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ゲーム・スポーツなどについての感想と妄想の作文集です 管理者名(記事筆者名)は「O-ZONE」「老幼児」「都虎」など。
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久しぶりに「漫棚通信」を開いて記事を読むと、面白かったのでここに転載し、一言付け加える。
もちろん、私は筆者のパロディ論に同感であり、過剰な「著作権」の主張は創作世界を衰退させ枯渇させる、という意見である。
まあ、それより、問題のパロディ作品だが、ここに紹介された部分だけ見ても、非常に高度なパロディであるようで、かりにこの作品が市場から消されるなら、それは作者にも漫画ファンにも不幸なことだと思う。
私が想起したのは、「電脳マヴォ」の過去一番か二番の人気を得ている短編漫画、「家族喧嘩」である。あれは少女漫画の絵柄とリアルな絵柄が同じページや同じコマに同居することから来る笑いだったが、これは少女漫画と少年漫画の絵柄の同居という、やはり作者に力量が無いと描けない作品だろう。ぜひ、見てみたいと思わせる内容だ。宇和野宙、という名前は憶えておこう。


July 12, 2019

誰が誰にあやまるのか:花とゆめ2019年14号


 2019年7月5日、白泉社のサイトで下記のお詫びが掲載されました。>こちらがそのお詫び


 将来的に消えてしまうページかもしれませんので、以下に全文を転載します(ちなみにこういう文章に著作権が存在しないことはみなさんご存じのとおり)。


*****
花とゆめ14号よみきり作品に関するお詫び


2019.07.05


花とゆめ14号の読みきり作品に関して、多くの読者の皆様から、主人公の女性キャラクターが既存の先生の絵柄に非常に似ているとのご指摘を頂戴しました。


該当作品の絵柄は、編集部が率先して先生の絵柄に近しい方向へと誘導した結果のものであり、本来なら掲載を中止しなければならない程、酷似していたにも関わらず、雑誌に掲載するという過ちをおかしてしまいました。


この度読者の皆様をお騒がせしてしまった原因は、すべて編集部の意識・認識の甘さによるものです。花とゆめをご愛読頂いている皆様の信頼を損なってしまいましたこと、誠に申し訳ありませんでした。


そして絵柄を酷似させてしまった先生、そのために誤解や混乱を生じさせてしまったファンの皆様、該当作品を執筆された先生に、多大なご迷惑をお掛けしました事を心よりお詫び申し上げます。


今後は二度とこのような事態を招かぬよう編集部内で意識改革を徹底し、読者の皆様の信頼を取り戻してゆく所存ですので、これからも花とゆめをご愛読頂けますようお願い申し上げます。


花とゆめ編集部


編集長 佐藤一哉


*****


 一読、きわめて奇妙な文章です。盗作あるいは剽窃事件に関してのお詫びのようなのですが、その理由は「絵柄に非常に似ている」かららしい。


 この文章は編集部=出版社が謝っているのですが、その対象が(1)剽窃されたらしい原著者である作家(しかも名前は秘す)。(2)読者(原著者のファンだけ?)。(3)読み切り作品であるマンガを描いた作家(名前は秘す)。作品名も不明なら作家名も不明で、何が言いたいのかよくわかりません。


 原著者に対するお詫びなら、本人に何かひと折り持って行けばすむように思いますが、読者や読み切り作品の作家にも謝罪されている。


 編集部主導で既存作家の「絵柄に非常に似」たマンガが雑誌に掲載された。それについて編集部が謝罪している。ここで引っかかります。それってマンガとして問題なのか。


 そもそも、マンガそして絵画の修行・鍛錬は、模写によってなされてきたという歴史があります。というか、それを指摘するまでもなく、絵を描くひとにとって模写はアタリマエのこと。


 手塚治虫は先行するディズニーやジヨージ・マクマナス「ジグスとマギー(親爺教育)」を模写し、藤子不二雄は手塚を模写し、少女マンガ家たちはミュシャを模写する。これはアメコミの世界でも同様で、マンガ家たちはみんな先行作家作品の模写をしてきました。


 一般読者に対しても、出版社はマンガ作品の模写をつのり、投稿された読者のそれを雑誌に掲載してきました。それがマンガというメディアを進歩、発展させてきたことは間違いありません。


 ならば、既存作家の「絵柄に非常に似」た新人作家マンガの何が問題なのか。


 白泉社は何ゆうてんねん、自分で自分の首しめてるんとちゃうんか、という気持ちで、「花とゆめ」2019年14号を入手して読んでみました。


*****


 該当作品は白泉社「花とゆめ」2019年14号、ほぼ巻末作品で、作者は宇和野宙(うわのそら)、タイトルは「ロマンスとバトル」です。


 巻頭ページ、アバンタイトルで、主人公である女子高生ルミが、食パンを口に「遅刻遅刻~っ!」と言いながら、奥から手前に向かい走ってきます。彼女の目は顔の三分の一を占めるほど大きい。全段ぶちぬきでバックには桜の花をしょっている。


 キャプションで以下。
「私 夢川ルミ!」
「キッラキラの女子高生☆」
「この恋愛少女漫画の主人公なの!」
「あの曲がり角で爽やか王子系イケメンにぶつかる予定!」


(クリックで拡大)


Romanceandbattle


 こ、これは…… メタ作品やん! パロディやんか!


 ページをめくると、主人公ルミは出会い頭に交通事故にあってしまう。


 そしてルミは、バトル系少年マンガの世界に転生します。その世界の登場人物はルミとは絵柄も違うし、行動原理も違う。彼女は自身の少女マンガ世界に戻るため、「必殺奥義 泣き落とし!」や「キラキラトーン フラッシュ!」を駆使して、少年マンガ世界の登場人物と戦い続ける……。


 オープニングからして、遅刻少女+パン+出会い頭の衝突ですよ。


 主人公は、自分が典型的少女マンガの主人公であることを自覚しており、泣き落としやキラキラトーンをギャグ的「技法」として使用しています。


 本作は、商業少女マンガ雑誌に掲載された、典型的少女マンガキャラが、自身が典型的少女マンガキャラであることを自覚して行動する、メタ的少女マンガであります。ならば主人公の姿は、典型的少女マンガスタイルであるべきでしょう。


 つまり、今回のパロディ作品に対して、本作は正しいキャラ設定をした。というのが本ブログの考えです。本作の設定に対し、キャラクターを「BEM=BUG-EYED MONSTER」たる巨大眼少女に設定したのは正しい。そして本作キャラの原著者と推察される、種村有菜キャラに似せたのは、まったく正しいと考えます。


 種村有菜といえば、一時期のりぼんの表紙で知られているかた。バランスを失するほど眼が大きい少女の絵が有名です。本作については、「ちょっと驚いています。全く知らない方です…」というツイートをされていました。


 しかし、本作の作品構造、さらにマンガと模写の歴史について考えを及ぼせば、本作のキャラクター造形も許してくれるのではないか。


 現代日本、パロディはきわめて生きにくい時代となっています。いわゆるパクリと混同されることも多い。原著者に対して仁義を切らないと、パロディは存在することも困難です。田中圭一が原著者からどこまで許可を得ているかは知りませんが、本来のパロディは原著者に連絡など不要なのです。


 わたしの世代はパロディを崇高な権利として理解していました。本来パロディは原著および原著者に対する批判であり風刺であり、さらにはそれとは無関係のナンセンスな自己表現、のはずでした。これをわたしたちは筒井康隆や長谷邦夫から学んだのです。パロディに対して著作権を行使して反対する行為。これを施行する原著者は、ケツの穴の小さいやつ、と思われていました。わたしは現在もそう思っています。


「ロマンスとバトル」の作者は花とゆめ2019年14号に以下のコメントを載せています。「デビュー作になります。メタギャグ(?)漫画です。ルミの作画が大変でした…。マッチョキャラが描けて嬉しかったです。」


 その後の展開を思うと、このコメントには涙しかない。


 白泉社のコメントは、原著者、読者、作者の三者に謝っていますが、本来は謝るべきではなかった。本作に何らの非はない。むしろこの謝罪は、マンガ表現を萎縮させるだけでしかありません。そして今こそ、白泉社は「ロマンスとバトル」の作者を救済すべきであると考えます。


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