忍者ブログ
ゲーム・スポーツなどについての感想と妄想の作文集です 管理者名(記事筆者名)は「O-ZONE」「老幼児」「都虎」など。
カレンダー
02 2024/03 04
S M T W T F S
4 8
10 13 14 16
17 19 20 21 23
25 29 30
31
フリーエリア
最新CM
最新TB
プロフィール
HN:
o-zone
性別:
非公開
バーコード
ブログ内検索
P R
カウンター
[520]  [519]  [518]  [517]  [516]  [515]  [514]  [513]  [512]  [511]  [510
「極東ブログ」というブログから転載。
思わず、あっと言うような言葉だ。確かに、誰でも心の底では薄々おかしく思っていたことかもしれないが、このようにずばりと言われたのは、おそらく初めてではないか。
では、昔から「剣豪」と言われてきた連中は何なのか。それにも筆者は答えている。「あれは芸人なのだ」と。
実際、剣豪と言われている連中の伝記を見れば、そのあり方はまさしく芸人なのであり、自分たちでも自分たちを「芸者」と呼んでいる。「武芸者」などというのは後世の捏造語だ。
その「芸人」たちが真剣勝負をしたのは、べつに武芸向上のためではなく、自分の芸を高く売るためのやむを得ない宣伝活動だったのである。これも彼らの伝記を虚心坦懐に読めば明らかだ。吉川英治の「宮本武蔵」によって、求道者としての剣豪イメージが作られてしまったが、それは大きな間違いだったということである。
一般の侍にとっての刀とは、ただの武士階級のシンボルであり、だからこそ「武士の魂」という言葉にもなったのだろう。侍と剣術は、しかし、ほとんど結びつく必然性は無かったのである。つまり、「刀を持つ以上はそれを使う名目も必要」だから、仕方無く剣術を習った、と言うのがおそらく実態だったのだろう。
ほとんどの侍にとって刀など使う機会は滅多になかったのである。だから、本当は剣術だって真面目にやる者は少なかったはずだ。一種の趣味として剣術を真剣に学ぶ者がたまにはいた、という程度だろう。

(以下引用)

考えてもみよ、壬申の乱から源平合戦、そして武田軍団までは基本的な戦闘は騎馬戦なのである(歩兵や海戦もあるがここでは論じない)。そして騎馬戦からすぐに時代は鉄砲に移行するのだ。刀なんか振り回している武士なんてものは歴史上存在しない(*5)。

PR
この記事にコメントする
お名前
タイトル
文字色
メールアドレス
URL
コメント
パスワード Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字
忍者ブログ [PR]