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ゲーム・スポーツなどについての感想と妄想の作文集です 管理者名(記事筆者名)は「O-ZONE」「老幼児」「都虎」など。
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「とある」シリーズを、気が向いた時に見ているのだが、「魔術(魔法か?)」はともかく、「科学」の気持ち悪さは、作品の世界観(と言っても「学園都市」のコンセプトのことだが)そのものにあるか、と思う。つまり、作品全体の底流が、「能力者(つまり超能力者)」の優越感と、「無能力者(普通人)」の劣等感のせめぎ合いなのである。「魔法」のほうは、魔法対科学だから、一応は能力者同士の争いなので、「横の戦い」であって、そういう「上下の戦い」ではない。したがって、優越感と劣等感の気持ちの悪い戦いになっていない。
「科学」の場合、見る者(視聴者)は、「悪の側」となることが多い「無能力者(普通人)」の側だから、その無能力者がコテンパンにやられるのを見ていて気持ちがいいわけがない。私が、「スキルアウト」とかいう不良集団とジャッジメントの戦いで、この高慢なジャッジメントの小娘たちが囚われてレイプされてしまえ、と心の底で思ったのは、当然私も「無能力者」の側だからだ。はたして、放映時に視聴者はこの作品を見ていてそう思わなかったのだろうか。それとも、可愛い中学生だか高校生だかのキャラがあれこれするのを眺めるだけで鼻の下を伸ばしていたのだろうか。まあ、当然後者だろう。作品内で嘲笑されているのは「お前ら」なのだが。
なお、登場する女は基本的に少女であるという「ロリコンアニメ」だから、女性視聴者は見ていてあまり気持ちが良くなかったのではないか。自分が少女の頃にそういう目で見られていたと思うと、不快でたまらなかっただろうと思う。まあ、この作品の「少女」は単なる「記号としての少女」でしかないのだが。どこの世界に白井黒子のようなエロ親父少女がいるか。
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