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ゲーム・スポーツなどについての感想と妄想の作文集です 管理者名(記事筆者名)は「O-ZONE」「老幼児」「都虎」など。
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上の言葉も山本直樹自身のものだが、私も最初に下のツィートを読んだ時、「?」と思ったのだが、小室直樹風に「補助線」を入れることで、これはかなり重要な指摘だ、と理解できた。
つまり、「手塚治虫=完全なフィクションとして作品を作る」「つげ義春=自分の生活や私的妄想自体が作品の核になる」という補助線である。としたら、吾妻ひでおは、まさしくその両者を結ぶ存在になる。私的妄想がフィクションと見事に融合しているのが吾妻ひでお作品の特徴だからだ。
なお、私は「森山塔」時代の山本直樹のエロ漫画を高く評価している。或る種の高い知性と融合したエロである。つまり、何がなぜエロになるのか、の哲学的考察が底流にある作品だったと思う。もちろん、ネットに溢れるエロ絵・エロ漫画などでも単独でもエロなのだが、「知的に面白い」とは普通はならないわけだ。まあ、山本(森山)の場合はキャラ絵の魅力自体がエロ性を高めていたとも言える。儚く、美しいもの、高貴なものを凌辱するサディズムは、エロの大きな要素だろう。その一方で、健康的でたくましい巨乳やでかい尻にエロを感じる「土方的」エロもある。山本(森山)は巨乳を書いたことは一度も無いのではないか。

(以下引用)


「これから暴論を吐きます」という一節が抜けてますね。
引用ツイート
てら
@tera_mono
·
「現在の日本のマンガの半分は手塚治虫が作ったものです。あとの半分はつげ義春が作ったものです。そのどちらか一人が欠けても現在のマンガの豊穣はなかったと思うのです。で、その二つを一番最初に融合させたのが吾妻ひでおだったと思うのです」(山本直樹)



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