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ゲーム・スポーツなどについての感想と妄想の作文集です 管理者名(記事筆者名)は「O-ZONE」「老幼児」「都虎」など。
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「ベースボール・バイブル」というサイトで紹介されていた記事である。
要するに、「違う球種を同じフォーム(同じ腕の振り)で投げる」
ただこれだけのことだ。これができるかどうかで、投手としての能力や成績が格段に上がるのではないか。もちろん、ものすごい速球やものすごい変化球を持っていれば、フォームで投げる球種がわかっても打者を圧倒できるだろう。だが、それは天才の道である。
私が見た限りでは、各球団のエースで、天才というタイプはほとんどいない。ヤクルトの石川や日ハムの武田など、小柄な投手であり、球も速くないのに、安定して勝てるが、彼らより体格に恵まれ、球も速いたくさんの投手が一軍にも上がれずに引退していく。それはひとえに「制球力」と「投球術」の有無のためなのである。で、その「投球術」の中でも大切なのが、「違う球種を同じフォームで投げる」ことができるかどうかだと思うのである。
ついでながら、西武の大石がこの前一軍で投げたが、ほとんどストライクが入らず、無惨なざまであった。自慢の速球も影をひそめ、プロのマウンドに立つレベルではないのは明らかであったが、なぜそうなったのか。あるいは、もともとプロに入れるレベルではなかったのか。まさか後者であるはずはない。そうならば、各球団がドラフトで競合するはずはないだろう。ならば、西武の投手育成には、大きな問題があるのではないだろうか。
 
(以下引用)
 

49歳モイヤー最年長勝利「投げる上で年は関係ない」

ナ・リーグ ロッキーズ5―3パドレス (4月17日 デンバー)
 
<ロッキーズ・パドレス>49歳151日で勝利投手になったロッキーズのモイヤー。大リーグ記録を80年ぶりに更新
Photo By AP
 すっごいオジサンが新たな歴史を刻んだ。ロッキーズのジェイミー・モイヤー投手(49)が17日(日本時間18日)、パドレス戦で勝利投手となり、メジャー最年長勝利記録を実に80年ぶりに更新した。7回6安打2失点(自責0)の好投で、49歳151日での白星。1932年にドジャースのジャック・クインがつくった49歳74日を塗り替えた。一昨年に左肘の腱移植手術を受けて復活した左腕が、大きな勲章を手に入れた。

 モイヤーの顔は、笑うとしわだらけになった。白髪が増えた髪をかき上げながら静かに、勝利の余韻にひたった。

 「ベストを尽くそうとしただけ。でも、歴史上の人物や殿堂入り選手と同じように称えてくれるのは本当に特別だね」

 最速は79マイル(約127キロ)と高校生より遅い。そんな中でカットボール、スライダー、チェンジアップを丁寧にコーナーに投げ分けた。6回まで無失点。7回に失策絡みで2点を失ったが、その老かいな投球に本拠地のファンも拍手喝采だ。「投げる上で年は関係ない。まだ自分はチームに貢献できると思ってマウンドに立っている」。漫画「野球狂の詩」の岩田鉄五郎もビックリの「アラフィフ」の快挙だった。

 10年12月1日に左肘の腱移植手術を受けた。当時48歳。「スーパーマン(モイヤーの愛称)は必ず戻ってくる」と、厳しいリハビリにも耐えた。「息子に近い年齢のトレーナーに“痛みを我慢しろ”と言われたら頑張るしかないだろう」とモイヤー。昨季の登板はゼロで、今春キャンプのマイナー契約から不死鳥のごとくはい上がった。96年から背番号50。「50歳までマウンドに」が理由だ。子供は7人で長男ディロンさんは20歳、一番下は5歳。野球に打ち込む姿を子供に見せることも、原動力となっている。

 どの球種でも同じ腕の振り。打者のタイミングをずらすフォームをつくり上げるため、エアロビクスで体幹を鍛える日々は変わらない。さらに、究極ともいえる考えがモイヤーを支える。「本塁打と紙一重の大ファウルは、“危ない”じゃなくて“やった”と思う。ファウルを打たせた上に、打者は打ち気にはやる。打ち取れる確率が上がるんだ」。絶妙な緩急に抜群の制球力、相手心理を読み切る力――。だからこそ49歳でも勝てる。

 「1勝するために復帰したいと思ったんじゃない。まだ夢の中を生きている。野球への情熱を持っている」。メジャーデビューから26年。当時まだ生まれていなかった若手選手に負けないくらい、その目は輝いている。

 ▼中日・山本昌(15日の阪神戦でセ・リーグ最年長の46歳8カ月で白星)あの年までやるということは、運不運もあるが凄いことだと思う。(自身も体力面の衰えはないが)だからと言って、49歳までやれるとは言えないな。

 ≪年長登板は史上4位≫モイヤーはこの日が49歳151日。J・クインの49歳74日の大リーグ最年長勝利記録を77日更新した。また、この日は自身が持つ史上4位の年長登板記録を、前回登板時から5日更新。来季も現役を続行すれば、2位のJ・クインの50歳6日を上回る。1位のS・ペイジが持つ59歳80日は、話題作りのため1試合だけ現役復帰してマークしたもの。日本での最年長勝利は浜崎真二(阪急)が50年に記録した48歳148日。
 
[ 2012年4月19日 06:00 ]
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「現代ビジネス」から転載。
阪神はこれから長期低迷が続くのではないか、という暗い予想を書いた記事の一部である。しかし、伊藤隼太を春のキャンプ段階でフォーム改造させた、というのはあきれた。野球選手のフォーム、いや、スポーツ選手のフォームというのは、長い間かかって身につけた、その選手だけのフォームであり、ドラフト1位に指名されるということは、そのフォームにその選手にとっての合理性があったということだ。それを改造するというのは、選手生命に関わるような無謀な行為である。
しかし、プロ野球では、こういう蛮行が案外平気で行われているのである。
あのイチローでさえも、落合でさえも、コーチや監督からその打撃フォームではものにならない、と言われ、改造させられようとしたのである。それを頑として拒否する強い精神力があったから、彼らは生き延びることができ、歴史的な選手になれたのである。
普通の選手では、上の人間に命令されたら、拒否などできないだろう。
おそらく、伊藤は今季はまず駄目だろう。場合によってはこのまま引退まで一軍にも上がれないかもしれない。で、彼を玩具にした上層部は、その事について、けっして責任など取らないのである。これほど残酷な話は無い。まあ、伊藤が再度自分なりの打撃フォームを作り上げ、大成することを期待したい。
 
(以下引用)
 
〝迷える桧山2世〟伊藤隼太
悩めるドラ1・伊藤隼太。金本と同じ左打ちで長距離砲で外野手。後継者として、大いに期待されている
 阪神の主力が高齢化しがちな原因は「球団体質というか・・・・・・ドラフト戦略にある」と憤るのは山田氏だ。
「白仁田(寛和・26)も二神(一人・24)もそうでしたけど、『ドラフト1位が故障持ち』というのが〝阪神あるある〟になってますからね。ここ数年、まともな新人、獲ってないでしょう? 去年の1位の伊藤(隼太・23)にしたって〝大学ナンバーワンスラッガー〟という触れ込みでしたが、そんな大物をなぜ阪神が一本釣りできたのか(笑)。獲れる人を獲るんやなくて、もっと勝負してほしい」
 入団後の伊藤についた呼び名は「桧山2世」。スケールが大きいのか小さいのか悩むところだ。阪神OBが声を落とす。
「伊藤の実力を疑問視する声があるのは球団も把握していて、キャンプでフォームの徹底指導を試みた。これがアダとなったのでは、と言われとるね。頭の辺りで固定していたグリップの位置を胸の前に移し、そこから後ろに引いてトップを作るというフォームに変えたんやけど、ドラ1の新人をキャンプ序盤にイジること自体が前代未聞。伊藤はクソがつくほどのマジメ人間だけに、考え込んでしまった。開幕スタメンは勝ち取ったものの、一本もヒットを打てずに二軍落ち。周囲に『どうしていいのか分からない』と漏らしているとか・・・・・・」
 
「2ちゃんねる」でも星野はさんざんに批判されているのだが、自分の頭で考える人間なら、誰でもそう思うだろうが、マスコミに作られた星野の虚像しか知らない人間も多いから、その星野批判がピンと来ない人もいるだろう。
もっとも、素人だけでなく、野球人の中にも星野を高く評価する人間もいるかもしれないよ。脳みそが筋肉のスポーツマンは多いから、星野タイプが合う、という選手もいるだろう。
それはともかく、下記記事にもあるように、チームを作る上で大事なのは、実は監督よりもコーチであり、監督は与えられた戦力で試合を戦う能力がもっとも求められるのである。その能力において、星野はレベルが低い、というだけのことである。星野擁護論の中に、「選手がちゃんと働かないからだ」と、まるで星野本人みたいなことを言う者がいるが、選手の能力を勘案して選手を使うのが監督の仕事である。選手に文句を言うような監督は、監督失格である。
落合は、選手の悪口を言ったことは一度も無いはずだ。あるとしても、「努力をしない選手」や「頭を使わない選手」、「努力の方向の間違っている選手」の全体を批判しただけだろう。間違っても自チームや特定選手を否定するような発言はしたことがないはずだ。


(以下引用


98代打名無し@実況は野球ch板で:2012/04/20(金) 05:08:56.98 ID:oDgmiXUJO
ハムはドラフトも首脳陣の編成もうまいよな
栗山はやってみたら優秀だわ
99 :代打名無し@実況は野球ch板で[sage]:2012/04/20(金) 05:17:01.87 ID:8KT6Zu0N0
と言うか誰が監督しても強さを維持出来るフロントが偉い
100 :代打名無し@実況は野球ch板で[sage]:2012/04/20(金) 05:49:13.25 ID:faKK4y7r0
ハムは監督を変えても、コーチは変えなかったからな
フロントが野球を知ってる

どこかに逆に監督、コーチを総入れ替えするたびに金がかかって弱くなってる球団があったなw

 

「日刊ゲンダイ」電子版の記事が面白いので転載する。
私は、昨年のパリーグの優勝は楽天だと予想した。それくらい楽天の戦力は向上したと見たからだ。しかし、結果はご存じのとおりである。そして、今年もまたこのザマである。ならば、結論はただ一つ、指揮官および首脳陣に責任がある、ということだ。

もともと私は監督としての星野をあまり高く評価していない。選手としても売名の名人であっただけだと見ている。あの程度の実力と成績で、あれだけの知名度というのは、マスコミとのコラボレーションの結果にすぎない。その成績も、全盛期の王との勝負から逃げ、引退間際の長嶋と勝負することで巨人戦での勝率を高くしただけである。
ただし、公正を期して言えば、監督としての彼には一ついい点があった。それは「二軍から選手が上に上がってきたら、すぐに試合に使った」という点である。二軍から一軍に上がる選手は、好調な選手であり、それが試合に出て好結果を出せば、そのままレギュラーや一流選手へと駈け昇る可能性もある。だが、多くの監督はそういう未知の選手より使いなれたベテランを使って、若手に機会を与えず、腐らしてしまうものである。その点でだけは星野は良かった。

しかし、星野は下記記事の発言で完全に監督として失格した。
「このチームは何も考えていないんじゃないか。劣等感も何もない」
「このチーム」とは何か。誰が「このチーム」の監督なのか。
これは完全な責任転嫁であり、こうした発言がもし本当なら、即座に彼は監督解任されて然るべきである。
この発言を聞いた楽天ファンのほとんどは、この発言に非常な違和感を感じたはずである。その違和感の理由は、これが指揮官として最高に無責任な発言であり、卑怯な責任転嫁の発言だからだが、自分の感情分析が苦手な人のために、今日のこの記事は書いたわけである。


(以下引用)


楽天の「巨人アレルギー」元凶は星野仙一

【野球】

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2012年6月1日 掲載

ノーヒットノーランの翌日も完敗で7連敗

<「名前だけ見て圧倒される」>

 最後の打者となったフェルナンデスの飛球が左翼・松本哲のグラブに収まるや、星野監督は誰よりも早くグラウンドへ背を向け、そそくさとベンチ裏に引っ込んだ。
「このチームは何も考えていないんじゃないか。劣等感も何もない」
 そう吐き捨てた表情には、諦めがにじんだ。
 30日にあわや完全試合となるノーヒットノーランの屈辱を味わった楽天が、31日の試合でも巨人に完敗。2失策にスクイズ失敗、走塁ミスとヘボを連発した巨人から主導権を奪うどころか、拙攻に次ぐ拙攻で巨人の4投手から2点を奪うのがやっとだった。
 対巨人戦はこれで7連敗。星野監督になってから、1つの白星も挙げていない。通算成績は、10勝24敗。4試合制になった07年の交流戦から勝ち越した年は一度もなく、「劣等感すらない」と指揮官が嘆くのも分からなくはない。松井、鉄平、嶋などの主力を故障や不調で欠いているとはいえ、交流戦はここまで6勝3敗、リーグの3位をキープするなど好調だったチームが、巨人戦になった途端に大ブレーキである。
 試合前、大久保打撃コーチが言っていた。
「オレら(が現役)のときみたいに、巨人が苦手とか、憧れがあるみたいなのも別にない感じなんだけど、どこか意識しているんだろうね。巨人は当然強いチームだし、(スタメンの)名前だけ見ても圧倒されてしまうところはあると思う。東京ドームの独特な雰囲気もあって、その空気にのまれそうになってるなあというのは感じる。こういう雰囲気に負けないような訓練というか、メンタルトレーニングはしている最中なんだけどね」
 戦う前から、選手が萎縮しているというのだ。
 森山投手コーチも言っていた。
「選手の中には、巨人はどの選手にも打たれそうな気がする、と思ってしまうやつもいる。ひとりずつアウトを取るように意識させないと」

<「プロ野球選手に向いてない」>

 こういう選手の精神面が星野監督のカンに障るのだろう。ノーヒットノーランの屈辱から一夜明けたこの日は朝から、
「打てないなら打てないで、ベースにかぶって死球でもいいから塁に出てやろうとか、気迫も何もない。オレたちの時代なら、巨人戦で活躍して目立ってやろうと思ったものだが、ウチの選手にはそういうものもない」
 と、報道陣を相手にグチることしきりで、
「うちの選手はプロ野球に向いていないんじゃないかと思うわな」
 とまで言っていたそうだが、だったらなぜ選手にそうさせないのか。

<グチる前にやることないか>

 星野監督は現役時代から、巨人戦には特に闘志を燃やした。中日、阪神での監督時代も「打倒巨人」を旗印にして、それが「闘将」とファンに支持された。就任1年目の昨年は「チームを把握すること」「選手を見ること」に重きを置いたのは分かる。2年目の今季は選手の性根も含め、本格的にチームの改革に乗り出すはずだったにもかかわらず、成果が見えてこない。戦う前から選手が白旗を掲げていた今回の巨人戦が象徴的だった。
 星野監督は試合中のベンチで表情を歪め、「ったくもう」と頭をかきむしるばかり。指揮官からして、何が何でも巨人にひと泡吹かせる、という姿勢は感じられなかった。選手が不甲斐ないなら、それをなんとかするのが監督の仕事。グチる前にやることがある。
 交流戦最終カードとなる6月16日からの巨人2連戦の結果次第では、「闘将」の看板を下ろす必要があるんじゃないか。

▽東京ドーム=3万6503人(巨人2勝)
楽天000 100 001―2
巨人010 003 00X―4
(勝)内海5勝4敗 (S)西村1敗12S (敗)ヒメネス2勝6敗
(本)高橋由4号
多分「現代ビジネス」のスポーツコラムからの転載。多分、と言うのは、コピーした瞬間に、どこからコピーしたかは分からなくなることが多いからだ。いちいち引用元を書かなくてもいいかな、とも思うが、まあ、最低限の礼儀ではあるだろう。書いた人は(無記名でも)、自分の書いた文章への愛着はあるはずだから。
プロ野球の二軍は矛盾と理不尽の世界だ、というのはその通りだろう。せっかくプロに入りながら、巡り合わせが悪く、大成しないままで終わった選手は無数にいる。下記記事の中の中田亮二(ぶーちゃん)は、私の過去ログの中でも、いい打撃センスがある、と書いた選手である。見かけより足も速いのだから、打力の弱い中日が、彼をなぜ一軍で使わないのか疑問に思うわけだが、その理由は簡単で、一軍首脳陣が二軍選手のことを知らないからだろう、と私は睨んでいる。
ほとんどの球団で、多分そうであるはずだ。だから、多くの選手が、その最良の時期に一軍に上がれず、腐っていくのである。もちろん、選手自身の努力不足や心得違いが原因で大成できないこともあるが、問題は、然るべき時期に一軍に上げてやらないという「矛盾と理不尽」なのである。


(以下引用)


鈴木(引用者注:中日二軍監督の鈴木孝政)はよく選手たちに、

「ここは矛盾と理不尽の塊の世界だ。それだけはよくわかってくれよ」

 という話をする。

「例えば、一軍でケガ人が出て、やっと二軍を抜け出せたと思ったら、新外国人が現れて自分がトレードに出される。そんなことが野球界ではよく起こる。3年目の中田亮二(24歳)なんて、今すぐにでも一軍で活躍できるよ。でも呼ばれるのは外国人。そのある種理不尽な状況の中で、中田は文句を言わない。ストレスまみれの状況で、どんな仕事ができるか。実はこれ、プロ野球に限った話じゃないでしょ」

 だからこそ、自分の実力、自分の置かれた状況を知る必要がある。

「もういい、故郷に帰れ」

 中日の二軍戦。この試合無安打の3番が空振りすると、スタンドから公式戦さながらのヤジが飛ぶ。すると負けないほどの大声がベンチから聞こえてくる。

「ドンマイ! ドンマイ」

 中田の声はよく通る。この日はスタメンを外れていた。するとスタンドから、

「ブー(中田の愛称)、お前が打て」

 とお呼びがかかる。

 文句を言わないのと、黙っているのは違う。

「周平よりもブーを見に行こう」なんて子供がナゴヤドームに集まってくる---そんな日を虎視眈々と狙っているのだ。


玉木正之のコラムから無断転載する。まあ、コピー可能な記事はコピー許可があると考えておこう。
記事内容は、落合博満という人間がいかに怪物であるか、という話だ。怪物と言っても人間を食ったりするわけではない。常人離れした人間である、ということだ。ここに書かれたことは、私も初めて読んだ気もするし、昔聞いたような気もするが、知らない人間も多いだろうから、ここに転載するわけだ。
一つ注釈。この記事が書かれた時点では記事の筆者も知らなかったことを、現在の人間なら知っている。それは、最後の部分で落合が予告したように、落合は、あの当時は三流チームに落ちぶれていた中日を一年目で優勝させたのだ。
タイトルを「落合神話」とつけたのは、後10年後には、彼は日本野球の歴史の中で神話的存在になるからだ。

(以下引用)

 いまから23年前の1981年。プロ野球は、開幕前から例年以上の盛りあがりを見せた。というのは、東海大学の「若大将」原辰徳がジャイアンツに入団したのを筆頭に、プリンス・ホテルの実力ナンバーワン選手・石毛宏典がライオンズ、同じく即戦力捕手の中尾孝義がドラゴンズ、そして甲子園の優勝投手・愛甲猛がオリオンズ…と、スターの輝きを放つ有力新人が一斉にプロ入りしたからだった。

 いったい誰が、どのくらいの活躍を?と考えるだけで胸がわくわくした。
当時、駆け出しのスポーツ記者だったわたしも、キャンプが始まると、有力新人選手を片っ端から取材してまわった。そして川崎球場を訪れ、練習を終えた愛甲選手がシャワーから出てくるのを待っていたときのことだった。

 腰にバスタオルを巻いたオリオンズの選手たちが、シャワールームからロッカールームへ次々と出てくるなかで、見知らぬ一人の選手に話しかけられた。
「取材なの?どうせ愛甲なんでしょ」

 その斜に構えた口の利き方に、わたしが少しばかりムッとしながら頷くと、その男は、「いいよなあ、若くって」といったあと、濡れた髪の毛をバスタオルでゴシゴシ拭きながら、一人勝手に話を続けた。

 「18だよ。18歳。若くって、未来はいっぱいですよ。それに較べたらオレなんて、もう28だからね。今年くらいは何とかしなきゃ、プロになった意味がないよ」

 ぺらぺらと一人で喋るその男に向かって、ちょっと反撃を加えてやろうと思ったわたしは、「何とかするって、何かできるの?」と訊いてみた。するとその男は、飄々とした顔つきのまま平然と、「首位打者を獲るよ」と、いってのけた。

 髪の毛を拭き終えた男がバスタオルを放り投げたロッカーの上には、「落合」と書かれた名札が付けられていた。わたしは、唖然としながら、この男が落合か…と、思ったことを今も記憶している。

 その名前の男が、元東芝府中のスラッガーで、全日本チームでも4番を打ち、インターコンチネンタル・カップで大ホームランを放ったことは知っていた。26歳でプロ入りし、1年目は啼かず飛ばず(36試合2本塁打)。2年目の昨シーズンは後半から一軍で活躍しはじめた(57試合15本塁打2割8分3厘)が、当時の山内監督に「プロでは通用しない」と烙印を押されたこともスポーツ紙で読んでいた。

 そんな男の突然のまったくプライベートな「宣言」に、開いた口がふさがらなくなった。何しろ周囲には、わたし以外に誰もいなかったのだから、その「宣言」がメディアを意識したパフォーマンスでないことは確かだった。

 が、もっと驚いたのは、その年のシーズン終盤、彼がゴールデン・ルーキー石毛宏典と熾烈な首位打者争いを演じ、最後に打率3割2分6厘(33本塁打90打点)で本当に首位打者を獲得してしまったときだった。
以来、わたしは、落合の「いうこと」は、すべて信用することにした。翌年、彼は「三冠王を獲る」といって、三冠王を獲った。そのあと、「三冠王は3度獲る」といって、じっさい3度の三冠王に輝いた。

 そのとき、わたしは、もはや驚くことはなかった。何しろ、無名時代に「首位打者を獲る」と口にしたのが、記者会見の席でもなければ大勢の番記者に囲まれての発言でもなく、偶然出逢った駆け出しの雑誌記者に思わず口にしたものだったのである。

 それがリップサービスでないことは確かで、目標を公言することで自分を追い込むとかヤル気にさせるという効果があるとも思えない。要するに、彼には「確信」があったのだ。年齢的に「何かしなければ」と思うなかで、前年後半の活躍によってつかんだ確かな自信。その確信は、彼にとって間違いなく確かなものだったから、ちょっと誰かに話してみたくなったのだろう。

 三冠王のときは、彼をとりまくマスコミが多くなっただけのことで、彼は確信のない言葉は口にしない。今季ドラゴンズの監督となった彼は、「補強をしなくても、現在の選手がレベルアップすれば優勝は可能」と語った。それも「確信」に違いない。

 もっとも、現役選手時代の落合は、自分の身体で「確信」を掴み取ることができた。オリオンズ時代には毎年の春の鹿児島キャンプで、1時間を超す特打を行っていた。が、監督としては、選手にさせるほかない。だから「優勝は可能」という言葉に「選手のレベルアップができれば」というエクスキューズが加わったのかもしれない。

 4月末の時点で、落合ドラゴンズは好位置に着けている。はたして今後、シーズン中の「選手のレベルアップ」をどれくらい「させる」ことができるのか?
今シーズンは、観客動員が減っているといわれるが、じつは(セ・パともに)なかなかに面白いペナントレースである。

*******************

長年野球を見ていていまだによく分からないのは、「勝てる投手」と「勝てない投手」の違いがどこにあるかである。
まあ、それが分かれば各球団の投手コーチは楽だろうから、実は投手コーチをしている連中にもそれはよく分かっていないのではないか。
「球が速い」「制球力がある」「投球の組み立てがよい」「球が見づらい」「変化球がよく変化する」「スタミナがある」などなど、一つ一つを身につけ、その総合力が高いのが優れた投手なのだろうとは思う。
特に、プロですら困難なのが「制球力」であり、あのダルビッシュでさえ、大リーグで使うボールになじめず、制球に苦しんでいた。制球力が無いと、マウンドに立つことすら無謀だとなるのである。逆に、エースレベルの投手なら、制球力はあって当たり前、ということであり、若い投手は、まず安定した制球力を身につけないと、プロのマウンドには立てない、ということである。横浜の国吉など、まだプロのマウンドに立てるだけの制球力がなかったために二軍落ちしたわけだ。一方、巨人の宮国は、球は遅いが安定した制球力があったから、すぐにプロの一軍レベルになれたのだろう。(彼の二軍落ちは故障によるものだ)
球速については誤解が多いようで、プロのエース級の投手だから球が速いかというと、そんなことはない。たいていのエース級投手の球速は140から150の間であり、それほど凄い速さ、というほどではない。中には130台が中心という投手もいる。ダルビッシュは、投げれば150以上出せるが、自らそれを封印している気配すらある。要は、打者から見て速く見えるかどうか、ということであり、ここに配球術があるわけだ。
結論的に言えば、プロの標準的球速があり、良い制球力があり、クレバーな投手が「勝てる投手」になる、と言えるだろう。その中で、球速は、プロの標準以下でも実は大丈夫だ、というのが各球団の「勝てる投手」を見てきた結論である。


(以下「ウィキペディア」より杉内投手の投球について)

ランナー無しの状態からでも、セットポジションからバランスのとれたゆったりとしたフォームで投げ込み[18]、投手の手本として取り上げられることも多い。投球前には腕を上げて余分な力を抜き、投球時に膝の前で両手を叩き合わせて打者に軽い気持ちで投げているように見せて球をより速く見せるといった工夫もしている[19]

スリークォーターから平均球速約140km/h[20]、最速150km/hのストレートカーブスライダー、数種類のチェンジアップサークルチェンジ、無回転のチェンジアップなど)を武器とし[21]、通算の奪三振率は現役の先発投手中最高の9.47を残しており、本人も「追い込んだら狙っている」と意識しているという[22]。一方で近年は球数が増え、与四球率が悪化している傾向にある。

ストレートはそのほとんどが140km/h前後のスピードだが「腕を振ってから球をリリースしている」と形容されるほど球持ちが良く、上原浩治が理想の形に挙げているなど、三振を奪う武器となっている[23][24]。2009年シーズン中盤から「ストレートと同じ振りで投げられるようになった」とチェンジアップを多投するようになり、同年の被打率は.143を記録し[21]、三振を奪う決め球の1つとなった[25



昨日テレビを見ていたら、ソフトバンク・ホークスの福田秀平という選手が目に留ったので、「ウィキペディア」から彼についての記事をコピーしておく。何が目についたのかというと、体つきである。まるで野生動物のような、俊敏そうな体形だ。それに腕が長く、懐が深い。安打にはならなかったが、第一打席(?)での外野へのライナーは見事であり、打者としてのセンスも悪くはなさそうだ。球の捉え方に迷いが無い感じもいい。今は苦手なコースなどもあるだろうが、それはだんだんと克服していくだろう。首脳陣が彼にプレー機会を十分に与えれば、いい外野手になれそうだ。今のソフトバンクは故障者も多いし、彼の出場機会は多いだろう。そういう巡り合わせにある、というのは彼にとってラッキーである。
話は別だが、最近のプロ野球の打者は、2ストライクまでの甘いボールを簡単に見送って、バッター不利なカウントに追い込まれることが多い。これは何なのだろう。統一球で打者不利になったこととは別に、そういう「ストライクに手を出さない打者」が増えたことにも、打率低下、本塁打減少の原因があるのではないだろうか。

(以下引用)

ウィキペディア

ウィキペディアウィキペディア

福田秀平

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2012/05/08 09:33 UTC 版)

福田 秀平
福岡ソフトバンクホークス #37
HAWKS37-FUKUDA.jpg
2012年5月4日、福岡ドームにて
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 神奈川県横浜市緑区(現:青葉区
生年月日 1989年2月10日(23歳)
身長
体重
181 cm
77 kg
選手情報
投球・打席 右投左打
ポジション 外野手
プロ入り 2006年 高校生ドラフト1巡目
初出場 2010年4月30日
年俸 2,500万円(2012年)
経歴(括弧内は在籍年)

神奈川県横浜市緑区(現:青葉区)出身。愛称は「福ちゃん」。

目次

来歴・人物

プロ入り前

多摩大聖ヶ丘高では、遊撃手のレギュラー。3年時の春に本格的にスイッチヒッターに転向して才能が開花した。

2006年の高校生対象のドラフト会議大嶺祐太八重山商工)の交渉権を獲得できなかったソフトバンクから1巡目で指名され、同年10月19日に仮契約を結んだ。なお多摩大聖ヶ丘高は進学校であり、福田は同校初めてのプロスポーツ選手である。契約金で、病気で片足を失った父親のために義足を購入した。当時のドラフト会議時には指名された選手の顔写真がモニターに表示されるが、中央球界では無名であったので、ドラフト1位の選手の中で唯一顔写真が表示されなかった。

2006年の高校生ドラフトで指名された平成生まれの選手は福田の他に、オリックス・バファローズ延江大輔土井健大東京ヤクルトスワローズ山田弘喜の3人がいる。他の選手より早く仮契約を済ませ、福田は平成生まれのプロ野球選手第1号となった。1989年生まれとしては2004年ドラフト阪神タイガース辻本賢人が指名されているが、まだ昭和64年だった1月6日に生まれたため、平成生まれのプロ野球選手には該当しない。

プロ入り後

ビジターユニホーム姿の福田

同じく高校生ドラフトで指名された李秉諺伊奈龍哉に比べると体の線が細く、入団決定後に3人で雁ノ巣球場のチーム練習を見学した際に監督の王貞治から「福田はもっとめしを食え」と言われたほどである。その後は先輩・川﨑宗則を目指し、米飯の量を1合から2.5合に増やす等、体作りに力を入れていたという。

2010年は4月に初めて1軍に昇格し、4月30日千葉ロッテマリーンズ戦で李ボム浩の代走として出場し、プロ初出場を記録した。5月22日広島東洋カープ戦には中堅手で初先発。梅津智弘から初安打となるタイムリーツーベースを放った。しかし、守備で転倒してしまうなどのミスを起こしてしまい、途中交代させられ、その後は主に代走要員として一軍に定着したが、わずか3盗塁に留まった。オフに左打ちに専念した。

2011年は開幕1軍を果たしたが、昨季同様シーズン序盤は代走要員からのスタートだった。4月30日のロッテ戦で初先発。長谷川勇也の打撃不振により、センタースタメンでの出場があり、当初は打撃・守備ともにアピールしていたが、初の経験である連日のスタメン出場による疲労によると思われる守備判断ミス(記録上はヒット)が見られるようになると再び長谷川に先発の座を譲った。しかし多村仁志ホセ・オーティズ松中信彦内川聖一などの相次ぐ離脱もありレフトやライトでのスタメン出場機会を増やした。6月12日には一塁手としても先発出場している。7月10日のロッテ戦でホームスチールを成功させた。順風満帆に見えたシーズンだったが、7月14日東北楽天ゴールデンイーグルス戦でダイビングキャッチをした際右肩を亜脱臼し[1]、登録抹消。復帰後は再び主に指名打者や捕手への代走要員として出場していた。
終盤、9月6日北海道日本ハムファイターズ戦で久々のスタメン出場を果たしダルビッシュ有から長打2本を放ち、以降は再びスタメンで出場し続けるようになる。9月28日の日本ハム戦で初の3安打の猛打賞、9月30日埼玉西武ライオンズ戦で5回に西口文也からプロ初本塁打を放ち、7回には決勝点となる勝ち越し適時打を放つ活躍を見せた。[2]

プレースタイル・人物

高校通算38本塁打。遠投は110メートルを超え、50メートル走のタイムは6秒ジャストと俊足でもある。

2010年のオフから両打から左打に専念しているが、苦手意識のある左腕対策として、普段はベースラインぎりぎりに立っている打席を、左投手が相手の際はベースから少し離れて立つなど対応している[3]

斎藤佑樹とは、高校時代からの友人であり、お互いがプロになってからも遠征先で会食をする仲である[4]


日経新聞電子版で広沢克己が面白いことを書いている。コピーができないのでうろ覚えだが、斉藤祐樹の今季の活躍は、彼の投球フォームが一定していないため、一球ごとに球に変化がつき、打者から見るとそれが打ちにくいせいではないか、ということだ。で、広沢はそれが今後の投手養成のヒントになるかもしれないと書いている。一球ごとにフォームが変化する投手など、投手コーチは「とんでもない」と考えて、矯正させようとするだろう。だが、打者から見れば、むしろその方が打ちにくいのだから、矯正する必要などなく、むしろそれを武器にすればよいということだ。
もう一点、これも面白いことを言っている。通常、スピンの利いた「きれいな球筋のボール」が良いボールだとされるが、はたしてそうか、という疑問だ。スピンのきいたボールは「伸びのあるボール」になるが、球速はむしろ回転の少ないボールの方が速いのではないか、と言っているのだが、これも案外正しい可能性があるのではないか。それに、スピンの利いたボールは軽い球になるという事実から言って、はたして「スピンの利いたきれいな球筋のボール」が投手有利かどうかは分からない。
これまでの球界の常識は、いったん疑ってみるのがよい。
むしろ、たとえば山本昌のような変則的なフォームの投手がなぜあれほど長い間にわたって活躍できたのか、そのあたりを分析するのが面白いのではないだろうか。
マリナーズのイチローは今年は三番打者を任され、打率は3割近くを打って、まずまずだが、得点圏打率が2割に満たず、監督が不満を述べているそうだ。
しかし、これはイチローを三番にした監督が悪いのであり、イチローのバッティングの性格から言って、クリーンアップは不適格のはずだ。もともとイチローの得点圏打率は低いのであり、三番になればそれが上がるというのは甘い考えだろう。
イチローのバッティングを一言で言えば、「当てる打撃」であり、通常の強打者の「振り切る打撃」とはまったく異なる。打球の性質で言えば、「弱い打球」がイチローの打球なのだ。その弱い打球でも野手のいないところに飛べばヒットになるし、あるいは遊撃の深い所に飛べば、足を活かして内野安打になる。それがイチローの打撃だ。とすれば、その打球が野手の正面に飛べば簡単にアウトにされるのは当然だ。野手が怖がるような「火を噴くような打球」は、イチローの打撃からはまったく生まれないのである。こうした打球がクリーンアップには向いていないことは分かるだろう。では、打順に合わせて自分のバッティングを変えるか? これはキャンプの間に試して、無理だという結論になっている。イチロー自身がそう明言しているのだ。自分のバッティングをするしかないと。長年の間に身につけた打法は、そう簡単に根本的変更ができるものではない。
であるから、イチローを三番に置いたのは監督の誤りであり、イチローが悪いわけではない。一番打者なら塁に出るのが仕事であるから、イチロー独自のバッティングでまったく問題は無い。文句を言うなら死四球の少なさだろう。これはピート・ローズがイチローに苦言を呈したところで、一番打者は塁に出るのが仕事だから、安打数だけでなく、死四球も含めた出塁率の高さが大事なのである。だが、イチローは死四球数が極端に少なく、従って出塁率も案外低い。まあ、打率で三割五分、少なくとも三割三分は打たないと、一番打者としても最高の選手とは言えない。
私はイチローの大フアンなのだが、彼が今後も大リーグで活躍するには、こうした点を考えていく必要があるのではないだろうか。これは彼だけでなく、彼を使う監督なども考慮すべき点である。
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