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ゲーム・スポーツなどについての感想と妄想の作文集です
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 あらゆるスポーツ(技能)に共通する上達のポイントがある。それは、「力を抜く」ということである。すぐれたスポーツマンに共通しているのは、力みが無いということだ。力は、必要な時に、必要なだけあればいいということである。体中力みかえった人間ですぐれたスポーツマンはいない。
 ゴルフを例にあげよう。うまいゴルファーは、力一杯にボールを引っぱたいたりはしない。距離が欲しければ、一つ大きめのクラブを使えばいいだけのことだ。つまり、「道具に仕事をさせる」ということだ。力を入れると、逆に、クラブの軌道はゆがみ、ヘッドの角度はずれ、あらゆる欠点が出てくるだろう。
 スポーツに限らず、あらゆる技能で、力を抜くことは上達への道である。たとえば、金ノコで鉄パイプを切るとする。初めての人間は力をこめて鋸を動かし、数分で疲れ果てるが、パイプはほとんど切れていない。一方、慣れた人間は、ほとんど力を入れず、軽く前後に動かしているだけである。しかし、初心者の数倍速く切り終える。金ノコを使ったことのある人間なら知っているが、金ノコはけっこう重い。その重さには意味があるのである。その重さが上から下に加わることと、鋸を前後に引く動作によって、パイプは切れていくのである。力をこめたところで、人間の力など、鉄パイプにはほとんど影響はないのである。ここでは、力を入れることには、疲労を高めるだけの効果しかないのだ。(一番いいのは電動金ノコを使うことであるが、ここでは頭ではなく体を使う話だとしておく。)
力を抜くことが必要なのは、体を使うことだけではない。我々がテレビで見る芸能人は、なぜあのように楽々とふるまえるのだろうか。彼らの姿こそ、まさしく「力が抜けた」姿であり、禅家で言う、「随所に主となる」に近い状態だと私には思われる。どんな二流三流の芸能人でも、彼らには自らのすべてを、裸の姿を人前にさらけ出す覚悟だけはあるということだろう。だからこそ、何一つとどこおることなく反応できるのである。彼らが人間として上等かどうかはさておき、ほとんどの坊主よりはある種の悟達の域に達していると思われる。(よく勘違いされるところだが、ある種の技能の達人だからといって、必ずしも人格的にすぐれているとは限らない。また、その技能以外の知識的な面では、それらの達人は幼稚園児並ということもありうるのである。囲碁や将棋などの名人が政治や経済まで論じるのはおこがましいと言うべきだろう。)
あらゆる技能とは言っても、頭脳労働だけは、「力を抜く」こととは無関係のようだ。そもそも、頭脳労働では、力の入れようもない。しかし、ここで一つ大事なことがある。それはロシアの神秘思想家、グルジェフの考えだが、思考と感情は別々のセンターがあるという考えだ。理性と感情は別という言葉は我々にもおなじみだが、我々はしかし、どちらも結局は同じ脳の働きなんだから同一だとも思っている。それをまったく別のものと考えることは、有益な面がある。それは、自分は今理性を使っているか、それとも感情に支配されているかと省みることで、より冷静な判断が得られるということだ。これを私の次兄は「気を使うな。頭を使え」と簡潔に表現した。この言葉は私の一生の宝になっている。感情に支配された状態が、いわば精神的に「力の入った状態、力んだ状態」である。頭脳労働でも、これは有害な状態だろう。逆に、感情で行動するべき時に、冷静に理性を働かすのも間違いで、恋人(あるいは幼児)との語らいに理性的な発言ばかりしていては相手に嫌われるだけだろう。恋愛などというものは、「あばたもえくぼ」という熱に浮かされた状態なのであり、理性の分野ではない。
 
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