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ゲーム・スポーツなどについての感想と妄想の作文集です 管理者名(記事筆者名)は「O-ZONE」「老幼児」「都虎」など。
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またしても「タッチ」の話だが、南という人物の上昇志向(良く言えば向上心)というのは凄いなあ、と思う。自分だけでなく、自分のお気に入りの男の尻を叩いて向上させようとするのだが、まあ、それは一応は善意からだろうが、尻を叩かれる男としてはどうなのか。迷惑に思いそうなものだが、和也も達也もそれを拒否はしない。後者は渋々という感じだが、南のその行為が本気で迷惑だとする描写は無いようだ。怠惰で放逸な生活に慣れた人間が一転して勤勉なスポーツマンになるわけだ。幸い、和也も達也も天才的な才能を持っていたから、その努力もした甲斐があるわけだが、これが「普通の男」だったらどうか。いくら努力しても野球部のレギュラーにもなれない人間はたくさんいるわけだ。
もちろん、南には「鑑別眼」があったから、達也の埋もれた才能を見抜いていたのだ、ということだが、それもいわば、資本家の「先行投資」みたいで、男女の関係としてはどうなのか。少なくとも、それは愛情ではなさそうだ。そのあたりにも南が一部の人に嫌われた深層心理がありそうだ。
まあ、こういう女が大学あたりではどうしようもないチャラ男に引っかかったりするのではないかwww だいたいが、新体操などを見る男の9割はエロ視線でしか見ないのだから。そして性欲が動機になると、女は理性が働かないもののようだ。つまり、口先はともかく、女は自分を性的に欲する男に心の底では惹かれるわけだ。

本当は、勤勉な生き方と怠け者の生き方のコスパを考察してみようと思ったのだが、それは別ブログに書くことにする。才能の無い人間が勤勉な生き方をするのは、実はコスパが悪い人生なのではないか、という思想である。もっとも、勤勉=真面目・誠実という話ではない。真面目、誠実な生き方は、見かけより人生のコスパはいいと私は思っているが、単なる勤勉さはどうなのか、ということだ。たとえば達也が勉学の道を選んだら人生のコスパは最悪だったのではないか。そして世の中の子供の大半は親や教師に言われた通りに、苦しんで勉学に励んでいるのである。
ただし、勉強の才能が無いからといって、不良やヤンキーの才能があるとは限らない。不良とは「良くない」つまり「悪い」ということだから、その集団の中で上に行くには悪の才能が要るのである。つまり、残酷な行為や悪どい行為が平然とできるサイコパスのほうが不良としての才能は上なのだ。ただ、仲間を守ることに体を張るというヤクザ世界のルールがあるから、それが集団化すると強いわけだが、しかし、まともな感受性の人間には耐えがたい生き方だろう。
まあ、勉強の才能も運動の才能も不良の才能も無い人間は引きこもりになるか作家や漫画家になるしかないだろう。もちろん、中レベル以上の作家や漫画家になるには東大に入る以上の才能が要る。
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