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ゲーム・スポーツなどについての感想と妄想の作文集です 管理者名(記事筆者名)は「O-ZONE」「老幼児」「都虎」など。
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 投げを大別すれば、腕力で投げるもの(レスリングのボディスラムはこれだ)と、相手の動きを利用して投げるものがある。後者の方が腕力も要らずに投げることができる達人の投げである。三船久蔵の「空気投げ」(または隅落とし)などは多分、後者だろう。
 もしも柔道やレスリングが、力やスピードだけに頼るものならば、これは体格に恵まれた、特定の人間のための武道である。しかし、西郷四郎にせよ、三船久蔵にせよ、けっして巨漢ではなかった。つまり、力は柔道の本質的な部分ではないと考えられる。これを表す言葉が、「柔よく剛を制す」という言葉だ。もちろん、体重40キロの人間が体重100キロの巨漢に勝つのは困難だろうが、まったくの不可能でもないかもしれない。というのは、いかに体重が重かろうが、人間が二本の足で立つことの不安定性というものは変わらないからである。そして、ある重さを持った人間が動くと、そこに慣性が働き、足の位置加減によっては、自ら倒れることもありうる。これは、相撲などではおなじみの場面である。小錦や曙、高見山といった巨漢力士が土俵上に横転する場面を我々は何度も見ている。別の面から考えるなら、二本の足で立つ人間は、相手をつかまえることで四本の支点を持ち、安定する。つまり、相手につかまることは、相手に安定な支点を与えることになる。小柄な人間は、けっして相手につかまってはならないということだ。
 相撲などのように、一回でも地面に倒れたら終わりという格闘技と違って、レスリングでは、何度マットに倒れても負けにはならない。だからプロレスでは巨漢レスラーが有利になるのだが、これを武道として考えた場合、一度でも地面に倒れたら終わりという方が、よりシビアな世界だと言えるのではないだろうか。つまり、地面には何が転がっているかわからないのだから、マットという条件を前提としたレスリングは、下が畳であることが絶対条件ではない柔道よりも、より「実戦的ではない」のかもしれない。
 先ほどの体格差の問題にしても、たとえば、四方が断崖絶壁である狭い場所で戦うなら、巨漢であることが必ずしも有利だとは限らないかもしれない。つまり、自らの体重をコントロールする点では、小柄なほうが有利だろうからだ。突進してかわされたら崖から転落という状況では、巨漢の有利さはかなり制限されるだろう。そうした状況とは無縁の、絶対的な接触系(投げ技系)格闘技のポイントは何なのか。
 それは、「重心と支点」だろうと思われる。つまり、相手の重心がどこにあり、それを支える支点が今どうなっているのかを瞬時に読み、相手の動きなどを利用して、相手の重心の位置や支点をできるだけ小さな力で動かして相手を転倒させることが、接触系格闘技の名人・達人の境地ではないだろうか。三船久蔵の「空気投げ」がどんなものかはわからないが、その名称だけでも、この技が相手の力や動きを利用したもので、技を出す方はほとんど力を使っていないということが想像できる。
 体重制になった現在の柔道では、体重の有利さばかりが目立っているが、体重は必ずしも絶対的な有利さではないということを、誰か小兵の柔道家に証明して貰いたいものである。
 ところで、柔道における基本の立ち方に、「自然体」と「自護体」がある。自然体は、背筋を伸ばしてリラックスして立った状態であり、自護体は、相手に投げられまいと、腰を後ろに引いて頭をかがめ、背が丸くなった姿勢である。後者は、重心を低くして、体を安定させようとした姿勢に見えるから、こちらが合理的にも思えるが、実は柔道では自然体が良い姿勢なのである。それはなぜか。第一に、精神的な問題がある。自然体は、相手がどのように出てこようとも、それに対応しようというリラックスした姿勢であると同時に、隙があればこちらから即座に攻撃に出ようという積極的な姿勢である。それに対して、自護体は、最初から投げられることを想定して、それを何とか防ごうという消極的な姿勢であり、こちらから技を掛けることは考えてもいない。これでは勝負に勝てるはずもない。
 次に、安定性という面から見ても、実は自護体はけっして安定した姿勢ではないのである。それは重心の位置を考えればいい。体を前に倒した状態では、重心は自分の両足の外に出ており、相手と四つに組んでいることでかろうじて倒れずにいるだけである。相手が、その組み手をはずすか下に引くだけで倒れるはずなのだ。
 倒れたら終わりという点では、相撲こそが「倒れることの科学」を徹底的に研究していそうなものだが、寡聞にして、相撲の科学的戦略というものは聞いたことがない。もちろん、あらゆるスポーツや武道は、頭で考えることとは別だろうが、しかし、本物の達人や名人は、盲目的な訓練の中から偶然に秘訣を発見したのではなく、それが言語化されるかどうかは別として、頭で考えて秘奥をつかんだのだと私は思っている。しかし、多くのスポーツや武道では、伝統的な訓練をひたすら強制するだけで、その訓練が合理的かどうかを問うことはしない。
 体型の問題をもう少し考えよう。太った人間はやせた人間より倒れやすいかというと、別にそんなことはない。倒れやすさ自体は体重とは関係がないのである。ただし、体型は関係がある。下半身が貧弱で、上半身が太っている人間はやはり倒れやすいだろう。しかし、老人に転倒する者が多いのは、体重とも体型とも関係がない。これは、思っているほどに足が動かないというところに主な原因がある。想像と肉体のギャップが老人の事故の主な原因だろう。若い人間でも、疲労がたまっている時などに階段をのぼろうとして、思ったほど足が上がらず、足を引っ掛けて倒れそうになることがある。老人はそれがよりひどくなるわけである。
 倒れても、ダメージを受けないようにすることも、接触系(投げ技系)格闘技の重要な技術である。柔道の受身などがそれだ。これは、地面にぶつかってもダメージにならない体の部位で地面に接触すること、体を回転させながら転倒することで、ダメージを減らすことなどが基本である。つまり、体と地面が接触する時のベクトルを変えるということだ。
 
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