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ゲーム・スポーツなどについての感想と妄想の作文集です 管理者名(記事筆者名)は「O-ZONE」「老幼児」「都虎」など。
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井口博士のブログから転載。
スポーツ上達の原則は頭を使うことだ、ということである。言われたことを何も考えずにやるのは動物の調教と同じであり、それでもある種のスキルの向上はあるが、それで動物から人間になるわけではないし、訓練された以外の事態には対応できない。これが体罰システムの本質である。



(以下引用)



(き)最後に、最近部活の先生による「体罰」が話題になっているから、どうでもいいことだが、ついでにメモしておくと、私が野球部にいたときは、先生からの体罰というものはなかったが、上級生たちからの体罰は歴然として存在した。野球部の部室が一番大きく、新入部員の30人くらいは簡単に入ることが出来たから(サッカー部はそんな広い部屋はなく、みな外で着替えた)、部室という暗室の中で「ビンタ」や「ケツバット」を食らったのであった。先輩の気に入らないことがあるたびに連れ込まれて「体罰」と受けたものである。そういう「体罰」をする係の先輩がいて、決まって、そういう輩は野球音痴の選手としてはクズだった。だから、私はヘタクソがやることがないから下級生の体罰係をさせられるのだと理解し、学校では「声だし」と「球拾い」しかできないから、家に帰ってから必死で練習したものである。この野球部は実に弱かった。それもそのはずで、まともな野球の練習方法を知らない、教えられていないから、選手たちは身体がなまり、下手になる一方だったのである。偶然、私の1年生たちは小学生大会で県大会で優勝したチームがそっくりそのまま入学したので、その小学校ではなかった私は非常に期待したのである。しかし、我々が2年になると、その優勝メンバーが1回戦であえなく敗退したのである。このときを境にそのチームは一気に不良の巣窟に変化した。がらっと雰囲気が変わったのである。それで私自身はこれではまずいなと遅ればせながらサッカー部へ移ったのである。

一方、サッカー部は野球部とは違い、このサッカー部は体罰もなにもなく、すべて理論と実践のやり方であった。雨の日はクラスに集まり、サッカーの理論やプレーの説明を受ける。準備体操の仕方や思想、練習の方法や思想を説明を受ける。この練習は何のためにするのか? そのためにはどこに注意しなくては行けないか? そういうことを教え込まれた。そして天気のいい日にはグランドで実践する。常に適切なアドバイスを受けた。記憶力と理解力があり、運動神経の良かった私は見る間に等角を表し、あっという間にレギュラーに定着した。個人技術も戦術もリーダー的存在に育った。しかし、真夏の練習は実にきつかった。しかし、いちども怒鳴られたり、どやされたり、けなされたり、殴られたりしたことはなかった。

私がここ徳島のサッカー部の監督たちの口汚さや殴る蹴るの指導法に違和感をいつも感じるのはこういう経験が基になっているのであろう。ヘタクソなやつどほど怒鳴り散らす。まあ、そういうものである。

基本的にスポーツは頭でするものである。どんなスポーツでも人間が行うものはすべてそうである。サッカーでも野球でもバレーでもバスケでも何でも結局は頭でするものである。体罰や暴力は頭を使うことの否定でもある。すなわち、そういうチームは強豪になるどころかなまくらになるのである。きつい練習や厳しい練習というものと、痛い練習や怖い練習というものは違うのである。

さらについでに付け加えておくと、学校の先生の「体罰」に匹敵するものが、科学者の世界における、いわゆる「権威をかさに着る」というものである。結局どちらも頭を使わなくなるということが共通点であるというわけですナ。





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