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ゲーム・スポーツなどについての感想と妄想の作文集です 管理者名(記事筆者名)は「O-ZONE」「老幼児」「都虎」など。
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第六章 健康法

 どのような優れた才能や人格を持っていても、健康に恵まれなければ、その人の一生は苦しいものになるだろう。健康は、良い人生の第一条件と言ってもいい。そこで、健康について述べよう。
 健康の留意点は、若い時期と中年以降では異なる。若い頃は体そのものを作る時期だから、運動と栄養摂取が健康法の中心になる。だが、中年以降は逆に、運動の危険性に留意すること(運動しすぎないこと)と、節食(栄養を摂らないこと)が中心になるのである。
 若い頃は、体そのものが頑丈で柔軟性があるから、極端な不摂生をしない限り、運動や食事の健康への害は無い。多少の過食も十分に消化される。
 だが、中年以降はそうはいかない。健康法も、より細心さが必要になる。若者へのアドバイスという当初の目的からいきなり外れるが、ここでは、私自身が現在興味を持っている、中年以降の健康法を中心に述べよう。


1 健康の基本は、節食である。

 人間の体は食物で維持されている。だから、何を食べるかは重要な問題だが、これが案外と軽視されている。旨い物、好きな物を食っていればいい、というのも一つの考えだが、健康を考えるなら、そうとばかりも言えない。美食は概して不健康につながるからである。だが、何を食うか以上に、どれだけ食うかは大きな問題である。中年以上の年代での不健康はたいてい肥満が原因であり、肥満の原因は食べ過ぎなのである。そして、運動で肥満を解消するのはほとんど不可能に近い。なぜなら、当たり前の話だが、運動をすれば腹が減り、空腹感が増すからである。それは実際に体が食物を要求しているということだから、運動をしながら節食をすると、(細心の注意を払ってウェイトコントロールをしているボクサーなら別だが)体に悪影響を及ぼしかねないのである。ちなみに、御飯一杯分のカロリーを消費するのに、1時間程度のジョッギングが必要だということである。忙しい現代人、特に怠惰な中年にそんなことができるものか。ジョッギング・ウェアを買い込んでジョッギングを始めても、三日坊主で終わるのが落ちである。また、運動で汗をかくと、体が水分を要求する。その時に、必要最低限度の水分補給で満足できる人間はほとんどいないだろう。必ず、必要以上の水を飲んでしまうのである。しかも、(くどく繰り返すが、)運動をして腹が減るのだから、飯がうまくて、もりもり食うことになる。結局、運動で体重を減らすのは、よほど意志が強い人間でないかぎり無理な話である。つまり、運動でダイエットに成功したのではなく、運動と節食を併用した結果、ダイエットに成功するというのが事実だ。もっとも、後で書くように、社会がやたらに人々に運動を勧めるのは、それが大きな商売だからであるのだが。
 
中年以降の人間で、過激な運動をしていいのは、それが仕事であるプロスポーツ選手だけである。プロスポーツマンは、体が資本であるから、最高のパフォーマンスのためには、肉体の限界に挑むこともあっていい。だが、なぜ一般人がスポーツなどする必要があるのか。それが健康にいいから、というのは幻想である。我々は、社会の圧力によって運動をさせられているだけだ。見苦しい体型の中年や老年の男女が、みっともないスポーツウェアでジョッギングやウォーキングをしているのは、あれは運動で健康になれるという幻想に踊らされているだけである。もちろん、医者という「専門家」も、運動によるダイエットの限界や害悪など知らないくせに運動によるダイエットを勧めているのである。なぜなら、誰もが「運動でダイエットしろ」と言っているから、というだけのことだ。
もちろん、私は運動のすべてを否定するわけではない。私が言いたいのはただ二つ。「運動ではダイエットはできない」ということと、「過激な運動は健康に害がある」という二つだけだ。しかも、たいていの運動は私から見れば「過激」なのである。
中年過ぎの人間にとっての過激な運動とは、極端に言えば、汗をかくくらいの運動のことである。体から汗が出るということは、体がオーバーヒートしていて、それを冷ますために発汗しているということだ。オーバーヒートが体にいいはずはない。基本的に、体が疲労するほどの運動、過度に汗をかくほどの運動は、体に害があると考えるべきである。ただし、これは中年以降の人間の話であって、肉体を形成する段階では、体を鍛えるための負荷も必要だから、自分がどの段階かを良く考えることである。
 さて、中年以降の不健康の原因は肥満であり、その原因が過食である、という前提で話を進める。肥満は高血圧、糖尿病、心臓病など様々な生活習慣病の原因であるから、この前提には問題は無いだろう。さらに、個人的な経験によれば、腰痛の原因も肥満であった。私は長い間腰痛に悩まされていたが、およそ8キロの減量に成功し、ウエストサイズを97センチから91センチまで減らしてからは、腰痛がまったく起こらなくなった。
 中年以降の健康維持(健康増進)には、まず減量をすることを勧める。だが、その方法として、運動をすることは、まったく勧めない。それは私が運動嫌いだからではなく、運動(だけ)でダイエットに成功したという例を身の回りでほとんど見たことがないからである。
 
私は、減量のためには、胃袋自体を小さくしなければならないと思っている。(これを知らない人が多いが、胃袋のサイズは、食生活の習慣によってわりと簡単に小さくなるのである。)胃袋が大きいと、どうしてもそれに見合った量の食物を摂取する。ところが、中年以降の人間は、若い頃からの習慣で、自分の体に必要な量以上の食物を摂取しているのが普通なのである。言い換えれば、消化能力は低下しているのに、胃袋のサイズは若い頃のままで、毎日毎日、余剰の栄養分を体に蓄積していくわけだ。これが肥満の根本的原因である。ちなみに、私は食事コントロールの基準は「カロリー」という目に見えない正体不明の存在よりも、あっさりと「重さ」で計算するべきだと考えている。もちろん、カロリーが少ないことが分かっている食物を利用するのはいい事である。
私の場合、経験的に言って、まる一日食事をしなければ、おそらく1キロほど体重が減る。ということは、1日に1キロ以上の食事をすれば、その分は体重が増加するわけである。200グラムのステーキはなかなか食いでがあるものだ。ならば、1食を300グラム以内に制限することは十分に可能だろう。つまり、試合を前にしたボクサーのように、常に自分の摂取する食べ物や飲み物をグラムで計算していくのである。まあ、そこまで神経質にならなくてもいいが。私の場合は簡単で、一食に御飯(米)を1杯だけなら現状維持、2杯食えば確実に体重オーバーである。1回だけならまだいいが、三食そうだと、その度に100グラム、200グラムと増加していくことになる。しかし、食事の際に、御飯1杯だけで済ませることができるか。ここが問題のポイントだ。
 
胃袋が要求するだけの食物を摂取している限り、肥満は避けられない。減量は、常に胃袋が要求する以下の食物量で食事を終えるという、「空腹感との戦い」なのである。
 では、それはどのようにすればいいか。ここに秘策がある。それは、満腹感は糖分の摂取で容易に得られるという事実である。
 毎回の食事は、腹八分で終わり、その代わりに、食事の最後を甘いデザートで終えることで、満腹感を作るのである。それがケーキなら、「ケーキ・ダイエット」ということになる。満腹感を胃袋の膨張で作らず、甘味の摂取で(心理的・生理的)満腹感を作り出すのが、無理のないダイエットの秘策である。(糖分は炭水化物などとは異なり、即座に血液に流れ、脳に「これで十分だ」という信号を送る。これが糖分による満腹感である。血糖値は、したがって、食後どれだけの時間が経過しているかで大きく異なる。糖尿病やその前駆症状は、いつまで時間がたっても血液中の糖分が無くならない状態である。)
 もちろん、ケーキ類を、腹が膨れるほど食えばどうしようもない。甘味を利用して摂取カロリー全体を減らすという目的からは逸脱してしまうことになる。ケーキばっかり食っていれば、ダイエットどころか、あっという間に糖尿病になるだろう。糖分は、通常は大量には摂取できないために、実質的なグラム数では、たいした量にはならない。しかし、絶えず糖分を摂取していると、常に血液の中に血糖が大量に存在しているわけだから、糖尿病に向かってまっしぐらということになる。私は、「食後に甘い物を摂る」ことを勧めているだけで、四六時中甘い物を食えと言っているわけではない。

 カロリーがゼロであるという蒟蒻を毎食食うというのもいいが、これは(それが続くかどうかは)料理法次第である。単なる想像だが、カロリーが少なく、ビタミンやミネラル、繊維質が多い食物と言えば、切り干し大根や干瓢などの乾物類、あるいはワカメやヒジキなどの海草類ではないかと思う。食事の中から炭水化物を減らし、そうした乾物や海草類を増やすのが、健康に良い食事ではないだろうか。
 さらに、水分の摂り方にも工夫がある。水分だって、むやみに摂っていては体に悪い。特に、コーヒーや酒が好きな人間は、水分を摂りすぎる傾向があるから、自己コントロールする必要がある。では、どのような工夫があるか。それは、まず、我々が水分を摂る時、常に必要以上の量を飲んでしまうという事実に目を向けることである。本当は、コップ3分の1、4分の1で口の乾きは抑えられるのだが、コップ1杯の水があるから、それを全部飲んでいるだけだ。しかも、夏場には、冷たい飲料の喉ごしの気持ち良さだけのために、必要以上の量を飲んでしまう。それを避けるには、コップやカップ1杯の飲料を、時間をかけて飲むことである。つまり、5分、10分に一回くらいの割で一すすりずつ飲むことだ。そうすれば、1杯のコーヒーで1時間、2時間もたすことができる。熱いコーヒーでなければいやだ、という美食家は、ダイエットなどやめることだ。机の上に置きっぱなしでは、飲料に埃が入るなどというのもナンセンスである。我々は四六時中、鼻や口から埃を吸い込んでいるのである。コーヒーの埃ごときが何だと言うのか。
 さて、腹八分目の食事を続けていると、ごく短期間で、体重は減ってくる。食わなければ、体重が減るのは当たり前であり、ダイエットができないのは、腹一杯食っているからなのである。このダイエットを始めて、しばらくすると、一回で食える食事の量そのものが減ってくる。これは、胃袋が小さくなったということである。こうなると、体重は低い水準で安定してくる。つまり、ダイエットにほぼ成功したということだ。もちろん、この段階でも、かつての「腹が膨れるほど食いたい」という欲望を退けるのは簡単ではないし、また正月やクリスマスなどで外食の機会が多くなると、大食いをすることもある。その危機を乗り越えて、食事そのものに対する欲望が少なくなれば、完全な成功と言えるだろう。
 以上が、「胃袋を縮小することでダイエットをする」という方法である。

2 運動は、健康に寄与する場合と阻害する場合がある。

 運動は、体に良いと信じられているが、必ずしもそうではない。運動が体に良い場合もあるが、体に悪い場合もそれ以上に多いのである。プロスポーツ選手で、スポーツ障害を起こしたことの無い者はほとんどいないし、素人でも、スポーツで無理をしたために一生治らない障害を生じさせた例も多い。スポーツがこれほどに勧められているのは、企業の金儲けと、「体育会系人間」を作って企業に奉仕させるためであり、それが個人個人の役に立つからではない。もちろん、スポーツは遊びだから、やれば楽しいし、ストレス解消にもなる。だから、スポーツの存在意義は十分にあるが、ただし、それが健康に結びつく場合は、それほどはない、というのが私の考えだ。特に、体が柔軟性を失っている中年以降のスポーツは、よほど慎重にやらないと、大きな障害を引き起こすことが多い。また、まったくスポーツをしなくても、節食の基本さえ守っていれば、それほど健康への悪影響は無いのである。養老院に入っているボケ老人など、運動らしい運動はしないが、あきれるほど長生きするものなのである。もっとも、彼らには「生きるためのストレス」が無いということで、ボケがかえって長命の原因になっているとも言えるが。(レーガン元大統領がアルツハイマーになったというニュースがずいぶん前に流れたが、まだ彼が死んだというニュースは聞いていない。もしかしたら、アルツハイマーになってから30年くらい生きているのではないか。)
 現代の日常生活では、スポーツ的な運動能力はほとんど必要とされない。せいぜい、仲間と遊ぶ時に巾が利くだけである。我々一般人に必要なのは健康であって、運動能力ではないのである。ところが、いざスポーツをやろうとすると、たいていの人間は運動能力の向上を目指し、無理に無理を重ねることになる。本来は老人向きのスポーツであるゴルフさえも、何ヤード飛ばしたとか、幾つのスコアで上がったとか、ハンディが幾つになったとかいった話ばかりである。まあ、競うことがスポーツの(あるいはゲームの)本質だから、そうした運動能力向上への努力を一概に否定はできないが、健康のためのゴルフで腰を痛めたとでもなると、(実際、ゴルフは無理な捻転をするスポーツだから、腰を痛める可能性は高いのだが)いったい何のためのゴルフか、ということになる。
 人間の肉体的なピークはおそらく25歳から30歳の間である。身体的な成長そのものはその前に終わっているが、20歳から30歳くらいまでは身体的にはベストコンディションの状態でありうる、ということである。そして、30歳を過ぎれば(早い人は25歳を過ぎれば)身体能力は下り坂に向かう。この事実をまずはっきりと認識することが、大事である。つまり、30歳以降の運動は、能力増進のためではなく、健康維持を目的とすべきなのである。そして、健康維持のためのスポーツの大原則は、「無理をしない」ということであり、その目安は、「汗をかくほどはやるな」ということだ。おそらく、この「汗をかくほどはやるな」には、反論の嵐が沸き起こるだろうと想像しているが、これほど簡単な目安は無い。もちろん、運動をしてまったく汗をかかないことは不可能だし、夏場はじっとしていても汗をかくのだから、私が言いたいのは、「大汗をかいてゼーゼーハーハーと息を切らすほどの運動はするな」ということである。
 肥満について、前の節で述べたことをもう一度言っておこう。
 現代社会では、学校生活が終了すると、運動の機会はほとんど無くなる。だが、我々の胃袋は、身体の最盛期の容量のままなのである。そして、我々の食欲は、胃袋の容量によって決まる。つまり、我々は、自分の体が必要としている以上の量を常に摂ることになる。これが、20歳過ぎから30歳にかけて体重が増加する原因である。それは「肥満」なのだが、若い体ならば多少の無駄肉がついてもそれほど見苦しくはならないので、多くの人間はこの体重増加をほとんど気にしない。そして、中年以降になると、今度は体型が変化してくる。つまり、上体の筋肉が落ち、下腹部に脂肪が溜まった見苦しい体型になるのである。この時になって、初めて自分の肥満を意識し始めるのがたいていの人間である。そこで、ダイエットのために運動などを始めるのだが、それでダイエットに成功した人間など見たことがない、というのは前に書いた通りだ。
中年以降の運動は、スポーツではなく柔軟体操を主体にするのが良い。その方法については第4節で詳述するが、ここでは、「スポーツは不健康のもとだ」と、スポーツ万歳の世間の風潮への嫌みを言っておくだけにしよう。
健康法についての基本は、以上の2節で述べたので、後は簡単に説明していくことにする。

3 節食は、食欲というストレスとの戦いである。

 ダイエットの大敵は空腹感であり、それも実際に腹が減っていることによる空腹感ではなく、腹が減ってなくても「腹がはち切れるほど食いたい」という心理的空腹感である。そして、この心理的空腹感は、仕事などのストレスが強いと、生じやすくなる。つまり、何はともあれ、腹が一杯だというのは、「満たされた状態」なのである。たとえ精神的には不幸であっても、腹一杯食ったその時だけは、何らかの満足感はある。そこで、生活の他の部分で満たされない人間は食い物による満足感(充足感)を求め、そして肥満への道を進んでいくことになる。肥満に悩む人間は、自分の食欲が、そうしたストレスの結果でないかどうか、我が身を顧みて、もしそうならそのストレスの根本を断絶することである。もっとも、生きること自体がストレスみたいなものではあるが。

4 運動は、鍛錬よりも調整を主とせよ。

 運動の目的は、年代によって異なる。成長期には、頑健な身体作りと運動能力の向上を運動の目的としてもいいが、成長期が終われば、日常生活を快適に生きるための健康体の維持が運動の目的となるべきである。その目安は、「疲れるほどは運動しない」と言うに尽きる。かりに、ハードな運動で運動能力を向上させたとしても、しばらく運動をやめれば、また元の黙阿弥である。若い頃に体を鍛えれば、(特に、強い骨格を作れば)それは一生の財産になるが、中年以降に強い運動をやることは百害あって一利無しである。調整程度の運動ならば、わざわざフィットネスクラブなどに行かなくても、毎日の小さな身体行動の中でできる。たとえば、爪先立ちや片足立ちを数秒続けることや、両腕を大きく後ろにそらして、胸を張る動作をするだけでも十分である。犬や猫を飼っている人は、彼らがしばしば大きく伸びをするような動作をしていることに気がつくだろう。そうした「柔軟体操」が、もっとも大事な運動なのである。つまり、同じ姿勢を続けがちで、体が萎縮しがちな現代人には、体の可動域を広げ、体を柔軟にするのが、望ましい運動であり、跳んだりはねたりする能力は不要だということだ。

5 良い姿勢と、柔軟性が、望ましい体調を作る。

 良い姿勢とは、背筋の伸びた、歪みの無い姿勢である。よく言われることだが、頭の上から一本の糸で頭を吊り下げられたイメージを常に持つと良いだろう。体全体がリラックスし、無駄な力・無理な力が入っていない状態が望ましい姿勢である。
 座業の人間は、特に姿勢が悪くなりがちである。パソコンの画面を近々とのぞき込み、背中は猫背、首も前傾して曲がっている。こうした状態が続くと、まず頸骨の変形が生じ、神経が骨に触るようになる。そうなると、医者のお世話にならざるを得ない。当然、首の変形だけでなく、肩こり、視力低下など、いろいろな障害が起こる。
 対策としては、常に自分の姿勢を意識し、定期的に修整するだけである。
 視力については、時々、遠くを眺め、まぶたを手でもみほぐすなども効果があるだろう。
 体の柔軟性を保つことも大事である。
 現代社会では、人は体をある範囲でしか動かさないため、関節の可動域がどんどん小さくなる。ダンサーやバレリーナほどの可動域は不要だが、可動域が大きいほうが、怪我をしにくいのだから、柔軟体操を時々やるのはいいことだ。

[下の項目は、今は考えが違うので削除する。降圧剤の害を自ら熟知したからだ。]

6 高血圧と診断されたら、薬を飲め。

 私は高血圧である。そんな人間が健康法について偉そうな事を言うのはちゃんちゃらおかしいが、私が健康法について考え始めたのは高血圧になった後だから仕方がない。
 高血圧は遺伝的要素が大きいから、家族に高血圧の人がいるなら、若い頃から節制して体重コントロールに努めるのが良い。だが、すでに高血圧だと診断されたなら、医者の処方に応じて薬を飲むのが一番である。私が飲んでいるのはディオバン80で、後にカルシウム剤のニフェランタンを追加した。それで、現在は90弱から130前後の血圧を維持している。何度か血圧値を測って、下が90以上、上が140以上であることが多いなら、薬を飲む決心をしたほうがいいだろう。(血圧は容易に変動するものだから、1回や2回高い数値が出た程度では心配することはない。)意地を張って飲まずにいると、血管の負担が長引き、取り返しのつかない状態になる可能性もあるはずだ。
 実際、私は、薬を飲むことで、若い頃からしばしばあった頭痛やのぼせなどがほとんど起こらなくなった。ということは、それらの症状も高血圧に関係があったのではないかと思う。それらの症状が無くなっただけで、薬を飲んだ価値はあったというものである。まあ、月に4,5千円の医者代は若い頃の不摂生のつけだと思うしかないだろう。

7 血糖値が高い場合は、体重を減らせ。

 私が高血圧と診断された時に、同時に血糖値の高さも指摘され、体重を減らすように医者から指導された。その指導に従って、節食によって体重を78キロから74キロくらいに落とすのに、2,3ヶ月くらいかかったろうか。その後、72キロまで落とし、現在は71キロから72キロの間で推移している。この減量によって、血糖値は改善され、糖尿病になることは何とか避けられたようである。糖尿病は、体が消費できる以上にカロリーを摂取してしまうことから起こるのだから、食事制限以外には糖尿病の予防策は無いだろう。もちろん、運動でもカロリーの消費はできるが、その非効率性は前で述べた通りである。

8 腰痛にも体重を減らせ。

 腰痛の原因についてはよく知らないが、(医者だって、本当に知っているかどうかあやしいものである。)私の場合には、体重を減らすことで、腰痛までも解消されたのである。ウエストサイズで言えば、97センチから94センチ、そして現在は91センチと二まわりサイズを落としたのだが、それでも厚生労働省のメタボリック症候群の判定基準をまだ越えていて、困っている。もちろん、その判定基準がムチャクチャなのである。だいいち、男よりも女のほうが判定が甘いのはおかしな話だ。また、身長と体重、ウエストサイズとの関係も考慮せずに、一律にウエストサイズ90以上はメタボリックだと決めてしまうのも乱暴な話だ。現役スポーツ選手以外で、身長2メートルで、ウエストサイズが90以下の男がいたら、化け物だろう。それはともかく、腰痛の解消には体重を減らすこと、またはウエストサイズを減らすことが有効である。

9 同一姿勢の連続は体調悪化の原因。

 身体の不調は、同一姿勢の連続からくることが多い。前に書いたことと重複するが、特にデスクワークを長時間している場合、同じ姿勢を続けていることが多く、鬱血、筋肉の凝り、骨格の変形などの原因になることがある。たとえば、私の背骨は左右に湾曲しているが、これは子供の頃の机に向かう姿勢が悪かったためである。つまり、いつも左腕の肘を机の上に置き、それで顎を支えて本を読んでいたのである。気が付いた時には、中学1年で脊柱側湾症である。普段は意識して背骨をまっすぐに保っているが、油断すると、右肩が下がった状態になる。
 現代では、デスクワークの一つが、パソコンの画面に向かうことだが、これは言うまでもなく、視力を悪化させる原因となる。我々は毎日、自分の体の悪化と引き替えに、デスクワークをしているのである。パソコンのキーボードを打つせせこましい姿勢も不愉快なものだが、それをカッコいいと思っている人間もいるかもしれない。だが、健康に良くないことは確かである。

10 感覚器官のコンディションも整えよ。

 私は、右目は1.0、左目は0.1くらいの視力だが、メガネをかける習慣は無い。このくらいの視力なら、社会生活を送る上でまったく不便は無いからである。一方、私の二人の子供は、視力が悪化し始めた頃からメガネをかけるようになり、メガネ無しではほとんど生活ができない。子供たちはどちらも早い時期からパソコンに接していたから、そのせいで視力が悪化した可能性は高いが、メガネをかけること自体、視力の悪化を促したのではないかという気がする。近視が軽い間は、なるべく視力矯正訓練で視力を回復するのが望ましい。つまり、読書などのように近い距離の物を長い間見ることを避けて、一定時間ごとに遠くを見て眼筋の運動をさせ、水晶体の厚さ調節運動を行うのである。健康な目は一生の財産であり、メガネをかけないと物が見えないというのは障害者の一種であると考えるべきだろう。つまり、日本人の半数以上は障害者なのである。だが、文明人である限り、目の酷使は避けられない。まだ近視になっていない人間は、自分の健康な目の価値を自覚するべきである。(目に限らず、我々の体の一つ一つの部品は、金で買うとしたら、巨額の金額になるだろう。我々の体そのものが、大きな財産なのである。)
 聴力については、私は何も言う資格は無い。音の判別能力という点では、かなり低いレベルの人間である。味覚も鈍い方だろう。嗅覚は普通か。だが、「普通」の感覚を持っていることは、それ自体財産ではある。人間に五感が無ければ、生きる楽しみの大半は失われる。音楽、美術、美食、薫香などは人生を豊かにするだけでなく、しばしば人生の目的の一つとなる。ならば、それらの感覚器官を大事にするのは当然だろう。


11 自己流指圧で凝りをほぐせ。

 体の凝りというものは、外部からの物理的刺激、つまり指圧で軽減できる。柔軟体操にセオリーが無いように、指圧も自己流でいいというのが私の考えだ。もちろん、優れた指圧師は、頑強な凝りを解きほぐすだろうが、我々が日常的に経験する程度の凝りなら、自己流指圧で十分だろう。たとえば、長時間、物を見続けた後には、目を閉じて瞼を指で軽く抑えるだけでも、効果はあるだろう。目の周辺部の指圧は、視力回復にも効果があるそうだ。近視は、長い時間同じ位置の対象物を見続けたために、眼筋が戻りにくくなることから起こるようだから、他動的に目の筋肉をもみほぐすわけである。


12 末端器官を運動させよ。

 細かい手作業をする職人はボケにくいという。手の運動が、頭脳の働きと関連しているのは当然だが、その関係は案外と深いようだ。現代人は、筆記具で文字を書くことが少なくなったが、パソコンのキーボード打ちがボケの予防に効果があるとは思えない。しかも、パソコンの画面が目に悪いことは前に述べた通りだ。我々はもっと、生活の中の運動を工夫すべきだろう。文字を書くことも、ただ歩くことも、創意工夫をするべきではないだろうか。
 これは単なる仮説にすぎないが、体の末端は体の深部とつながっているのではないだろうか。手や足の大きな筋肉を動かす「大きな運動」よりも、手足の指を動かすような「小さい運動」の方が、かえって健康にはいいのではないかということだ。
 我々のはいている革靴というものは、足の指の運動を不可能にしている。つまり、ほとんど一日中、我々の足の指はギブスをはめたような状態なのである。それでは足の指が「死ぬ」、つまり、本来の機能や可能性を失うのではないだろうか。ならば、せめて、靴を脱いだ時くらい、足の指に運動をさせるように心がけるべきだろう。
 背広などにしてもそうである。高級品の背広は、確かに、見た感じはいいが、それを着たまま、はたして両腕を大きく広げたりできるだろうか。これもまた、鎧を着たまま生活しているようなものである。
 概して、西洋由来の衣服は、ネクタイにせよシャツにせよ、体を鋳型にはめるような所がある。つまり、外見を重視して行動性を犠牲にしているのである。もちろん、これはビジネス・シーンで着る衣服についての話だが、そうした衣服を着る時間が長い人間は、それによってなにがしかの健康の犠牲を払っている可能性がある。
 体の束縛のすべてが悪いわけではない。たとえば、ウェイトリフティングをする時の腹帯などは、それが無いと力を入れた時にヘルニアになりかねない。だが、体を束縛した状態は正常な状態ではないのだから、その状態を長く続けてはならないだろう。


13 足の清潔

 米国人の大半は水虫だと言うが、西欧人同様に革靴を履いて生活するようになった現在、日本人の水虫度もかなり高いはずだ。かつては、水虫は治らないと言われていたが、現在は、薬で治る。だが、水虫云々以前に、革靴を履いて生活する以上、足の清潔には注意深くあるべきだろう。そもそも、同じ革靴を1日8時間も履き続けること自体が、不潔そのものである。当然、足の汗によって、革靴の中は蒸れ、悪臭を持つようになる。だから、可能ならば、会社などでは、サンダルなどに履き換えるのがベストである。だが、それのできない職場、職業ならば、せめて毎日、靴を履き換えるべきだ。まあ、3足か4足くらいの靴を交互に履くようにすればいいだろう。それでも、匂いは付くから、1年に2回くらい、靴の全交換をするのが良い。安い靴なら、3足買っても1万円以内に納まるだろう。
 靴の消臭剤や殺菌スプレーにも、効果のあるものもあるだろうから、いろいろ試してみるのが良い。なお、重曹を少量、靴の爪先に入れるのも匂い消しになる。最近は、オゾンによる消臭機械もあり、これも確かに効果はある。

14 飲酒・喫煙のコントロール。

 飲酒も喫煙も、量を過ごさなければ、完全にやめる必要は無いだろう。と言うよりも、飲酒や喫煙が体に悪影響を与えているという自覚症状が無い人間は、酒や煙草が体に合っているのだろうから、そのまま続ければよい。しかし、酒や煙草で健康状態が悪化していると感じたら、やめるか、量を減らすべきである。しかし、誰でもそんなことは分かっているが、「分かっちゃいるけどやめられない」のが酒や煙草といった習慣性の嗜好品である。
 禁酒・禁煙の方法については、それぞれに多くの本が出ているはずだが、ここで私が言いたいのは、酒にせよ、煙草にせよ、過食にせよ、生活のストレスから来るものだということである。生活にストレスがあるから、酒や煙草が飲みたくなるし、食い過ぎるのである。ストレスの無い生活をしていれば、過度の飲酒も喫煙も過食もなくなるだろう。ストレスの無い生活とは、一種の悟りであるから、それは後の章の「心術」で述べることにする。マーク・トゥエイン曰く、「禁煙なんて簡単なことだ。私はもう何度も禁煙している。」

15 外気温と体温。
 
 我々の体は、食物をエネルギーに変換して生命活動を維持している。体温が下がるのは、睡眠中のように、生命活動が不活発な場合である。つまり、体温と生命活動は結びついていると言える。その体温を作るために我々の体は働いているのに、我々は、自分の体をクーラーなどの外気温によってわざわざ冷やしているのである。その理由は、熱すぎる体を冷やすことで我々の体が快感を覚えるようにできているからだし、また、社会生活の都合上、冷房が必要な場合もあるからだ。たとえば、デスクワークをする時に、汗まみれでは能率が上がらないだろう。しかし、冷房はけっして健康に良いものではない。強いて言えば、昔から頭寒足熱と言われているように、頭の部分は熱するよりは冷やすほうがいいが、それ以外の部分は冷やすべきではない。それは、先に書いた通り、体がわざわざ作った体温を、外部から冷やすという矛盾であるからだ。
 社会生活の都合上、夏場に冷房を止めることは困難であることが多い。自己防衛のために、夏場でも軽い上着を持参して、寒い時にはそれを羽織るようにするのがいいが、できれば、ネクタイ、革靴などは廃止して、涼しい服装をし、冷房の温度を高めに設定することが社会全体のコンセンサスになるのが理想である。
 ある人に言わせれば、体を温めるというだけの方法で、たいていの病気は治るそうである。初期の段階の病気には、栄養を摂ることと、体を温めること、安静にすることが大事だという。

16 歩き方について

 正しい歩き方を意識している人間は多分、多くはないだろう。まず、自然に立った時の足の置き方を見てみよう。だいたいは、右と左の踵と踵が10センチ程度離れ、足の爪先同士は30センチほど離れているだろう。つまり、爪先と踵を結ぶ直線同士が、60度から90度の中心角を作る扇形の半径(の一部)となるのである。簡単に言えば、二つの足(脚ではない。レッグではなくフットのこと)は平行にはならない。従って、この姿勢から前に踏み出した足は、同じような角度を保ったまま着地することになる。これが正しい歩き方である。要するに、普通の人間が無意識にやっている歩き方でだいたいはいいのだ。
 この歩き方では、通常、足の踵、および外縁部から着地することになる。だが、足の外縁部が減っている靴の持ち主は不健康だと言われている。その正否の判断は保留しておこう。人によっては、脚が湾曲していて、自然な姿勢で足を着地させると足の外縁部から接地することもある。こうした体型や骨格の特徴によって、「正しい歩き方」も変わるというのがおそらく妥当な考えだろう。
 一般に、四足動物の足は、人間で言えば爪先部分である。つまり、彼らは常に爪先立ちで歩いているのである。動物の方が人間より健康だという保障はないが、運動能力でも体力でも動物の方が優れているのは確かなようだ。ならば、彼らに見習って、我々も爪先歩きをしてみてはどうだろうか。さすがに家の外では恥ずかしいから、自分の家の中にいる間だけでも、常に爪先立ちで行動するのである。ついでながら、ジョギングやマラソンをしている時は、人間もほとんど爪先だけで移動しており、踵をべったり地面につけることはしていない。踵は着地の一瞬に地面に触れるだけで、後は爪先でのキックで走っているのである。
 インターネット記事には、「正しい歩き方」を扱った記事は案外多いが、そのほとんどは、ファッションモデル的な「美しい歩き方」か、運動としての「ウォーキング」の話である。そのどれも、日常的な「正しい歩き方」の話ではない。
 これらの記事で推奨されている歩き方は、「背筋を伸ばし、頭を高くし、膝を曲げずに歩き、踵から着地する」という共通点がある。だが、これは「体に良い歩き方」だろうか。そうとは限らない。なぜなら、この歩き方は、大地からの衝撃を膝で直接に受ける歩き方だからである。この歩き方を続けると、おそらく中年以降に、膝関節に障害が生じるだろう。関節の軟骨は、毎日の歩行で次第にすり減っていき、それは再生されることはない。こうした世間に出回る「美しい歩き方」「正しい歩き方」は、膝関節の消耗を加速させる歩き方ではないだろうか。
 私の考える「正しい歩き方」は、足裏全体(正確には、六分四分で踵に重心がかかるだろうが)で着地し、その際に、膝はわずかに曲がっているという歩き方だ。つまり、体重という重荷が地面へ着地する、その衝撃を柔らかに受けねばならない。(高野文子の「るきさん」の歩き方が、私の言う歩き方である。あの絵の膝の曲がり方に注目!)
 頭は天からの紐で吊されるイメージではなく、頭の上に水の入った壺を載せ、それをこぼさずに歩くイメージである。重心の水平移動とでも言ったらいいだろうか。能の「すり足」ほど大袈裟ではないが、それに近いものを想像してもらえば良い。
 現代生活で衰弱しがちな筋肉の強化のために、体の裏側の筋肉を意識的に強化する気持ちで歩くのがいい。心持ち腰を落とし、わずかに膝を曲げる歩き方をするだけでも、大腿筋が強化され健康に役立つだろう。
 なお、マサイ・ベアフット・テクノロジーという、マサイ族の歩き方を研究した成果を利用したエクササイズ用の靴がある。靴底が半球状に丸い靴で、その着地の不安定さを体が自然にバランスを取ることで無意識の運動になるわけだ。しかし、想像すればわかることだが、こういう靴を履いて足を着地させる場合、当然、踵からの着地にはならない。足裏全体での着地になるだろう。つまり、私が先ほど書いた歩き方である。何も、高価な靴を買わなくても、能楽の「すり足」をややスピーディに、そして少しだけ足を浮かせば、マサイ族の歩き方になるのではないだろうか。その際、靴の中の足指の一つ一つが大地をグリップする感じで歩けば、それこそ原始的、野性的、そして健康的な「正しい歩き方」になるだろう。

17 ビタミンとミネラル

 「医食同源」という言葉がある。正しい食生活は、健康の源だということだが、何が正しい食生活なのかがわからない、あるいはわかっていても気にしない人も多い。
 現代人なら、中学校の家庭科で、栄養学の基本は習ったはずだ。それを守ればいいだけのことである。過食を避けることについては最初のあたりで述べたので、ここでは、健康のために必要な栄養について述べよう。
 まず、活動エネルギーとしての炭水化物は、米飯やパンなどの主食で十分に摂っているだろうから、気にしなくていい。タンパク質は、体を育てる成長期には大事だが、成長が終わった後は、むしろ摂り過ぎに気をつける必要がある。一日にせいぜい卵一個か二個くらいで十分だろう。もちろん、体の細胞は毎日生まれ変わるから、成長期が終わってもタンパク質は必要だ。しかし、体調維持のためならば、動物タンパク質よりも、大豆製品(豆腐、オカラ、納豆など)の植物タンパク質のほうが健康にはいいようだ。何より、肉ばかり食っていると、大便の質が悪くなる。(いい雲古をするのも、生活を快適にする大事な要素の一つだ。昔から、快食快眠快便と言われている。)
 炭水化物やタンパク質は、現代生活では不足することはほとんどない。意識的に摂取する必要があるのは、ビタミンとミネラルである。特に野菜嫌い、果物嫌いな人間はビタミンCが不足し、緑黄色野菜が嫌いな人はビタミンBが不足する。ミネラルで言えば、塩分を摂りすぎる人はカリウムが欠乏して高血圧になりやすいから、カリウム不足にならないように気をつける必要があるし、中年以降の人間なら老化防止のために亜鉛を欠かさないことだ。ビタミンCも老化防止によい。ミネラルの中には、血流をよくする働きとか、その他いろいろ、我々が意識していない体の調整をしている物があり、その欠乏は病気や老化の原因になるので、自分でいろいろ調べて、早い時期から正しい食生活をするのがいい。

18 1日3食か1日5食か、それとも断食か

 トールキンの『指輪物語』の映画の中で、ホビットの一人が、ホビットたちは一日に五食の習慣があることを言う。これはなかなか面白い習慣で、若い人は別として、中年以降の人にとっては、一日五食というのも一つの賢い方法かもしれない。というのは、何度も書いているとおり、20代から始まる肥満の原因は、胃拡張のせいだというのが、私の考えだからである。若い頃の消化能力を失いながら、しかも胃が拡張されているために必要以上に食べ過ぎること、これが運動不足の生活と相俟って肥満の原因となるのである。その対策としては、食事の量を減らしていくのが一番だが、それだとすぐに腹が減る。そこで、一日五食とするのである。要するに、間食をするのだ。朝食が7時で、昼食が1時、夕食が7時なら、間の6時間は腹が減りすぎる。そこで、朝10時と昼4時頃にお茶を飲み、その際に少しの菓子を食うわけだ。甘味によって満腹感が得られるので、それで、一日三回、満腹するまで食うよりは少ないカロリーで満足できる。
 ただし、これは過渡的な方法である。この方法を取ると、空腹感を覚える前に食事をすることになるが、空腹を知らないのはあまりいいことではない。
 というのは、飢餓感というのは、実は動物の生命エネルギーを引き出すからである。アメーバのような下等動物でも、ずっと餌を与えるよりも、定期的に餌をストップした個体のほうがはるかに長命になるという。
 沖縄の長寿も、幼い頃に飢餓体験のあった老人世代が長生きした結果であり、「粗食」と「空腹」は長命の一つの条件なのである。だから、そうした老人たちが寿命を終えた後の沖縄県は、長寿県ではなくなるはずだ。
 自分自身の経験から言っても、肥満気味だった頃と、肥満を克服した現在では、健康状態が明らかに違うのである。
 空腹が生命エネルギーを引き出すというのはべつに不思議でも何でもない。人間の能力は必要な時にしか出てこないことが多いのであり、締め切りに追われる作家や試験前の受験生が、タイムアップ寸前になると異常なエネルギーが出てくるのはよくあることだ。生命も同じであり、空腹という「死のサイン」を感じた肉体が、生命エネルギーを発揮するのはある意味では当然だろう。
 お坊さんたちに長命の人が多いのは、彼らの粗食と断食訓練に原因の多くがあり、また、精神訓練によってストレスから解放されているからだろう。その逆が政治家で、彼らは暴飲暴食と不規則な生活習慣をしていて、通常の人間なら一日も堪えられないストレスの多い暮らしをしているが、それでもけっこう長生きをするのは、彼らの生まれつきのエネルギーによる。つまり、彼らは人間というよりは野獣的なバイタリティを持っている怪物連中なのである。
 

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