私は『さよなら絶望先生』という漫画が大好きなのだが、カフカの言葉は、まさに絶望先生こと糸色望(いとしきのぞみ)のセリフとしてもいいくらいだ。そう言えば、『絶望先生』にも「風浦可不可」(字はうろ覚え)という女の子が出てきたな。
「将来に向かってつまずく」なんて、いい言葉だ。「倒れたままでいるのが一番得意だ」というのも笑ってしまう。
ぬQの「努力アレルギー」と並ぶ、私の中の最近のヒットだ。
(以下引用)
カフカの絶望
『絶望名人カフカの人生論』という本をパラパラ捲ると、あまりにネガティブすぎて却って笑ってしまうような言葉をカフカが日記や手紙やメモに遺していることがわかる。付箋をばんばん貼った。すごくためになる。カフカって神経質で気難しそうなイメージがあったけどそうとうなユーモア家だ。この本は頭木弘樹さんという方が編訳した。よくこんな面白い本を作ったものだ。のっけからこういうのがある。以下引用多数―
将来にむかって歩くことは、ぼくにはできません。将来にむかってつまずくこと、これはできます。いちばんうまくできるのは、倒れたままでいることです。(フェリーツェへの手紙より)
フェリーツェというのはカフカの恋人で婚約までしたにもかかわらずカフカの方から解消した。それにしても恋人に宛てた手紙の文面がこれかよとびっくりする。こんなのもある。
ずいぶん遠くまで歩きました。五時間ほど、ひとりで。それでも孤独さが足りない。まったく人通りのない谷間なのですが、それでもさびしさが足りない。(フェリーツェへの手紙より)
カフカは散歩が趣味だったそうだ。恋人への手紙がこの調子ならば日記の記述も情けない、情けないけど真実をついているようでドキリとする。
ぼくは彼女なしで生きることはできない。……しかしぼくは……彼女とともに生きることもできないだろう。(日記より)
誰でも、ありのままの相手を愛することはできる。しかし、ありのままの相手といっしょに生活することはできない。(日記より)
もっと切実なものがある。
ぼくは同級生の間では馬鹿でとおっていた。何人かの教師からは劣等生と決めつけられ、両親とぼくは何度も面と向かって、その判定を下された。極端な判定を下すことで、人を支配したような気になる連中なのだ。馬鹿だという評判は、みんなからそう信じられ、証拠までとりそろえらえていた。これには腹が立ち、泣きもした。自信を失い、将来にも絶望した。そのときのぼくは、舞台の上で立ちすくんでしまった俳優のようだった。(断片より)
ぼくの人生は、自殺したいという願望を払いのけることだけに、費やされてしまった。(断片より)
そしてかの有名な『変身』についてはこんな中学生の言い訳みたいなことをカフカは書き遺している。
『変身』に対するひどい嫌悪。とても読めたものじゃない結末。ほとんど底の底まで不完全だ。当時、出張旅行で邪魔されなかったら、もっとずっとよくなっていただろうに……。(日記より)