ゲーム・スポーツなどについての感想と妄想の作文集です
管理者名(記事筆者名)は「O-ZONE」「老幼児」「都虎」など。
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「ギャラリー酔いどれ」というブログに引用されていた「心に青雲」というブログ(だと思う)からの孫引き引用である。
スカイツリーについては、最初からマスコミのその大騒ぎぶりにうんざりしていたし、スカイツリー自体もみっともない建造物だと思っていたので、この文章は、我が意を得たり、である。
まあ、例によって電通が背後でマスコミを操っているのだろうが、こんな不細工な建造物は、さっさと倒れてほしいものだ。東京タワーといい、京都タワーといい、近代の高層建築はなぜみんなあんなにみっともないのだろう。「ランドスケープ」を台無しにした罪で、それらのデザイナーを死刑にしてほしいところだ。そういえば、スカイツリーのすぐ側には例の「雲古ビル」があるが、あれを作ったデザイナーはまだ平気で生きているのだろうか。
(以下引用)
◆http://kokoroniseiun.seesaa.net/article/271135588.html
心に青雲 2012年05月23日
◎東京スカイツリーの悪趣味
昨日、22日に東京スカイツリーが開業したそうだ。
あの電波塔のデザインの悪さは極めつけだと思うのは、私だけだろうか?
それに、電波塔としては世界一なんていう高さ自慢、のっぽ比べが実にくだらない。
テレビのニュースでは、インタビューされた地元の人が「誇りに思う」と喜んでいたけれど、
アホか! であった。お前とは何の関係ないことなのだよ。
自分が建てたわけでもない塔が地元にできたからといって、誇りだというのは、
完全に言葉の遣いかたを間違えているし、人間として情けないかぎりだ。
スカイツリーを建てたのは、そもそも東京タワーでは当時より多くなった放送局が
発信しきれなくなったとか、東京に高層ビルが多くなって電波の届かないところがあって困ったからだ
と説明を受けてきた。しかし新聞記事によると、本当は、
別にテレビが見られないという公共性は皆無だそうだから、呆れる。
事、テレビ電波の問題としては電波塔はなくても良かったのだ。
じゃあなぜ建てたか、世界一の塔にしたかというと、
下町のあの辺りに東京名所を作りたかったかららしい。
NHK、民間放送局と総務省と東武電鉄、それに押上あたりの地元が、物見遊山の客を集めて
儲けたいためにおったてたのだ。
600メートル級の電波塔を建てないと電波事情が悪くなる、は、口実だった。
たしかに墨田区のあたりは、これといった観光名所が乏しい。
東京の中では取り残されている感じではあった。だからなんとか集客を、の願いがあったのだろう。
しょせんはその程度のものである。だからあんなものをわざわざ見に行く気はさらさらない。
高いところから東京の町並みを見、遠くの富士山や筑波山が見えたところで、
何も大喜びするようなことではない。
http://www.ecobeing.net/ecopeople/peo50/peo50p3.html
上記サイトにスカイツリーを設計した人の記事があるが、言っていることが支離滅裂である。
意味不明。あの形状は、美しいフォルムでもなければ、周辺の風景と調和もしていない。
東京の街にまた一つ違和感のある構造物が出現した程度のことだ。
設計者の顔を見ると、なるほどああいう趣味の悪い塔をデザインするわけだなと思える。
スカイツリーの「基本理念」がこれまた馬鹿げている。
「時空を超えたランドスケープ」だと。
もうこれは言葉だけ華やかにしてみせたみっともないコンセプトである。
ランドスケープとは、Wikipedia では
「景観を構成する諸要素。ある土地における、資源、環境、歴史などの要素が構築する政治的、
経済的、社会的シンボルや空間。または、そのシンボル群や空間が作る都市そのもの」とある。
日本語で言ってほしいものだが、
まさに外国語かぶれの底の浅い人間が、思いついた用語でしかしない。
それが「時空を超えた」となればいっそう、わけがわからない。
押上周辺は江戸情緒が残る町並みがあると、事業主体の会社は説明するが、
押上近隣に江戸情緒の残る町並みなんてない。ウソをつくんじゃないよ。
あのあたりは、別にバカにするわけではないが、東京のなかでは開発がちょっと遅れた街で、
せいぜい昭和の名残が街にあるか… でしかない。
それはそれでいいじゃないかと思うが、だから地元としては新宿や渋谷、
あるいは東京の西にある私鉄沿線のこぎれいな、しゃれた商店街なんかのにぎわいを、
墨田区にも作りたかっただけのことである。
それを苦し紛れに「時空を超えたランドスケープ」などと、趣味の悪い宣伝文句をこじつけたのだ。
それにつけても、2000円も3000円も払って展望台にあがりたい人の気持ちが理解できない。
東京の薄汚れた街を見下ろしても何の感動もあるまい。 退屈じゃないんだろうか?
スカイツリーについては、最初からマスコミのその大騒ぎぶりにうんざりしていたし、スカイツリー自体もみっともない建造物だと思っていたので、この文章は、我が意を得たり、である。
まあ、例によって電通が背後でマスコミを操っているのだろうが、こんな不細工な建造物は、さっさと倒れてほしいものだ。東京タワーといい、京都タワーといい、近代の高層建築はなぜみんなあんなにみっともないのだろう。「ランドスケープ」を台無しにした罪で、それらのデザイナーを死刑にしてほしいところだ。そういえば、スカイツリーのすぐ側には例の「雲古ビル」があるが、あれを作ったデザイナーはまだ平気で生きているのだろうか。
(以下引用)
◆http://kokoroniseiun.seesaa.net/article/271135588.html
心に青雲 2012年05月23日
◎東京スカイツリーの悪趣味
昨日、22日に東京スカイツリーが開業したそうだ。
あの電波塔のデザインの悪さは極めつけだと思うのは、私だけだろうか?
それに、電波塔としては世界一なんていう高さ自慢、のっぽ比べが実にくだらない。
テレビのニュースでは、インタビューされた地元の人が「誇りに思う」と喜んでいたけれど、
アホか! であった。お前とは何の関係ないことなのだよ。
自分が建てたわけでもない塔が地元にできたからといって、誇りだというのは、
完全に言葉の遣いかたを間違えているし、人間として情けないかぎりだ。
スカイツリーを建てたのは、そもそも東京タワーでは当時より多くなった放送局が
発信しきれなくなったとか、東京に高層ビルが多くなって電波の届かないところがあって困ったからだ
と説明を受けてきた。しかし新聞記事によると、本当は、
別にテレビが見られないという公共性は皆無だそうだから、呆れる。
事、テレビ電波の問題としては電波塔はなくても良かったのだ。
じゃあなぜ建てたか、世界一の塔にしたかというと、
下町のあの辺りに東京名所を作りたかったかららしい。
NHK、民間放送局と総務省と東武電鉄、それに押上あたりの地元が、物見遊山の客を集めて
儲けたいためにおったてたのだ。
600メートル級の電波塔を建てないと電波事情が悪くなる、は、口実だった。
たしかに墨田区のあたりは、これといった観光名所が乏しい。
東京の中では取り残されている感じではあった。だからなんとか集客を、の願いがあったのだろう。
しょせんはその程度のものである。だからあんなものをわざわざ見に行く気はさらさらない。
高いところから東京の町並みを見、遠くの富士山や筑波山が見えたところで、
何も大喜びするようなことではない。
http://www.ecobeing.net/ecopeople/peo50/peo50p3.html
上記サイトにスカイツリーを設計した人の記事があるが、言っていることが支離滅裂である。
意味不明。あの形状は、美しいフォルムでもなければ、周辺の風景と調和もしていない。
東京の街にまた一つ違和感のある構造物が出現した程度のことだ。
設計者の顔を見ると、なるほどああいう趣味の悪い塔をデザインするわけだなと思える。
スカイツリーの「基本理念」がこれまた馬鹿げている。
「時空を超えたランドスケープ」だと。
もうこれは言葉だけ華やかにしてみせたみっともないコンセプトである。
ランドスケープとは、Wikipedia では
「景観を構成する諸要素。ある土地における、資源、環境、歴史などの要素が構築する政治的、
経済的、社会的シンボルや空間。または、そのシンボル群や空間が作る都市そのもの」とある。
日本語で言ってほしいものだが、
まさに外国語かぶれの底の浅い人間が、思いついた用語でしかしない。
それが「時空を超えた」となればいっそう、わけがわからない。
押上周辺は江戸情緒が残る町並みがあると、事業主体の会社は説明するが、
押上近隣に江戸情緒の残る町並みなんてない。ウソをつくんじゃないよ。
あのあたりは、別にバカにするわけではないが、東京のなかでは開発がちょっと遅れた街で、
せいぜい昭和の名残が街にあるか… でしかない。
それはそれでいいじゃないかと思うが、だから地元としては新宿や渋谷、
あるいは東京の西にある私鉄沿線のこぎれいな、しゃれた商店街なんかのにぎわいを、
墨田区にも作りたかっただけのことである。
それを苦し紛れに「時空を超えたランドスケープ」などと、趣味の悪い宣伝文句をこじつけたのだ。
それにつけても、2000円も3000円も払って展望台にあがりたい人の気持ちが理解できない。
東京の薄汚れた街を見下ろしても何の感動もあるまい。 退屈じゃないんだろうか?
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