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ゲーム・スポーツなどについての感想と妄想の作文集です 管理者名(記事筆者名)は「O-ZONE」「老幼児」「都虎」など。
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落合野球についていろいろ書いているが、仕事がら、プロ野球を見る機会は少なく、落合の采配について私はそれほどは知らない。知っている範囲、気がついた範囲で論じているだけである。しかし、それだけでも、彼が非常に合理的な思考の持ち主であること、少しのことでは動揺しない精神力の持ち主であることは推測できる。
監督としての彼は、試合中はほとんど動かないのではないだろうか。つまり、監督の仕事は試合前でほとんど終わっていると彼は考えている気がする。これも、現役選手の頃からの彼の考えが、「試合は選手がするものだ。監督はせいぜい投手交代の見極めをするだけだ」というものだからではないだろうか。現役選手の頃は監督を無視していた人間が、監督になると監督の権威をふりかざして馬鹿な采配を取る例を、彼は無数に見てきたのだろう。もちろん、監督はすべての責任を取る立場である以上、勝利を得るのに必要な手段はすべて講じる。しかし、落合の特徴は、「無駄なことはしない」ということだ。
では、「必要なこと」とは何か。それは、「無駄な失点を避け、なるべく点を取る」という当たり前のことである。落合野球が守備優先の野球であったことに、最初の頃意外な思いを抱いた人が多かったと思うが、これは合理的野球の当然の帰結だと言える。つまり、失点には限度が無いが、得点能力には限度があるのだ。得点できるかどうかは、相手投手次第であり、試合ごとに状況は変わる。ところが、へぼな投手やへぼな野手のいるチームの失点は無限に膨れ上がるのである。合理的思考をする人間なら、まず投手力と守備を優先したチーム作りをするのが当然なのである。
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落合野球とは何か。それは、合理主義である、と前回に書いたが、それをもう少し具体的に考えてみよう。合理主義とは、計算である。与えられた材料から、妥当な結果を予測して行動するのが合理主義である。ところが、現実人生では虚飾や虚偽や願望などのために正しい計算や予測ができなくなる人間が多い。そのために、落合のような冷徹な合理主義者が成功し、それが目立つのである。
まず、落合は、チームを引き受けた時、現有勢力だけで戦うと言った。これは与えられた材料をよく吟味もせずに大金をはたいて補強に走る、これまでの監督たちへの批判であり、無名選手として入団し、その才能を開花させることなく終わる可能性のあった野球選手としての、選手から監督たちへの批判である。つまり、「お前たちは選手の能力や努力をちゃんと見ているか」という批判だ。さらに言えば、プロに入るほどの選手ならば、皆、一軍で働ける可能性はあるはずだ、という考えだろう。
落合は、一軍選手も二軍選手も同じスタートラインから始めると言った。つまり、秋季練習や春季練習の中から頭角を現した人間だけを使うと言ったのである。
スタートラインの平等。これは民主主義の理想でありながら、現実にはどこにも存在していないものである。落合は、それを実行したのである。だから、その競争に敗れた人間たちから不満の声は出なかった。もしも不満を言えば、それは自分の敗北を、よりみじめにするだけだっただろう。
こうして、落合監督は、まず「平等な競争」というスタートラインを作ったのである。これがその後のペナントレースの中で、これまでならしばしば出ていた内部からの不満を生じさせにくくする土台となったのだ。
落合野球の考察 1

中日の落合監督は、現役時代から「俺流野球」、つまり野球界の常識などまったく無視した練習方法と打撃術で知られた人間だが、監督になってもやはり「俺流野球」を貫いている。その基本となる考えは、実はまったくの合理主義である。他の監督よりも野球における計算が合理的なために、高い勝率を残してきたのである。
その野球のスタイルは、彼の選手時代と何も変わってはいないのだ。

彼の言葉の中で印象的な言葉がある。「狙い球と違う球が来たら、『御免なさい』と三振してくればいい」という意味の言葉だ。これは、年間のトータルで数字を残せばいい、という考えであり、優勝のかかる大事な打席で必ずヒットを打たねばならないという強豪チームの4番打者の言葉ではない。不人気リーグのパリーグの、その中の弱小球団の4番打者としては、自分の数字さえ残せばそれでよかったのである。
現役時代の落合が、その圧倒的な記録にもかかわらず、あまり人気がなかったのは、そういう「自分の記録とその報酬」にしか興味のない姿勢が嫌われていたのだと思う。私は、それはそれでプロの一つの在り方だと思って、評価していたのだが。
監督となってからの彼のやり方も独特なものだった。彼は、まず「高い金を払って外国人選手を呼ぶ必要はない。他チームの主力選手をトレードで手に入れる必要もない。現有戦力だけで十分だ」と言ったのである。これは、阪神の監督に就任した時に、チームの主力選手を総入れ替えした星野監督とまったく正反対のやりかたである。落合は、成績が低迷しているチームの人員をまったく変えずに、優勝争いのできるチームに変えることができる、と言ったわけである。
そして彼はそれを実現した。その後中日ドラゴンズは、毎年のように優勝争いをしている。12球団の4番打者を金でかき集めた巨人を倒して優勝したこともある。
では、彼の監督術とは何か。それは次回のテーマとしよう。
高校野球選抜チームが、今、アメリカでアメリカチームと試合を行っているが、昨日の試合で興南高校の4番打者の真栄平一塁手がホームランを2本打った。ところが、テレビでは先発の一二三投手が好投した、というニュースばかりである。普通、4回1失点の投手と、ホームラン2本の選手では、後者がニュースだろう。確かに一二三もなかなかの好投ではあるが、あちらの広い球場で2本もホームランを打った選手とは比較にならない。マスコミが勝手にスターを作り、そのスター選手中心にニュース作りをしていくという姿勢は昔からあるが、こういうことばかりやっているから、マスコミは視聴者に見放されるのである。
ともあれ、真栄平選手は、その才能が開花しつつあるようである。真っ向勝負のアメリカ人相手の方が、彼には向いているのではないか。そのまま、あちらに残って大リーグ入りでも目指したらどうだろうか。何なら、ステロイドでも使って肉体改造をするという手もあるし。(これは冗談だが、最近の大リーグの記録の大半は、ステロイドによる肉体改造をした選手たちによる記録である。バリー・ボンズの年間73本という、あきれたホームラン記録がその代表だ。マクグワイア、サミー・ソーサなど、すべてそうである。投手でいえば、ロジャー・クレメンスなどがそうらしい。)
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