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ゲーム・スポーツなどについての感想と妄想の作文集です 管理者名(記事筆者名)は「O-ZONE」「老幼児」「都虎」など。
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「ネットゲリラ」から転載。
面白れえ!
ただし、天才は後継者を「潰す」のではなく、天才の身近にいる後継者が委縮して潰れる、という話だ。


(以下引用)



ジブリの後継者について

野次馬 (2013年9月 8日 12:42) | コメント(0)



宮崎駿が引退というので、さぁ、後継者は誰だ? とマニアの間では色々と名前も出ているんだが、宮崎駿という人は「後継者を潰す」のでは有名な人で、そこら辺を鈴木敏夫が語っているんだが、ちなみに元ネタは岡田斗司夫の「暴論暴言」という記事らしい。







驚くことはないんですよ。宮崎駿はつぶしますよ。

これはわかるんですよ、なんでかっていうと、『もののけ姫』のDVDを見たときに、宮崎さんが、アニメーター作画しているシーンを「それじゃ駄目だ!」と取り上げて自分で書き直す、って場面があったんです。
サンという少女キャラがナイフをひらめせてアシタカに切りかかるシーン。アニメーターは普通にまじめに作画していたんだけど、宮崎さんは途中の動画一枚からサンの腕を消して、ナイフがひらめくハレーションのみに修正しました。
たしかにそうすればサンの動きがスピーディかつリアルにみえる。
でも目の前で自分の仕事を完全に否定されたアニメーターは辛いですよね。宮崎駿は天才といわれると同時に、こんなひとの下で働きたくないですよ。なんでかというと。明らかに自分が子供のころから憧れて、いまだに追いつけない天才が毎日自分の仕事をダメだっていうんですよ。こんなストレスに耐えられる新人いないですよ。

とにかく仕事には厳しくて、弁当箱抱えて入り口近くの席に陣取って、誰も逃げないように仕事をしているのだそうで、まぁ、アニメは集団制作でありながらも、個人の名前で公開されるわけで、良いも悪いも正しいも間違ってるもない、名前の出る人の手柄になってしまうんだから、責任もまた、個人です。嫌なら出てけ、で済んでしまう世界。後継者として、外部から押井守を入れようとした事もあったそうだが、「やだよ、あんなとこ」と即座に断られたらしいw じゃあ、庵野秀明、という声も出たんだが、宮崎駿が庵野を高く評価しているかといったら、そんな事もない。


「人間、あまり得意じゃないね」
「人間ヘタだね。」
「人間描けないね」
「もういい。マルチョンで描いとけ!あとはオレがやるから」
「この未熟者め!」

「風の谷のナウシカ」で、大学生のアルバイトながらも大抜擢されて巨神兵のシーンを担当した時、毎日、宮崎駿からダメ出しされていたらしい。ヱヴァンゲリヲン作った時にも、


「いや、3分と観られないですね。観るに堪えないですね」
「僕はああいうもの、もういらないんですよ。最初の絵コンテ見ただけで『エライこと始めやがったな、この野郎』って思ったんですけど(笑)。"使徒"とかって聞いたときも、こりゃエライとこに突っ込むなあ、って思ったんですけど、まあ終わってよかったですよね」

もう、メタメタですw ところが、庵野というのも、ここまで言われてもメゲない、潰れない人間だそうで、アニメーターとしては駆け出しの大学生の分際で、宮崎駿に対してタメ口で言い返すという、そんな感じだったらしい。まぁ、それを言うなら、宮崎駿だって、少女と飛行機しか描けないくせに、とか、そこら辺は置いといて、だ。実の息子である、宮崎吾朗という名前も、後継者として出て来るんだが、既に、「ゲド戦記」「コクリコ坂から」と、二本撮ってますね。ただ、この人についても、宮崎駿の「潰し」圧力は凄かったらしい。

宮崎吾朗はもともと建設屋さんで、本職は「ランドスケープデザイナー」だ。そちらの業界での実績は確かな物で、ジブリ美術館の総合デザインで2004年には文部科学大臣から、芸術選奨の新人賞を受賞している。ところが親父にかかりゃメタクソで、


家族会議で吾朗くんは宮崎さんに「おまえのような人間には、才能もなければ力もなければやる気もなければ、監督としての能力がなんにもない。おまえには『ゲド戦記』は出来ない!」とまで言って、それきり二人は口をきいていないそうです(笑)。
もう、オタク界の伝説ですよ、これ。日付までわかってるんですよ。

「ゲド戦記」は、もともと宮崎駿がとても作りたがっていた作品で、ところがまだ彼が無名だったので原作者が「コレをアニメ化できる人はいない」として許可を出さなかった。それが20年経って、宮崎駿が世界的に知られるようになり、原作者の方から話が来るようになった。宮崎駿は悔しがって、「20年前に言ってくれりゃなぁ」と嘆いたというんだが、諦めきれなかったプロデューサーの鈴木敏夫が、ジブリ社内に研究会を作る。スケジュールが詰まっていて、しかも高齢の宮崎駿抜きで作ろうというわけだ。その研究会で中心的存在だった、ジブリ美術館長だった宮崎吾朗が監督に抜擢されるという経緯があったそうで、もちろん「息子だからって、なんでコイツが」という反感も強かったそうだが、もっとも悔しがったのは親父らしいw アニメ化の挨拶に出向いた時なんだが、


宮崎駿はぜんぜん余裕でアーシュラ・K・ル・グインの前に出て、会った瞬間から「どんなにわたしがあなたのアニメを作りたかったか」を語ったわけですね。アーシュラ・K・ル・グイン、ぽかんですよ。

「ナゼアナタハ断ッタンデスカ?」(爆笑)

そこで、鈴木敏夫さんが、宮崎吾朗くんが描いたポスターを出しました。これはいま、宣伝にも使われているポスターで、海岸で竜が、巨大なドラゴンとゲドが向かい合っているポスターなんですね。宮崎吾郎くんが自分で描いたポスターなんです。彼は自分が監督に決まる前から、『ゲド戦記』でこういうのを描いていたんですって、ル・グインさんに見せたんですね。
するとそれを横から見ていた宮崎駿さんは「なんだ、これは。こいつは『ゲド戦記』をまったくわかっていませんからね」って(爆笑)。

「ドラゴンとゲドが正面向かい合っているという構図を選ぶ時点で、こいつはなによりゲドがわかってない証拠ですよ」って、まるで海原雄山が山岡史郎にいうみたいに、ついに馬脚をあらわしたな、おまえがなによりわかってない証拠だと、ものすごい勢いで言って、それだけならともかく、それにくらべてわたしが描いてきた『ゲド戦記』の絵は......(爆笑)......
宮崎さん、いきなりカバンの中から今まで描きためた『ゲド戦記』の街の設定をヤマほど出して、ほらほらほら、わたしのが正しいでしょって言って。もうアーシュラ・K・ル・グインさん、ぽかーんですよ。

「アナタハナニヲシニ来タンデスカ?」

ここまで来ると、もはや宮崎駿のクリエーター魂がカワイイとしか形容しようがないんだが、ちなみに、宮崎駿監督作品と比較されて色々言われるこうした作品群なんだが、「借りぐらしのアリエッティ」や「コクリコ坂から」も含めて、それぞれが商業的にはそれなりに合格点の数字を出しているようで、宮崎駿抜きでも、ディズニー程度には生き残れそうだw 誰がやっても、です。世界観が、とか言われるが、今の段階では「宮崎駿の作りたかった原作を他人が作っている」ので、無理もないところがある。みんな、「カリオストロの城」で宮崎駿が長編デビューした段階でしかないのだ。




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