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ゲーム・スポーツなどについての感想と妄想の作文集です 管理者名(記事筆者名)は「O-ZONE」「老幼児」「都虎」など。
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昨日テレビを見ていたら、ソフトバンク・ホークスの福田秀平という選手が目に留ったので、「ウィキペディア」から彼についての記事をコピーしておく。何が目についたのかというと、体つきである。まるで野生動物のような、俊敏そうな体形だ。それに腕が長く、懐が深い。安打にはならなかったが、第一打席(?)での外野へのライナーは見事であり、打者としてのセンスも悪くはなさそうだ。球の捉え方に迷いが無い感じもいい。今は苦手なコースなどもあるだろうが、それはだんだんと克服していくだろう。首脳陣が彼にプレー機会を十分に与えれば、いい外野手になれそうだ。今のソフトバンクは故障者も多いし、彼の出場機会は多いだろう。そういう巡り合わせにある、というのは彼にとってラッキーである。
話は別だが、最近のプロ野球の打者は、2ストライクまでの甘いボールを簡単に見送って、バッター不利なカウントに追い込まれることが多い。これは何なのだろう。統一球で打者不利になったこととは別に、そういう「ストライクに手を出さない打者」が増えたことにも、打率低下、本塁打減少の原因があるのではないだろうか。

(以下引用)

ウィキペディア

ウィキペディアウィキペディア

福田秀平

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2012/05/08 09:33 UTC 版)

福田 秀平
福岡ソフトバンクホークス #37
HAWKS37-FUKUDA.jpg
2012年5月4日、福岡ドームにて
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 神奈川県横浜市緑区(現:青葉区
生年月日 1989年2月10日(23歳)
身長
体重
181 cm
77 kg
選手情報
投球・打席 右投左打
ポジション 外野手
プロ入り 2006年 高校生ドラフト1巡目
初出場 2010年4月30日
年俸 2,500万円(2012年)
経歴(括弧内は在籍年)

神奈川県横浜市緑区(現:青葉区)出身。愛称は「福ちゃん」。

目次

来歴・人物

プロ入り前

多摩大聖ヶ丘高では、遊撃手のレギュラー。3年時の春に本格的にスイッチヒッターに転向して才能が開花した。

2006年の高校生対象のドラフト会議大嶺祐太八重山商工)の交渉権を獲得できなかったソフトバンクから1巡目で指名され、同年10月19日に仮契約を結んだ。なお多摩大聖ヶ丘高は進学校であり、福田は同校初めてのプロスポーツ選手である。契約金で、病気で片足を失った父親のために義足を購入した。当時のドラフト会議時には指名された選手の顔写真がモニターに表示されるが、中央球界では無名であったので、ドラフト1位の選手の中で唯一顔写真が表示されなかった。

2006年の高校生ドラフトで指名された平成生まれの選手は福田の他に、オリックス・バファローズ延江大輔土井健大東京ヤクルトスワローズ山田弘喜の3人がいる。他の選手より早く仮契約を済ませ、福田は平成生まれのプロ野球選手第1号となった。1989年生まれとしては2004年ドラフト阪神タイガース辻本賢人が指名されているが、まだ昭和64年だった1月6日に生まれたため、平成生まれのプロ野球選手には該当しない。

プロ入り後

ビジターユニホーム姿の福田

同じく高校生ドラフトで指名された李秉諺伊奈龍哉に比べると体の線が細く、入団決定後に3人で雁ノ巣球場のチーム練習を見学した際に監督の王貞治から「福田はもっとめしを食え」と言われたほどである。その後は先輩・川﨑宗則を目指し、米飯の量を1合から2.5合に増やす等、体作りに力を入れていたという。

2010年は4月に初めて1軍に昇格し、4月30日千葉ロッテマリーンズ戦で李ボム浩の代走として出場し、プロ初出場を記録した。5月22日広島東洋カープ戦には中堅手で初先発。梅津智弘から初安打となるタイムリーツーベースを放った。しかし、守備で転倒してしまうなどのミスを起こしてしまい、途中交代させられ、その後は主に代走要員として一軍に定着したが、わずか3盗塁に留まった。オフに左打ちに専念した。

2011年は開幕1軍を果たしたが、昨季同様シーズン序盤は代走要員からのスタートだった。4月30日のロッテ戦で初先発。長谷川勇也の打撃不振により、センタースタメンでの出場があり、当初は打撃・守備ともにアピールしていたが、初の経験である連日のスタメン出場による疲労によると思われる守備判断ミス(記録上はヒット)が見られるようになると再び長谷川に先発の座を譲った。しかし多村仁志ホセ・オーティズ松中信彦内川聖一などの相次ぐ離脱もありレフトやライトでのスタメン出場機会を増やした。6月12日には一塁手としても先発出場している。7月10日のロッテ戦でホームスチールを成功させた。順風満帆に見えたシーズンだったが、7月14日東北楽天ゴールデンイーグルス戦でダイビングキャッチをした際右肩を亜脱臼し[1]、登録抹消。復帰後は再び主に指名打者や捕手への代走要員として出場していた。
終盤、9月6日北海道日本ハムファイターズ戦で久々のスタメン出場を果たしダルビッシュ有から長打2本を放ち、以降は再びスタメンで出場し続けるようになる。9月28日の日本ハム戦で初の3安打の猛打賞、9月30日埼玉西武ライオンズ戦で5回に西口文也からプロ初本塁打を放ち、7回には決勝点となる勝ち越し適時打を放つ活躍を見せた。[2]

プレースタイル・人物

高校通算38本塁打。遠投は110メートルを超え、50メートル走のタイムは6秒ジャストと俊足でもある。

2010年のオフから両打から左打に専念しているが、苦手意識のある左腕対策として、普段はベースラインぎりぎりに立っている打席を、左投手が相手の際はベースから少し離れて立つなど対応している[3]

斎藤佑樹とは、高校時代からの友人であり、お互いがプロになってからも遠征先で会食をする仲である[4]


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