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ゲーム・スポーツなどについての感想と妄想の作文集です 管理者名(記事筆者名)は「O-ZONE」「老幼児」「都虎」など。
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「紙屋研究所」から抜粋転載。
「神聖喜劇」は未読だが、議論の多い思弁的小説だと推測している。(議論の多い、とはこの小説への評価のことではなく、小説の中に本当に議論が多いのではないか、ということだ。)そういう小説を漫画化して成功するのかな、と思うのだが、紙屋氏は「傑作だ」と評価しているようだ。


(以下引用)


 3巻では、「農本主義的言論」(前掲書)によって理想を掲げる村上少尉が、「殺して分捕る」ことが戦争の目的だと騒ぐ大前田を叱責する。皇国・日本の戦争の目的はそのようなものではなくアジアの解放である、というむねのことを村上は述べるのであるが、最後に兵士たちに自分の訓示の意義を再確認させようとして「戦争の目的」をたずねると、二等兵・橋本は



日本の戦争は殺して分捕るが目的であります

と答えてしまう。そう答えた瞬間の村上の空虚と絶望を描いたコマの可笑しさはぜひマンガ版を見てほしい。

 橋本は村上に反逆しようとか、左翼的立場からそのように言ったとか、そんなつもりは微塵もなかった。「殺して分捕る」ことこそが橋本の感じられる最も本質的でゆるぎないリアルだったからこそ、そう答えたにすぎない。村上が説教している「アジア解放」という「理想論」も、何を言っているかわからず、そう答えたにちがいない。


 国家が「農民」としてまとめあげ、さらに「兵士」として一色に塗りつぶそうとする意図が、現場・現実の雑多さ・豊かさによっていかに挫折させられるか。あるいは戦争の理想論も、人々の皮膚感覚のリアルさの前にはいかに無力であるかを、『神聖喜劇』は実に様々な角度から教えてくれる。
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