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ゲーム・スポーツなどについての感想と妄想の作文集です 管理者名(記事筆者名)は「O-ZONE」「老幼児」「都虎」など。
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下の論は「一流・二流」という区別の根拠がまったく曖昧で、論としてダメダメだが、芸術(というより美術、主に絵画)の世界で奈良や村上が持ち上げられてきたのはおかしいという点だけは同感である。特に村上などまったくオリジナリティが無い。奈良の絵は気持ち悪い。まあ、気持ち悪い絵でも価値のある絵はあるが、奈良のはただの素人漫画(イラスト絵)である。
村上のように他人の作品に依拠して作品を作るというのは現代美術で「合法化」されているが、これもおかしなことだろう。もちろん、小便器を「泉」と名付けて展覧する、というような「反抗精神」や「既定概念への挑戦行為」はあっていいが、それは美術とは別のものだ。などと言いながら、私の言う「美術」が古典美術だけに限定されているという批判は当然あるだろうが、奈良や村上の美術が「二流品」であるのは明白だろう。あなたは自分の家に奈良の絵や村上の彫刻を飾りたいか。それがダメなら、それはあなたにとっては「美術」ではない、といういことだ。
ではミュシャの絵はどうか、と言えば、あれは少女漫画の原点だろうから漫画家やイラストレーターが好むのは当然であるが、しかし家の中にミュシャの絵を飾りたいか、となるとためらうのではないか。やはり野に置けレンゲ草であり、あれは雑誌などに載る種類の絵だと思う。ローランサンあたりのほうがまだ「美術」性があると思う。ついでだが、ローランサンとサンローランの名前を西洋人はごっちゃにしないのだろうか。


(以下引用)

ミュシャは二流の画家、その絵はオタクのいう萌え絵程度の絵で、芸術ではありません。 - Togetter

ミュシャは二流の画家、その絵はオタクのいう萌え絵程度の絵で、芸術ではありません。 - Togetter


https://togetter.com/li/2121114


これ、やはり『フェミニストは正しかった』という結論しかならない。すなわち「ミュシャはもちろん3流(これは常識)だし奈良もそれ以下。哲学者さんの言うとおり」


ポイントは『(ミュシャやこの哲学者さんがどうこうではなく)奈良村上


まりアニメ文化(オタクイズム)をいわゆる純粋芸術昇華したと(これまで)絶賛されてきたグループの正確な美術史評価』これ意外とヤバい


なぜヤバいかというと(その当時の)画家ミュシャが石板画や広告ポスターといった


表現形態(メディア)に機種依存してたのと全く同じ理屈で『アニメ文化(オタクイズム)がカッコいい限り奈良村上もまたカッコいい』だから


端的にいってオタク文化、以前ほどの勢いがないばかりでなく明らかに気が狂いはじめてる。


鈴木宮崎駿(同社の抱えるトップクリエイター)と一介の東南アジアシングルマザー区別がもうついてない


宮崎後継者ともいわれてるオレたちの庵野(ナンバーツー)はヒーローモノ実写でもビシッときめてくれるはずがあの『キャシャーン』と比較されるほどのありさま(大失敗。


これは間違いなく『業界のもの』の構造限界


Midas陛下コメ抜粋

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