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ゲーム・スポーツなどについての感想と妄想の作文集です
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昨日のヤクルト阪神戦は、序盤の星の弱気の投球が災いして、ヤクルトがズルズル負けた試合だったが、4番の山田の不調(前半戦以上にひどいように見える)も大きな敗因である。今の山田を4番に置いておくこと自体が敗退行為のようなものではないか。デッドボールの後遺症でもあるのか、ゲッツーが多い。走れないから1番に置くこともできない。かと言って彼を6番以降に置くのも彼のプライドが許さないだろうから、難しい存在である。
まあ、今季はもうあきらめるしかないから、少しでもいいところを探すなら、星が中盤で奪ったロジャース・中谷の連続三振と、最後に出てきた村中が使えそうなところだ。星と村中は、役割が間違っているのではないか。村中は制球力に少し問題がありそうだが、球威があり、先発向きのタイプだと思うし、実際、過去には先発投手だったようだ。故障が多いのが難点だが、体調に問題が無ければ、今のヤクルトでは先発ができる数少ない一人だと思う。逆に、星は大学時代もリリーフ中心だったと思うが、先発をやると、長い回を投げるのを意識してか慎重にスタートしすぎる嫌いがある。つまり、コーナーを狙いすぎてボール先行、打者有利のカウントを作ってしまうようだ。本来の制球力は悪くなさそうだし、うまくリードしたら、短いイニングなら使える投手だろう。
野手では、藤井や奥村の使い方も上手いとは思えない。秋山に2打席2三振の奥村には、3打席目で代打を出すべきだろう。藤井も、好球を見逃し悪球に手を出して三振するなど、打者としてセンスに欠ける。脇役打者だのに、ボールに食らいついても出塁する意欲が見られない。捕手の西田も同様だ。西田は、一昨日の試合などを見るとリードも上手くなさそうだ。中村もさほど上手くないが、西田よりは少しマシか。
まあ、最下位確定の現状が、選手の精神を腐らせている、という感じである。
レギュラーに故障者が続出したら、若手には売り出すチャンスだのに、若手にそういう気迫が見られない。一昨日の試合で藤川から15球粘って出塁した山崎貢太朗くらいか。(私は、かなり前に山崎貢太朗を使うと面白いのではないか、とこのブログで書いている。)

なお、二軍で寺島が久しぶりに投げ、3イニング無失点だったようだ。今シーズン中に1軍デビューが見られるかどうか、期待したい。




村中恭兵

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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村中 恭兵
東京ヤクルトスワローズ #43
YS-Kyohei-Muranaka.jpg
基本情報
国籍日本の旗 日本
出身地神奈川県愛甲郡愛川町
生年月日(1987-10-25) 1987年10月25日(29歳)
身長
体重
188 cm
88 kg
選手情報
投球・打席左投左打
ポジション投手
プロ入り2005年 高校生ドラフト1巡目
初出場2006年10月14日
年俸3,700万円(2017年)[1]
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

村中 恭兵(むらなか きょうへい、1987年10月25日 - )は、東京ヤクルトスワローズに所属するプロ野球選手投手)。


経歴[編集]

プロ入り前[編集]

小学校2年生時に、「中津リバーズ」で一塁手として野球を始める。中学時代は相模原南シニアに所属。左投げが買われ、一塁手と投手を兼任した。


2003年東海大甲府高校に進学、村中秀人監督の下でプレー。その年の夏に、夏の甲子園に出場したが、村中はベンチ入りしたのみで登板はなかった。同校は2004年にも甲子園に出場しているが、村中は高校2年時の夏は故障明けで、ベンチからも外れている。2年秋からエースを務めたが、3年夏の山梨県大会では三回戦でその年県代表となった日本航空高校に敗れた。結果として村中本人は、甲子園での登板はならなかった。


2005年高校生ドラフト1巡目で、東京ヤクルトスワローズに指名された。結果としては単独指名となったが、プロ全12球団から調査書が届いていた。担当スカウトの鳥原公二が「辻内が『剛』なら、村中は『柔』。器用でコントロールが良く、将来性は十分」[2]と評するなど、即戦力ではなく素材として高評価が集まっていた。

プロ入り後[編集]

2006年

春キャンプは一軍に招聘。開幕は二軍で迎え、序盤を主に体力作りにあてると、6月27日の二軍の試合でプロ初登板。2回3失点も当時自己最速の145km/hを計測。10月14日に一軍に初昇格し、同日初先発。3回を投げて福留孝介からの2点被本塁打を含む4失点で降板している。


2007年

キャンプから二軍スタート。徐々に球威を増し、8月には北京プレオリンピック野球日本代表に選ばれた。一軍登板はならなかったが、オフにはハワイ・ウィンターリーグへ派遣され、リーグでは3勝1敗2セーブ 防御率2.00という好成績を残した。


2008年

手薄な先発左腕を担うことを期待され、2年ぶりの一軍キャンプスタートとなった。キャンプでは前年のプレ日本代表時に目をかけていた星野仙一からも「後は精神面」だけ、と激励を受けている。期待に応えて先発ローテーション入りし、初の開幕一軍を勝ち取った。4月4日中日戦で7回1失点8奪三振の好投でプロ初勝利を挙げた。5月3日巨人戦で9回1死まで無安打に抑える好投をしたが、亀井義行に二塁打を打たれ、快挙達成はならなかった。8月末に検査を受け左ひじ内側側副靱帯損傷と診断、しばらく投球を禁止し静養、患部の回復経過を見て手術は回避となった。


2009年

一軍復帰を目指しリハビリをし、シーズン後半では一軍に昇格を果たした。後半戦のキーマンにあげられながらも、課題である制球難は変わらず、最終的に1勝6敗、防御率7.12に終わった。


2010年

3月28日東京ドームで行われた巨人との開幕3戦目に先発し、巨人打線から11奪三振を記録し、巨人戦勝利を収めた。そして、4月18日坊っちゃんスタジアムで行われた巨人との5回戦にも先発登板。巨人打線から12個の三振を含め、7回まで無安打に抑えた。そのため、チームから新巨人キラーに任命された。巨人戦では3勝1敗、中日戦では4勝1敗と相性が良かった反面、阪神戦では0勝3敗と相性が悪かった。11勝を挙げ防御率3.44、奪三振は前田健太に次ぐリーグ2位と飛躍のシーズンになったが、与四球数はワースト2位、暴投数はリーグ最多と制球力は改善されておらず好不調の波があり10敗を喫し完投も0と課題も残した。


2011年

開幕直後に怪我で登録抹消され、すぐに復帰したが復帰試合でわき腹痛で1回途中降板し、この故障で約2ヶ月の長期離脱となる。7月29日の巨人戦でプロ入り初完投・初完封を記録。公式戦では4勝6敗だったが、クライマックスシリーズ(CS)第1ステージ(神宮)では、巨人相手に2試合にリリーフ登板。1勝1敗で迎えた最終第3戦にセーブ投手となり、球団初のCSファイナルステージ進出の立役者となった。


2012年

4月に3勝をマークするなど好調な滑り出しで2010年以来となる二桁勝利と規定投球回数に到達し、リーグ最多タイの2完封をマークした。規定投球回数到達者の中では両リーグワーストとなる防御率3.88を記録したが先発ローテーションを守り、WHIP1.49を記録。先発登板で勝利投手となった成績が防御率1.30・WHIP1.11に対し、同じく敗戦投手となった成績が防御率9.17・WHIP2.27と、投球の不安定さが目立ったシーズンとなった。オフの11月6日に、「侍ジャパンマッチ2012「日本代表 VS キューバ代表」」の日本代表が発表され[3]代表入りした[4]


2013年

3月27日7歳年上の女性と結婚した[5]。シーズンでは序盤の6試合のうち4試合で7イニング以上を投げ、3勝を記録するなど前年に続き好調なスタートを切った。しかし交流戦で救援に回った後先発に復帰してからは打ち込まれる場面が目立ち、7~9月は未勝利と苦しんだ。最終的に前年度を大幅に下回る5勝に終わり、防御率も5.00と安定感を欠いた。


2014年

4月6日の阪神戦で中継ぎとして登板し、2イニングを無失点に抑えたが試合後に腰の張りを訴え登録抹消された[6]。7月に復帰すると例年通り先発として起用され、同月31日の阪神戦でシーズン初勝利を挙げるが、8月に右肩関節炎で再び離脱[7]。この年は7試合の登板に留まった。


2015年

イースタンでも14試合で2勝2敗、防御率8.33という成績に終わり、1軍登板がなかった。オフに背番号15が43に変更となる。


2016年

開幕から1軍メンバーとなり、中継ぎを務める。ケガなどで先発投手が手薄の中、6月30日の広島戦(マツダ)で今季初の先発投手を務め、5回2失点で自身2年ぶりの先発での勝利投手となる。なお、この勝ち星で、交流戦から続いていた広島の連勝を11でストップさせた。この年は52試合に登板し、7勝3敗6ホールド、防御率3.90という成績を残した。

選手としての特徴[編集]

スリー・クォーター気味のフォームから投げる平均球速142km/h[8]、最速151km/hのストレート(※2011年10月31日巨人とのCSにてリリーフ登板時に計測)とスライダーフォークSFFタイイングを外すカーブも使い投球を組み立てる。2010年春のキャンプではスラーブを習得。

人物[編集]

「恭兵」の名は、母の大好きな俳優・柴田恭兵にあやかって付けられた。プロ入り後の2010年、神宮外苑で練習中に偶然草野球をしていた柴田から声を掛けられ、激励を受けたことがある[9]。因みに自らも幼少期の頃、柴田が出演する「あぶない刑事」に夢中だったという[10]


村中昭文相模原市内に洋菓子店「ら・ふらんす」を2店舗構える有名なパティシエである。そのため村中本人もプリンが大好物で、初勝利の際にコメントを求められた父が「オフに特別なプリンを作る」ことを約束している[11]。また2010年のファン感謝デーでは父の店のプリンを600本限定で販売した。


母校・東海大甲府の監督で指導を受けていた村中秀人とは血縁関係にないが、村中監督自身も高校時代は左腕エースだったという共通点がある。


さかなクンに似ているため、チーム内でのあだ名は「さかなくん」

詳細情報[編集]

年度別投手成績[編集]





















































W
H
I
P
2006ヤクルト110000100.000183.0614001004412.003.33
2008212100061100.353530122.110713594710512060594.341.36
2009990001600.14320243.04952503354034347.121.72
20102828000111000.524765178.017615691816310079683.441.38
201115152104600.40035284.076103014602045404.291.26
2012252332010700.588633144.015566015893065623.881.49
201325180005900.357520111.2139125518655065625.001.74
2014760002200.50015235.23421201221117153.791.29
20165220007306.70029267.06393805511029293.901.51
通算:9年183123530465506.4553464788.2805733528415913813983734.261.47
  • 2016年シーズン終了時
  • 各年度の太字はリーグ最高
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