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ゲーム・スポーツなどについての感想と妄想の作文集です 管理者名(記事筆者名)は「O-ZONE」「老幼児」「都虎」など。
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堀内恒夫のブログからだが、これは江夏豊の「ノーヒットノーラン+自らサヨナラホームラン」と並ぶ偉業だろう。いや、それ以上か。投手が一試合に3本もホームランを打つというのは、高校野球でも滅多にない。ましてプロ野球ではほかにないはずだ。まさにワンアンドオンリーか。
昔のエース投手は、若手の間はだいたい打撃も良かったのであり、今のように、疲れるから打たない、というサボり打撃は少なかったように思う。まあ、自分が打てば自分が勝つ可能性が高いのだから当たり前だが、投手の打撃成績は年俸に反映されていたかどうかは知らない。もちろん、打撃はどうしようもないが投手としてはエース級という投手もベテランには多かった。
堀内や江夏の記憶が強かったから、セリーグはDH制を導入しなかったのかもしれない。


今回のテーマは


【ノーヒットノーランと3打席連続本塁打】


 


この試合のことは


知っている方が多いと思うので


ちょっと違った角度から


お話ししたいと思ってます。


今だから話せる感じかな。


 


楽しみにしてくれてる


みにゃんさん


お待たせいたしました!


(話が長いから時間がある時に読んでね。)



(上)1967年のピッチング (C)報知新聞社


(下)当時の新聞の切り抜き ファンの方が送ってくれたもの


 


1967年10月10日


後楽園球場 対広島戦


 


1967年はね


入団2年目の年なんだけど


華々しいデビューとは正反対


俺にとっては


厳しいスタートになったんだ。


 


1月多摩川グランドでの練習中


突然、腰に衝撃が走ってね


トレーナーにギックリ腰では?


って言われたんだけど


接骨医 吉田増蔵先生の診立てで


椎間板ヘルニア


それも一部に亀裂が入ってるって、


治るのに半年はかかるって言われた。


 


でもその年は


宮崎キャンプの後


アメリカのベロビーチで


ドジャースとの合同練習が


予定されてたんだ。


 


俺、それにどうしても


行きたかったから


ギックリ腰のまま


通すことにしたんだ。


 


でもしばらくして


投げることはおろか


走ることもできなくなり


ついには


痛みで夜寝ることすら


出来なくなった。


 


だからみんなにバレないよう


コッソリとウィスキーを買い込み


寝る前に飲むことにした。


 


俺、酒は好きじゃなかったけど


痛みが増すごとに


酒の量も増えたもんだから


酒の臭いプンプンさせて


練習に参加してたんだろうな。


 


何も知らない


新聞記者からは


練習はさぼるし


酒の臭いはするわで


「遊びすぎ」


「天狗になりすぎ」なんて書かれてね、


1年目に生意気なこと


ばっかり言ってたもんだから


その腹いせか!


っていうくらいに叩かれたね~(笑)


 


というわけで


シーズン始めは


1軍2軍を行ったり来たりで定着できず。


2軍というものも


しっかりと味わいました。


 


2軍の試合は


早く終わるから


新宿 末廣亭には


よく通ったよ。


 


2階席の目立たないところに座ってね


その時は落語さえも


よく耳に入ってこなかったけど


合宿所に居たくなくて


1人になりたかったんだろうなぁ。


 


合宿所の部屋に


パチンコ台を置いて


部屋にこもって


ずっと球を弾いてたりもした。


 


この椎間板ヘルニアとは


一生のお付き合いになるんだけれども


腰の痛みを感じなくなった7月に


何度目かの1軍復帰となった。


 


そして


7月30日完投勝利を皮切りに


怒涛の8連勝で1軍に定着


1軍の試合で投げることは


本当に楽しかったよ。


 


そうして迎えた10月10日だったんだ。


優勝が決まった後の


日本シリーズまでの


練習のような試合


 


前日のバッティング練習で


持ち前のリラックスした感じが


なくなっているよって


アドバイスを受けて


手首がぐっと柔らかくなった。


 


そうするといい当たりが出て


イメージも良かったから


試合前のフリーバッティングはやらず、


そのまま本番に臨んだ。


 


そうしたらなんと


3打席連続本塁打だよ!


(ちなみに4打席目は


センター前ヒットですからね。)


 


ピッチャーが


ダイアモンドを3回もまわるなんて


そうあることじゃないだろ。


いや~楽しくてね、


 


頭の中は


ホームランのことばかり考えてて


四球も出してもんだから


9回までノーヒットノーランだってことに


俺自身、気づいてなかったんだよ。


 


いやね、


8回の広島の攻撃で


3-0から古場竹織さんが打ってきた時


いつもなら絶対そんなことしないのに


とは思ってたんだよね。


 


9回最後の1人を迎えて


カウント3-0になった時ね


ベンチから歩かせろのサインが


出たんだよ。


 


でもさ


これからノーヒットノーランを


やろうとするピッチャーがだよ


ヒットを恐れて


一塁に歩かせるなんて


とんでもないって


思ったんだよ。


 


それで言うこと聞かずにいたら


キャッチャーの吉田孝司さんが


マウンドに飛んできて


「歩かせろっていってるのに


(サインが)見えないのか?」


って言いにきた。


 


でも俺は


「わかってるよ。でもダメだ。」


って返事した。


どうしても勝負したかったんだ。


 


それで思い切って


ど真ん中にストレートを投げたら


打ち返されたけど


レフトの相羽欣厚(あいばよしひろ)さんが


左中間に寄っていて


それで捕ってくれたんだ。


 


後で「なんで歩かせない」って


藤田さんには怒られたよ。


川上監督も藤田さんも


俺が2軍に行って


どれだけ大人しくなったかと


期待してたかと思うけどね(笑)


 


当時の新聞記事に


俺のコメント


こんなこと書いてある。


 


「今の気持ちを


なんていったらいいのかわからない。


最後にジーンときたのは


僕がとったピッチャーゴロ


吉田孝さんのキャッチャーフライ


それに相羽さんへの当たりで


終わったでしょう。


それがなんともいえず


うれしかった。


みな、僕を励ましてくれた


合宿の仲間だったんですもの」


 


へ~~~(笑)


 


俺、このゲームで


ホームラン賞1本6,000円×3


ノーヒットノーラン 50,000円


計68,000円頂いちゃったもんだから


それを持って


一三さん、倉田さん


相羽さん、吉田さんたち


一軍の合宿所仲間を誘って


後楽園球場からバーに直行したんだ。


 


今日はお祝いだーって


みんなで気持ちよく


ナポレオンなんかも呑んでたら


所持金が足りなくなっちゃってね。


俺、自分の時計を形に置いて


帰ってくるはめになったよ(笑)


 


 


これが俺の


1967年10月10日の出来事でした。


最後まで


読んでくれありがとう!

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