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ゲーム・スポーツなどについての感想と妄想の作文集です 管理者名(記事筆者名)は「O-ZONE」「老幼児」「都虎」など。
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以前にも載せたかもしれないが、かなり前の山本弘の日記的エッセイである。脳梗塞後は生きることに意味を失っていたのではないか。誤嚥性肺炎による死亡なら、苦しいだろうが、死に至る時間は短いかと思うので、死を望むならそう悪い結末でもなかったように思う。しかし、彼の文章を読むと、自分という人間には凄い(社会的)存在価値がある、という自負心があちこちに感じられ、そいう人間が脳梗塞で「生ける屍」化したと自分を感じたら、それは死にたくもなるだろう。つまり、「他者からの評価」=「自分の評価」だったのではないだろうか。
ついでに言えば、「生きていること自体が社会の迷惑」でありながらマスコミ(あるいは政治経済界)で大物扱いされている人間はたくさんいる。

(以下引用)

自殺騒ぎの後で

 この文章の少し前、自殺をほのめかす文章を書いて、ツイッターに騒ぎを巻き起こした。

 正直に書いておくが、自殺を図ろうとしたのは事実である。決して衝動的な自殺ではなく、一年近く前から計画していたことでも。自殺のやり方は深夜の出血多量による失血死。眠っている間に安らかに死ねる……と思っていた。

 自殺の方法はいろいろ考えた。前に書いた『詩羽のいる街』のように、マヌケな死に方や他人に迷惑をかける死に方を選んで、笑いものになるのだけは避けたい。

 かなり悩んだのは、仕事場に使っているマンションから飛び降りるという方法である。しかし、これは実行不可能だと分かった。というのも、僕の健康状態が急速に悪化していたからだ。

 脳梗塞で4箇月ほど入院した直後はまだましだった。歩いて家の周囲を何周も回ったりもした。それがしだいに歩ける距離が短くなってきた。

 今は、家の周囲を一周すらもできない。これでどうやって仕事場のマンションににまでいくつもりなのか。

 結局、僕は飛び降り自殺をあきらめ、自宅での失血死を選んだわけである。

 ところがこれが想像以上に難しかった。第一の問題が、切れ味のいい刃物が見つからなかったことだ。やむなく、ノコギリを使ったのだが、まったく血管に達しない。痛い思いをしただけだった(笑)。

 情けなかった。今や僕には自殺さえできないのか。



 そうこうするうち、僕がツイッターで自殺をほのめかしたという話が拡散し、えらく大きな騒ぎになっていた。誰かが警察に通報したらしく、夜中の三時過ぎに警官がやってきた。おかげで妻や娘にも僕の計画がばれてしまった。

 そんな一夜の恥ずかしい体験が僕の自殺騒ぎだったのだ。妻は怒りはしなかったが、ひどくあきれられた。「あんたなあ、自殺では見舞い金がおりひんのやで」と。
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