プロ野球の二軍は矛盾と理不尽の世界だ、というのはその通りだろう。せっかくプロに入りながら、巡り合わせが悪く、大成しないままで終わった選手は無数にいる。下記記事の中の中田亮二(ぶーちゃん)は、私の過去ログの中でも、いい打撃センスがある、と書いた選手である。見かけより足も速いのだから、打力の弱い中日が、彼をなぜ一軍で使わないのか疑問に思うわけだが、その理由は簡単で、一軍首脳陣が二軍選手のことを知らないからだろう、と私は睨んでいる。
ほとんどの球団で、多分そうであるはずだ。だから、多くの選手が、その最良の時期に一軍に上がれず、腐っていくのである。もちろん、選手自身の努力不足や心得違いが原因で大成できないこともあるが、問題は、然るべき時期に一軍に上げてやらないという「矛盾と理不尽」なのである。
(以下引用)
鈴木(引用者注:中日二軍監督の鈴木孝政)はよく選手たちに、
「ここは矛盾と理不尽の塊の世界だ。それだけはよくわかってくれよ」
という話をする。
「例えば、一軍でケガ人が出て、やっと二軍を抜け出せたと思ったら、新外国人が現れて自分がトレードに出される。そんなことが野球界ではよく起こる。3年目の中田亮二(24歳)なんて、今すぐにでも一軍で活躍できるよ。でも呼ばれるのは外国人。そのある種理不尽な状況の中で、中田は文句を言わない。ストレスまみれの状況で、どんな仕事ができるか。実はこれ、プロ野球に限った話じゃないでしょ」
だからこそ、自分の実力、自分の置かれた状況を知る必要がある。
「もういい、故郷に帰れ」
中日の二軍戦。この試合無安打の3番が空振りすると、スタンドから公式戦さながらのヤジが飛ぶ。すると負けないほどの大声がベンチから聞こえてくる。
「ドンマイ! ドンマイ」
中田の声はよく通る。この日はスタメンを外れていた。するとスタンドから、
「ブー(中田の愛称)、お前が打て」
とお呼びがかかる。
文句を言わないのと、黙っているのは違う。
「周平よりもブーを見に行こう」なんて子供がナゴヤドームに集まってくる---そんな日を虎視眈々と狙っているのだ。
記事内容は、落合博満という人間がいかに怪物であるか、という話だ。怪物と言っても人間を食ったりするわけではない。常人離れした人間である、ということだ。ここに書かれたことは、私も初めて読んだ気もするし、昔聞いたような気もするが、知らない人間も多いだろうから、ここに転載するわけだ。
一つ注釈。この記事が書かれた時点では記事の筆者も知らなかったことを、現在の人間なら知っている。それは、最後の部分で落合が予告したように、落合は、あの当時は三流チームに落ちぶれていた中日を一年目で優勝させたのだ。
タイトルを「落合神話」とつけたのは、後10年後には、彼は日本野球の歴史の中で神話的存在になるからだ。
(以下引用)
いまから23年前の1981年。プロ野球は、開幕前から例年以上の盛りあがりを見せた。というのは、東海大学の「若大将」原辰徳がジャイアンツに入団したのを筆頭に、プリンス・ホテルの実力ナンバーワン選手・石毛宏典がライオンズ、同じく即戦力捕手の中尾孝義がドラゴンズ、そして甲子園の優勝投手・愛甲猛がオリオンズ…と、スターの輝きを放つ有力新人が一斉にプロ入りしたからだった。
いったい誰が、どのくらいの活躍を?と考えるだけで胸がわくわくした。
当時、駆け出しのスポーツ記者だったわたしも、キャンプが始まると、有力新人選手を片っ端から取材してまわった。そして川崎球場を訪れ、練習を終えた愛甲選手がシャワーから出てくるのを待っていたときのことだった。
腰にバスタオルを巻いたオリオンズの選手たちが、シャワールームからロッカールームへ次々と出てくるなかで、見知らぬ一人の選手に話しかけられた。
「取材なの?どうせ愛甲なんでしょ」
その斜に構えた口の利き方に、わたしが少しばかりムッとしながら頷くと、その男は、「いいよなあ、若くって」といったあと、濡れた髪の毛をバスタオルでゴシゴシ拭きながら、一人勝手に話を続けた。
「18だよ。18歳。若くって、未来はいっぱいですよ。それに較べたらオレなんて、もう28だからね。今年くらいは何とかしなきゃ、プロになった意味がないよ」
ぺらぺらと一人で喋るその男に向かって、ちょっと反撃を加えてやろうと思ったわたしは、「何とかするって、何かできるの?」と訊いてみた。するとその男は、飄々とした顔つきのまま平然と、「首位打者を獲るよ」と、いってのけた。
髪の毛を拭き終えた男がバスタオルを放り投げたロッカーの上には、「落合」と書かれた名札が付けられていた。わたしは、唖然としながら、この男が落合か…と、思ったことを今も記憶している。
その名前の男が、元東芝府中のスラッガーで、全日本チームでも4番を打ち、インターコンチネンタル・カップで大ホームランを放ったことは知っていた。26歳でプロ入りし、1年目は啼かず飛ばず(36試合2本塁打)。2年目の昨シーズンは後半から一軍で活躍しはじめた(57試合15本塁打2割8分3厘)が、当時の山内監督に「プロでは通用しない」と烙印を押されたこともスポーツ紙で読んでいた。
そんな男の突然のまったくプライベートな「宣言」に、開いた口がふさがらなくなった。何しろ周囲には、わたし以外に誰もいなかったのだから、その「宣言」がメディアを意識したパフォーマンスでないことは確かだった。
が、もっと驚いたのは、その年のシーズン終盤、彼がゴールデン・ルーキー石毛宏典と熾烈な首位打者争いを演じ、最後に打率3割2分6厘(33本塁打90打点)で本当に首位打者を獲得してしまったときだった。
以来、わたしは、落合の「いうこと」は、すべて信用することにした。翌年、彼は「三冠王を獲る」といって、三冠王を獲った。そのあと、「三冠王は3度獲る」といって、じっさい3度の三冠王に輝いた。
そのとき、わたしは、もはや驚くことはなかった。何しろ、無名時代に「首位打者を獲る」と口にしたのが、記者会見の席でもなければ大勢の番記者に囲まれての発言でもなく、偶然出逢った駆け出しの雑誌記者に思わず口にしたものだったのである。
それがリップサービスでないことは確かで、目標を公言することで自分を追い込むとかヤル気にさせるという効果があるとも思えない。要するに、彼には「確信」があったのだ。年齢的に「何かしなければ」と思うなかで、前年後半の活躍によってつかんだ確かな自信。その確信は、彼にとって間違いなく確かなものだったから、ちょっと誰かに話してみたくなったのだろう。
三冠王のときは、彼をとりまくマスコミが多くなっただけのことで、彼は確信のない言葉は口にしない。今季ドラゴンズの監督となった彼は、「補強をしなくても、現在の選手がレベルアップすれば優勝は可能」と語った。それも「確信」に違いない。
もっとも、現役選手時代の落合は、自分の身体で「確信」を掴み取ることができた。オリオンズ時代には毎年の春の鹿児島キャンプで、1時間を超す特打を行っていた。が、監督としては、選手にさせるほかない。だから「優勝は可能」という言葉に「選手のレベルアップができれば」というエクスキューズが加わったのかもしれない。
4月末の時点で、落合ドラゴンズは好位置に着けている。はたして今後、シーズン中の「選手のレベルアップ」をどれくらい「させる」ことができるのか?
今シーズンは、観客動員が減っているといわれるが、じつは(セ・パともに)なかなかに面白いペナントレースである。
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まあ、それが分かれば各球団の投手コーチは楽だろうから、実は投手コーチをしている連中にもそれはよく分かっていないのではないか。
「球が速い」「制球力がある」「投球の組み立てがよい」「球が見づらい」「変化球がよく変化する」「スタミナがある」などなど、一つ一つを身につけ、その総合力が高いのが優れた投手なのだろうとは思う。
特に、プロですら困難なのが「制球力」であり、あのダルビッシュでさえ、大リーグで使うボールになじめず、制球に苦しんでいた。制球力が無いと、マウンドに立つことすら無謀だとなるのである。逆に、エースレベルの投手なら、制球力はあって当たり前、ということであり、若い投手は、まず安定した制球力を身につけないと、プロのマウンドには立てない、ということである。横浜の国吉など、まだプロのマウンドに立てるだけの制球力がなかったために二軍落ちしたわけだ。一方、巨人の宮国は、球は遅いが安定した制球力があったから、すぐにプロの一軍レベルになれたのだろう。(彼の二軍落ちは故障によるものだ)
球速については誤解が多いようで、プロのエース級の投手だから球が速いかというと、そんなことはない。たいていのエース級投手の球速は140から150の間であり、それほど凄い速さ、というほどではない。中には130台が中心という投手もいる。ダルビッシュは、投げれば150以上出せるが、自らそれを封印している気配すらある。要は、打者から見て速く見えるかどうか、ということであり、ここに配球術があるわけだ。
結論的に言えば、プロの標準的球速があり、良い制球力があり、クレバーな投手が「勝てる投手」になる、と言えるだろう。その中で、球速は、プロの標準以下でも実は大丈夫だ、というのが各球団の「勝てる投手」を見てきた結論である。
(以下「ウィキペディア」より杉内投手の投球について)
ランナー無しの状態からでも、セットポジションからバランスのとれたゆったりとしたフォームで投げ込み[18]、投手の手本として取り上げられることも多い。投球前には腕を上げて余分な力を抜き、投球時に膝の前で両手を叩き合わせて打者に軽い気持ちで投げているように見せて球をより速く見せるといった工夫もしている[19]。
スリークォーターから平均球速約140km/h[20]、最速150km/hのストレートにカーブ、スライダー、数種類のチェンジアップ(サークルチェンジ、無回転のチェンジアップなど)を武器とし[21]、通算の奪三振率は現役の先発投手中最高の9.47を残しており、本人も「追い込んだら狙っている」と意識しているという[22]。一方で近年は球数が増え、与四球率が悪化している傾向にある。
ストレートはそのほとんどが140km/h前後のスピードだが「腕を振ってから球をリリースしている」と形容されるほど球持ちが良く、上原浩治が理想の形に挙げているなど、三振を奪う武器となっている[23][24]。2009年シーズン中盤から「ストレートと同じ振りで投げられるようになった」とチェンジアップを多投するようになり、同年の被打率は.143を記録し[21]、三振を奪う決め球の1つとなった[25
話は別だが、最近のプロ野球の打者は、2ストライクまでの甘いボールを簡単に見送って、バッター不利なカウントに追い込まれることが多い。これは何なのだろう。統一球で打者不利になったこととは別に、そういう「ストライクに手を出さない打者」が増えたことにも、打率低下、本塁打減少の原因があるのではないだろうか。
(以下引用)
ウィキペディア |
福田秀平
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2012/05/08 09:33 UTC 版)
福岡ソフトバンクホークス #37 | |
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2012年5月4日、福岡ドームにて
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基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 神奈川県横浜市緑区(現:青葉区) |
生年月日 | 1989年2月10日(23歳) |
身長 体重 |
181 cm 77 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投左打 |
ポジション | 外野手 |
プロ入り | 2006年 高校生ドラフト1巡目 |
初出場 | 2010年4月30日 |
年俸 | 2,500万円(2012年) |
経歴(括弧内は在籍年) | |
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この表について
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目次 |
来歴・人物
プロ入り前
多摩大聖ヶ丘高では、遊撃手のレギュラー。3年時の春に本格的にスイッチヒッターに転向して才能が開花した。
2006年の高校生対象のドラフト会議で大嶺祐太(八重山商工)の交渉権を獲得できなかったソフトバンクから1巡目で指名され、同年10月19日に仮契約を結んだ。なお多摩大聖ヶ丘高は進学校であり、福田は同校初めてのプロスポーツ選手である。契約金で、病気で片足を失った父親のために義足を購入した。当時のドラフト会議時には指名された選手の顔写真がモニターに表示されるが、中央球界では無名であったので、ドラフト1位の選手の中で唯一顔写真が表示されなかった。
2006年の高校生ドラフトで指名された平成生まれの選手は福田の他に、オリックス・バファローズ・延江大輔、土井健大、東京ヤクルトスワローズ・山田弘喜の3人がいる。他の選手より早く仮契約を済ませ、福田は平成生まれのプロ野球選手第1号となった。1989年生まれとしては2004年ドラフトで阪神タイガース・辻本賢人が指名されているが、まだ昭和64年だった1月6日に生まれたため、平成生まれのプロ野球選手には該当しない。
プロ入り後
同じく高校生ドラフトで指名された李秉諺・伊奈龍哉に比べると体の線が細く、入団決定後に3人で雁ノ巣球場のチーム練習を見学した際に監督の王貞治から「福田はもっとめしを食え」と言われたほどである。その後は先輩・川﨑宗則を目指し、米飯の量を1合から2.5合に増やす等、体作りに力を入れていたという。
2010年は4月に初めて1軍に昇格し、4月30日の千葉ロッテマリーンズ戦で李ボム浩の代走として出場し、プロ初出場を記録した。5月22日の広島東洋カープ戦には中堅手で初先発。梅津智弘から初安打となるタイムリーツーベースを放った。しかし、守備で転倒してしまうなどのミスを起こしてしまい、途中交代させられ、その後は主に代走要員として一軍に定着したが、わずか3盗塁に留まった。オフに左打ちに専念した。
2011年は開幕1軍を果たしたが、昨季同様シーズン序盤は代走要員からのスタートだった。4月30日のロッテ戦で初先発。長谷川勇也の打撃不振により、センタースタメンでの出場があり、当初は打撃・守備ともにアピールしていたが、初の経験である連日のスタメン出場による疲労によると思われる守備判断ミス(記録上はヒット)が見られるようになると再び長谷川に先発の座を譲った。しかし多村仁志、ホセ・オーティズ、松中信彦、内川聖一などの相次ぐ離脱もありレフトやライトでのスタメン出場機会を増やした。6月12日には一塁手としても先発出場している。7月10日のロッテ戦でホームスチールを成功させた。順風満帆に見えたシーズンだったが、7月14日の東北楽天ゴールデンイーグルス戦でダイビングキャッチをした際右肩を亜脱臼し[1]、登録抹消。復帰後は再び主に指名打者や捕手への代走要員として出場していた。
終盤、9月6日の北海道日本ハムファイターズ戦で久々のスタメン出場を果たしダルビッシュ有から長打2本を放ち、以降は再びスタメンで出場し続けるようになる。9月28日の日本ハム戦で初の3安打の猛打賞、9月30日の埼玉西武ライオンズ戦で5回に西口文也からプロ初本塁打を放ち、7回には決勝点となる勝ち越し適時打を放つ活躍を見せた。[2]
プレースタイル・人物
高校通算38本塁打。遠投は110メートルを超え、50メートル走のタイムは6秒ジャストと俊足でもある。
2010年のオフから両打から左打に専念しているが、苦手意識のある左腕対策として、普段はベースラインぎりぎりに立っている打席を、左投手が相手の際はベースから少し離れて立つなど対応している[3]。
もう一点、これも面白いことを言っている。通常、スピンの利いた「きれいな球筋のボール」が良いボールだとされるが、はたしてそうか、という疑問だ。スピンのきいたボールは「伸びのあるボール」になるが、球速はむしろ回転の少ないボールの方が速いのではないか、と言っているのだが、これも案外正しい可能性があるのではないか。それに、スピンの利いたボールは軽い球になるという事実から言って、はたして「スピンの利いたきれいな球筋のボール」が投手有利かどうかは分からない。
これまでの球界の常識は、いったん疑ってみるのがよい。
むしろ、たとえば山本昌のような変則的なフォームの投手がなぜあれほど長い間にわたって活躍できたのか、そのあたりを分析するのが面白いのではないだろうか。
しかし、これはイチローを三番にした監督が悪いのであり、イチローのバッティングの性格から言って、クリーンアップは不適格のはずだ。もともとイチローの得点圏打率は低いのであり、三番になればそれが上がるというのは甘い考えだろう。
イチローのバッティングを一言で言えば、「当てる打撃」であり、通常の強打者の「振り切る打撃」とはまったく異なる。打球の性質で言えば、「弱い打球」がイチローの打球なのだ。その弱い打球でも野手のいないところに飛べばヒットになるし、あるいは遊撃の深い所に飛べば、足を活かして内野安打になる。それがイチローの打撃だ。とすれば、その打球が野手の正面に飛べば簡単にアウトにされるのは当然だ。野手が怖がるような「火を噴くような打球」は、イチローの打撃からはまったく生まれないのである。こうした打球がクリーンアップには向いていないことは分かるだろう。では、打順に合わせて自分のバッティングを変えるか? これはキャンプの間に試して、無理だという結論になっている。イチロー自身がそう明言しているのだ。自分のバッティングをするしかないと。長年の間に身につけた打法は、そう簡単に根本的変更ができるものではない。
であるから、イチローを三番に置いたのは監督の誤りであり、イチローが悪いわけではない。一番打者なら塁に出るのが仕事であるから、イチロー独自のバッティングでまったく問題は無い。文句を言うなら死四球の少なさだろう。これはピート・ローズがイチローに苦言を呈したところで、一番打者は塁に出るのが仕事だから、安打数だけでなく、死四球も含めた出塁率の高さが大事なのである。だが、イチローは死四球数が極端に少なく、従って出塁率も案外低い。まあ、打率で三割五分、少なくとも三割三分は打たないと、一番打者としても最高の選手とは言えない。
私はイチローの大フアンなのだが、彼が今後も大リーグで活躍するには、こうした点を考えていく必要があるのではないだろうか。これは彼だけでなく、彼を使う監督なども考慮すべき点である。
で、世間的にはほとんど無名のままで彼はプロ入りしたのだが、やはり大物であったようだ。
横浜の高城もいい選手だが、高卒の捕手として、彼らには十分に自分を鍛えていく時間がある。将来は伊東、谷繁レベル以上になる可能性があるのではないだろうか。打者としてなら城島という凄いのもいるが、捕手はまずリードと肩である。その肩の方ではすでに合格、ということだ。
ついでながら、例の宮国とバッテリーを組んだ糸満高校の捕手も肩は抜群で、身体能力は非常に高かった。まだ素材として面白いという段階だが、打撃が伸びればプロ入りも可能な選手である。本人や周囲にその自覚があるかどうかが問題だが。
こういうのは本人に明確な目的意識と意欲があるかどうかで運命が決まるという面がある。その反対に、たいした才能も無い選手がたまたま全国大会でまぐれ当たり的な好成績を上げてマスコミにちやほやされ、プロ入りして失敗する例は非常に多い。実名を挙げて申し訳ないが、阪神の一二三投手などその好例である。あれは残した成績も実はたいしたこともないのだが、「一二三」という名前の面白さがマスコミ受けし、実力以上にもてはやされてしまった例だ。こういうのはマスコミの罪だろう。
(以下引用)
日ハム 近藤健介「1.8秒」の強肩
【野球】
「今の見たか!?」
ルーキーが見せた強肩に、スタンドがどよめいた。
16日に行われた、DeNAとの練習試合。八回の守備からマスクをかぶった近藤が、矢のような送球で梶谷の二盗を阻止。10年にイースタン盗塁王(33個)となった俊足の走者を見事刺した。
これには視察に来ていたソフトバンクの高島スコアラーも舌を巻く。
「あの肩は魅力的ですね。マスクをかぶっていたのは八、九回だけですが、捕手としてのセンスは高い。捕球から投げるまでも速いか? あれだけのボールを投げているんだから、言わずもがな。将来、手ごわい相手になると思いますね」
捕ってから投げるまで2秒を切ればプロでも通用するといわれる中、近藤は1.8秒。遠投も軽く100メートルを超す。日本ハムではこれまで大野がチーム一の強肩といわれていたが、「それ以上」ともっぱらだ。
横浜高の恩師・小倉清一郎コーチは言う。
「ウチは硬式出身者が多い中、近藤は軟式の中学野球出身。私が勧誘したわけではなく、近藤の方から『横浜高校に入りたい』と売り込んできた。こういう子は根性がある。捕手としては打撃もいいし、足もある。総合力で横浜高校歴代捕手でも3本の指に入ります。両親の影響からか、成績は優秀。5段階で平均4以上はあり、野球部トップ。プロ志望でなければ明大に進学するはずでした」
近藤の両親は中学と高校の教師。あるマスコミ関係者はこう話す。
「両親はともに学芸大出身の現役教師。教育一家で育ったにもかかわらず、近藤は中学時代からプロ野球一本。横浜高校に入る時も出る時も、大学進学を勧める周囲を説得した。日ハムは『素質としてはDeNAのドラ2捕手、高城と双璧だが、近藤の方が根性がありそうだ』と評価していた」
キャンプは二軍スタートだったものの、23日に一軍昇格。
「練習量や時間は横高の方が上だけど、(プロは)ひとつの練習をパッパと的確に、短時間で集中してやる。横高も効率のいい練習だったけど、いろいろと違った面もあるので勉強になります。緊張は……まだしてますね」
とは近藤の弁。自慢の肩については「DeNA戦の二盗阻止? あれはマグレです。まだまだです」と謙遜するが、「ただ、送球のコントロールは自信あります」と頼もしい。小柄でも下半身はどっしりしており、太もも回りは66センチもある。
栗山監督も「高卒1年目とは思えない。一軍で使ってもおかしくないよ」とベタぼれ。まさかの開幕一軍もあるか。
▽こんどう・けんすけ 1993年8月9日、千葉県生まれ。小学校時代は6年時に千葉ロッテジュニアに選出され、12球団ジュニアトーナメントで準優勝。修徳中学の軟式野球部では強肩強打の捕手として活躍し、横浜高校に進学。当初は遊撃手だったが、1年の秋に捕手に。3年時は春、夏ともに甲子園出場。AAAアジア野球選手権大会でも日本代表に選ばれた。11年ドラフトで日本ハムから4位指名。契約金3000万円、年俸500万円。身長171センチ、80キロ。右投げ左打ち。
中日の貧打ぶりは過去の日本シリーズで証明済みだから、この選手は一塁手かレフトにでも使ったほうがいいんじゃないの? というより、投げる日以外にもベンチ入りさせて、打者として使えばいい。
それにしても、あれほど頭のいい落合が、なぜ打者を育てきれなかったんだろう。落合の指導を受けるとみな、成績が低下する、というらしいし。つまり、落合の打撃術は落合以外には伝承できないものだということだろう。かえって、現役時代はたいした選手でもなかったコーチが、選手を育てることが上手だったりする。
(以下引用)
自称“超大物右腕”は打ってもすごかった。中日の新外国人、ホルヘ・ソーサ投手(34)が15日、
北谷キャンプのフリー打撃で場外弾を含む5本のサク越えを披露。投手とは思えない豪快な当たりを連発し、
「打撃は自信がある。シーズンでも打ちたいね」と本塁打宣言した。
スタンドが沸いた。投手ながらメジャー通算3本塁打の大きな体から、ピンポン玉のようにボールが飛んで
いった。投手陣そろっての打撃練習で見せた驚がくの一発は、左翼席奥の防球ネットを軽く越える
推定140メートル弾。残り4本のサク越えもネットに突き刺さる130メートル級のライナーをはじめ、
素晴らしい当たりばかりだった。視察した元西武の工藤公康氏(48)=野球評論家=も
「あいつピッチャーですよね!?」と思わず周囲に確認したほどだ。
来日以来、ビッグマウスを連発している新助っ人。メジャー歴代7位の609本塁打を放った元カブスの
サミー・ソーサ(43)を親戚と言い放っていたが、この日の豪打を見る限り、あながちウソではないかも…。
打撃ケージ裏で助っ人を見守った高木監督は「別に打ってくれんでもいいよ。ちゃんと投げてくれたら」と
言いながらも、プロ入り当初は外野手だったソーサのパワーに仰天。「あの体なんだから力はあるよね」と
何度もうなずいた。
練習後は「俺は投手だからさ」とサラリと言いながら、新助っ人は胸を反らせた。自称最速100マイル
(約161キロ)で、10日のフリー打撃登板ではMAX147キロを出した。チームでは先発候補だけに、
打席で本塁打をかっ飛ばせば、自身とチームの勝利にもつながる。投手のシーズン最多本塁打記録は、
1950年の藤本英雄(巨人)の7本。規格外の助っ人なら新記録を打ち立てるかもしれない。
いやあ、素晴らしいホームランである。で、翌日には2安打を放つなど、長打力だけではなく堅実性もあるところを見せているようだし、これは今シーズン一番の期待の星、人気者になるのではないだろうか。
まあ、ポジションが捕手であるだけに、最初は代打が中心になりそうだが、そのうちレギュラーの捕手か一塁手に定着し、西武の中村・おかわり君とホームラン王を争うまで成長してほしいものである。
しかし、これは、まるで野球漫画が現実化したみたいな楽しい話だな。
(以下引用)
衝撃の初打席!
大嶋 匠(21歳・早大ソフトボール)捕手 180/95 右/左 (新島学園出身) |
ドラフト会議の話題を独占した、ドラフト史上初めて現役ソフトボール部から指名された選手。小学生までは軟式野球を経験も、中学では野球部がなかったためソフトボール部に入部。高校では、高校総体や国体での優勝経験あり。U-19の日本代表の4番を務めたり、早大では13試合連続本塁打を放つなど、ソフトボール界のトップ級プレーヤー。 早大の監督にプロ野球のテストを受けてみたいと持ちかけ、日ハムのプロテストの機会を得る。最終的な結果を聞かされたのは、ドラフト会議での指名とのこと。その間社会人野球・セガサミー野球部で練習を参加していた。恐らくここでの練習姿勢を訊いたり、硬式への対応ぶりも含めて、日ハムは判断したのではないのだろうか。そういった意味では、野球への取り組みなどにも厳しくチェックを入れる日ハムスカウティングのお眼鏡にもかかり、関係者も認めたその実力は、単なる話題性で収まる素材ではないのだろう。何よりソフトボールプレーヤーとしての実績は確かなのだから。 問題は、捕手としてのディフェンス面など、染みついているものがある分、それを拭うのも大変なこと。今回は、バッティング映像が見られたので、フォーム分析をしながら考えてみたい。 (打撃フォーム) ちょっと画像の位置や、始動の部分で投手のフォームが違うのでわからない部分あることはご了承願いたい。 <構え> ☆☆☆☆ 前足を引いた左オープンスタンスから、グリップの高さは平均的に、軽く捕手側に添えて構えている。腰はそれほど沈めないが、背筋を伸ばして立てている。両目は前を見据えられており、全体にバランスの取れた構えと言えそうだ。特に打席では、リラックスして立てているのが好い。 <仕掛け> ソフトボールの投手のフォームガ特殊なので、硬式野球の始動を当てはめることはできない。ただボールを手元まで引きつけて叩いており「遅めの仕掛け」に近いものを感じる。これは、典型的な長距離打者が採用するスタイルだ。ただこの部分に関しては、かなり曖昧だと言わざるえない。 <足の運び> ☆☆☆ 足を軽く上げて、踏み出して来る。基本的に硬式球以上に到達時間が短く、体感速度が速く感じられるソフトボールの世界では、大きな動作では厳しいのだろう。ベースから離れたアウトステップを採用しているように見えるので、引っ張って巻き込む打撃を得意にしているように思える。それでも踏み込んだ足下はインパクトの際にブレず、外角球にも対応できる動きとなっている。 <リストワーク> ☆☆☆☆ スイング軌道も上から、ミートポイントまで無駄なく振り抜かれている。それほどスイングの弧は大きく見えないが、最後までしっかりバットを振り切っている。特にフォロースルーの段階では、グリップが高い位置にあり、ボールを遠くに運ぶ後押しが出来ている。 <軸> ☆☆☆☆ 頭の上げ下げは小さいので、目線の動きは小さい。体の開きも我慢でき、軸足も地面から真っ直ぐ伸びている。そのため打撃の波は、少ないタイプではないのだろうか。特に軸足にも強さが感じられ、強打者としての片鱗が伺われる。 (打撃のまとめ) 下半身の使い方・上半身の使い方も、硬式ボールでも対応できる技術を持っている。また体幹速度は、ソフトボールの方が速いと言われるだけに、プロのスピードへの対応はそれほど問題ではないのでは?むしろソフトボールになかった球筋の球や変化球などに、いかに対応できるのか?あるいは外角をへの対応や左方向への打撃はどうなのか?その辺が今回の映像だけではよくわからない。 ただ純粋に素材として見た時には、始動の遅さ・フォロースルーの上げ方・軸足の強さなど観点からも、長距離打者としての資質は充分あると考えられる。そういった意味では、大砲しての魅力は感じられる。今後に向けて、期待の持てる素材ではないのだろうか。 (最後に) 少子化で硬式野球だけでは、人材的にも枯渇しがち。そのためにも野球と系統の近いソフトボールにまで門戸を広げようする日ハムの試みは、大変興味深い。けしてこれは、奇をてらった指名だとは思えない。 野球は小さいときからの積み重ねのスポーツだと私は考えているが、果たして彼のように類似したスポーツならば対応が可能なのか個人的には大変興味深い題材。しかしそういったこと以上に、この大嶋 匠 という男のキャラクターが、何かやってくれそうだという期待を持たしてくれる男だった。日ハムが最後に決断したのは、この男ならば賭けみたいと思わせるだけの、人間的な魅力があったからだろう。 |
(以下「ヤフースポーツ」から引用)
ハム大嶋 衝撃一発!野球仕様の“タメ”打法で片りん
スポニチアネックス 2月9日(木)7時2分配信
拡大写真 |
紅白戦第1打席の3球目、ファーストスイングでバックスクリーン直撃の“プロ1号”を放った日本ハム・大嶋 |
衝撃のアーチだ。早大ソフトボール部出身の日本ハムのドラフト7位・大嶋匠捕手(21)が8日、キャンプ初の紅白戦に8番・DHで先発出場。3回のプロ初打席でバックスクリーンへ推定130メートルのプロ1号を放った。初の実戦のファーストスイングで豪快アーチの離れ業。フリー打撃でバッテリーを組んだ斎藤佑樹投手(23)も仰天の一発に、栗山英樹監督(50)から監督賞1号が贈られた。
ファンも、選手も、首脳陣も驚いた。打球は鮮やかな放物線を描きバックスクリーンへ。戸惑い気味の大嶋がダイヤモンドを回っていく。
「無我夢中で、どのくらいのスピードで走ったらいいのか分からなかった。でも、自分のスイングはできました」
こんな離れ業、清原も松井もできなかった。プロ初実戦の初打席初スイングで初アーチ。外角低めに2球外れた後の3球目、直球一本に絞り、T―岡田ばりのノーステップ打法で迷わず振り抜いた。「最初のストライクを振ろうと思った」。記念すべき栗山ハム1号は今年の球界1号。「光栄です」と笑った。
ソフトボール界からプロ野球界へ。打撃面で戸惑ったのがボールとの距離感だった。野球より投球間が4メートル42センチ短いソフトボールでは、バットを最短距離でぶつけるように打つ。だが、野球ではその打法だと力が伝わりきらず、確率も悪く、飛距離も出ない。それが前日の練習では一変。ゆったり構えて「タメ」をつくり、ボールとの距離が取れてバットのヘッドが理想的な軌道を描いていた。「適応力に可能性を感じた」。栗山監督の予感が現実になった。
2回に福良ヘッドコーチが準備を指示。素振りをしていたら「この感じなら大丈夫」とひらめいたという。「タメ」によってインパクトに力を集中でき、同時にボールも呼び込める。4回は左腕・乾のスライダーを見極めて四球。しかも、追い込まれて88センチのバットを一握り短く持って「ソフトのバットと同じ長さ(86センチ)なら対応できると思った」。フリー打撃でバッテリーを組んだ早大の先輩・斎藤から「何か」をもらい、非凡な打撃センスを見せつけた。
「みんなが楽しみにしていた打席で打った。何か持っている。獲ったのは間違ってなかった」。栗山監督は監督賞1号の金一封を贈り、きょう9日の紅白戦でも8番・DHでスタメンに決定。帰り際、ファンにサインする大嶋の目に、左の代打が手薄な1軍への道が見えていた。
◆大嶋匠(おおしま・たくみ)
☆生年月日 1990年(平2)2月14日、群馬県生まれの21歳。1メートル80、95キロ。右投げ左打ち。
☆球歴 小3から軟式野球を始め、新島学園中でソフトボール転向。新島学園高で1年時にインターハイ、国体優勝。早大進学後は08年にU―19全日本の4番を務め、10年、U―23ワールドシリーズでは優秀選手賞。
☆大食漢 大学時代に友人と焼き肉店に出掛け、2人で50人前たいらげた。
☆アルバイト 大学1年時に中華料理店「バーミヤン」でチャーハンを調理。
☆弟も 弟の翼(新島学園)も昨秋、早大スポーツ科学部スポーツ推薦入試に合格。今春からソフトボール部に在籍する。