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ゲーム・スポーツなどについての感想と妄想の作文集です 管理者名(記事筆者名)は「O-ZONE」「老幼児」「都虎」など。
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「ユーフォニアム」の最終回を見たのだが、得体の知れない気持ち悪さが体中に走って、その理由を考えてみた。これは、つまり電通的な「売れ線」を徹底的に追及したアニメだということだろう。
何度も書いているように、このアニメの根本的欠点は、主題となる曲にまったく魅力の無いことで、これを吹奏楽でやる意味が無いことだ。つまり、音楽では視聴者を感動させることはできない。となると、アニメ的「技巧」で感動させるしかないわけだ。
それが、最終回で過去のあらゆるシーンを背景に主題曲(一年の~吹奏楽のための)を流すという手法だ。すると、素朴な視聴者は、このアニメの回想の甘美さと、その曲を結び付けて感動するわけである。実際には、この曲は、あらゆる吹奏楽曲の中でも低レベルの曲でしかないのだが。それこそ、「軍艦マーチ」あたりのほうが、はるかに吹奏楽曲としては高度である。あの変奏の多彩さは、素人に毛が生えた程度の作曲家には及びもつかないものだ。
で、まあ、最後に栄誉を得れば、途中のすったもんだもすべて「意味があった」ことになるのが、この種のアニメの「お約束」である。実際には、その間に傷つき、離れていった無数の存在がいるのだが、すべては最後に「全国大会で金賞を取った」ことで正当化されるのである。

これを、私は唾棄すべき「電通システム」と呼ぶ。
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