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ゲーム・スポーツなどについての感想と妄想の作文集です 管理者名(記事筆者名)は「O-ZONE」「老幼児」「都虎」など。
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「Web Sportiva」から、記事のうち1ページを転載。要するに、江川と松坂の比較である。発言は、両者を目の前で見ている横浜高校の指導者2人だから確実な証言だろう。冒頭の「江川ですね」は、どちらが上かという質問への答え。
江川は大学浪人時代に肥満して骨格と肉体に齟齬が出て、大学時代は遊んで投げ、プロ入り後も本来の力に戻ることは無かったのである。たぶん、高校2年時が彼のベスト。

(追記)参考までに。私自身の見た印象も同じである。プロ入り後は155キロ前後で、高2のころは、それより少し上。ストレートは常に158キロくらいの印象。ストレートが伸びる感じは、一番好調な時の藤川球児に似ている。ただし、江川のようなエースピッチャーは、完投が前提だから、試合の6割くらいは手抜きで投げていた。すると、気を入れて投げても球が伸びないということもあり、プロ晩年には結構ホームランを打たれたのである。


実際のところ、江川のストレートはどれほど速かったのか。
江川の現役時代はちょうどスピードガンが導入され始めた時期にあたる。テレビの中継画面では、
ストレートの球速が140キロ前後と表示され、やはり現代の投手に比べれば劣るとの評価が一時あった

ところが、最新のAIを使った映像解析技術によって、そうした評価が覆った。
ソフトバンクに様々なデータを提供しているライブリッツ社による映像解析の結果、
江川が1981年のシーズン中に中塚政幸(横浜大洋)に投げたストレートの初速が158キロと計測されたのである

同社の解析によれば、江川のストレートのホップ成分
(プロ野球の投手の平均的なストレートに比べてどれだけ高い位置でホームベースを通過するか)
は、23.4センチで、比較対象となった佐々木朗希の18.6、大谷翔平の17.3、を大きく凌駕している


(以下引用)

江川卓の投球に「高校生のなかにひとりだけメジャーリーガーがいる」対銚子商戦で1安打20奪三振の快投→甲子園出場を決めた (4ページ目)


2024年02月02日 10:50 公開
2024年02月02日 12:07 更新
松永多佳倫●文 text by Matsunaga Takarin

「江川ですね。リズムとかバランスを考えると江川はちょっとぎこちなく、松坂のほうがバランス、リズム、タイミング、フィールディングなど、総合的には上かもしれませんが、球そのものの速さ、変化球のキレは江川が上でしょうね。時代は違いますが、投げ方など、松坂は尾崎(行雄)に似ているなって感じがしました。江川はちょっと異質でした。高校生でも近寄りがたい風格のある選手っていますよね。そういう意味で、江川は松阪よりも独特のオーラを持った選手でした」

 渡辺監督と二人三脚で常勝・横浜を築き上げた小倉清一郎氏にも同じ質問をぶつけてみた。

「松坂とは問題にならないですね。まず、あれほど伸びる高めの真っすぐを投げる投手はいない。今のスピードガンで計ったら、158キロから159キロくらい出ていたと思います。対策といっても、やりようがない。ヘルメットを深く被らせて高めを振るなといっても、ストライクですからね。コントロールもいいし、攻略などできない。ただ、江川の高校時代の練習量は松坂の半分もやってないでしょう。私の全盛期に江川を教えたら、もっとすごくなっていたでしょうね。松坂を鍛えたような練習をやらせれば......。まあ、江川は練習しなくてもあれだけのボールを投げられるんですから、天才なんでしょうね。モノが違います。いま投げても、三振の数はあまり変わらないと思いますよ。歴代ナンバーワンです」

 小倉にしてみれば、高校時代の江川を育てみたいというのは本心だろう。もしそれが実現していれば、高校野球のみならず、日本のプロ野球界の歴史も変わっていたかもしれない。

 江川の野球人生でもっとも"怪物"らしかった時期でもある高校2年秋の関東大会。たった3試合ではあったが、そのインパクトは強烈な輝きを放っていた。

前編<江川卓に対し「裏切り者のチームに負けるな」9回まで無安打投球も小山高の執念に屈し作新学院は甲子園出場を逃した>を読む


江川卓(えがわ・すぐる)/1955年5月25日、福島県生まれ。作新学院1年時に栃木大会で完全試合を達成。3年時の73年には春夏連続甲子園出場を果たす。この年のドラフトで阪急から1位指名されるも、法政大に進学。大学では東京六大学歴代2位の通算47勝をマーク。77年のドラフトでクラウンから1位指名されるも拒否し、南カリフォルニア大に留学。78年、「空白の1日」をついて巨人と契約する"江川騒動"が勃発。最終的に、同年のドラフトで江川を1位指名した阪神と巨人・小林繁とのトレードを成立させ巨人に入団。プロ入り後は最多勝2回(80年、81年)、最優秀防御率1回(81年)、MVP1回(81年)など巨人のエースとして活躍。87年の現役引退後は解説者として長きにわたり活躍している
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