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ゲーム・スポーツなどについての感想と妄想の作文集です 管理者名(記事筆者名)は「O-ZONE」「老幼児」「都虎」など。
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見たいアニメが無いので、「ガルパン」を再視聴し、それも見終わったので「タッチ」を何度目かの見直しをしているが、やはり練りぬかれた話である。最近見たサッカーアニメの数々とはレベルが違う。ただし、それらのアニメもサッカーの試合の描写は良く考えられていると思うが、それ以外の部分が駄目なことが多い。「タッチ」だと、達也がまだスポーツを始める前の段階では、まったく無能としてきちんと描かれており、彼が才能を表すのは、和也の死後なのである。その辺が、「Days」や「アオアシ」などの雑さとは違う。
で、話は違うが、中学時代の明星中学校美人コンテスト(現実にこんなのがあったら女子生徒からブーイングの嵐だろうが、そこは漫画の世界だ。)で、南に迫る美人として出て来たのが篠塚かおりという少女だが、この娘が体操部なのである。つまり、読者サービス係である。高校で南が新体操部に入るのも、無理やりな展開だったが、同じ意図だろう。単に作者が南のレオタード姿を描きたかったのかもしれない。
で、問題は、現実の世界でも可愛い子が体操部に入ることが多いことである。これは何を意味するかといえば、彼女たちは自分のレオタード姿を人に見せたいという目的で体操部に入るのではないか、ということだ。美人の重量挙げ選手や柔道選手もいないではないが、美人比率は圧倒的に体操や新体操だろう。で、当然男たちは彼女たちを欲望の目で見るわけだが、それが彼女たちには精神的な快感なのではないか。そうでなくて、体操や新体操のあんなポーズやこんなポーズを平気でできるわけがない。
というのが、体操や新体操の女性における意義の考察である。
ついでに言えば、女性は、自分の体がきれいである限り、ヌードになることにまったく抵抗がないと私は睨んでいる。それが素人ヌードが世間に氾濫する理由だろう。男の場合はナニの大小の問題があるから、まっ裸になるのは抵抗があるわけだ。だからヌードになる男は、ナニの大きさも含めて体に自信がある男だけだろう。女性は性器のちがいは見ても分からないから平気なわけだ。
オッパイの大小には女性の羞恥心も働くようだが、これは「むしろ小さいほうがいい」という嗜好の男もいるから問題はない。むしろ女性の巨乳への劣等感のほうが無意味である。赤ん坊に授乳させる以外に巨乳の存在意義はない、と私は思っている。まあ、ほどほどが一番だ。デブを巨乳と言い張られてもなあ、とは思う。しかし、短小や包茎の男がいいという女性はいないだろうから、男のほうが人生は厳しい。最初から性的優劣があるわけだ。
何を熱く語っているのだ、と言われそうだが、こうした問題は案外論じられていないから、考察事例として出したわけである。
ちなみに、西洋人は包茎の割合が高いらしい。放っておくと大半は包茎なのが普通なのではないか。日本の場合は思春期に「自分で剥く」例が多いかと思う。それが無理なら、包茎は恥だという思い込みで包皮カット手術をする。それで財を成したのが高須院長である。


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