忍者ブログ
ゲーム・スポーツなどについての感想と妄想の作文集です 管理者名(記事筆者名)は「O-ZONE」「老幼児」「都虎」など。
カレンダー
03 2025/04 05
S M T W T F S
17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30
フリーエリア
最新CM
最新TB
プロフィール
HN:
o-zone
性別:
非公開
バーコード
ブログ内検索
P R
カウンター
[7792]  [7791]  [7790]  [7789]  [7788]  [7787]  [7786
これは女性の投稿だと思うが、女性における「会話の意義」というのをよく示していると思う。
男はどうしても論理が主体になりがちで、「どうでもいい会話」が苦手であるが、実は「どうでもいい会話」というのは男の側の習慣的思考による機械的判断であって、その「無駄口」こそが生活のストレス解消になり、或る種の救いなのが、女性の会話の本義だろう。
ただし、男でも論理的会話が嫌いな層(それが不得手な者)もいるし、女性も「意味の無い会話が嫌い」という人(ある種の効率主義者)もいるとは思う。ここでは、おおまかな傾向の意味だ。

なお、私は母親とも父親とも会話をした経験がほとんど無い。特に母親とは必要以外の会話をした記憶が無い。そこに私の性格の偏りの原因があるかとは思うが、その偏りはむしろ自分の長所だと思っている。(両親はふたりとも60歳前後で死んだ。まあ、生んで育ててもらったことには感謝しかない。早死に、少なくとも子供の負担となる前に死ぬことは子供への親の最後の大きなプレゼントかもしれない。)

(以下引用)

■母親との会話とか

中学生か、高校生あたりから、キッチンにいる母親の近くで、他愛もない話をいつも聞いてもらっていた

授業でのちょっとした疑問とか、世の中のことについてとか

明確な答えがあるタイプのトピックではほとんどなく、会話も自分が話せたら、聞いてくれてありがとう的なニュアンスを伝えて終わっていた気がする

今思うと、あの聞いてもらえるってのはありがたいことよなぁと思う

仮に父親や兄とその手の話をすると、結論や、こうしたらいいんじゃないかって話につながりがちで、そうじゃねぇんだわとなる

まぁ、こういう会話をしたいって前置きがあれば付き合ってくれるかもしれないが

今は親となり、子供からよく色々話してくれたりする(ゲームの話ばかりだが)

正直話をちゃんと聞けてるかは不安だが、その度に母親のことを思い出してみたりする

たまには実家に帰るとするか
PR
この記事にコメントする
お名前
タイトル
文字色
メールアドレス
URL
コメント
パスワード Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字
忍者ブログ [PR]