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ゲーム・スポーツなどについての感想と妄想の作文集です 管理者名(記事筆者名)は「O-ZONE」「老幼児」「都虎」など。
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「シンジのほにゃらら讃歌」から転載。
監督が是枝裕和だと聞いて、この作品が成功するかどうか疑問に思ったが、成功だったようだ。私は映画館で映画を見ることが滅多に無いので、早くネットテレビで見たいものだ。

是枝作品は「誰も知らない」と「花よりもなほ」の二つしか見ていないが、前者には感心し、後者には感心しなかった。後者は明らかにエンタテイメントを狙っているのに、「面白くない」というのが致命的だった。何より、ユーモア感覚の欠如が痛い。まだしも、職人監督の三池崇史あたりの方が、ユーモアが必要な時には笑いを作ることもできる。「愛と誠」などは、原作を知らない人には通じないかもしれないが、原作の傑作なパロディだった。
それはともかく、是枝監督にそういうエンタメ性が欠如している以上、お涙頂戴のメロドラマを作るしかヒット作品は作れないだろう。つまり、誰かが死んで誰かが泣くという作品だ。そうすれば、見ている観客も釣られて涙を流し、涙を流したのだから、自分はいい作品を見た、と錯覚する。そして口コミでヒットしたりする。
原作の「海街ダイアリー」はそういう作品ではない。人の死は出るが、お涙頂戴の意図の死ではない。最初の「父親の死」は、4姉妹顔合わせのきっかけ、物語の導入であり、この段階で泣く観客はいない。何しろ、娘たちだって、泣きはしない。むしろ、次女三女は「知らない人」の葬式に出た気分で、うんざりするのである。
これは4姉妹が鎌倉という美しい街(私は知らないが、原作ではそう感じる)で暮らす、それぞれの日常の些細な感動や幸福や悲哀を描く作品である。ならば、作品に「ドラマ性」の欠如した是枝監督にぴったりか、と言えば、そうも思えない。というのは是枝監督には「美術的才能」が無い、と私は思うからだ。
映画監督には「芝居の演出家」としての才能だけでなく、「美術センス」や「音楽センス」も必要だ、というのが私の持論で、それを最高度に持っていたのが黒澤明である。
そういう美術センスや音楽センスの無さそうな是枝監督だが、「日常」を大事なものとする感覚だけは人一倍ありそうだ。仮に、この作品が成功作だとすれば、そういう「体質」的な部分が大きいのだろう。
なお、私は、「海街ダイアリー」をヒット作にするためには、美術監督として新海誠を起用することだ、と考えていた。できれば、鎌倉の風景を「言の葉の庭」風に、すべて新海アニメで表現してほしかった。人物はもちろん本物の役者でいい。




2015年06月17日

瞬間と永遠・映画「海街diary」

瞬間と永遠・映画「海街diary」

ありふれた日常を丁寧に描くだけでかけがえのない瞬間が浮かび上がり、その瞬間が永遠性をおびるのを確かに見た。

日常というのはたわいのないことの繰り返しだ。しかしその日常は、それぞれ同じことの繰り返しではない。今、この時この瞬間にしか存在しえない輝くような唯一性をおびている。

夏祭り、友達同士で花火を見に行った帰り、すずの同級生でサッカーのチームメイトでもある男の子は一世一代の勇気を振り絞ってこういう。
「その浴衣結構似合ってるよ・・・」
なんてことはない青春の1ページが痛いほど胸に響き渡る。

この誰もが経験するかもしれない身に覚えのある光景にかけがえのない瞬間=唯一性を感じて身を震わせるのだ。

唯一性とは、この世界を何回、何百回、何千万回生きることになっても、同じ瞬間は二度と起きないし、二度とおとずれることもないということを意味する。

自分の死を悟った食堂のおばちゃん(風吹ジュン)がすず(広瀬すず)にあなたの両親がうらやましいという。すずは驚く。自分の母と父は不倫の末に結ばれたということにやましさをもっていたからだ。だがおばちゃんはすずの両親のことをすずのような宝物を残すことができてうらやましいというのだ。

食堂のおばちゃんは自分の死を間近に意識することにより知ってしまったのだ。このかけがえのない人生の唯一性というものを。すずが不倫の末に生まれようがなんだろうが、生まれたこと自体が奇跡なんだ。このすずが生まれたこと、そのすずとこうしてとりとめのないおしゃべりをしていることすらもう二度とない奇跡のような瞬間だということを。

人生が、この宇宙が、何回、何百回、何千万回、何億回誕生しようとも、このかけがえのない瞬間は、ただこの瞬間、今だけにしかない。もう二度とない一回限りのことなのである。

驚くべきことに、このありきたりで、なんてことのない、私たちがうんざりするほど味わっている平凡な日常は、もう二度とおとずれることのないただ一回限りの奇跡が連綿と続くことによってできているのだ。

そして二度とおとずれることのないかけがえのない瞬間とは「永遠」のことにほかならない。

(永遠は持続性ではなく無時間性といったのはスピノザやウィトゲンシュタインがそうだが、歴史上最初にそのことを指摘したのはアウグスティヌスだと思われる(三位一体論参照))

私たちの日常は常に、瞬間、瞬間が永遠とつながっている。これほど驚くべきことがあろうか。

是枝裕和監督はこの「瞬間と永遠」をテーマにした映画をずっと作り続けてきたといってもいい。そのなかでも特に「瞬間と永遠」というテーマが明確に見て取れるのは「奇跡」(2011年)でしょう。「海街ダイアリー」が気にいったという人、もしくはそれほどピンとこなかった人も映画「奇跡」を見てください。海街ダイアリーがさりげなく訴えかけていたものをあなたは直接目にすることになるはずです。

女優4人(綾瀬はるか・長澤まさみ・夏帆・広瀬すず)もすばらしかったけど、是枝さんの冴えが見られるのは子供のキャスティングです。広瀬すずに恋心を抱く男の子(サッカーの香川真司似)なんて本当に奇跡のキャスティングといっていい。

菅野よう子の音楽はルキノ・ヴィスコンティの「ベニスに死す」を意識したのかなと思えるほど、使い方が似てる。マーラーの交響曲第5番に曲調が似ていることもあるけど、使い方とかシーンに入るタイミングとかにベニスに死すをそこはかとなく感じる。

本当にいい映画だ。


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