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ゲーム・スポーツなどについての感想と妄想の作文集です 管理者名(記事筆者名)は「O-ZONE」「老幼児」「都虎」など。
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私は継投自体に反対する者ではないが、ワンポイントリリーフなど、試合時間を長引かせるだけで効果の怪しい戦略には批判的である。1試合の投手数は3人までと制限することで、監督たちも長期的視野でチーム運営をすることができ、「まともな野球」が多くなるのではないか。まあ、先発投手が不出来で序盤に大量失点をしたら、その試合はもともと負け試合がほぼ確定なのである。相手先発がそれにつきあって不出来な投球をして初めて、試合が拮抗してくる。つまり、アホ試合、バカ試合でしかない。もちろん、それも面白い試合にはなるが、そこで投手をやたらに注ぎ込むことに私は反対しているわけだ。そうなると、投手の消耗度が激しくなり、選手生命に関わる。
先発投手が常に100%の力で投げるからといって、100%の結果になるわけでもない。打者との駆け引きは、「力を抜いて投げる」のも重要なポイントのはずだ。制球とはもともと力の制限が前提なのである。昔のアメリカの記録上の最速投手は1軍にも上がれなかったノーコン投手だったのである。確かダルビッシュも、制球を考えなければ170キロ投げられると言っていたはずだ。

(以下引用)

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64試合連続完投の記録を持つ小野秀明さん【写真:川浪康太郎】
64試合連続完投の記録を持つ小野秀明さん【写真:川浪康太郎】
© THE ANSWER



東北大で83登板、33勝、66完投…40年近く破られていない大記録を持つ小野秀明さん
大学野球界の“レジェンド”が、64歳になった今もマウンドに立ち続けている。東北大時代に数々の仙台六大学野球連盟新記録を樹立し、現在は仙台市の硬式野球クラブチーム「青葉クラブ」に所属する小野秀明さんだ。大学通算成績の83登板、33勝、66完投は40年近く破られていない大記録。64試合連続完投、566回連続投球回という前人未踏の数字も小野の鉄腕ぶりを物語っている。偉業の裏側には、現代野球にも通ずる「準備」と「覚悟」があった。(文中敬称略、取材・文=川浪 康太郎)

◇ ◇ ◇

3月中旬、東北大富沢グラウンド(仙台市)に、母校とのオープン戦で登板する小野の姿があった。現役の大学生相手に2回完全投球。大学生には劣る球威を抜群の制球力でカバーし、3三振を奪った。登板前は「試合が終わらなくなってしまうのではないか」と不安を感じながらも、マウンドでは「ピッチャーが自信なさそうに、不安そうに投げると味方にも伝染する。ピッチャーはいつも毅然と、堂々と胸を張って投げなければいけない」との信念を貫いた。
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小野の野球人生の始まりは50年以上前まで遡る。小学校低学年の頃は地元・仙台市中心部を流れる広瀬川の河川敷で「ボール遊び」を楽しんでいた。小学校高学年と中学校の期間は軟式野球をプレーし、高校は野球も勉強も県内屈指のレベルを誇る仙台二に進学。硬式野球部で1年夏から先発投手として活躍した。

高校時代はひたすら投げ込みを行った。夏の大会前などの時期は授業が始まる前の早朝に200球ほど投げ、授業後から日没まで投げ続けるのが日課になる。多い日は1日約600球を投じていた。結局、甲子園出場は果たせず、最後の夏は県大会2回戦敗退と悔いを残したが、小野は「投げ込みをしたことで下地が出来上がって、それが大学に入ってから実を結んだ」と振り返る。

高校卒業後は2年間の浪人生活を経て、旧帝大の一つである東北大に進んだ。ブランクがあったにもかかわらず、1年春からリーグ戦に登板。2年春の途中に強豪・東北福祉大を完封すると、その試合から4年秋の引退試合までの64試合、一度もほかの投手にマウンドを譲らなかった。

当時の東北大は部員が30人近くおり、決して選手層が薄かったわけではない。ただ大学から野球を始めた選手も多く、中には「遊び感覚」と捉えられかねない選手もいた。「遊び半分で投げてボコボコに打たれて負けるくらいなら、俺が投げる」。覚悟を決めた小野は、一人で投げ切る意思を監督に伝えた。

特に1勝10敗と大幅に負け越した2年秋を終えたあとのオフ期間は「準備」を強化。1日最低200球は投げ込み、「完投する場合、1試合の半分は体を動かさないといけない」ことから、毎日その時間に相当する1時間半ほどは走り込みに充てた。ウエイトトレーニングはほとんどしていなかったが、試合中に弱りやすい握力を鍛えるトレーニングには欠かさず取り組んでいた。

3年春からは勝ち星が急増し、4年春はリーグ新記録の1シーズン8勝をマークして準優勝に貢献。単に一人で投げるだけでなく、エースの役割を全うした。

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小野さんは現代の投手分業制に理解を示しながら疑問も抱く【写真:川浪康太郎】
小野さんは現代の投手分業制に理解を示しながら疑問も抱く【写真:川浪康太郎】
© THE ANSWER
高校野球で進む球数制限に「一律に制限してしまうのはどうなのか」
「連投が続いて疲れを感じることはあったか」と尋ねると、小野は首を横に振った。「最初から一人で投げると覚悟を決め、準備をすれば、疲れを感じない体はつくれる。試合中に疲れると試合が壊れるし、自分も楽しくない。疲れないように、毎日走って鍛えていました」。近年の野球界では「走り込み不要論」が出ることもあるが、小野は一貫して走り込みの重要性を唱える。

また高校野球で球数制限の導入が進んでいることもあり、現代野球では先発完投よりも継投策が主流になっている。小野は「選手を守る目的でしょうし、連投はきついかもしれない」とした上で、「一律に制限してしまうのはどうなのか」と疑問を呈する。

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「完投自体は肉体を酷使するものではないし、野球は初回から9回まで150キロ、160キロの球を投げないと勝てない競技ではない。粘り強く、低めに丹念に投げれば抑えられるように、野球の神様がつくってくれている。『投げたい』という意思を持ってそのための練習を積んできたピッチャーには投げさせてあげたいし、(制限することが)選手の成長を抑えてしまう可能性もある」

様々な情報や考えがあふれる現代において、確固たる答えを導き出すのは困難だ。ただ、鉄腕の言葉には説得力がある。

大学卒業後に地元で就職してからは職場の軟式野球チームでプレーし、20歳代後半頃には発足したばかりの青葉クラブに加入した。小野の日常の中には野球があり続けている。現在は全体練習に参加するほか、チームメイトでもある息子とキャッチボールをしたり、以前と変わらず走り込みをしたりして体を鍛えている。今でも土日のいずれかは、自宅周辺を約10キロ走るという。

「よく冗談で、『年金をもらうようになって社会人を引退しても、社会人野球は続けられるのかな』と話しています。野球をしていて楽しいと思えるうちは続けたいです」

かつてのように完投する体をつくるのは難しいかもしれない。それでも、チームのために覚悟を決めて腕を振る姿勢と、登板に向けた準備をする日常は、ユニホームを脱ぐ日まで変わらない。

川浪 康太郎 / Kotaro Kawanami
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