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ゲーム・スポーツなどについての感想と妄想の作文集です 管理者名(記事筆者名)は「O-ZONE」「老幼児」「都虎」など。
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「ゴジラ・SP(シンギュラ・ポイント)」を最終回の途中まで見たが、後で残りは見るとしても、この作品に関する私の感想の主題は変わらないだろう。
それは、これが「中二病」作品だということだ。
中二病というのは秀逸な命名で、その概念を発見した人も凄いが、それに中二病と名付けた人も(同一人物だろうが)凄い。これは中一でも中三でもダメなのである。中一は、中学校に上がったばかりで、算数が数学に代わり、英語を初めて習う。つまり、習う世界がガラリと変わるのである。当然、子供は新しい未知の言葉や概念に圧倒され、悩む一方で、それらを「凄いもの」(自分を圧倒するもの)として捉える。しかし、「それで遊ぶ」余裕はない。圧倒されているから当然だ。その余裕が出てきて、「新しい概念というのはカッコイイ」から、それで遊ぼうとする心情を「中二病」というのである。魔法やヒーローや何かの真似をするのは中二病の本質ではない。「相手のよく知らない概念や言葉を使って相手を圧倒して(煙に巻いて)楽しむ」のが中二病の本質だ。SF作品やホラー作品の多くはその精神で作られている。
そうしてみると、「ゴジラSP」が中二病そのものの作品であることも明白だろう。

たとえば、世界破滅の危機に立ち向かう連中がまったく緊張感が無いことなど、戦闘前にヒーローたちがジョークを言う、ハリウッド映画のお約束である。「ほら、この余裕、カッコいいだろ?」というわけだ。受験学年の中三には無い精神だ。
視聴者には意味不明な言葉を説明無しで次から次へと出してくるのも中二病である。たとえば、最終回に突然出て来る「計算距離」とか「過去の方向に計算する」という意味不明の概念などもそれだ。意味不明だから、話をどうでも展開できるし、一見カッコいいだろ、というわけである。
世界の破局に立ち向かうのが町工場の親父と従業員であるというおふざけも、その武器になるのがジェットジャガーとかいう不細工な、昭和初期的ロボットで、その頭脳は最新のAIであるというのも、まさしく中二病的精神だ。
なお、映像的に言えば、怪獣登場場面ではすべて赤砂だったか紅砂だったか何とかいう赤い粒子によって何が起こっているのかほとんど分からない状態であるのも(「も」というのは、この作品の「ご都合主義」こそ中二病精神だからだ)、「制作費を安く上げ、それを誤魔化す」手段だろう。視聴者から言えば、「何が起こっているのかちゃんと見せろ」と怒るところである。つまり不誠実な作品であり、ゴジラに著作権があれば、その所有者は怒っていい。まあ、まさに紅砂で「煙に巻いた」というわけだ。(もちろん、これで私は「上手いこと言った」つもりで、それも中二病的ではある。)



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