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ゲーム・スポーツなどについての感想と妄想の作文集です 管理者名(記事筆者名)は「O-ZONE」「老幼児」「都虎」など。
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「blogos」という保守系言論人偏重のネット論壇があるのだが、そこに載っていた記事のタイトルに驚いて、普段はまったく読まないブロゴス記事を読んで、また驚いた。
記事タイトルと内容がまったく違うじゃないか!
福島瑞穂は「慰安婦批判」など一言も言っていない。また「韓国批判」もしていない。ただ、日本が憲法九条を持っていたおかげでベトナム戦争に参加させられなかったのはよかった、と言っているだけだ。
この宮島理という人物が何者かは知らないが、どこをどうしたら福島談話をこう捻じ曲げきれるのか。これは日本語読解力の問題と言うよりは、この記事タイトルが一人歩きを始めることで、福島氏の汚点にしようという意図だろう。
数年後には「福島瑞穂だって慰安婦を批判していたそうだよ」とされてしまうわけだ。
まったく汚らしいスキャンダル捏造のやり口である。
念のために言うが、最初にある「福島瑞穂氏の慰安婦批判は正しい」が記事タイトルである。そして、記事に引用された福島談話には、慰安婦批判の内容は一言も無いのである。



(以下引用)


福島瑞穂氏の慰安婦批判は正しい

宮島理

2012年09月01日 11:17

福島瑞穂氏がベトナム戦争における韓国の蛮行を暗に批判している。国家を超越して正義を追求する立場としては正しい。一方、ダブルスタンダードで慰安婦問題を論じる日韓両国は間違っている。

 産経新聞のインタビュー記事で、福島瑞穂氏がこう語っている。
「9条がなければ戦争ができる国になっていた。韓国の若者がベトナムに従軍したように日本も戦地に若者を送ったはずだ。韓国軍はベトナムで憎まれている。戦後の日本が戦争で人を殺さなかったことは誇ってよい。日本が今後、米国の利害に引っ張られて戦争への加担を強いられたときに、『NO』と断れるのが9条の効用だ」(産経新聞Link より)

 日本では案外知られていないようだが、韓国はベトナム戦争に参戦している。ベトナム戦争では、アメリカ軍ですら(大陸における旧日本軍のように)軍規が乱れ、数々の蛮行を繰り返した。若く、荒々しい韓国軍はなおさらだった。

 そんな中、ベトナム戦争版の慰安婦問題が発生している。ベトナム人慰安婦と韓国人兵士の間には、多くの子供も生まれた(慰安婦ではなく強姦や現地妻の結果というケースが多いようだが)。韓国軍撤退後、その子供はベトナムに取り残され、ライタイハンLink と呼ばれる混血児として迫害された。

 慰安婦問題というのは、どんな戦争でも起こりうる問題だ。基本的に軍や政府の責任ではなく、戦時の悲劇ということになるだろう。私は韓国人慰安婦問題もベトナム人慰安婦問題も、戦時の悲劇として民間レベルで対処するのは結構だと思うが、軍や政府の責任問題にするのはおかしいと考えている。

 ただ、そうした現実世界のロジックを捨てて、国家を超越して正義を追求する理想主義的立場に立てば、あらゆる慰安婦問題を「国家の悪事」として指弾することができる。どんどん拡大解釈して、客観的事実よりも“被害者”の証言を重視し、「広義の強制性」を認めれば、韓国人慰安婦問題もベトナム人慰安婦問題も「国家の悪事」となる。

 福島氏が言うように、韓国はベトナムで恨まれている。日本もまた、韓国で恨まれている。その恨みをどこまでも肥大化させていけば、韓国も日本も、百万年、千万年先まで永遠に「謝罪と賠償」を繰り返さなければならない。究極的には、韓国や日本が犯した戦争という“大犯罪”を根絶する必要が出てくる。その意味で、反戦平和を訴える福島氏の姿勢は一貫している。

 韓国人慰安婦問題では日本に対して(客観的事実を無視してまで)正義を振りかざす韓国だが、ベトナム人慰安婦問題にについてはほとんど何の対処もしていない。こうしたダブルスタンダードは非常にみっともないものだ。

 一方、日本の保守派にも、韓国人慰安婦問題は無視するくせに、ベトナム人慰安婦問題については厳しく批判する人たちがいる。日本だけを批判する韓国への当てつけなのかもしれないが、こちらもダブルスタンダードになっており、みっともないと言える。

 福島氏のような理想主義的立場ではなく、あくまで現実世界のロジックに基づくならば、日韓両国は互いに慰安婦問題を戦時の悲劇として“狭義”の世界に閉じ込めなければならない。日本も韓国も“血塗られた歴史”を有しているのだから、そうした“大人の国家”としての自覚を持ち、軽々しく正義を振りかざすのはもうやめるべきだ。慰安婦問題が外交テーマになっていること自体が、“大人の国家”としては非常に歪んだ状況だと言わざるを得ない。

“大人の国家”とは、多かれ少なかれ、他国から憎まれ、嫌われるものだ。「戦後の日本が戦争で人を殺さなかったことは誇ってよい」と福島氏は語る。確かに戦後の日本は(中国・韓国・北朝鮮の3カ国を除けば)世界中から高い好感度を持たれている。しかし、それは本当に誇るべきことなのだろうか。単に、“戦うこと”ができず、穏便に済ますしか能のない人間が、“優しい人”“良い人”と評されているのと同じ現象ではないのか。

 韓国は“大人の国家”として多くの国から嫌われているが、日本に対してだけは急に“子供の国家”となり、(自分のことは棚に上げて)慰安婦問題などで大騒ぎする。日本は戦後、アメリカに汚れ仕事を任せることで“子供の国家”となり、おかげで多くの国から“嫌われていない”が、昔の記憶を持つ韓国などからは相変わらず(そして永遠に)嫌われたままだ。“大人の国家”が嫌われるのは悪いことではない。日韓両国は正しく“大人”になるべきである。
 
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