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ゲーム・スポーツなどについての感想と妄想の作文集です 管理者名(記事筆者名)は「O-ZONE」「老幼児」「都虎」など。
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二十年くらい前に書いた私自身の古い文章を読むと、なかなか面白いので掲載する。もっとも、以前に既に掲載したかもしれない。



  史上最高の打者、最高の投手は誰か


 


 野球好きの人間の、最大関心事の一つは、野球史上最高の打者、最高の投手は誰かということである。もちろん、時代によってその対戦した相手も違うし、野球のルールの改変もあるから一概には言えないが、ごく大まかに、最高の選手を決めることはできるだろう。しかし、それは単純に、安打数や本塁打数、勝ち星や奪三振数では決めるべきではない、と私は思う。選手の価値とは、その選手のチームの勝利への貢献度によるべきだが、それを測るにはどうすればいいか。たとえば投手の勝ち星ほど、その選手の能力とかけはなれたものはない。優れた投手が強豪チームにいれば、毎年20勝するだろうが、弱小チームにいれば、毎年20敗するだろう。では、防御率はどうか。投手が点を取られるかどうかも、バックの守備力によるところが大きい。相手全員を三振に取れる投手は存在しないのである。それに、打たせて取るのも投球の立派な技術だ。打たせて取れば、必然的に野手陣の能力が大きくかかわってくる。つまり、防御率も個人能力の絶対的指標ではない。


 そこで、私の考案した、打者評価、投手評価の方法を述べてみよう。


 まず、野手のチームへの貢献度は、どれだけ塁を稼いだかである。ヒットで出塁しようが、四球で出塁しようが、価値は同じである。だが、二塁打は単打より塁一つ分価値が高いし、三塁打や本塁打も同様で、それぞれプラス2、プラス3である。(つまり本塁打は4塁打である。)また、盗塁で塁を稼ぐのも塁打一つと同じだ。打点は、他打者の出塁の有無に左右されるので、個人の成績にはしづらいが、チームへの現実的貢献という点では、貢献度は高いので、これも1点で一つの塁として計算する。つまり、自分が進んだ塁と、他走者を進めた塁の総合が、チームへの貢献度である。犠打については、0.5塁打とするのが良いが、昔の記録には犠打数が記録されていないことがあるので、今は犠打は度外視しよう。そして、これらの総合得点を打席数で割ると、1打席当たりで獲得した塁が出るわけである。これが1を越えるということは、たとえば1試合に4打席あるなら、4打席4安打か、1試合に1本塁打、あるいは、1試合に4打点という、通常の選手なら年に数へんしかない大当たりだが、実は、「生涯成績」で実際に1を越える選手も何人かいるのである。こういう選手を、神話的選手と私は呼んでいる。


 これで歴代の名選手の数字を出すと、さて、最高の選手はだれか。(ただし、私がこの計算をしたのは、1998年なので、バリー・ボンズのような現代の怪物的選手は含まれていない。)


 第1位は、御想像通り、ベーブ・ルースで、得点は1.23である。第2位はテッド・ウィリアムスで、1.11。第3位が、意外に思われるかもしれないが、吾が日本の王貞治で1.09。第4位がタイ・カップで1.05。第5位がジョー・ディマジオで1.01。この5人だけが1を越えた超・大選手である。ただし、タイ・カップと並ぶ名選手であるホーナス・ワグナーは、記録不備のため、計算不能である。また、これは打者としての数字であるから、この数字だけで野球選手としての優劣が決まるわけではない。


 ちなみに、生涯安打数ではタイ・カップを越えたピート・ローズなどは、わずか0.67であり、タイ・カップの足元にも及ばない。つまり、いくら安打数が多くても、それにかかる打席数が多いということは、その分多くアウトになっているということで、チームへの貢献度は低くなるのである。ロッド・カルーは0.729で、ローズよりはましだが、やはり上位とは大分差がある。タイ・カップと並び称されるロジャース・ホーンスビーは0.97で、わずかに1に足りないが、やはり大選手である。守備も入れた総合力ではテッド・ウィリアムス以上だと思われるウィリー・メイズは、0・95で、打者としても相当に優秀である。ハンク・アーロンは0.94でメイズに一歩劣る。ハンク・アーロンの場合も選手生活が長かったために生涯本塁打数の記録を作ったということで、1打席当たりのチームへの貢献度では、他のスーパースターに劣るわけである。その証拠に、彼は、通算本塁打数がベーブ・ルースを超えそうになるまでは、それほど有名選手ではなかったはずだ。もっとも、この計算方法で0.9を越えること自体が、超一流選手の証明ではあるのだが。


 いずれにせよ、この計算式で0.7以上は、野球殿堂入りレベルの名選手だと言っていいだろう。そして、0.9以上は伝説的名選手、1以上は神話的レベルである。


ちなみに、野手の能力を、四死球の獲得も含めた出塁率の高さで測るのは、後に(私がこの文章の原型を書いたのは1998年である。)大リーグにおいて安価で効率的なチーム経営をしたあるチームについて書かれた「マネーボール」という面白い本の中に、同様の考えが書かれている。ただし、そこでは長打力が重視され、盗塁が軽視されている点で、私の考えとは異なる。確かに、盗塁は冒険的方法で、チャンスを潰すこともあるが、戦況を変える好手段だし、何より、観客を楽しませる点では、ホームランにも劣らないのである。それに、名人級の走者なら、盗塁成功率は7割から8割はあるのだから、シングルヒットを二塁打三塁打に変える盗塁をしない手は無い。まして、相手キャッチャーが弱肩ならば、盗塁を狙うのは当然だろう。


 次に、投手評価の計算方法を示そう。その方法の基本的考えは、投手能力を勝ち負けや防御率などの偶然性の高い計算だけで測らず、また、奪三振数など、チームの勝利とは無関係な要素も考慮しないということである。


 では、それはどのような方法か。それは、投手の個人責任を表す部分と、チームにとっての結果を表す部分の二階建て方式である。前者は、その投手が1イニング当たりで出した走者の数、つまり打たれた安打と出した四死球をイニング数で割った数字である。出したランナーが多いほど、チームを危険な状態に置いたということで、こういう投手は当然、チームの敗戦の責任がある。点に結びつくかどうかは偶然性の要素が大きい。少しでもランナーを出さないようにするのが、投手の第一の使命なのである。もちろん、バックの守備能力で打たれるヒット数は変わるが、ランナーを出すのは基本的には投手の責任だ。


後者は勝ち星ではなく、防御率を用いる。ランナーを出した後、それが相手側得点に結びついたかどうかには、投手の頭脳や精神力、ランナーを背負っての投球技術など、投手個人の責任の部分もあるので、投手能力測定の要素になる。それに対して、勝ち星はチーム力と偶然による部分が大きいから、計算には入れない。このイニング当たりの走者数と防御率を加えた数が、その投手の真の能力を表す数字である。


 さて、それでは、史上最高の投手は誰か。(ここでも、記録の残っていない黒人リーグの神話的選手サッチェル・ペイジや、記録が不完全なサイ・ヤングなどは除かれる。)


 第1位は、多分、大方の予想通り、ウォルター・ジョンソンである。数字は被走者率1・07に防御率2.17で、総合3.24。(この数字は、打者とは違い、もちろん、小さいほどいい。)ちなみに被走者率の内訳は、イニング当たりの与四死球が0.24で、被安打が0.83である。1試合平均に直すと、1試合で2.1個の四死球、7.5個の被安打である。案外、大したことは無いなあ、と思うのは野球観戦の素人である。1試合で、2個の四死球と、7ないし8本の安打で、どれだけ得点ができるか。それを示すのが、生涯防御率の2.17である。この生涯防御率がいかに偉大な数字かは、他の名選手の数字を見ればわかるはずだ。どんなに好投をしていても、安打一つもしくは四死球一つの後、手元が狂って好球を投げ、ホームランを打たれたら、それで2失点だ。あるいは、同じ回に2、3本の安打が続き、そのうち1本が長打なら、1失点は確実だ。そのような綱渡りを毎試合続け、それで生涯防御率が2点そこそこというのは、神業に近い。しかも、相手にはベーブ・ルースやタイ・カップのような怪物的打者や走者がいるのである。


 第2位は、おそらく意外に思われるだろうが、クリスティ・マシューソンで、被走者率1.08に防御率2.47の総合3.55で、ウォルター・ジョンソンとはだいぶ開きがあるが、これは時代が下がるほど打力は向上しているので、割り引いて(割り増しして?)考えるべきだろう。また、彼の与四死球率はイニング当たり0.17(1試合当たり1.53個)で、これはウォルター・ジョンソンより優れている。あるいは、史上最高にコントロールの良かった投手かも知れない。(なお、ベテラン投手は、戦略的に四球を出すこともあるので、1試合の平均死四球が2個程度の投手は、その気になれば無四死球試合は簡単にできる投手だと思われる。)


 以下、簡単に書くと、第3位はホイト・ウィルヘルムという、日本ではなじみの少ないナックル・ボーラーで、この投手は被安打率が第2位である。つまり、打者が打ちにくい球を投げるという点では、史上最高に近い投手ということになる。第4位がグローバー・アレキサンダーで、総得点3.68.これも非常にコントロールのいい投手である。第5位はサンデー・コーファックスの3.87。彼の被安打率は0.75で、これが史上最高の被安打率、つまりもっとも打たれなかった投手である。第6位がホワイティ・フォードの3.95.第7位にやっと現代のトム・シーバーが入って、3.96。ここまでが3点台である。


 以上から分かるように、良い投手とは、ランナーを出さない投手。そしてランナーを出してもそれを得点にさせない投手のことなのである。勝ち星がどうのこうのとか、奪三振率がどうのこうのとかは投手個人の評価の面では二義的三義的なものにしかすぎない。


 ちなみに、1998年の日本プロ野球の投手成績上位を見ると、セリーグの防御率1位投手野口がこの計算式(投手指数と仮に呼ぼう)では3.60。第2位の川上が3.66。第3位の伊藤が3.86。パリーグ防御率1位の金村が3.95で、3点台はこの4人だけである。彼らの生涯最高に近いシーズン成績ですら、過去の神話的選手の「生涯成績」にさえも及ばないということである。もちろん、好調時のシーズン成績で言えば、前述の名選手の成績ははるかに向上するのである。たとえば、サンデー・コーファックスの全盛時には1試合の被安打は2,3本だったと言われている。つまり、毎試合、完封か、悪くても1、2点だったということである。


 日本でも、過去には村山実がシーズン防御率0点台という驚異的な成績を残しているが、この時は監督兼任で、リリーフ中心だったか、あるいは先発しても長いイニングは投げなかったような気がする。もともと、投手というものは短いイニングなら、相当に力を発揮できるものである。前述の名投手たちは、先発完投が当たり前の時代の投手たちであるから、その記録の重みも大きい。


 前の計算式を打者指数、投手指数として、それぞれの選手の数値を出せば、選手の能力が客観的に把握できるという実用性もあると思うが、ただし、守備力を数値的に測る手段は存在しない。たとえば、失策率などは、難しい打球には手を出さないというずるい方法を取れば簡単に向上するのだから、守備力の目安にはならないし、守備機会数も、守るポジションと投手の個性(投球傾向)によって大きく変動するから、目安にはならない。まあ、取りあえずは、守備機会の多さと、失策率を併用するくらいしか考えられない。だから、普通、守備の名選手とは、印象で語るしかないのである。ついでに、守備ポジションによる守備機会について言おう。もっとも守備機会の多いのは、もちろん、もっともボールを受けるキャッチャーであり、次には一塁手である。(公式定義による守備機会がどうかは知らないが、私は、選手がボールに触れる機会を守備機会と言っている。キャッチャーの場合は、投手が投球するごとに、守備機会となるのである。もちろん、受け損ねればエラーだ。)以下、内野手と投手がほぼ同じで、外野は1試合に多くてもせいぜい4,5回くらいの守備機会だろう。したがって、守備機会が多いからといって、その選手の守備範囲が広いかどうかはわからない。守備の上手下手は、どうしても印象で判断するしか無いようだ。これは今後の野球批評・選手評価の研究課題だろう。


 以上書いてきたのは暇人の暇つぶしの考察ではあるが、選手の評価は(潜在的なものも含めて)チームの勝利への貢献度によるべきだという原則は正しいと私は思っている。そして、これまでの選手評価は、その点では著しく不備だったのではないだろうか。たとえば、長打力はあるが、走れない選手は、時にはチームの攻撃の障害になることもある。その選手がベーブ・ルース並の長打力を持っているのならともかく、出塁率または獲得塁率が著しく低い選手の長打力など、それほど高く評価はできないだろう。逆に、塁を進めるという点では、犠打成績はもっと高く評価すべきであって、私の考えでは、進塁打や犠打は0.5塁打と評価すればいいと思う。(なぜ0.5かと言えば、塁は進めたが自分はアウトになるからである。野球とは、相手のアウト数を増やし、こちらのアウト数を増やさないようにするゲームでもあるのだ。それが勝利への方程式なのである。)そうすれば、たとえば生涯打率が2割7,8分程度の選手でも、実は3割打者以上にチームに貢献していたということが判明するかもしれない。進塁打や犠打の多かった巨人の千葉茂あたりが川上以上のチーム貢献度だったという評価も出てくるのではないだろうか。もっとも、スター選手のスター性やカリスマ性はまた別の話である。それにしても、どの選手に人気があり、どの選手に人気がない、という評価は、球団の一部の人間の恣意的判断で決まっているのではないだろうか。それで給料が決められるとしたら、選手が可哀想だと私は思うのである。


 さて、話が球団経営まで進んでしまったが、選手評価についての私案はここで終わろう。私のこの一文が、選手評価についての、これまでの硬直的な思考に一石を投じることができれば幸いである。

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