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ゲーム・スポーツなどについての感想と妄想の作文集です 管理者名(記事筆者名)は「O-ZONE」「老幼児」「都虎」など。
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「Sportiva」記事の一部だが、広岡と森の個性の違いが端的に語られていて興味深い。
実際、広岡は選手の技術面にうるさい男であるわけで、そこが今の若い人から「老害」扱いされるところだろう。今の人は、現代のものは何でも昔より発達していると思っているから、昔の人の技術論を馬鹿にするわけだ。
だが、スポーツのような単純なものは、時代によって技術がそれほど変わるものではない。
単に、栄養水準が良くなり、体格が良くなり、さらに運動用具が進歩してきただけの話である。場合によっては、当該スポーツにおける計測基準や規則が変わることもある。
昔、スキーのジャンプ競技で日本が上位を独占した時に、欧米中心の国際スポーツ連盟がスキーの板の長さを日本選手に不利な基準に変えたことを私は覚えている。
水泳で「潜水泳法(バサラ泳法)」で日本選手が優勝したらすぐにその泳法が禁止されたのも覚えている。スポーツ界というのは欧米の支配下にあるのである。

要するに、スポーツ技術の本質的部分は昔も今もさほど変わっているはずがないのである。

(以下引用)




――その一方で、石毛さんから見た「森祇晶監督」とはどんな方でしょうか?


石毛 僕は広岡(達朗)監督の下でも野球をやりました。まず、広岡さんと森さんを比較するとすれば、広岡さんは技術指導に長けた”職人タイプ”の監督で、森さんはマネジメントに長けた監督だったと思います。あの当時、俺も含めて、辻、秋山、伊東(勤)、田辺(徳雄)など、主力のほとんどは広岡さんに鍛えられたメンバーばかりでした。だから、広岡さんが作り上げた選手、技術力を、森さんが受け継いでマネジメントをされた。それがうまく機能したんだと思います。

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