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ゲーム・スポーツなどについての感想と妄想の作文集です 管理者名(記事筆者名)は「O-ZONE」「老幼児」「都虎」など。
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ネットフリックスで「アイの歌声を聴かせて」を見たついでに、同作品の監督吉浦何とかの記事の一部を載せておく。
作品自体は、やたらと感動を狙った、大人だと見ていて気恥しくていたたまれないような作品だったが、出来自体は水準以上ではあると思う。まあ、脚本に大河内一楼が共同脚本をやっているので、気持ち悪さが監督に由来するのか大河内が原因なのか、もうひとりの脚本家によるのかは分からない。それに、その気持ちの悪さというのは、単に私の主観である。細田守の「狼こども」以降の作品と似たようなものだ。
まあ、話はどうであれ、演出の欠点はやはり監督の責任だろう。ラストの辺りは、話の合理性より勢いだけで感動させようという印象で、まあ、たとえば古い映画のクライマックスのラブシーンの背後でなぜか花火が上がるような感じである。
それよりも、一番の問題は、ロボットがロボットの動きをしていないことである。バッテリー切れだのに、まるで人間が力が尽きたような動きをする。バッテリー切れは、突然動きが止まるものだ。それでこそ機械の悲哀が出るのに、病気か力尽きた人間のように「タメ」を作るのはかえって気持ち悪いのである。
話全体がミュージカル風であるのも、やはり「こそばゆい」。
ただ、ところどころに少し面白いギャグもあった。「舞踏会」と柔道の「武闘会」を混同するというのは、私好みのギャグである。
言うまでもないが「アイ」とはAIのことである。
ロボットが感情を持つ、あるいは人間がロボットを愛するというのは、ピグマリオンの昔からある「悲劇的恋愛」のパターンだ。この作品ではロボットではなくAIが中心だが、映像的にはやはり「人間の姿をしている」ことが作品の絶対条件なのである。つまりは「人形愛」の話だ。

(以下引用)

1980年生まれの吉浦康裕が『ペイル・コクーン』を作ったとき、まだ23歳という若さであった。『イヴの時間』の発表時は28歳、『サカサマのパテマ』の時でもまだ33歳、そして8年間のブランクはあったものの、『アイの歌声を聴かせて』は41歳となった吉浦康裕の勝負作である。スタジオ育ちではなく、インディーズ出身、デジタルスタジアムや東京国際アニメフェアで賞を獲得しプロとなった経緯も新海誠と似ている。果たして彼が日本のアニメ監督が持つ作家性と商業性を引き継げるか、その意味でも『アイの歌声を聴かせて』は間違いなく注目作品なのである。

『アイの歌声を聴かせて』©吉浦康裕・BNArts/アイ歌製作委員会

文:増田弘道
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