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ゲーム・スポーツなどについての感想と妄想の作文集です 管理者名(記事筆者名)は「O-ZONE」「老幼児」「都虎」など。
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「スロウ忍」ブログより転載。
思わぬところに核燃料や核廃棄物はあるものだ。
で、一番の問題は、チッソ石油化学がこの事実を隠蔽していたことだ。一歩間違えば、大惨事になっていたところである。(いや、すでにウランが飛散した可能性もあるのだが)即座に近隣住民を避難させねばならないところを、逆に「危険は無い」とミスリードし、彼らを死の危険にさらしたのである。これは社会的な糾弾を受けねばならないが、皇室関連企業となると、これが大マスコミに載ることはなく、ほとんどの人に知られないままになるだろう。せめて、世間の無数のパソコンに保存しておこう、というわけで、ここに保存する。


(以下引用)


posted by スロウ忍 at 12:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 行政 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

震災によるコンビナート火災から約4ヶ月経った今頃、飛び火したチッソ石油化学五井製造所に「劣化ウラン保管施設」があった事が報道される。

震災当日(2011年3月11日)発生した千葉の石油コンビナート爆発を受けて、「有害物質が降る」というチェーンメールが世間に出回っていたわけだが、被災したコスモ石油は、此のチェーンメールの内容を自社HP上で否定していた。


http://response.jp/article/2011/03/12/153128.html
【東日本大地震】コスモ石油、「有害物質が降る」チェーンメールに注意呼びかけ
2011年3月12日(土) 17時23分
「コスモ石油二次災害防止情報」として、「有害物質が雨といっしょに降る」といった内容のメールが不特定多数の人に送信されるという事例が起きている。これに対しコスモ石油はウェブサイト上で、「このような事実はありません」と否定、注意を呼びかけている。

メールの内容は、コスモ石油関係者の名を語り、「千葉製油所の爆発により、雲などに付着した有害物質が雨などといっしょに降ることがわかった。傘やレインコートを用意し、外出しないようにしてほしい」などといったもの。

同社ウェブサイトでは、「タンクに貯蔵されていたのは『LPガス』であり、燃焼により発生した大気が人体へ及ぼす影響は非常に少ない」と説明、「近隣住民の方々をはじめ、関係する皆様に多大なご迷惑とご心配をおかけしております事を心よりお詫び申し上げます」としている。


だが約4ヶ月経過した今頃になって、実は隣接するチッソ石油化学五井製造所に「劣化ウラン保管施設」があり、しかも「飛び火」していたとのことである。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110704-00000003-jct-soci
千葉の劣化ウラン管理倉庫 震災コンビナート火災で「危機一髪」

J-CASTニュース 7月4日(月)19時32分配信
 東日本大震災で、千葉県の石油化学コンビナートが大規模な火災に見舞われ、隣接していた劣化ウラン保管施設の一部も燃えていたことが分かった。施設の火災は1日で鎮火し、放射性物質が漏れることもなかったという。

 劣化ウランといえば、湾岸戦争などで兵器の原料として使われ、現地の住民に深刻な健康被害を及ぼしたという見方も出ている。火災が長引いていたら、あわやの事態に陥っていたかもしれない。

■砲弾や「MOX燃料」としての用途

 コスモ石油千葉製油所(千葉県市原市)では、震災当日の2011年3月11日から液化石油ガス(LPG)タンク付近で火災が発生し、3月21日に鎮火するまで燃え続けた。6月30日に開かれた千葉県議会総務防災常任委員会で、委員の質問に対して千葉県消防課では、この火災が製油所に隣接するチッソ石油化学五井製造所にも延焼したことを説明していたことが、取材で分かった。さらに、ここには劣化ウランの保管施設があり、火災で建物の一部が焼けたという。

 当時、同製造所を管轄していたチッソは2011年3月14日、火災が「飛び火」してきたことを認めたうえで、震災翌日には鎮火し「有害物質の発生もありませんでした」と発表したが、劣化ウランについては触れていなかった。

 劣化ウランは、天然ウランから濃縮ウランを生成した後に出る、言わば「残りもの」だ。金属としての密度の高さが特徴で、医療用の放射線の遮断用に使われたり、戦車の装甲を貫く砲弾のような兵器に用いられたりすることがある。プルトニウムと混ぜた「MOX燃料」としての用途も考えられている。

 しばしば取りざたされるのが、兵器としての「劣化ウラン弾」による放射能汚染だ。米軍が湾岸戦争で使用し、イラク戦争でも使われたとされる。戦場となったイラクでは、大量の劣化ウラン弾が撃ち込まれた結果、がんを患う病人や障害を抱えた子どもの増加が報告された、という報道もある。劣化ウランは重金属としての毒性が強いうえ、放射性物質でもある。水や空気が汚染され、被ばくで多数の人に健康被害を及ぼした可能性がある。

■ドラム缶33本分を40年以上も保管

 劣化ウランを保管しているチッソ石油化学五井製造所は原発とも、兵器の製造とも無縁だ。2011年3月31日に、チッソからJNCが同製造所の運営を引き継いだJNCに取材すると、昭和40年代に「ブタンガス」を製造するために使われた触媒の中に、少量の劣化ウランが含まれており、それを今日まで保管している、と明かす。

 文部科学省の資料を見ると、1969年7月に国の許可を得て劣化ウランの使用を開始したが、3年後の72年にはストップしている。劣化ウランよりも優れた代替品が見つかったのが理由だ。現在まで保管している量は765キログラムで、200リットル入りのケミカルドラム缶33本分に相当する。

 JNC総務部によると、ドラム缶33本分の「劣化ウラン入り触媒」は、放射線管理区域となっている倉庫の中にある、厚さ50センチほどのコンクリート製のプールに、水を入れない状態で保管されていた。隣接するコスモ石油の火災で受けた影響は、「建屋の外側が燃えた程度」で、初期消火で炎が拡大するのを防げたと説明する。

 「劣化ウランが触媒に含まれる量は数パーセント程度」とJNCは話すが、微量とはいえ放射性物質が存在しているのは事実で、鎮火が遅れてドラム缶がすべて燃えていたら「大変なことになっていた」と肝を冷やしたようだ。

 使い道のない劣化ウランを40年にもわたって保管しているのは、「(国内に)処理する施設も場所もない」(JNC総務部)ためだ。6月には保管施設を新築したが、従来の建物の立地と比べて、火災が起きたLPGタンクから離れた場所を選んだという。


此の事故による放射能漏れは無かったとの報道だが、原発事故後の激しい報道規制を見れば、とても信じられるものではない。

そういえば先日、近所の葛飾区で放射線測定をブログにアップし始めた都議会議員が不審死している。

http://surouninja.seesaa.net/article/212887433.html

国も当該企業も其の場所に劣化ウラン保管施設が在る事を間違いなく把握していた筈である。寧ろ把握していない方がおかしい。にも関わらず事故当時、其の事を国民に報せなかったというのは、住民を見殺しにしたも同然である。

抑々(そもそも)何故劣化ウランが、都心にほど近いコンビナートに大量保管されてたのかが非常に気になる所である。上の引用だと、過去にブタンガスを製造するための触媒に使われていたという話だが、流石に其れを額面通りには受け取れまい。

http://surouninja.seesaa.net/article/196698031.html

此の事件について、誠天調書では初期の段階からかなり深くまで突っ込んでいる。

http://mkt5126.seesaa.net/article/205105564.html

ところでチッソといえば、皇室関連の企業である。皇太子徳仁親王妃の雅子さまの母方の祖父、江頭豊がチッソの社長だった。チッソの五井工場では過去に、自主交渉していた水俣病患者らにチッソ従業員らが殴る蹴るの暴行を加えたという事件が起きている。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9A%87%E5%A4%AA%E5%AD%90%E5%BE%B3%E4%BB%81%E8%A6%AA%E7%8E%8B
こうして親王妃候補の一人となった雅子だが、母方の祖父・江頭豊が四大公害病の筆頭である水俣病を引き起こしたチッソの社長であったことが問題視された。江頭は水俣病発生時には社長ではなかったものの、その問題解決に当たり、患者への補償を拒否するなど、問題の解決に積極的ではなかった。水俣病の発生源を有機水銀とは別のものであると強弁した。また、会長在任中の1972年1月7日には、チッソは千葉県五井工場において自主交渉派患者の取材を行っていたアメリカ人写真家ユージン・スミスらへの暴行事件を起こした。スミスは10人以上のチッソ従業員に殴られ、股間や腹部を蹴られコンクリートに叩きつけられるなどしてカメラを破壊されたうえ脊椎骨折、さらに第二次世界大戦中に受けた負傷によって体内に残った砲弾の破片が神経に食い込み片目失明の重傷を負った。なお、この従業員は逮捕されず、抗議した自主交渉派患者が逮捕されている。なお、この際の模様は翌日の新聞やテレビで報道された。後藤田正晴が「皇居に筵旗が立つ[15]」と発言。1988年(昭和63年)初頭には当時宮内庁長官だった富田朝彦も、「チッソの件が付随しますのでお諦めください」と進言したなど、宮内庁にも慎重論があり[16]、多くの関係者がこの結婚に対して反対したことが伝えられている。


「“雅子様”関連企業が大震災による被災を装って爆破され、保管していた劣化ウランが世間に晒された。」と仮定すれば、此れを仕組んだのが何処の勢力なのかが見えてくるのかも知れないが、此れ以上は何も申しますまい。

http://kinokokumi.blog13.fc2.com/blog-entry-1619.html
関東では建物は倒壊していない。
たかがそれほどの地震で、
石油タンクに引火はおかしい。

しかもきのこ雲w
石油がきのこ雲になるかよ、ばーーーか。

核爆破です。


 
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