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ゲーム・スポーツなどについての感想と妄想の作文集です 管理者名(記事筆者名)は「O-ZONE」「老幼児」「都虎」など。
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またしても「タッチ」の話だが、作者のあだち充は基本的に野球を個人競技だと思っているようなところがあるように感じる。彼が好きなのは江川だと思うが、江川はチームで浮いていて、結果的に全国優勝はできなかった。松坂大輔は全国優勝したが、彼以外にどんなメンバーがいたか、誰も知らないだろう。さて、野球は個人競技か、チーム競技か。
もちろんチーム競技だが、名前が残るのはその中のスーパースターだけである。
「タッチ」の中で、達也以外に名前を覚えてもらえるのは孝太郎だけだろう。その孝太郎もギャグ要員であり、チームの勝利はほとんど達也だけの力のように描かれる。
しかし、実際の野球では一人の力では試合を始めることすらできないのである。9人が揃って初めて試合も可能になるのだ。としたら、達也が他のメンバーに対してあれほど傲慢であるのはおかしい、ということになる。もちろん、野球ではエースの力量がチーム力の8割くらいを占めるが、他のメンバーがいないと試合すらできないのである。そういう、「数を揃えるだけのメンバー」の重要さが、多くの野球漫画の作者には分かっていない。
「タッチ」だと、第二投手の重要さとか、補欠の重要さがまったく描かれないのである。そのあたりが、「オッス10番」などを描いた水島慎二との違いだろう。つまり、野球は好きだが野球を分かっていないのがあだち充だったと思う。
なお、そういう「員数の重要さ」を分かっていないのは他のスポーツ漫画もそうである。サッカーにしても、一人だけで相手チームと戦うことは不可能である。ストライカーに球を出す役目の人間や、相手に攻め込まれた時にボールをクリアするディフェンダーがいて、初めて試合になるのである。そういう点では「ブルーロック」もサッカーの本質を分かっていないと思う。
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