忍者ブログ
ゲーム・スポーツなどについての感想と妄想の作文集です 管理者名(記事筆者名)は「O-ZONE」「老幼児」「都虎」など。
カレンダー
04 2024/05 06
S M T W T F S
1
8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31
フリーエリア
最新CM
最新TB
プロフィール
HN:
o-zone
性別:
非公開
バーコード
ブログ内検索
P R
カウンター
[6801]  [6800]  [6799]  [6798]  [6797]  [6796]  [6795]  [6794]  [6793]  [6792]  [6791
「時間の問題」を中断しているが、なぜか書く意欲が起こらないのである。で、先ほどたまたまこのブログの過去記事を見ていて、カート・ヴォネガットの創作法メモというのを読むと、その理由が分かった。赤字にした部分は、私の創作が完全に反しているものだ。私自身が「欲しいものがほとんど無い」人間なので、何かを欲しがっている人物(私の嫌いなタイプの人間)を考えるのが面倒くさいのである。つまり、キャラたちに、行動させる根拠がない。事件の起こりようがない。「思考速度の速さ」というのは悪くないアイデアだと思うが、それもウェルズあたりにあったような気がする。

今、トーマス・マンの「魔の山」を途切れ途切れに読んでいるが、ほとんど事件の起こらない小説で、作者は何が楽しくてこういう作品を書いたのか、首をひねるのだが、ありふれた日常生活を描くこと自体が楽しいのだろう。つまり、日本の私小説的世界を膨大な長編にしたわけだ。で、何も起こらないが、作中人物が「何か(たとえば健康)を欲しがっている」ようではある。だから、読者を先へ引っ張っていく「小説エンジン」はあるのだろう。そして、死が常に身近にある。つまり、「冒険」が見えない姿で隣にいる。

欲しがる対象というのは非常に大事(ヒッチコックも同じことを言っている。)で、たとえば騎士物語の「聖杯探求」が、それである。それがあれば、その障害もあり、つまり話を作れるわけだ。「バック・トゥ・ザ・フューチャー」だと、「未来に帰る」ことが目標であり、つまり映画タイトルがそのままそれである。「ロビンソン・クルーソー」だと、故国に帰ることが主人公の目標で、それが明確だから、毎日の生活の危険がそのまま冒険物語になる。

チート主人公の異世界物(異世界転生物)がだいたいつまらないのは、チート能力そのものにある。読者は「どうせチート能力で切り抜けて終わりでしょ」と思うから、ハラハラもドキドキもしない。つまり、どんな冒険も冒険にならないわけだ。私の「時間の問題」は最初からその過ちを犯している。

(以下引用)ゴキブリは紙をかじるか? 

■おまけ・ヴォネガット創作講座
最後に、序文でのヴォネガットによる《創作講座初級篇》をちょっと抜粋しておこう。創作に興味のある方には参考になるのではないだろうか。


《創作講座初級篇》
1.赤の他人に時間を使わせた上で、その時間は無駄でなかったと思わせること。
2.男女いずれの読者も応援できるキャラクターを、少なくとも一人は登場させること。
3.例えコップ一杯の水でもいいから、どのキャラクターにも何かを欲しがらせること。
4.どのセンテンスにも二つの役目のどちらかをさせること…登場人物を説明するか、アクションを前に進めるか。
5.なるべく結末近くから話を始めること。
6.サディストになること。どれほど自作の主人公が善良な人物であっても、その身の上に恐ろしい出来事を降り掛からせる――自分が何からできているかを読者に悟らせる為に。
7.ただ一人の読者を喜ばせるように書くこと。つまり、窓を開け放って世界を愛したりすれば、あなたの物語は肺炎に罹ってしまう。
8.なるべく早く、なるべく多くの情報を読者に与えること。サスペンスなぞくそくらえ。何が起きているか、なぜ、どこで起きているかについて、読者が完全に理解を持つ必要がある。たとえゴキブリに最後の何ページかをかじられてしまっても、自分でその物語を締めくくれるように。

PR
この記事にコメントする
お名前
タイトル
文字色
メールアドレス
URL
コメント
パスワード Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字
忍者ブログ [PR]