文/服部健太郎

日本球界に深く根づいていた指導セオリー

「投げにいくときに、グラブを持ったほうの手を体に巻き付けるように強く引け!」

 いまから38年前となる1979年。小学6年生だったわたしは、所属していた少年野球チームのコーチよりブルペンにて冒頭のアドバイスをもらった。わたしは右利き。「ボールを持つ反対側の左手をもっと力強くダイナミックに使え」との助言だった。

「グラブ側の手を強く引くと、ボールを持った方の右肩が勢いよく前に出てくるから右腕もより強く振られる。左手で右肩を前へ引っ張り出してくるんだ」

 わたしは、「なるほど!」と思った。やけに説得力のある説明だった。そういう視点でプロ野球選手のフォーム画像を観察すると、たしかに多くのピッチャーはグラブを引いているように見える。野球の教則本にも「グラブを持った方の手を勢いよく後方に引くように使おう」と記されていることが珍しくなかった。

 わたしはなんの疑いもなく、グラブを後方に勢いよく引き続けた。ボールは以前よりも速くなったような気はしたが、制球力が悪化したことが悩みの種だった。ボールがスライダー回転したり、シュート回転することも増えた。わたしは、「きっとこれはフォーム改良による一時的な副作用。このフォームでもきちんと制球されたボールを投げられるように練習して 適応していかなきゃ」と考えるようにしていた。

国が変わればセオリーも変わる?

 その後、中学に上がり、父親の仕事の都合で約2年間のアメリカ生活を送ることになったわたしは、現地の中学校の野球部に入部した。ある日、投手志望の選手が集められ、チームの監督によるフォーム指導が行われたことがあった。教義はグラブ側の手の使い方にも及んだが、驚いたのはその内容だった。

「グラブは体の前に置いておき、そのグラブに対して体を寄せていきなさい」

 わたしは初めて耳にする指導表現にびっくりし、気が付けば手を挙げていた。

「監督、日本ではグラブを強く後方に引くように使えという指導を受けてきました。日本ではたくさんの技術書にもそう書いてあります」

 監督は「ほぅ」という表情をしていた。

「引く、かぁ。それは初めて聞く表現だなぁ」

 わたしは日本でコーチに言われた内容を軸に「引くべき根拠」を説明した。周りのチームメートも興味深そうにこちらを見ている。わたしが身振り手振りで一通り説明し終えると、コーチはわたしを真似するように左肩を引く動作を数回繰り返した。そしてこう言った。

「一見、理にかなっているように思えるけど、これだとただ回転しているだけで支点が作れないぞ?」

「支点、ですか?」

「そうだ。グラブは止めておいて、支点のように使わないと、体の軸もぶれるし、結局のところ腕も速く振れなくなる。引いてしまったらどこにも支点が作れなくなるし、力も一緒に横のほうへ逃げて行ってロスしてしまうと思うぞ?」

アメリカで体感した「支点」を作ることの重要性

 グラブを支点にするなどという発想はわたしにはこれっぽっちもなかった。監督は続けた。

「例えばボクシングのパンチを打つとき、殴らないほうの手は引かずに止めておくことで、パンチする側の手を出していくんだ。引いてしまっては、強いパンチはできない。テニスのサーブを打つときもラケットを持たないほうの手は引かずに体の前へ置いておいておくだろ?

 引いてしまったら弱いスライスサーブを打つときはいいかもしれないけど、強いサーブは打てない。それは野球のピッチングにおいてもきっと同じだぞ」

 混乱するわたしに対し、監督は「とりあえずオレの言う通り投げてみろよ。そのうえで日本の指導者に言われた投げ方の方がいいと感じるならそうすればいいじゃないか」と笑顔で言った。

 言われるがまま、監督の教えの通りに投げてみると「あ!」と思わず声が出てしまった。支点をつくるということの意味と大切さはその日のうちに体で理解できた。

「どうだ? このほうが腕も速く振れるし、コントロールもよくなると思わないか?」

「なにかをつかむようなイメージで投げられる感覚が、これほど安心感につながるとは思いませんでした」

 以来、悩んでいたコントロールがぐっとよくなり、スライダー回転するようなボールも出なくなった。腕の振りも鋭くなった感覚が宿り、球に伸びも加わった。

 その後、日本で高校野球生活を送りたかったわたしは高校入学と同時に単身帰国。すると再び「グラブを引け!」という声が指導者やOBから入ってくるようになった。教則本にも相変わらず「グラブは引くように使おう」と書かれている。わたしがアメリカで教わった理論を説明しても、周囲の反応は芳しくない。

「オレは引けと教わってきたし、それで結果を出してきた。間違っているとは思わない」

「おまえが言っているのは体の強い外国人だからできるんだろ」

「日本人は体の力が弱いから引いて加速させてカバーしないとダメなんだよ」

 そんな答えが返ってくることも多かった。わたしもいつしか「まあ、引く方が合う日本人も多いのかもな。プロ野球選手でも引けって言ってるくらいだし、どちらが正解ということもないのかも」と思うようになっていた。ときは1980年代中盤。日本のプロ球界で150キロ台を常時投げられる投手は皆無。高校生で140キロ以上のボールを投げられる投手などほとんど見当たらない時代だった。

セオリーの風向きが変わりはじめた2000年代



©️共同通信

 2003年のある日、なにげなくテレビをつけるとゲストの吉井理人氏(現・日本ハムコーチ)と故・伊良部秀輝氏(元ロッテほか)が投球フォームを論じている番組が放映されていた。 

 ともにメジャーを経験した日本球界復帰コンビが異口同音に語っていたのが、「アメリカはグラブの使い方の指導方法が日本と違っていた」「アメリカの指導の方が理にかなっていると思った」という点。その内容はわたしが中学生のときに教わった内容と限りなく同じだった。

「グラブを体の前に置いておくんです。支点ができるので、力を横へ逃がすことなく、まっすぐキャッチャーに向けて爆発させられるうえ、コントロールもよくなる」

「そういう目で観察してみたら、メジャーを代表するグレッグ・マダックス(ブレーブスほか)もランディ・ジョンソン(ヤンキースほか)もみんなそうだった」

「メジャーのいいピッチャーは、キャッチャー方向から見たときにリリースの瞬間にグラブが体の外側に逃げない。必ず上半身のフレーム内のどこかに収まっている」

 司会役のひとりで、興味深そうに聞いていた現・日本ハム監督の栗山英樹氏が「ぼくらは指導者にグラブ側の手は巻き込むようにして引けって教わりましたよね?」と向けると、吉井氏は「ぼくもそう教わったし、ずっとそれが正しいと思っていた」と返した。伊良部氏は支点を作ることの重要性を腕相撲に例え、説いた。

「アームレスリングをするときって、相手の手を握ってないほうの手で、テーブルの角のように固定されたなにかをもったほうがより力が入りますよね? あの感覚と言えばわかってもらいやすいかもしれない」

 わたしは、なんてわかりやすい例えなんだろうと思った。「やっぱりここに真実があったのか」という思いも強く湧き上がった。