオリーの一つであって、作者側がそれを戦略として選んだのはわかる。だが、そもそも、この映画は、ヴァーチャルな世界に現実を支配する権力を認め、それを守る権力側の話であると、この映画の観客は意識しただろうか。その無意識による影響が、この社会をかえって悪化させるという可能性も無いではない。「面白ければいいじゃん」というのは確かにクリエイターの基本思想ではあるだろうが。


(以下引用)


ただ、すごく傲慢な話なんだよね。普通の家族が世界を救うみたいな感じに言われてるけど、おばあちゃんは政界フィクサーみたいなもんで、他にも警察官やら自衛官とかいて、物凄い体制側に位置しているじゃない。しかも、悪役として出てくる人はその中にいられないめかけの子っていう設定で、そこが保守的だなと。それがひっくり返ると思ったら返んないで、むしろ体制側に取り込まれるというか、体制側に妥協して降参する事で話が終わるというのが嫌だなと。「じゃあ、私たちは体制に全て妥協しなきゃいけなくて、それが大人になるってことなんですか!?」って思いました。だって、侘助が一番かっこいいじゃないですか。その彼が間違っているという風にしか描かれない。

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