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ゲーム・スポーツなどについての感想と妄想の作文集です 管理者名(記事筆者名)は「O-ZONE」「老幼児」「都虎」など。
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これは、問題の核心を突いているのではないか。

(以下引用)



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会話
竹熊健太郎《Aタイプ》
@kentaro666
「セクシー田中さん」事件に関しては、必ずしも脚本家だけが悪いのではなく、間に入った局のプロデューサーと版元の編集者の間ですべての決定がなされてしまい、原作者が蚊帳の外に置かれてしまったことが悲劇の原因だと思う。

本来、版元の編集者は原作者の側に立つべきだが、それをすると多分番組が出来ないので、利益(ドラマ放映による単行本の売り上げ増)を見込んで面倒臭いことは後回しにし続けた結果ではないか。

版元側にも局にも、「本さえ売れるなら作者も嬉しいはず」という思い込みがあったに違いない。要するに、作者以外の全員がビジネスの側に立っていたところが悲劇の原因ではないか。

作品にはビジネスの側面と創作物の側面があり、普通の著者は両者が分かち難く融合している。これは編集者にも、本当は言えることなのである。「創作物をビジネスに変えるのが編集者の仕事」で、本来、そこには創作に対するリスペクトが最低限不可欠だからだ。

また、版元には「出版権」はあっても著作権はない。そこが「版権」という、どちらにも取れる曖昧な言葉が蔓延したお陰で見えなくなっている。ここに問題の根があるようにと思える。

「版権」はあくまで出版権のことで、これを著作権と解釈する法律の専門家は居ない。法律上、最高位に立つのは著作権で、出版権はあくまでも著作権者の許可の元に出版を独占できる権利に過ぎない。だから著者と出版社がトラブルになって、「版権(出版権)を引き上げて他者から出す」というようなことがしばしば起こるわけだ。

それなのに、慣習的に出版社が著者の代理人として外部に対して著作権者の代行を続けていることが、事態を複雑にしてしまっている。

私が昔から言っているように、版元(編集者)と著作者との間に法的な代理人がいるなら、この問題は殆ど解決する。が、代理人は版元とだけでなく、ドラマ化の際はテレビ局やとも著者の側に立って交渉するからだ。しかしそれをやると、今度は版元の旨味が激減するので、まず実現しない。
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