ゲーム・スポーツなどについての感想と妄想の作文集です
管理者名(記事筆者名)は「O-ZONE」「老幼児」「都虎」など。
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「スポニチ電子版」から転載。
キューバへの内角攻めが梨田の指示か、ほかの誰かの指示かは知らないが、炭谷のリードは見事だった。どんどんストライクゾーンで勝負し、無駄なボール球を投げないという点が素晴らしい。これこそが投球の原点だろう。逃げてカウントを悪くし、どうしようもなくて投げた甘い球を痛打される、というのが下手な投手リードのパターンだ。そもそも、プロの投手だろうが、それほど精密な制球力を持っていないものである。カウントを自分から悪くするのは自滅のもとだ。まして、アマチュア野球などで、捕手が投手に精密なコントロールを要求するのは馬鹿げている。
炭谷があの打撃成績でなぜ全日本メンバーに選ばれたのか疑問だったが、あるいはリードがいい捕手なのかもしれない。捕手にまで打撃を期待したり盗塁阻止率だけがもてはやされたりする風潮が日本のマスコミには強いが、捕手にとって大事なのは(最低限の肩の強さは必要だが)何よりもリード能力である。
(以下引用)
内角攻めでキューバ打線料理 本番へデータつかんだ
侍ジャパンマッチ2012 日本代表2―0キューバ代表 (11月16日 ヤフーD)
<日本・キューバ>初勝利を収め、後方でナインを迎える山本監督
Photo By スポニチ
侍投手陣は7人継投でキューバの強力打線をわずか3安打に抑えた。投球数の合計はジャスト100。そのうちストライクは73球を数えた。「球数制限がある中でどれだけストライクでつけるか。ストライク先行で無四球。投手陣がよく投げてくれた」と山本監督は納得の表情を浮かべた。単なる完封勝利ではない。少ない球数、ストライクゾーンで勝負したことに意味があった。
ボール球は極力使わない。先発マスクをかぶった炭谷が徹底的に突いたのは内角だった。「インコースを使ってくれという要望があった。同じインコースでもバッターによって高めが苦手とか、低めが苦手とかそういうのも分かった」。データはインプットされた。
先発9人のうち右打者8人を並べたキューバ打線。先発左腕・大隣は初回、先頭のカスティーヨに対し、1ボール1ストライクからの厳しい内角直球でストライクを取り、4球目は外のチェンジアップで空振り三振を奪った。2番のトリエンテにも1ボールから2球連続の内角直球でファウル。最後はやはり外のチェンジアップで遊ゴロに仕留めた。
キューバの右打者は本塁から離れて構える選手が多い。梨田野手総合コーチは「後ろに下がって、そこから踏み込んでくる」と振り返った。2回をパーフェクト、3奪三振の大隣は「詰まらせるところとボールにするところをしっかり投げ分けられた。手応えはあった」とうなずいた。2番手の右腕・大竹も4回は1番からの上位打線を全て内角シュートで内野ゴロ。同じく打者6人を完全投球で「自分の持ち味を生かした投球ができた」。いずれも踏み込んでくる打者に、懐に食い込む直球を意識させた。
国際経験豊富なダルビッシュ、岩隈のメジャー組が辞退を表明する中、特に大隣と大竹がキューバ打線を完璧に封じたことは、明るい材料だ。球数制限(第3回は投球数は未定)があるWBCでは、先発投手と救援をつなぐ「第2先発」が重要になる。両投手はその役割を任せられるだけの投球を見せた。先発陣の底上げは、3連覇には欠かせない。
▼筒井(5回から3番手で打者4人に2安打)甘い球はきっちり打たれた。ちょっと悔しい内容になりました。
▼加賀(7回2死から5番手で登板。2/3回を無安打) (キューバは)しっかり踏み込んでくる。インコースをうまく使わないといけないと思いました。
▼山口(9回を1安打無失点)いい緊張感があった。まだまだ分からないことだらけなので、また投げる機会があれば確かめたい。
▼大野(6番手で打者2人を無安打)キューバはストライクゾーンの球を全部振ってきた。
▼梨田野手総合コーチ(バッテリーについて)炭谷がうまく攻めてくれた。配球も良かった。下がって立っている打者が多いけど踏み込んでくる。そういうことも確認できた。
▽WBCの球数制限 第1回は1次ラウンドが65球、2次ラウンドは80球、準決勝と決勝は95球。第2回は順に70球、85球、100球と5球ずつ増えた。打者との対戦中に制限に達した場合は、打席終了かイニング終了まで投げられる。また、30球以上投げると中1日、50球以上なら中4日の登板間隔が必要。30球未満でも連投した場合は中1日が必要となる。 【試合結果 侍ジャパン今後の日程】
キューバへの内角攻めが梨田の指示か、ほかの誰かの指示かは知らないが、炭谷のリードは見事だった。どんどんストライクゾーンで勝負し、無駄なボール球を投げないという点が素晴らしい。これこそが投球の原点だろう。逃げてカウントを悪くし、どうしようもなくて投げた甘い球を痛打される、というのが下手な投手リードのパターンだ。そもそも、プロの投手だろうが、それほど精密な制球力を持っていないものである。カウントを自分から悪くするのは自滅のもとだ。まして、アマチュア野球などで、捕手が投手に精密なコントロールを要求するのは馬鹿げている。
炭谷があの打撃成績でなぜ全日本メンバーに選ばれたのか疑問だったが、あるいはリードがいい捕手なのかもしれない。捕手にまで打撃を期待したり盗塁阻止率だけがもてはやされたりする風潮が日本のマスコミには強いが、捕手にとって大事なのは(最低限の肩の強さは必要だが)何よりもリード能力である。
(以下引用)
内角攻めでキューバ打線料理 本番へデータつかんだ
侍ジャパンマッチ2012 日本代表2―0キューバ代表 (11月16日 ヤフーD)
<日本・キューバ>初勝利を収め、後方でナインを迎える山本監督
Photo By スポニチ
侍投手陣は7人継投でキューバの強力打線をわずか3安打に抑えた。投球数の合計はジャスト100。そのうちストライクは73球を数えた。「球数制限がある中でどれだけストライクでつけるか。ストライク先行で無四球。投手陣がよく投げてくれた」と山本監督は納得の表情を浮かべた。単なる完封勝利ではない。少ない球数、ストライクゾーンで勝負したことに意味があった。
ボール球は極力使わない。先発マスクをかぶった炭谷が徹底的に突いたのは内角だった。「インコースを使ってくれという要望があった。同じインコースでもバッターによって高めが苦手とか、低めが苦手とかそういうのも分かった」。データはインプットされた。
先発9人のうち右打者8人を並べたキューバ打線。先発左腕・大隣は初回、先頭のカスティーヨに対し、1ボール1ストライクからの厳しい内角直球でストライクを取り、4球目は外のチェンジアップで空振り三振を奪った。2番のトリエンテにも1ボールから2球連続の内角直球でファウル。最後はやはり外のチェンジアップで遊ゴロに仕留めた。
キューバの右打者は本塁から離れて構える選手が多い。梨田野手総合コーチは「後ろに下がって、そこから踏み込んでくる」と振り返った。2回をパーフェクト、3奪三振の大隣は「詰まらせるところとボールにするところをしっかり投げ分けられた。手応えはあった」とうなずいた。2番手の右腕・大竹も4回は1番からの上位打線を全て内角シュートで内野ゴロ。同じく打者6人を完全投球で「自分の持ち味を生かした投球ができた」。いずれも踏み込んでくる打者に、懐に食い込む直球を意識させた。
国際経験豊富なダルビッシュ、岩隈のメジャー組が辞退を表明する中、特に大隣と大竹がキューバ打線を完璧に封じたことは、明るい材料だ。球数制限(第3回は投球数は未定)があるWBCでは、先発投手と救援をつなぐ「第2先発」が重要になる。両投手はその役割を任せられるだけの投球を見せた。先発陣の底上げは、3連覇には欠かせない。
▼筒井(5回から3番手で打者4人に2安打)甘い球はきっちり打たれた。ちょっと悔しい内容になりました。
▼加賀(7回2死から5番手で登板。2/3回を無安打) (キューバは)しっかり踏み込んでくる。インコースをうまく使わないといけないと思いました。
▼山口(9回を1安打無失点)いい緊張感があった。まだまだ分からないことだらけなので、また投げる機会があれば確かめたい。
▼大野(6番手で打者2人を無安打)キューバはストライクゾーンの球を全部振ってきた。
▼梨田野手総合コーチ(バッテリーについて)炭谷がうまく攻めてくれた。配球も良かった。下がって立っている打者が多いけど踏み込んでくる。そういうことも確認できた。
▽WBCの球数制限 第1回は1次ラウンドが65球、2次ラウンドは80球、準決勝と決勝は95球。第2回は順に70球、85球、100球と5球ずつ増えた。打者との対戦中に制限に達した場合は、打席終了かイニング終了まで投げられる。また、30球以上投げると中1日、50球以上なら中4日の登板間隔が必要。30球未満でも連投した場合は中1日が必要となる。 【試合結果 侍ジャパン今後の日程】
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多和田投手は、沖縄の中部商時代から、プロ指名があるのではないかと言われた、その学年の沖縄ナンバーワン投手である。プロから指名されず、大学に進学し、より成長したのはめでたい。育成選手という妙な制度のせいで、プロ入りはしたものの1、2年で見切られて首、という例が最近目につくので、この選択は正解だったようだ。
プロに少し足りない、という選手は育成選手契約などに騙されないことだ。どうせ球拾い扱いで、ろくろく練習もさせてもらえず、試合経験も積ませてもらえないのがオチである。元プロと言っても社会に出たら、ただの高卒扱いである。野球界も、もう少し人間を人間らしく扱うべきだろう。
(以下引用)
1年生では史上2人目!富士大・多和田がノーヒッター
明治神宮野球大会準々決勝 富士大3-0国際武道大 (11月11日 神宮)
<富士大・国際武道大>ノーヒットノーランを達成した富士大・多和田(左)
Photo By スポニチ
富士大の最速146キロ右腕・多和田(たわた)真三郎投手(1年)が、国際武道大戦で大会史上4人目のノーヒットノーランを達成した。91年の慶大・若松幸司以来21年ぶりで、1年生としては72年の中大・田村政雄(元大洋)以来、2人目の快挙。四死球を2つ出したが、併殺と盗塁死で切り抜けて打者27人で仕留めた。チームは桐蔭横浜大とともに準決勝に進出。高校の部は仙台育英と関西が4強入りを決めた。 【試合結果 組み合わせ】
無名の1年生右腕が初の全国舞台で快挙を成し遂げた。最後はこん身の力を込めて5球全て直球勝負。多和田は27人目の打者を144キロで空振り三振に仕留めると、右手で控えめにガッツポーズを繰り出した。
「直球に自信があったので、最後は直球で締めようと思った。21年ぶりというのを聞いてあらためて凄いと思う。自分でも驚いています」。
股関節が柔らかく球持ちがいいフォームで相手打者を圧倒した。自己最速タイの146キロの直球で押しまくり、外野への飛球はわずか3、9奪三振と力でねじ伏せた。夢見心地の19歳は119球の快投の余韻に浸った。
中部商時代は甲子園にはあと一歩で手が届かなかった。2年夏の沖縄大会準々決勝では糸満の宮国(現巨人)と投げ合い、0―3で敗戦。高3夏も決勝で再び糸満に敗れた。昨秋ドラフトでは指名漏れ。育成契約での打診はあったが「4年後に1位指名されるように頑張ろうと思った」と断り、遠く離れた岩手県花巻市の富士大に進んだ。
「体重移動の素晴らしさは天性のもの」と高2から注目していた青木久典監督は、入学当初は春先の沖縄と岩手の気候の違いを考慮。ケガを避けるためにネットスローでフォームを固め、筋トレで体重を約7キロ増やしたことが、今秋からエース番号18を背負うまでの成長につながった。
13日の準決勝は楽天に2位指名された則本擁する三重中京大とDeNA2位指名の三嶋を擁する法大の勝者と対戦。腕試しには絶好の相手となるだけに「次もやってやろうという気持ち」と気合十分だ。一躍脚光を浴びる右腕となった多和田が、剛腕対決を制して今大会の主役に躍り出る。
▼国際武道大・岩井美樹監督(多和田は)将来が楽しみな投手。コースミスがないから打球が正面にいく。自分が違う立場(全日本代表監督)だったら代表に入れるだろうね。
◆多和田 真三郎(たわた・しんさぶろう)1993年(平5)4月13日、沖縄県中城(なかぐすく)村生まれの19歳。小1から津覇少年野球クラブで野球を始め、中城中―中部商でも投手一筋。高3夏の決勝で糸満に1―2で敗れて甲子園出場ならず。富士大では1年春からリーグ戦に登板し、通算7勝4敗、防御率0・94。1メートル81、72キロ。右投げ右打ち。
▽富士大 1965年4月、岩手県花巻市に奥州大学として開学され、76年に現校名に改称。経済学部経済学科など1学部4学科に大学院も有する。卒業生の主な就職先は官公庁、警察、地方自治体や地方銀行など。硬式野球部は09年の全日本大学選手権で準優勝。OBに広島の中村恭平。藤原隆男学長。
プロに少し足りない、という選手は育成選手契約などに騙されないことだ。どうせ球拾い扱いで、ろくろく練習もさせてもらえず、試合経験も積ませてもらえないのがオチである。元プロと言っても社会に出たら、ただの高卒扱いである。野球界も、もう少し人間を人間らしく扱うべきだろう。
(以下引用)
1年生では史上2人目!富士大・多和田がノーヒッター
明治神宮野球大会準々決勝 富士大3-0国際武道大 (11月11日 神宮)
<富士大・国際武道大>ノーヒットノーランを達成した富士大・多和田(左)
Photo By スポニチ
富士大の最速146キロ右腕・多和田(たわた)真三郎投手(1年)が、国際武道大戦で大会史上4人目のノーヒットノーランを達成した。91年の慶大・若松幸司以来21年ぶりで、1年生としては72年の中大・田村政雄(元大洋)以来、2人目の快挙。四死球を2つ出したが、併殺と盗塁死で切り抜けて打者27人で仕留めた。チームは桐蔭横浜大とともに準決勝に進出。高校の部は仙台育英と関西が4強入りを決めた。 【試合結果 組み合わせ】
無名の1年生右腕が初の全国舞台で快挙を成し遂げた。最後はこん身の力を込めて5球全て直球勝負。多和田は27人目の打者を144キロで空振り三振に仕留めると、右手で控えめにガッツポーズを繰り出した。
「直球に自信があったので、最後は直球で締めようと思った。21年ぶりというのを聞いてあらためて凄いと思う。自分でも驚いています」。
股関節が柔らかく球持ちがいいフォームで相手打者を圧倒した。自己最速タイの146キロの直球で押しまくり、外野への飛球はわずか3、9奪三振と力でねじ伏せた。夢見心地の19歳は119球の快投の余韻に浸った。
中部商時代は甲子園にはあと一歩で手が届かなかった。2年夏の沖縄大会準々決勝では糸満の宮国(現巨人)と投げ合い、0―3で敗戦。高3夏も決勝で再び糸満に敗れた。昨秋ドラフトでは指名漏れ。育成契約での打診はあったが「4年後に1位指名されるように頑張ろうと思った」と断り、遠く離れた岩手県花巻市の富士大に進んだ。
「体重移動の素晴らしさは天性のもの」と高2から注目していた青木久典監督は、入学当初は春先の沖縄と岩手の気候の違いを考慮。ケガを避けるためにネットスローでフォームを固め、筋トレで体重を約7キロ増やしたことが、今秋からエース番号18を背負うまでの成長につながった。
13日の準決勝は楽天に2位指名された則本擁する三重中京大とDeNA2位指名の三嶋を擁する法大の勝者と対戦。腕試しには絶好の相手となるだけに「次もやってやろうという気持ち」と気合十分だ。一躍脚光を浴びる右腕となった多和田が、剛腕対決を制して今大会の主役に躍り出る。
▼国際武道大・岩井美樹監督(多和田は)将来が楽しみな投手。コースミスがないから打球が正面にいく。自分が違う立場(全日本代表監督)だったら代表に入れるだろうね。
◆多和田 真三郎(たわた・しんさぶろう)1993年(平5)4月13日、沖縄県中城(なかぐすく)村生まれの19歳。小1から津覇少年野球クラブで野球を始め、中城中―中部商でも投手一筋。高3夏の決勝で糸満に1―2で敗れて甲子園出場ならず。富士大では1年春からリーグ戦に登板し、通算7勝4敗、防御率0・94。1メートル81、72キロ。右投げ右打ち。
▽富士大 1965年4月、岩手県花巻市に奥州大学として開学され、76年に現校名に改称。経済学部経済学科など1学部4学科に大学院も有する。卒業生の主な就職先は官公庁、警察、地方自治体や地方銀行など。硬式野球部は09年の全日本大学選手権で準優勝。OBに広島の中村恭平。藤原隆男学長。
「2ちゃんねるDAYS PLUS」から転載。
新聞や雑誌でのインタビュー記事が、いかに捻じ曲げられて報道されるか、という見本としての転載である。
斎藤は確かに天狗になっていた時期もあり、「ああ、これは一般人から嫌われる発言だなあ」という発言をしたこともある。だが、下のインタビューでの発言は真摯そのものであり、野手批判など少しも無い。それを捻じ曲げて斎藤が野手批判をしたかのような書き方をしているのはひどすぎる。
私がかつて斎藤について書いたのは、彼の技術面や能力面への疑問であり、彼は一流にはなれないだろう、と判断した。頭自体はいい選手だから、向上する可能性もあるが、その努力面でもダルビッシュなどのレベルの努力はしていないと見えたから、まあ5,6年でプロ廃業、15勝20敗くらいの生涯成績になるのではないか、と見ていた。現実もそのレベルで推移しているようだ。
私がそう見たのは、彼の大学時代前半より後半で成績がかなり悪化していたためである。つまり、アマレベルでさえ、「慣れたら打てる」という程度の投手だったのだ。
だが、彼の問題より、ここではマスコミによる印象操作の方を問題にしたい。
これに近いことは幾らでもあるはずだ。
(以下引用)
【野球】日ハム・斎藤まさかの野手批判
res:1 ポポポポーンφ ★2012/11/11(日) 23:43:54.46 ID:???O
まさかの野手批判だ。
スポーツ専門サイト「スポルティーバ」が8日に掲載した、日本ハム斎藤佑樹(24)のインタビュー。
その多くは大言壮語というか、自意識過剰な発言ばかり。
「(メンタルは)自分では弱いと思っていたんです。(中略)自分は高校時代も大学時代も特別なときだけは勝てて、
それ以外の試合はたぶん中の上ぐらい(笑い)」
「去年もそんなにいい成績を残しているわけじゃないし、今年だって、挫折でも何でもない」
「今、イメージしているのは、パワーピッチャーの自分です」
問題はここから。斎藤は、結果が出なかったことについて、「技術的なことはあった」と言いつつ、こう続けている。
「でも勝ったり負けたりという中では、それ以外の要素も起こり得るのが野球ですよね。
暑さもそうだし、試合の流れとか配球、守りのミス、そういうことも勝ち負けにつながる。
だからといって、そういうことをいちいち気にし出してしまうと、自分の中の歯車が余計に崩れてしまうんです」
一般論のつもりかもしれないが、実力以外で負けた部分が多かった、という責任転嫁に聞こえる。
確かに今季は60失点だが、自責点は46。守備に足を引っ張られたことがあったとはいえ、それを言い訳にするのは
お門違い。5勝8敗、防御率3.98の斎藤が何を言うか、だ。ましてや、捕手の配球にまで文句をつけている
のだから、呆れるより他ない。
かつては松坂が西武時代に「誰も言わないから僕が言う。ウチの選手は球際に弱すぎる」と、野手批判をしたことが
あった。しかし、当時すでに絶対的なエースだった松坂と斎藤では、実力も置かれている立場も異なる。
日ハムの野手だって、5勝投手に「守備が、配球が」なんて言われたら面白いはずがない。チーム批判は
必ず自分に跳ね返ってくる。
http://news.livedoor.com/article/detail/7130932/
タグ:記者 選手 一般 法帖 こいつ キボンヌ 烙印 すすきの バイ ときめき
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res:167 名無しさん@恐縮ですsage2012/11/12(月) 00:17:03.35 ID:I/8M7LjoP
http://www.musukos.com/modules/myTBBS/index.php?action=view&id=337
res:172 名無しさん@恐縮ですsage2012/11/12(月) 00:19:07.49 ID:21Lc9GDgP
全文
http://sportiva.shueisha.co.jp/clm/baseball/2012/11/08/post_192/index.php
res:470 名無しさん@恐縮です2012/11/12(月) 01:59:39.39 ID:unwLYMP20
>>172
ひでえなこりゃ
いやそのインタビューは普通なんだけど、これを野手批判にもっていくゲンダイのこじつけ方が酷い
インタビュアー「6回1〜2失点でもなかなか勝ちがつきませんでしたからね」
インタビュアー「夏の暑い時期に行われるデーゲームは取材陣もこたえました(笑)」
ときて、
斉藤「(自分の内容ではなく)試合の勝ち負けには色々な要素が絡んできますからね、暑さとかうんたらかんたら〜」
って流れでしょ?
こりゃ普段はたたく側の俺からみても気の毒な歪曲ぶり
res:483 名無しさん@恐縮ですsage2012/11/12(月) 02:07:17.78 ID:ENYdsASG0
>>172
前言訂正
やっぱゲンダイは真性のカスだw
結構反省してんじゃん。
ゲンダイがまるでハンカチが結果が出なかった原因を他に求めてしゃべっているような感じで書いた記事は
そっちの記事ではごく自然な流れだわw まさに印象操作w
新聞や雑誌でのインタビュー記事が、いかに捻じ曲げられて報道されるか、という見本としての転載である。
斎藤は確かに天狗になっていた時期もあり、「ああ、これは一般人から嫌われる発言だなあ」という発言をしたこともある。だが、下のインタビューでの発言は真摯そのものであり、野手批判など少しも無い。それを捻じ曲げて斎藤が野手批判をしたかのような書き方をしているのはひどすぎる。
私がかつて斎藤について書いたのは、彼の技術面や能力面への疑問であり、彼は一流にはなれないだろう、と判断した。頭自体はいい選手だから、向上する可能性もあるが、その努力面でもダルビッシュなどのレベルの努力はしていないと見えたから、まあ5,6年でプロ廃業、15勝20敗くらいの生涯成績になるのではないか、と見ていた。現実もそのレベルで推移しているようだ。
私がそう見たのは、彼の大学時代前半より後半で成績がかなり悪化していたためである。つまり、アマレベルでさえ、「慣れたら打てる」という程度の投手だったのだ。
だが、彼の問題より、ここではマスコミによる印象操作の方を問題にしたい。
これに近いことは幾らでもあるはずだ。
(以下引用)
【野球】日ハム・斎藤まさかの野手批判
res:1 ポポポポーンφ ★2012/11/11(日) 23:43:54.46 ID:???O
まさかの野手批判だ。
スポーツ専門サイト「スポルティーバ」が8日に掲載した、日本ハム斎藤佑樹(24)のインタビュー。
その多くは大言壮語というか、自意識過剰な発言ばかり。
「(メンタルは)自分では弱いと思っていたんです。(中略)自分は高校時代も大学時代も特別なときだけは勝てて、
それ以外の試合はたぶん中の上ぐらい(笑い)」
「去年もそんなにいい成績を残しているわけじゃないし、今年だって、挫折でも何でもない」
「今、イメージしているのは、パワーピッチャーの自分です」
問題はここから。斎藤は、結果が出なかったことについて、「技術的なことはあった」と言いつつ、こう続けている。
「でも勝ったり負けたりという中では、それ以外の要素も起こり得るのが野球ですよね。
暑さもそうだし、試合の流れとか配球、守りのミス、そういうことも勝ち負けにつながる。
だからといって、そういうことをいちいち気にし出してしまうと、自分の中の歯車が余計に崩れてしまうんです」
一般論のつもりかもしれないが、実力以外で負けた部分が多かった、という責任転嫁に聞こえる。
確かに今季は60失点だが、自責点は46。守備に足を引っ張られたことがあったとはいえ、それを言い訳にするのは
お門違い。5勝8敗、防御率3.98の斎藤が何を言うか、だ。ましてや、捕手の配球にまで文句をつけている
のだから、呆れるより他ない。
かつては松坂が西武時代に「誰も言わないから僕が言う。ウチの選手は球際に弱すぎる」と、野手批判をしたことが
あった。しかし、当時すでに絶対的なエースだった松坂と斎藤では、実力も置かれている立場も異なる。
日ハムの野手だって、5勝投手に「守備が、配球が」なんて言われたら面白いはずがない。チーム批判は
必ず自分に跳ね返ってくる。
http://news.livedoor.com/article/detail/7130932/
タグ:記者 選手 一般 法帖 こいつ キボンヌ 烙印 すすきの バイ ときめき
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res:167 名無しさん@恐縮ですsage2012/11/12(月) 00:17:03.35 ID:I/8M7LjoP
http://www.musukos.com/modules/myTBBS/index.php?action=view&id=337
res:172 名無しさん@恐縮ですsage2012/11/12(月) 00:19:07.49 ID:21Lc9GDgP
全文
http://sportiva.shueisha.co.jp/clm/baseball/2012/11/08/post_192/index.php
res:470 名無しさん@恐縮です2012/11/12(月) 01:59:39.39 ID:unwLYMP20
>>172
ひでえなこりゃ
いやそのインタビューは普通なんだけど、これを野手批判にもっていくゲンダイのこじつけ方が酷い
インタビュアー「6回1〜2失点でもなかなか勝ちがつきませんでしたからね」
インタビュアー「夏の暑い時期に行われるデーゲームは取材陣もこたえました(笑)」
ときて、
斉藤「(自分の内容ではなく)試合の勝ち負けには色々な要素が絡んできますからね、暑さとかうんたらかんたら〜」
って流れでしょ?
こりゃ普段はたたく側の俺からみても気の毒な歪曲ぶり
res:483 名無しさん@恐縮ですsage2012/11/12(月) 02:07:17.78 ID:ENYdsASG0
>>172
前言訂正
やっぱゲンダイは真性のカスだw
結構反省してんじゃん。
ゲンダイがまるでハンカチが結果が出なかった原因を他に求めてしゃべっているような感じで書いた記事は
そっちの記事ではごく自然な流れだわw まさに印象操作w
「ベースボールジャーナル」というサイトから転載。
長い記事だが、好記事である。
「滑るボール、固いマウンド」ダルビッシュの、日本時代からは考えられないあのひどい防御率の原因は、これがすべてだろう。
しかし、マダックスの「いくらファーボールを出してもかまわない。打たれるな」というアドバイスは驚いた。言ったのが、あのマダックスだけに。だが、これは「人を見て法を説け」の実例であり、普通の投手には彼もそうは言わないだろう。
(以下引用)
NHKスペシャル「ダルビッシュ有 大リーグと闘った男」を見て
Splash Hits 2012年11月10日09時23分
.
元記事はこちら
NHKスペシャル | ダルビッシュ有 大リーグと闘った男
今月4日に放送された表題の番組、ご覧になられた方も多いかと思う。NHKの取材班がダルビッシュのルーキーシーズンに密着し、3月(開幕前)、7月(オールスター前)、10月(シーズン終了後)と3度の独占インタビューを行いその内容を編集した特別番組だ。
番組冒頭のナレーションにもある通り、普段は決して多くを語らないダルビッシュだが、番組ではメジャーリーグでのルーキーシーズンを苦しみながらも戦い抜いたダルビッシュの苦悩や葛藤、そして成長が描かれていた。ダルビッシュ本人も自身のTwitterで番組をPRしていたくらいなので、本人にとっても納得のいく(嘘がない)内容になっているのだろう(ダルビッシュは一部の新聞社を「作り話を書く」と度々批判している)。
ダルビッシュ有(Yu Darvish)✔
@faridyu
NHKスペシャル ダルビッシュ有 大リーグと闘った男 今夜9:00〜9:49 よろしくお願いします!
2012 11月 4 返信
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番組は、ダルビッシュが先発試合に毎回行う"ルーティーン”を語るところからはじまる。ダルビッシュはナイトゲームでの登板日、18:25頃にクラブハウスで必ず1曲、ヘッドフォンで音楽を聴いてからフィールドに向かっていたそうだ。「ラブソングが好き。"アガル系"の曲はあまり好きではない」らしい。
そしてレンジャーズのシーズン終了後、プレスボックスから誰もいないフィールドを眺め「苦しんだマウンドでもあるけど、自分を成長させてくれたマウンドでもあるので…1年で凄く思い入れは強くなりましたね」としみじみ語るスーツ姿のダルビッシュ。ラストゲームから僅か5日後でありながら「大分前のことのよう」というダルビッシュの言葉には、彼がいかにシーズンをもがき苦しみ必死に戦い抜いたかが伺える。
番組ではダルビッシュの今シーズンを時系列で振り返りながら、本人のインタビュー交えダルビッシュの心境、意識がシーズン中どのように変化していったのかに焦点があてられていた。滑るボールや固いマウンドに「競技自体が違う」とまで感じた苦しみや「自分で戦っている状況なので相手と戦える状況ではない」ことへの苛立ち、そして野球人生で初めて陥った精神的な"スランプ"、その先に掴んだ"成長"。
こうしたダルビッシュの苦しみの多くはシーズン中からメディアで語られていたものだったが、番組内でダルビッシュの口から語られた言葉には、新たな発見と驚きがあった。
「技術ではなく力」の勝負に拘っていたダルビッシュ
番組で終始強調されていたのが、ダルビッシュが胸に秘める"力勝負"への拘りだ。野球において"力勝負"というと、ピッチャーなら小細工なしの速球をガンガン投げ込むというイメージだが、意外にもダルビッシュはまさしくそんな"速球勝負"で打者を圧倒したいという思いを強く持っていたようだ。
シーズン開幕前に行われたインタビューでダルビッシュは、その思いを既に口にしていた。「日本は技術技術だから」「技術だけで結果を残しても(日本人投手の評価は)上がらないと思う」「(技術ではなくて)パワーでも勝たないといけない」。シーズン中のインタビューでも「日本人はパワーで勝負できないと思われているところがあるので、それは見せておくべきところかなとは思っている」と語っている。
ダルビッシュがこうした"力勝負"への拘りを強く持っていたことは、個人的に意外だった。というのも、ダルビッシュの口からファストボールのスピードや威力に対する拘りなどをあまり聞いた記憶がなかったからだ。レンジャーズの入団会見時には「自分は変化球投手」と話し、その話し振りからは"速球"に特別拘りがあるようには感じられなかったし、またダルビッシュは以前に理想のピッチングを「27球で完全試合」と口にしていたこともあったと記憶している。番組でも自身の強みについて「試合ごとに全く違うピッチャーになれること」と断言していた。
それだけに、ダルビッシュが今年これ程までに"力勝負"に拘りを持っていたことには驚かされた。先述の通り、メジャーリーグに臨む心境をダルビッシュは「パワーで勝負できるところを見せたい」と語り、またある登板日の試合後、日本人記者から奪三振の多さについて言及されるも「まあ、変化球で逃げ回っていれば(三振は)取れるんじゃないですか」と、自嘲的な半笑いで答える姿は衝撃的でさえあった。今年7月に「(前半戦について)結果は良いですけど、評価に値しない。なかったことになっている」と断言したダルビッシュは、明らかに"結果"以外のもの、すなわち自分が理想とする"力勝負"を追い求めていた。
ダルビッシュは"力勝負"に拘っているといっても、決してスピードガンコンテストをしているわけではない。そうではなくてダルビッシュが抱えているのは、並いる強打者たちを「パワーで圧倒したい」という思いだ。そして今になって思い返せば、ダルビッシュが「(技術だけでなく)パワー」を意識していたことは、アメリカに渡った経緯や日頃の発言、ツイッターのポストなどでも垣間見えていた。
アメリカへ渡る前の数年間、ダルビッシュが鬼のようにストイックな肉体改造に取り組んでいたことはよく知られている。数年前にananの表紙でモデルも真っ青なヌードを飾った男は、いつの間にか体重100kgを超えるアイアンマンに進化していた。今年9月にアーリントンのクラブハウスでダルビッシュを見る機会があったが、とにかくその体の厚みと迫力に圧倒されたことを未だ鮮明に覚えている。
ダルビッシュのMLBへの関心は、おそらくウェイトトレーニングへの目覚めと共に強くなっていったものなのではないかと思う。ダルビッシュはその飽くなき向上心故に、日本で何十年も昔から"正しい"とされているやり方に疑問を感じ、そして自分で学び考えていく中で、徐々にアメリカ型のトレーニングやコンディショニングに傾倒していった。そうなると、ダルビッシュ程の選手がMLBに目が向かないという方が不自然な話だ。
日本の"伝統"に疑問を感じていたこと、そしてアメリカ型のトレーニング法に自身が傾倒していることは、今年のオールスターゲーム時の会見でも口にしていた。「日本の野球は進化していない」というトゲのある言葉は一部から反感を買ったが、この言葉には「俺は(従来の日本野球の枠を超えて)パワーで通用するピッチャーになるんだ」という強い覚悟とプライドが滲んでいたように今になって思う。日本でも他の選手らにウェイトトレーニングの必要性を説くなどしたが、それが中々受け入れられなかった(あるいは誰も付いてこれなかった)ことも明らかにした。
ダルビッシュは決して、日本野球を"ディスっている"わけではない(一部の人々にはそう映ってしまうようだが)。むしろ彼は誰よりも日本野球に誇りを持ち「日本人投手の実力を示したい」という思いと共にMLBへと身を移した。だからこそダルビッシュは、それは違うと思うものは遠慮なくハッキリ言葉にするし、良いものは貪欲に取り入れる、それだけのことなのだ。
ダルビッシュは、メジャーリーグで結果を残すだけでなく"パワーで圧倒"する姿を見せつけてこそ、アメリカで認められることができると考えている。そして実際にそういう側面は、大いにあると思う。だからダルビッシュは"力勝負"にこれ程までに拘っていたのだろう。
"野球人生初"のスランプを如何に乗り越えたか
言うまでもなくダルビッシュは、苦しいルーキーイヤーを過ごした。日本時代の姿を少しでも知る者ならばとても想像がつかなかったと思うが、ストライクすらまともに取れないゲームが多々あった。「競技自体が違うと思った」と語る程、ダルビッシュは日本とアメリカに違いに戸惑った。
過去に殆ど経験したこともなかった"スランプ"に陥ったダルビッシュは、やがてメンタルでもスランプに陥り、どんどん迷路の奥にハマっていった。ダルビッシュは絶不調だった夏場の心境を「ファーストストライクをとろうなんて過去に1回も思ったことがなかった」「(ファーストストライクを取れ、フォアボールを減らせなどと言われ)どんどんそういうマインドになってしまった」と振り返る。体が思うようにコントロールできず、次第に心のコントロールも上手くいかなくなるという悪循環に陥っていたのだ。
ダルビッシュがこれだけ(メンタル的に)スランプに陥ってしまったのは、あまりに完璧主義な性格もあったのだと思う。番組でもダルビッシュ自身が「一度完璧主義を崩さなくてはいけないと思った」と語っていたが、それでもダルビッシュは自分の理想を追求し過ぎる性格故に、上手く行かない現実がより重くのしかかってきたのだろう。マウンド上での器用さとは何とも対照的な不器用な性格(それは魅力でもあるのだが)が、ダルビッシュを苦しめたのだ。
そんなダルビッシュを救ったのは、ピッチングコーチのM.マダックスだったという。シーズン通してマンツーマンでコーチングしていたことは勿論だが、不調のどん底にいたダルビッシュにマダックスは自身のポリシーを曲げて「フォアボールをいくら出しても構わないから打たれるな」と告げたという。メンタル的に不安定であることがダルビッシュ不調の大きな要因であると感じたマダックスは、ダルビッシュに自分を取り戻してもらおうとしたのだ。
ダルビッシュは、このマダックスの言葉にとても驚いたという。「(マダックスは)キャリアも充分で絶対にプライドもある。(日本で実績があるとはいえ)ルーキーの自分に、自ら歩み寄ってきてくれたことが信じられなかった。(マダックスだって)自分の力を見せたいでしょうし…あれは本当に助かった」。この一言で気持ちを大分楽にしたダルビッシュは、次第に調子を上げていったのだ。
ダルビッシュが確かに掴んだ"成長"
ダルビッシュのインタビューで個人的に一番印象的だった言葉は、シーズン終了直後のインタビューで口にしていた「去年より成長して追われた」「日本にいたら日本にいたらなりに成長できただろうけど、アメリカに来ての成長なので物凄く大きい」という言葉だ。
ダルビッシュはとにかく"成長"に貪欲だ。アメリカへ渡るときも"挑戦”ではなく"成長"を口にしていたし、今年絶不調だったときも"苦しいときほど成長できるはず"と自らを奮い立たせていた。あるいは、ツイッターでバカな絡みをしてきたファンに対し「そんな暇あったら自分の成長のために時間使って欲しい」と鬼過ぎるリプライで瞬殺(笑)したこともあった。
そんなダルビッシュがシーズンを終えて口にした"成長"。今シーズンのピッチングは、結果としては当然納得がいかないのだろうが、理想に近付けたという確かな手応えを感じているのだろう。
「アメリカに来ての成長なので物凄く大きい」という言葉は"環境"の重要さを示唆していると思う。人間、どこにいても何をしても自分の心掛け次第で成長はできるが、一方で限界もある。自分が望む成長をするためには、それに相応しい場所にいなければならない。ダルビッシュが「メジャーに来るにあたって1番ためになった」という言葉が「一点の曇りもない羊の群れの一員であるためには、まずは何よりも羊でなければならない」というアインシュタインの格言だった(本人が以前、ツイッターで明言している)。
改めて、決して口数は多くないダルビッシュだが、これだけ"自分の言葉"で語れるアスリートも多くないと思う。ダルビッシュの言葉には、誰かに求められたものではない、自分の強い信念と美学が詰まっているとひしひしと感じる。ダルビッシュが僕にとって特別な選手であり続ける理由はまさにここにある。
さて、奇しくも7日、ダルビッシュが来年3月に開催されるWBCに参加する意思がないことがレンジャーズを通して発表された。
先のNHK特番が放送された直後の発表となったが、このタイミングを僕は偶然とは思えない。インタビューでダルビッシュが語っていた内容を踏まえると、来年のWBCに参加せずに最高のシーズンに向けて準備に徹することはあまりに自然だからだ。
レンジャーズから出場辞退の要請など、もしかしたらあったかもしれないが、そうでなくともダルビッシュはWBCを辞退するだろう。それは彼がただ「シーズンに集中したい」からではなく、WBCに出場することに前回(2009年)ほどの意味をきっと見出せないからだ。
仮にWBCに出場して日本を優勝に導いたところでダルビッシュは「日本野球を世界に認めさせた」とは1ミリも思わないだろう。他の誰が思っても、ダルビッシュはきっと思わない。それは彼がインタビューで口にしていた言葉からよくわかるはずだ。メジャーリーグという真剣勝負の舞台で"力勝負"で圧倒してはじめて、ダルビッシュは"日本人投手の実力"を示すことができると考えているのだ。
だからダルビッシュがWBCに出場しないのは、当たり前だが日本野球を見放したわけでは全くない。ダルビッシュは、日本野球の実力を世界に示すにはWBCではなくメジャーリーグという舞台をこそが相応しいと考えているに過ぎない。それだけのことだと思う。
メジャーリーグで成功し高給を貰いたいわけでもなければ(既に貰っているが)、ただチームを勝利に導いて満足するわけでもない。ダルビッシュはダルビッシュ本人にしか理解し得ない自分の世界を既に確立しており、自分が描く"理想のピッチャー"の姿をただただ独り追い求めている。その姿勢には賛否両論あるのかもしれないが、個人的にはダルビッシュのアスリートとしての生き様は最高にカッコイイと思うし、120%応援したい気持ちしかない。
来シーズンが、楽しみで仕方ない。
長い記事だが、好記事である。
「滑るボール、固いマウンド」ダルビッシュの、日本時代からは考えられないあのひどい防御率の原因は、これがすべてだろう。
しかし、マダックスの「いくらファーボールを出してもかまわない。打たれるな」というアドバイスは驚いた。言ったのが、あのマダックスだけに。だが、これは「人を見て法を説け」の実例であり、普通の投手には彼もそうは言わないだろう。
(以下引用)
NHKスペシャル「ダルビッシュ有 大リーグと闘った男」を見て
Splash Hits 2012年11月10日09時23分
.
元記事はこちら
NHKスペシャル | ダルビッシュ有 大リーグと闘った男
今月4日に放送された表題の番組、ご覧になられた方も多いかと思う。NHKの取材班がダルビッシュのルーキーシーズンに密着し、3月(開幕前)、7月(オールスター前)、10月(シーズン終了後)と3度の独占インタビューを行いその内容を編集した特別番組だ。
番組冒頭のナレーションにもある通り、普段は決して多くを語らないダルビッシュだが、番組ではメジャーリーグでのルーキーシーズンを苦しみながらも戦い抜いたダルビッシュの苦悩や葛藤、そして成長が描かれていた。ダルビッシュ本人も自身のTwitterで番組をPRしていたくらいなので、本人にとっても納得のいく(嘘がない)内容になっているのだろう(ダルビッシュは一部の新聞社を「作り話を書く」と度々批判している)。
ダルビッシュ有(Yu Darvish)✔
@faridyu
NHKスペシャル ダルビッシュ有 大リーグと闘った男 今夜9:00〜9:49 よろしくお願いします!
2012 11月 4 返信
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番組は、ダルビッシュが先発試合に毎回行う"ルーティーン”を語るところからはじまる。ダルビッシュはナイトゲームでの登板日、18:25頃にクラブハウスで必ず1曲、ヘッドフォンで音楽を聴いてからフィールドに向かっていたそうだ。「ラブソングが好き。"アガル系"の曲はあまり好きではない」らしい。
そしてレンジャーズのシーズン終了後、プレスボックスから誰もいないフィールドを眺め「苦しんだマウンドでもあるけど、自分を成長させてくれたマウンドでもあるので…1年で凄く思い入れは強くなりましたね」としみじみ語るスーツ姿のダルビッシュ。ラストゲームから僅か5日後でありながら「大分前のことのよう」というダルビッシュの言葉には、彼がいかにシーズンをもがき苦しみ必死に戦い抜いたかが伺える。
番組ではダルビッシュの今シーズンを時系列で振り返りながら、本人のインタビュー交えダルビッシュの心境、意識がシーズン中どのように変化していったのかに焦点があてられていた。滑るボールや固いマウンドに「競技自体が違う」とまで感じた苦しみや「自分で戦っている状況なので相手と戦える状況ではない」ことへの苛立ち、そして野球人生で初めて陥った精神的な"スランプ"、その先に掴んだ"成長"。
こうしたダルビッシュの苦しみの多くはシーズン中からメディアで語られていたものだったが、番組内でダルビッシュの口から語られた言葉には、新たな発見と驚きがあった。
「技術ではなく力」の勝負に拘っていたダルビッシュ
番組で終始強調されていたのが、ダルビッシュが胸に秘める"力勝負"への拘りだ。野球において"力勝負"というと、ピッチャーなら小細工なしの速球をガンガン投げ込むというイメージだが、意外にもダルビッシュはまさしくそんな"速球勝負"で打者を圧倒したいという思いを強く持っていたようだ。
シーズン開幕前に行われたインタビューでダルビッシュは、その思いを既に口にしていた。「日本は技術技術だから」「技術だけで結果を残しても(日本人投手の評価は)上がらないと思う」「(技術ではなくて)パワーでも勝たないといけない」。シーズン中のインタビューでも「日本人はパワーで勝負できないと思われているところがあるので、それは見せておくべきところかなとは思っている」と語っている。
ダルビッシュがこうした"力勝負"への拘りを強く持っていたことは、個人的に意外だった。というのも、ダルビッシュの口からファストボールのスピードや威力に対する拘りなどをあまり聞いた記憶がなかったからだ。レンジャーズの入団会見時には「自分は変化球投手」と話し、その話し振りからは"速球"に特別拘りがあるようには感じられなかったし、またダルビッシュは以前に理想のピッチングを「27球で完全試合」と口にしていたこともあったと記憶している。番組でも自身の強みについて「試合ごとに全く違うピッチャーになれること」と断言していた。
それだけに、ダルビッシュが今年これ程までに"力勝負"に拘りを持っていたことには驚かされた。先述の通り、メジャーリーグに臨む心境をダルビッシュは「パワーで勝負できるところを見せたい」と語り、またある登板日の試合後、日本人記者から奪三振の多さについて言及されるも「まあ、変化球で逃げ回っていれば(三振は)取れるんじゃないですか」と、自嘲的な半笑いで答える姿は衝撃的でさえあった。今年7月に「(前半戦について)結果は良いですけど、評価に値しない。なかったことになっている」と断言したダルビッシュは、明らかに"結果"以外のもの、すなわち自分が理想とする"力勝負"を追い求めていた。
ダルビッシュは"力勝負"に拘っているといっても、決してスピードガンコンテストをしているわけではない。そうではなくてダルビッシュが抱えているのは、並いる強打者たちを「パワーで圧倒したい」という思いだ。そして今になって思い返せば、ダルビッシュが「(技術だけでなく)パワー」を意識していたことは、アメリカに渡った経緯や日頃の発言、ツイッターのポストなどでも垣間見えていた。
アメリカへ渡る前の数年間、ダルビッシュが鬼のようにストイックな肉体改造に取り組んでいたことはよく知られている。数年前にananの表紙でモデルも真っ青なヌードを飾った男は、いつの間にか体重100kgを超えるアイアンマンに進化していた。今年9月にアーリントンのクラブハウスでダルビッシュを見る機会があったが、とにかくその体の厚みと迫力に圧倒されたことを未だ鮮明に覚えている。
ダルビッシュのMLBへの関心は、おそらくウェイトトレーニングへの目覚めと共に強くなっていったものなのではないかと思う。ダルビッシュはその飽くなき向上心故に、日本で何十年も昔から"正しい"とされているやり方に疑問を感じ、そして自分で学び考えていく中で、徐々にアメリカ型のトレーニングやコンディショニングに傾倒していった。そうなると、ダルビッシュ程の選手がMLBに目が向かないという方が不自然な話だ。
日本の"伝統"に疑問を感じていたこと、そしてアメリカ型のトレーニング法に自身が傾倒していることは、今年のオールスターゲーム時の会見でも口にしていた。「日本の野球は進化していない」というトゲのある言葉は一部から反感を買ったが、この言葉には「俺は(従来の日本野球の枠を超えて)パワーで通用するピッチャーになるんだ」という強い覚悟とプライドが滲んでいたように今になって思う。日本でも他の選手らにウェイトトレーニングの必要性を説くなどしたが、それが中々受け入れられなかった(あるいは誰も付いてこれなかった)ことも明らかにした。
ダルビッシュは決して、日本野球を"ディスっている"わけではない(一部の人々にはそう映ってしまうようだが)。むしろ彼は誰よりも日本野球に誇りを持ち「日本人投手の実力を示したい」という思いと共にMLBへと身を移した。だからこそダルビッシュは、それは違うと思うものは遠慮なくハッキリ言葉にするし、良いものは貪欲に取り入れる、それだけのことなのだ。
ダルビッシュは、メジャーリーグで結果を残すだけでなく"パワーで圧倒"する姿を見せつけてこそ、アメリカで認められることができると考えている。そして実際にそういう側面は、大いにあると思う。だからダルビッシュは"力勝負"にこれ程までに拘っていたのだろう。
"野球人生初"のスランプを如何に乗り越えたか
言うまでもなくダルビッシュは、苦しいルーキーイヤーを過ごした。日本時代の姿を少しでも知る者ならばとても想像がつかなかったと思うが、ストライクすらまともに取れないゲームが多々あった。「競技自体が違うと思った」と語る程、ダルビッシュは日本とアメリカに違いに戸惑った。
過去に殆ど経験したこともなかった"スランプ"に陥ったダルビッシュは、やがてメンタルでもスランプに陥り、どんどん迷路の奥にハマっていった。ダルビッシュは絶不調だった夏場の心境を「ファーストストライクをとろうなんて過去に1回も思ったことがなかった」「(ファーストストライクを取れ、フォアボールを減らせなどと言われ)どんどんそういうマインドになってしまった」と振り返る。体が思うようにコントロールできず、次第に心のコントロールも上手くいかなくなるという悪循環に陥っていたのだ。
ダルビッシュがこれだけ(メンタル的に)スランプに陥ってしまったのは、あまりに完璧主義な性格もあったのだと思う。番組でもダルビッシュ自身が「一度完璧主義を崩さなくてはいけないと思った」と語っていたが、それでもダルビッシュは自分の理想を追求し過ぎる性格故に、上手く行かない現実がより重くのしかかってきたのだろう。マウンド上での器用さとは何とも対照的な不器用な性格(それは魅力でもあるのだが)が、ダルビッシュを苦しめたのだ。
そんなダルビッシュを救ったのは、ピッチングコーチのM.マダックスだったという。シーズン通してマンツーマンでコーチングしていたことは勿論だが、不調のどん底にいたダルビッシュにマダックスは自身のポリシーを曲げて「フォアボールをいくら出しても構わないから打たれるな」と告げたという。メンタル的に不安定であることがダルビッシュ不調の大きな要因であると感じたマダックスは、ダルビッシュに自分を取り戻してもらおうとしたのだ。
ダルビッシュは、このマダックスの言葉にとても驚いたという。「(マダックスは)キャリアも充分で絶対にプライドもある。(日本で実績があるとはいえ)ルーキーの自分に、自ら歩み寄ってきてくれたことが信じられなかった。(マダックスだって)自分の力を見せたいでしょうし…あれは本当に助かった」。この一言で気持ちを大分楽にしたダルビッシュは、次第に調子を上げていったのだ。
ダルビッシュが確かに掴んだ"成長"
ダルビッシュのインタビューで個人的に一番印象的だった言葉は、シーズン終了直後のインタビューで口にしていた「去年より成長して追われた」「日本にいたら日本にいたらなりに成長できただろうけど、アメリカに来ての成長なので物凄く大きい」という言葉だ。
ダルビッシュはとにかく"成長"に貪欲だ。アメリカへ渡るときも"挑戦”ではなく"成長"を口にしていたし、今年絶不調だったときも"苦しいときほど成長できるはず"と自らを奮い立たせていた。あるいは、ツイッターでバカな絡みをしてきたファンに対し「そんな暇あったら自分の成長のために時間使って欲しい」と鬼過ぎるリプライで瞬殺(笑)したこともあった。
そんなダルビッシュがシーズンを終えて口にした"成長"。今シーズンのピッチングは、結果としては当然納得がいかないのだろうが、理想に近付けたという確かな手応えを感じているのだろう。
「アメリカに来ての成長なので物凄く大きい」という言葉は"環境"の重要さを示唆していると思う。人間、どこにいても何をしても自分の心掛け次第で成長はできるが、一方で限界もある。自分が望む成長をするためには、それに相応しい場所にいなければならない。ダルビッシュが「メジャーに来るにあたって1番ためになった」という言葉が「一点の曇りもない羊の群れの一員であるためには、まずは何よりも羊でなければならない」というアインシュタインの格言だった(本人が以前、ツイッターで明言している)。
改めて、決して口数は多くないダルビッシュだが、これだけ"自分の言葉"で語れるアスリートも多くないと思う。ダルビッシュの言葉には、誰かに求められたものではない、自分の強い信念と美学が詰まっているとひしひしと感じる。ダルビッシュが僕にとって特別な選手であり続ける理由はまさにここにある。
さて、奇しくも7日、ダルビッシュが来年3月に開催されるWBCに参加する意思がないことがレンジャーズを通して発表された。
先のNHK特番が放送された直後の発表となったが、このタイミングを僕は偶然とは思えない。インタビューでダルビッシュが語っていた内容を踏まえると、来年のWBCに参加せずに最高のシーズンに向けて準備に徹することはあまりに自然だからだ。
レンジャーズから出場辞退の要請など、もしかしたらあったかもしれないが、そうでなくともダルビッシュはWBCを辞退するだろう。それは彼がただ「シーズンに集中したい」からではなく、WBCに出場することに前回(2009年)ほどの意味をきっと見出せないからだ。
仮にWBCに出場して日本を優勝に導いたところでダルビッシュは「日本野球を世界に認めさせた」とは1ミリも思わないだろう。他の誰が思っても、ダルビッシュはきっと思わない。それは彼がインタビューで口にしていた言葉からよくわかるはずだ。メジャーリーグという真剣勝負の舞台で"力勝負"で圧倒してはじめて、ダルビッシュは"日本人投手の実力"を示すことができると考えているのだ。
だからダルビッシュがWBCに出場しないのは、当たり前だが日本野球を見放したわけでは全くない。ダルビッシュは、日本野球の実力を世界に示すにはWBCではなくメジャーリーグという舞台をこそが相応しいと考えているに過ぎない。それだけのことだと思う。
メジャーリーグで成功し高給を貰いたいわけでもなければ(既に貰っているが)、ただチームを勝利に導いて満足するわけでもない。ダルビッシュはダルビッシュ本人にしか理解し得ない自分の世界を既に確立しており、自分が描く"理想のピッチャー"の姿をただただ独り追い求めている。その姿勢には賛否両論あるのかもしれないが、個人的にはダルビッシュのアスリートとしての生き様は最高にカッコイイと思うし、120%応援したい気持ちしかない。
来シーズンが、楽しみで仕方ない。
「2ちゃんねる」から転載。
こういうところに書きこむ野球ファンは割と目が肥えている。私も下記コメントの大半と同感である。(中には「秋山幸二」など、おふざけもあるが)特に巨人など、たいしたことのない外人外野手を出場させるより、矢野をレギュラーで固定したらかつての清水に近い成績を残すのではないか。
わざわざ高い金を出して取った以上は外人選手を使ってくれというフロントのごり押しがあるのだろうとは思う。
他球団の場合は、時の監督に認められなければ、なかなか使ってもらえない、ということだろう。鵜久森はよく使われて、あの成績だから、プロでの適応能力の限界だろうと思う。野手(打者)の甲子園での成績には「金属バット効果」があるから、鵜呑みにはできない。(鵜久森の「鵜」の洒落ではない)
その逆で、金属バットを相手に結果を残した投手の方が、まだ信頼性はある。
阪神の林威助は、横浜あたりにトレードしたい選手だ。確かに、フルシーズン使ってみたい選手である。
(以下引用)
フルシーズンプレーさせてみたい控え選手
2012年11月08日07時30分 プロ野球全体 | TB(0) | CM(10)
1 風吹けば名無し 2012/11/07(水) 14:01:50.88 ID:gCPU5oBn
矢野謙次
2 風吹けば名無し 2012/11/07(水) 14:02:33.60 ID:SAdcxuyT
鵜久森
3 風吹けば名無し 2012/11/07(水) 14:02:50.56 ID:NpZcNHAq
森田一成
8 風吹けば名無し 2012/11/07(水) 14:05:57.83 ID:yI3jkkRw
日高
9 風吹けば名無し 2012/11/07(水) 14:06:02.90 ID:qlUbK3yP
怪我人が多すぎて誰がレギュラーで誰が控えなのかわからない
10 風吹けば名無し 2012/11/07(水) 14:06:16.40 ID:l4IWkmuo
林威助
12 風吹けば名無し 2012/11/07(水) 14:06:41.18 ID:RGi2bgCl
関本
15 風吹けば名無し 2012/11/07(水) 14:07:51.62 ID:HY6whb9a
矢野は今年チャンスやったのに
16 風吹けば名無し 2012/11/07(水) 14:08:10.28 ID:o0K1dIPI
楽天の藤田かねぇ
200打席で打率3割、400立たせたらどうなるんだろ
17 風吹けば名無し 2012/11/07(水) 14:09:36.90 ID:sbKG3NkJ
秋山幸二
21 風吹けば名無し 2012/11/07(水) 14:13:44.11 ID:OAyYB51I
藤田
23 風吹けば名無し 2012/11/07(水) 14:17:56.41 ID:bBIS2hKR
辻内
24 風吹けば名無し 2012/11/07(水) 14:19:02.44 ID:iAw7bZ88
De小池
26 風吹けば名無し 2012/11/07(水) 14:21:28.56 ID:Q6mZbNYz
江川智晃
30 風吹けば名無し 2012/11/07(水) 14:25:22.46 ID:PqGJ6OrR
谷
31 風吹けば名無し 2012/11/07(水) 14:26:32.40 ID:egG3QgHZ
高濱
34 風吹けば名無し 2012/11/07(水) 14:29:37.49 ID:A07sZaju
先発で鶴
こういうところに書きこむ野球ファンは割と目が肥えている。私も下記コメントの大半と同感である。(中には「秋山幸二」など、おふざけもあるが)特に巨人など、たいしたことのない外人外野手を出場させるより、矢野をレギュラーで固定したらかつての清水に近い成績を残すのではないか。
わざわざ高い金を出して取った以上は外人選手を使ってくれというフロントのごり押しがあるのだろうとは思う。
他球団の場合は、時の監督に認められなければ、なかなか使ってもらえない、ということだろう。鵜久森はよく使われて、あの成績だから、プロでの適応能力の限界だろうと思う。野手(打者)の甲子園での成績には「金属バット効果」があるから、鵜呑みにはできない。(鵜久森の「鵜」の洒落ではない)
その逆で、金属バットを相手に結果を残した投手の方が、まだ信頼性はある。
阪神の林威助は、横浜あたりにトレードしたい選手だ。確かに、フルシーズン使ってみたい選手である。
(以下引用)
フルシーズンプレーさせてみたい控え選手
2012年11月08日07時30分 プロ野球全体 | TB(0) | CM(10)
1 風吹けば名無し 2012/11/07(水) 14:01:50.88 ID:gCPU5oBn
矢野謙次
2 風吹けば名無し 2012/11/07(水) 14:02:33.60 ID:SAdcxuyT
鵜久森
3 風吹けば名無し 2012/11/07(水) 14:02:50.56 ID:NpZcNHAq
森田一成
8 風吹けば名無し 2012/11/07(水) 14:05:57.83 ID:yI3jkkRw
日高
9 風吹けば名無し 2012/11/07(水) 14:06:02.90 ID:qlUbK3yP
怪我人が多すぎて誰がレギュラーで誰が控えなのかわからない
10 風吹けば名無し 2012/11/07(水) 14:06:16.40 ID:l4IWkmuo
林威助
12 風吹けば名無し 2012/11/07(水) 14:06:41.18 ID:RGi2bgCl
関本
15 風吹けば名無し 2012/11/07(水) 14:07:51.62 ID:HY6whb9a
矢野は今年チャンスやったのに
16 風吹けば名無し 2012/11/07(水) 14:08:10.28 ID:o0K1dIPI
楽天の藤田かねぇ
200打席で打率3割、400立たせたらどうなるんだろ
17 風吹けば名無し 2012/11/07(水) 14:09:36.90 ID:sbKG3NkJ
秋山幸二
21 風吹けば名無し 2012/11/07(水) 14:13:44.11 ID:OAyYB51I
藤田
23 風吹けば名無し 2012/11/07(水) 14:17:56.41 ID:bBIS2hKR
辻内
24 風吹けば名無し 2012/11/07(水) 14:19:02.44 ID:iAw7bZ88
De小池
26 風吹けば名無し 2012/11/07(水) 14:21:28.56 ID:Q6mZbNYz
江川智晃
30 風吹けば名無し 2012/11/07(水) 14:25:22.46 ID:PqGJ6OrR
谷
31 風吹けば名無し 2012/11/07(水) 14:26:32.40 ID:egG3QgHZ
高濱
34 風吹けば名無し 2012/11/07(水) 14:29:37.49 ID:A07sZaju
先発で鶴
私もこれが大嫌いなのだが、野球界にはこれに限らず、さまざまな固定観念や無意味な悪習慣がありそうだ。
私が広沢の野球コラムが好きなのは、彼はそういう固定観念に囚われない柔軟さがあるからだ。落合もそうだが、落合の場合は、彼の打者理論は彼自身にしか適応できない、というのが難点だ。
(以下引用)
2球で追い込んだ後外角に1球外す風潮
2012年11月09日00:05
コメント( 18 )
野球雑談
--------------------------------------------------------------------------------
記事引用元:http://hayabusa.2ch.net/test/read.cgi/livejupiter/1352304698/l50
1 : 風吹けば名無し: 投稿日:2012/11/08 01:11:38 ID:Y0qBB8CY
制球が安定しないの知ってるやろ!
3球勝負させてくれや!
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2 : 風吹けば名無し: 投稿日:2012/11/08 01:12:56 ID:7rssb5qW
そして真ん中にいって打たれる
3 : 風吹けば名無し: 投稿日:2012/11/08 01:13:35 ID:Y0qBB8CY
>>2
外すなとはいわんがせめてギリギリのコースにしてほC
4 : 風吹けば名無し: 投稿日:2012/11/08 01:13:42 ID:/Yd8DzSO
ムダに一級投げさせないで、アメリカみたいにさくさくやってほしいな
5 : 風吹けば名無し: 投稿日:2012/11/08 01:14:28 ID:FC5DnM5C
高めに外すのはいい
21 : 風吹けば名無し: 投稿日:2012/11/08 01:19:44 ID:Y0qBB8CY
>>5
高めの釣り球も少しでも甘くなったら痛打食らう
7 : 風吹けば名無し: 投稿日:2012/11/08 01:15:04 ID:qqnrFakm
もうあんまり見なくなった気がする
13 : 風吹けば名無し: 投稿日:2012/11/08 01:16:05 ID:uNc3iRn5
>>7
毎回そればっかやわ
ちなDe
8 : 風吹けば名無し: 投稿日:2012/11/08 01:15:17 ID:koWcBEq3
審判が3球目の判定クソ厳しいのどうにかならないのか
2-0からコースギリギリだとまず取ってくれない
20 : 風吹けば名無し: 投稿日:2012/11/08 01:18:31 ID:Miz41pC6
>>8
審判も捕手の構えとかから1球外すって思い込んでるからやで。
キャーはミット動かす前にその辺の印象つけることを目指さんとアカン。
9 : 風吹けば名無し: 投稿日:2012/11/08 01:15:42 ID:STNmAw8X
2ストライクから1球外して結局フォアボールとかすごいむかつく
10 : 風吹けば名無し: 投稿日:2012/11/08 01:15:58 ID:os5cSYpq
高校野球だとノーボールツーストライクなら今でも必ず大きくはずす
11 : 風吹けば名無し: 投稿日:2012/11/08 01:16:00 ID:T+5lUAZR
ランナーいなかったらワンバンフォークでいいだろって思う
12 : 風吹けば名無し: 投稿日:2012/11/08 01:16:05 ID:WCxc6JY7
バカの一つ覚えで外しとけばええんやろって感じで思いっきり外れたところに構えるバカ捕手なんやの?
15 : 風吹けば名無し: 投稿日:2012/11/08 01:17:01 ID:UYJ6sJhi
0-2からボールになる変化球投げてボールでも1-2のがええやろ
1-2から投げて2-2になるのはもう見飽きた
16 : 風吹けば名無し: 投稿日:2012/11/08 01:17:03 ID:i6tCuEO3
きわどいと確実にボール宣告されるやろ
17 : 風吹けば名無し: 投稿日:2012/11/08 01:17:46 ID:1RGzDgk9
>>16
バッター手を出すかもしれんやん
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18 : 風吹けば名無し: 投稿日:2012/11/08 01:18:01 ID:Y0qBB8CY
>>16
バッターが振ってくれて凡打、空振り三振の確率が上がる
その分安打の確率も増えるけど
19 : 風吹けば名無し: 投稿日:2012/11/08 01:18:04 ID:8vqyCKop
若手がベテランに3球勝負するのはマナー違反だから暗黙の了解で禁止。
22 : 風吹けば名無し: 投稿日:2012/11/08 01:20:31 ID:8vqyCKop
3割くらいの確率で3球勝負をしてれば、打者も審判も際どいコースがストライクに見えるかもしれないが、こいつは必ず1球外すと確信されたら外す意味がなくなる
23 : 風吹けば名無し: 投稿日:2012/11/08 01:21:15 ID:po45V++U
外す必要はないがストライクを投げる理由がない
ストライクに一番なりづらいボールを投げるべき
24 : 風吹けば名無し: 投稿日:2012/11/08 01:21:42 ID:Y0qBB8CY
3球勝負をして内角に投げ込み空振り三振をとったときの爽快感
25 : 風吹けば名無し: 投稿日:2012/11/08 01:22:13 ID:LuylEfSR
捕「2球で追い込んだから、ボール気味のギリギリに投げるんや!」
投「分かったで、あらよっと」
打「ど真ん中絶好球や(カキーン」
捕「なんでど真ん中投げるんや・・・」
投「すまんコントロールミスや」
↑みたいな事を何度も経験するうちに「外す時は思いっきり外さんとアカン、中途半端はケガの元や」という結論になるんやろな
26 : 風吹けば名無し: 投稿日:2012/11/08 01:23:56 ID:fugqvGyx
俺らにはわからん駆け引きがあるんだろうよ
27 : 風吹けば名無し: 投稿日:2012/11/08 01:24:24 ID:8vqyCKop
2球で追い込んで3球で打たれるとキチガイのように怒る学生野球の指導者の責任もあるはず
私が広沢の野球コラムが好きなのは、彼はそういう固定観念に囚われない柔軟さがあるからだ。落合もそうだが、落合の場合は、彼の打者理論は彼自身にしか適応できない、というのが難点だ。
(以下引用)
2球で追い込んだ後外角に1球外す風潮
2012年11月09日00:05
コメント( 18 )
野球雑談
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記事引用元:http://hayabusa.2ch.net/test/read.cgi/livejupiter/1352304698/l50
1 : 風吹けば名無し: 投稿日:2012/11/08 01:11:38 ID:Y0qBB8CY
制球が安定しないの知ってるやろ!
3球勝負させてくれや!
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2 : 風吹けば名無し: 投稿日:2012/11/08 01:12:56 ID:7rssb5qW
そして真ん中にいって打たれる
3 : 風吹けば名無し: 投稿日:2012/11/08 01:13:35 ID:Y0qBB8CY
>>2
外すなとはいわんがせめてギリギリのコースにしてほC
4 : 風吹けば名無し: 投稿日:2012/11/08 01:13:42 ID:/Yd8DzSO
ムダに一級投げさせないで、アメリカみたいにさくさくやってほしいな
5 : 風吹けば名無し: 投稿日:2012/11/08 01:14:28 ID:FC5DnM5C
高めに外すのはいい
21 : 風吹けば名無し: 投稿日:2012/11/08 01:19:44 ID:Y0qBB8CY
>>5
高めの釣り球も少しでも甘くなったら痛打食らう
7 : 風吹けば名無し: 投稿日:2012/11/08 01:15:04 ID:qqnrFakm
もうあんまり見なくなった気がする
13 : 風吹けば名無し: 投稿日:2012/11/08 01:16:05 ID:uNc3iRn5
>>7
毎回そればっかやわ
ちなDe
8 : 風吹けば名無し: 投稿日:2012/11/08 01:15:17 ID:koWcBEq3
審判が3球目の判定クソ厳しいのどうにかならないのか
2-0からコースギリギリだとまず取ってくれない
20 : 風吹けば名無し: 投稿日:2012/11/08 01:18:31 ID:Miz41pC6
>>8
審判も捕手の構えとかから1球外すって思い込んでるからやで。
キャーはミット動かす前にその辺の印象つけることを目指さんとアカン。
9 : 風吹けば名無し: 投稿日:2012/11/08 01:15:42 ID:STNmAw8X
2ストライクから1球外して結局フォアボールとかすごいむかつく
10 : 風吹けば名無し: 投稿日:2012/11/08 01:15:58 ID:os5cSYpq
高校野球だとノーボールツーストライクなら今でも必ず大きくはずす
11 : 風吹けば名無し: 投稿日:2012/11/08 01:16:00 ID:T+5lUAZR
ランナーいなかったらワンバンフォークでいいだろって思う
12 : 風吹けば名無し: 投稿日:2012/11/08 01:16:05 ID:WCxc6JY7
バカの一つ覚えで外しとけばええんやろって感じで思いっきり外れたところに構えるバカ捕手なんやの?
15 : 風吹けば名無し: 投稿日:2012/11/08 01:17:01 ID:UYJ6sJhi
0-2からボールになる変化球投げてボールでも1-2のがええやろ
1-2から投げて2-2になるのはもう見飽きた
16 : 風吹けば名無し: 投稿日:2012/11/08 01:17:03 ID:i6tCuEO3
きわどいと確実にボール宣告されるやろ
17 : 風吹けば名無し: 投稿日:2012/11/08 01:17:46 ID:1RGzDgk9
>>16
バッター手を出すかもしれんやん
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18 : 風吹けば名無し: 投稿日:2012/11/08 01:18:01 ID:Y0qBB8CY
>>16
バッターが振ってくれて凡打、空振り三振の確率が上がる
その分安打の確率も増えるけど
19 : 風吹けば名無し: 投稿日:2012/11/08 01:18:04 ID:8vqyCKop
若手がベテランに3球勝負するのはマナー違反だから暗黙の了解で禁止。
22 : 風吹けば名無し: 投稿日:2012/11/08 01:20:31 ID:8vqyCKop
3割くらいの確率で3球勝負をしてれば、打者も審判も際どいコースがストライクに見えるかもしれないが、こいつは必ず1球外すと確信されたら外す意味がなくなる
23 : 風吹けば名無し: 投稿日:2012/11/08 01:21:15 ID:po45V++U
外す必要はないがストライクを投げる理由がない
ストライクに一番なりづらいボールを投げるべき
24 : 風吹けば名無し: 投稿日:2012/11/08 01:21:42 ID:Y0qBB8CY
3球勝負をして内角に投げ込み空振り三振をとったときの爽快感
25 : 風吹けば名無し: 投稿日:2012/11/08 01:22:13 ID:LuylEfSR
捕「2球で追い込んだから、ボール気味のギリギリに投げるんや!」
投「分かったで、あらよっと」
打「ど真ん中絶好球や(カキーン」
捕「なんでど真ん中投げるんや・・・」
投「すまんコントロールミスや」
↑みたいな事を何度も経験するうちに「外す時は思いっきり外さんとアカン、中途半端はケガの元や」という結論になるんやろな
26 : 風吹けば名無し: 投稿日:2012/11/08 01:23:56 ID:fugqvGyx
俺らにはわからん駆け引きがあるんだろうよ
27 : 風吹けば名無し: 投稿日:2012/11/08 01:24:24 ID:8vqyCKop
2球で追い込んで3球で打たれるとキチガイのように怒る学生野球の指導者の責任もあるはず
「ドラフト会議情報局」というサイトで知ったニュースである。
狩野恵輔は、故障さえなければ弱小球団なら一軍のクリーンアップに育っていたのではないかと思われる選手である。捕手としては驚異的に足が速いので、捕手にはもったいないと外野手との掛け持ちをし、中途半端な使われ方をしたのが成長を妨げたのかもしれない。
故障部位が腰という厄介な場所で、能力低下がどの程度かにもよるが、本人に現役を続行できる自信と意思があるなら、取ってみてもいい選手だと思う。特に、横浜には頼れる捕手がいないのだから、高城が一人前になるまでのつなぎ捕手は必要だ。もちろん、外野として使ってもいいし。
海のものとも山のものとも分からない新人選手に高い契約金を払うよりは、まだ効率的な投資だろう。
(以下引用)
狩野恵輔→自由契約手続き (育成で再契約予定)
(引用2「ウィキペディア」より)
経歴 [編集]
プロ入り前 [編集]
群馬県勢多郡赤城村(現渋川市)出身。中学校では投手だったが、2年秋に主将となると同時に捕手に転向した[1]。前橋工業高校では3年夏の群馬大会で大会新記録となる4本塁打を放ち、決勝で一場靖弘を擁する桐生第一高校と対戦するも最後の打者となり敗北。しかし、打撃センスを買われて2000年のドラフトで阪神から3位指名を受け入団。高校時代は、パンチ力のある打撃と大人びた風貌から「上州の掛布」と呼ばれていた。
プロ入り後 [編集]
入団前から身体能力の高い選手と言われており、パンチ力を秘めた打撃や捕手にしては速い足などを生かすために2002年は外野手にも挑戦していたが、2003年からは捕手に専念。2004年シーズン終盤に一軍初出場。同年12月に結婚した。
2006年にはウエスタン・リーグで規定打席不足ながら、不足分の打席を全て凡退として計算してもリーグ最高打率なら首位打者に認定されるルールにより、チームでは1986年の吉川弘幸以来2人目となる打率.348で首位打者を獲得した。同年オフの第2子誕生を契機に「これ以上二軍でくすぶって家族に迷惑をかけられない」と一念発起。金本知憲が通う広島のジムで金本と共にトレーニングを積み、正捕手である矢野輝弘の自主トレに参加して教えを乞うなど意欲を見せた。背番号も「63」から「もう後がない」という意味で「99」に変更。
2007年は浅井良や野口寿浩を押しのけて初の開幕一軍を勝ち取り、4月20日の対巨人戦で延長12回に代打出場し、プロ初安打・初打点となるサヨナラ安打を放った。翌日にはスタメン出場し、プロ初本塁打を記録。同年の阪神は右打者の不振が深刻で、本塁打は開幕から10試合目に投手のライアン・ボーグルソンから出たものが最初で、右打ちの野手が放ったものとしては19試合目の狩野のこの本塁打が初だった。こうしたチーム事情に加え、狩野自身も初安打の後1か月近く打撃好調でしばらくは代打の切り札的な存在になり、打撃不振だった正捕手の矢野に代わってスタメン出場も多かった。その後は相手の研究もあってジリジリと打率を下げたが、主に代打や代走要員としてほぼシーズン通して一軍に帯同した。
2008年は前年結果を出したこともあり次期正捕手として期待されていたが、3月に右ひじの手術を受けた影響で出遅れ一軍出場は12試合に留まった。
2009年は矢野が故障で開幕に間に合わなかったこともあり、初めて開幕スタメン出場をした。その後も実質的に正捕手として投手陣をリードし、打撃でも勝負強さを発揮した。矢野が復帰した後も安藤優也や下柳剛以外の先発投手が登板した試合で捕手を務め、自己最多の127試合に出場し、二桁盗塁、リーグトップの敬遠数を記録した。同年オフに城島健司が加入したことから、出場機会を増やすため外野手へのコンバート話も一時持ち上がった[2]が、結局この時は捕手を続けることが決まった[3]。
2010年は一軍で開幕を迎えたものの、城島が正捕手となったために当初は出場機会に恵まれなかったが、前年の正捕手として、新加入の城島に投手陣の情報を伝えることもあった。やがて打撃と走力を買った首脳陣の判断で4月8日に調整のため二軍降格。ウエスタン・リーグの試合で実戦感覚を養いつつ、外野の守備にも就いた。連続フルイニング出場を続けていた金本が故障でスタメンを外れるようになったこともあり、4月20日に一軍再昇格すると同日の対広島戦で左翼手として先発出場し、シーズン初本塁打を放った。その後はなかなか出場機会を得られずに32試合の出場に終わったが、うち外野手としての出場が19試合で、捕手としての出場は1試合に留まった。10月10日のフェニックスリーグ・対横浜戦で腰を痛め、翌月に椎間板ヘルニア除去手術を受けた[4]。
2011年は外野手登録となったが、狩野自身は捕手と両立することを希望し、実際にブルペンに入って投手陣の投球を受けることもあった[5]。手術明けのため春季キャンプは二軍スタートながらオープン戦から一軍に昇格していたが、程なくしてヘルニアが再発し、チームを離脱したが[6]8月26日に1軍シーズン初登録された。さらにその日の対ヤクルト戦で5回裏に村中恭兵からシーズン初安打・初打点となる2点勝ち越し打を放ち甲子園球場でのお立ち台に立ったものも、シーズンを通した1軍出場数は10試合にとどまった。
人物 [編集]
2010年オフに外野手への本格転向が取り沙汰された際、藤川球児は、狩野がこの年すでに外野手としての出場のほうが多かったにもかかわらず、投手陣とばかり食事に行っていたことを挙げて「性格が捕手向き。(外野手転向は)もったいない」と、捕手との両立を応援した[7][8]。
特技は小さい頃から習っていたピアノ。鍵盤を叩くことで指先の感覚が鋭くなり、キャッチングにも活かせているという。
狩野恵輔は、故障さえなければ弱小球団なら一軍のクリーンアップに育っていたのではないかと思われる選手である。捕手としては驚異的に足が速いので、捕手にはもったいないと外野手との掛け持ちをし、中途半端な使われ方をしたのが成長を妨げたのかもしれない。
故障部位が腰という厄介な場所で、能力低下がどの程度かにもよるが、本人に現役を続行できる自信と意思があるなら、取ってみてもいい選手だと思う。特に、横浜には頼れる捕手がいないのだから、高城が一人前になるまでのつなぎ捕手は必要だ。もちろん、外野として使ってもいいし。
海のものとも山のものとも分からない新人選手に高い契約金を払うよりは、まだ効率的な投資だろう。
(以下引用)
狩野恵輔→自由契約手続き (育成で再契約予定)
(引用2「ウィキペディア」より)
経歴 [編集]
プロ入り前 [編集]
群馬県勢多郡赤城村(現渋川市)出身。中学校では投手だったが、2年秋に主将となると同時に捕手に転向した[1]。前橋工業高校では3年夏の群馬大会で大会新記録となる4本塁打を放ち、決勝で一場靖弘を擁する桐生第一高校と対戦するも最後の打者となり敗北。しかし、打撃センスを買われて2000年のドラフトで阪神から3位指名を受け入団。高校時代は、パンチ力のある打撃と大人びた風貌から「上州の掛布」と呼ばれていた。
プロ入り後 [編集]
入団前から身体能力の高い選手と言われており、パンチ力を秘めた打撃や捕手にしては速い足などを生かすために2002年は外野手にも挑戦していたが、2003年からは捕手に専念。2004年シーズン終盤に一軍初出場。同年12月に結婚した。
2006年にはウエスタン・リーグで規定打席不足ながら、不足分の打席を全て凡退として計算してもリーグ最高打率なら首位打者に認定されるルールにより、チームでは1986年の吉川弘幸以来2人目となる打率.348で首位打者を獲得した。同年オフの第2子誕生を契機に「これ以上二軍でくすぶって家族に迷惑をかけられない」と一念発起。金本知憲が通う広島のジムで金本と共にトレーニングを積み、正捕手である矢野輝弘の自主トレに参加して教えを乞うなど意欲を見せた。背番号も「63」から「もう後がない」という意味で「99」に変更。
2007年は浅井良や野口寿浩を押しのけて初の開幕一軍を勝ち取り、4月20日の対巨人戦で延長12回に代打出場し、プロ初安打・初打点となるサヨナラ安打を放った。翌日にはスタメン出場し、プロ初本塁打を記録。同年の阪神は右打者の不振が深刻で、本塁打は開幕から10試合目に投手のライアン・ボーグルソンから出たものが最初で、右打ちの野手が放ったものとしては19試合目の狩野のこの本塁打が初だった。こうしたチーム事情に加え、狩野自身も初安打の後1か月近く打撃好調でしばらくは代打の切り札的な存在になり、打撃不振だった正捕手の矢野に代わってスタメン出場も多かった。その後は相手の研究もあってジリジリと打率を下げたが、主に代打や代走要員としてほぼシーズン通して一軍に帯同した。
2008年は前年結果を出したこともあり次期正捕手として期待されていたが、3月に右ひじの手術を受けた影響で出遅れ一軍出場は12試合に留まった。
2009年は矢野が故障で開幕に間に合わなかったこともあり、初めて開幕スタメン出場をした。その後も実質的に正捕手として投手陣をリードし、打撃でも勝負強さを発揮した。矢野が復帰した後も安藤優也や下柳剛以外の先発投手が登板した試合で捕手を務め、自己最多の127試合に出場し、二桁盗塁、リーグトップの敬遠数を記録した。同年オフに城島健司が加入したことから、出場機会を増やすため外野手へのコンバート話も一時持ち上がった[2]が、結局この時は捕手を続けることが決まった[3]。
2010年は一軍で開幕を迎えたものの、城島が正捕手となったために当初は出場機会に恵まれなかったが、前年の正捕手として、新加入の城島に投手陣の情報を伝えることもあった。やがて打撃と走力を買った首脳陣の判断で4月8日に調整のため二軍降格。ウエスタン・リーグの試合で実戦感覚を養いつつ、外野の守備にも就いた。連続フルイニング出場を続けていた金本が故障でスタメンを外れるようになったこともあり、4月20日に一軍再昇格すると同日の対広島戦で左翼手として先発出場し、シーズン初本塁打を放った。その後はなかなか出場機会を得られずに32試合の出場に終わったが、うち外野手としての出場が19試合で、捕手としての出場は1試合に留まった。10月10日のフェニックスリーグ・対横浜戦で腰を痛め、翌月に椎間板ヘルニア除去手術を受けた[4]。
2011年は外野手登録となったが、狩野自身は捕手と両立することを希望し、実際にブルペンに入って投手陣の投球を受けることもあった[5]。手術明けのため春季キャンプは二軍スタートながらオープン戦から一軍に昇格していたが、程なくしてヘルニアが再発し、チームを離脱したが[6]8月26日に1軍シーズン初登録された。さらにその日の対ヤクルト戦で5回裏に村中恭兵からシーズン初安打・初打点となる2点勝ち越し打を放ち甲子園球場でのお立ち台に立ったものも、シーズンを通した1軍出場数は10試合にとどまった。
人物 [編集]
2010年オフに外野手への本格転向が取り沙汰された際、藤川球児は、狩野がこの年すでに外野手としての出場のほうが多かったにもかかわらず、投手陣とばかり食事に行っていたことを挙げて「性格が捕手向き。(外野手転向は)もったいない」と、捕手との両立を応援した[7][8]。
特技は小さい頃から習っていたピアノ。鍵盤を叩くことで指先の感覚が鋭くなり、キャッチングにも活かせているという。
これで日ハム黄金時代は終わりだろう。栗山監督が就任1年目でリーグ優勝という偉業を成し遂げたのは、優秀なコーチ陣をそのまま引き継いだからだと私は見ている。そのコーチ陣がほとんど去ったならどうなるか、日を見るより明らかだろう。
栗山監督はスポーツマンには珍しく謙虚な人柄だと思うが、リーグ優勝して、「これはコーチの手柄ではなく、監督たる自分の手柄である」と言いたい我欲が生まれたのだと思う。1年目は無私の心で優勝した。2年目は我欲で滅びる、と予言しておく。
(以下「2ちゃんねるプラス」より引用)
【野球】“クリーンファイト”を望む栗山監督、報復死球提案の吉井コーチ…日本シリーズでも野球観の違い露呈
res:1 秘丘、愛液塗れ'φ ★2012/11/07(水) 00:08:48.93 ID:???0
就任1年目の日本ハム・栗山英樹監督(51)のリーグ制覇を支えた、名だたるコーチたちがチームを去る。
投手陣の信頼厚い、吉井理人投手コーチ(47)もその1人。日本シリーズでは報復死球を巡り、指揮官との
野球観の違いが露呈していた。
日本シリーズ敗退から一夜明けた4日、球団は福良淳一ヘッドコーチ(52)、清水雅治外野守備走塁コーチ(48)、
吉井コーチの退団を発表した。福良コーチは古巣オリックスへ、清水コーチは西武時代から関係が深い
伊東勤新監督(50)が就任したロッテに移籍する。
だが吉井コーチは事情が異なる。栗山監督とはシーズン中から投手起用を巡り、「全然うまくいかなくて
迷惑をかけた。それが選手にも伝わっていた」と自ら口にした。前夜も未明まで来季に向け意見を交わしたが
「自分の考えと監督の考えが全然違うものだった」と物別れに終わり、事実上の解任となった。
「投手が機嫌よくやればチームは丸く収まるのよ。でも監督はそう思っていない。それがダメだった」と
吉井コーチ。栗山監督は「非常に残念…」と言葉少なだった。
日本シリーズのベンチでも、両者の思いはかみ合わなかった。球団関係者によると、巨人の先発投手から
2戦続けて2つ目の死球を食らった際、吉井コーチは栗山監督に「いきましょうか?」と報復死球の伺いを
立てたという。
死球も覚悟の上の内角攻めに、やられっぱなしではベンチの士気にも関わる。だが敬愛する巨人・
原辰徳監督(54)との“クリーンファイト”を望む栗山監督が、首を縦に振ることはなかった。それで勝てれば
言うことなしだったが…。
栗山監督は、梨田昌孝前監督(59)に仕えた首脳陣をほぼ引き継ぎ、やりにくさもある中で結果を出した。
自身の要望も反映される来季のコーチ人事は「びっくりすると思いますよ」と、周囲にサプライズを予告。
独自色あふれる人材を招へいする腹づもりのようだ。
スポーツの世界では「いいときはいじるな」が鉄則。思い切った内閣改造が、あと一歩で届かなかった
頂点への後押しとなるか。それとも“2年目のジンクス”を招くのか。
http://www.zakzak.co.jp/sports/baseball/news/20121106/bbl1211060710004-n1.htm
栗山監督はスポーツマンには珍しく謙虚な人柄だと思うが、リーグ優勝して、「これはコーチの手柄ではなく、監督たる自分の手柄である」と言いたい我欲が生まれたのだと思う。1年目は無私の心で優勝した。2年目は我欲で滅びる、と予言しておく。
(以下「2ちゃんねるプラス」より引用)
【野球】“クリーンファイト”を望む栗山監督、報復死球提案の吉井コーチ…日本シリーズでも野球観の違い露呈
res:1 秘丘、愛液塗れ'φ ★2012/11/07(水) 00:08:48.93 ID:???0
就任1年目の日本ハム・栗山英樹監督(51)のリーグ制覇を支えた、名だたるコーチたちがチームを去る。
投手陣の信頼厚い、吉井理人投手コーチ(47)もその1人。日本シリーズでは報復死球を巡り、指揮官との
野球観の違いが露呈していた。
日本シリーズ敗退から一夜明けた4日、球団は福良淳一ヘッドコーチ(52)、清水雅治外野守備走塁コーチ(48)、
吉井コーチの退団を発表した。福良コーチは古巣オリックスへ、清水コーチは西武時代から関係が深い
伊東勤新監督(50)が就任したロッテに移籍する。
だが吉井コーチは事情が異なる。栗山監督とはシーズン中から投手起用を巡り、「全然うまくいかなくて
迷惑をかけた。それが選手にも伝わっていた」と自ら口にした。前夜も未明まで来季に向け意見を交わしたが
「自分の考えと監督の考えが全然違うものだった」と物別れに終わり、事実上の解任となった。
「投手が機嫌よくやればチームは丸く収まるのよ。でも監督はそう思っていない。それがダメだった」と
吉井コーチ。栗山監督は「非常に残念…」と言葉少なだった。
日本シリーズのベンチでも、両者の思いはかみ合わなかった。球団関係者によると、巨人の先発投手から
2戦続けて2つ目の死球を食らった際、吉井コーチは栗山監督に「いきましょうか?」と報復死球の伺いを
立てたという。
死球も覚悟の上の内角攻めに、やられっぱなしではベンチの士気にも関わる。だが敬愛する巨人・
原辰徳監督(54)との“クリーンファイト”を望む栗山監督が、首を縦に振ることはなかった。それで勝てれば
言うことなしだったが…。
栗山監督は、梨田昌孝前監督(59)に仕えた首脳陣をほぼ引き継ぎ、やりにくさもある中で結果を出した。
自身の要望も反映される来季のコーチ人事は「びっくりすると思いますよ」と、周囲にサプライズを予告。
独自色あふれる人材を招へいする腹づもりのようだ。
スポーツの世界では「いいときはいじるな」が鉄則。思い切った内閣改造が、あと一歩で届かなかった
頂点への後押しとなるか。それとも“2年目のジンクス”を招くのか。
http://www.zakzak.co.jp/sports/baseball/news/20121106/bbl1211060710004-n1.htm
横浜が珍しくいいトレードをした。
多村は故障の回復度が問題だが、完治すれば現在の横浜に不足している長打力を補える。クリーンアップになれる可能性も当然ある。
それよりも私が面白いと思うのは神内である。
課題だった制球力が向上しており、たまたまソフトバンク最後のあたりで結果が残せなかっただけで、見どころのある投手だと思う。たしか、以前に日本シリーズで投げたと思うが、その時には有望な投手だと思った。球が実際の球速以上に速く見えたのである。緩急をつけて試合をまとめられるタイプではないようだし、スタミナも足りないようだから、中継ぎと抑え候補として期待できそうだ。
ソフトバンク最後の年(今年)でも、投球回とほぼ同じ数の三振を奪っているところからも、化ける可能性があり、化ければ面白い投手だろう。
(以下「ウィキペディア」より引用)
神内 靖(かみうち やすし、1983年8月12日 - )は、福岡ソフトバンクホークスに所属するプロ野球選手(投手)。
目次
[非表示] 1 来歴
2 プレースタイル・人物
3 詳細情報 3.1 年度別投手成績
3.2 記録
3.3 背番号
4 脚注
5 関連項目
来歴 [編集]
延岡学園高等学校では高校2年の夏に甲子園出場。宮崎県内では寺原隼人と並ぶ評判の投手で、ライバル関係を築いていた。2001年、ドラフト4巡目指名を受けダイエーに入団。なお3年夏の甲子園で注目された寺原は、4球団の1巡指名を受け抽選でダイエーに入団している。
1年目から結果を残した寺原とは対照的に、神内は課題の制球難から2軍でも満足な成績を残せずにいたが、3年目の2004年7月25日の対ロッテ戦でプロ初先発を果たす。勝利投手にはなれなかったが、7回までを無失点に抑えた。この好投が認められ、この年は12試合に登板。翌2005年は中継ぎとして一軍に定着し、46試合に登板。防御率3.26、17HPと好成績を残した。
2006年、大幅な筋肉改造に着手。体重が10kg増加するとともに球速も10km/h近く増加した。5月18日には交流戦の対巨人戦に先発し、先発初勝利。その後も何度か先発を任され、自己最多の6勝を記録。特にこの年チームが苦手としていた日本ハムに対しては6試合に登板し2勝、防御率1.10をマーク。しかし後半戦は6連戦のほとんどない緩い日程であったためあまり登板の機会がなかった。
2006年6月18日の中日戦(ナゴヤドーム)では、5回1/3を11奪三振、以降三瀬、吉武、篠原、藤岡、馬原のリレーで、1試合最多タイ(継投による達成は初)となる19奪三振を記録した。
2008年3月25日、群馬県内の病院で左肘内側側副じん帯の手術を受けた。1軍登板は無かった。
2009年4月5日、対オリックスとの開幕戦で約2年ぶりとなる1軍登板を果たし勝利している。
2010年4月14日、対オリックス戦(京セラドーム大阪)で降板する際、グローブをベンチ内の扇風機へ投げつけ、ベンチの背もたれを蹴るなど破壊し、その結果、球団より厳重注意処分がくだり、修理代7万円の弁償が課せられた[1][2]。 さらに同シーズンは、同じ左腕の森福の急激な台頭もあり登板機会が激減し、10試合の登板にとどまった。
2011年は1軍での登板は2試合で防御率16.20と1軍では自己最低の成績に終わった。2軍では31試合に登板して、防御率2.94であった。
2012年は開幕1軍で中継ぎを任されるも、初登板の4月3日楽天戦では暴投で失点した。その後一旦二軍で調整し、6月に再昇格後は成績も安定しこの年は4ホールドを記録した。しかしシーズン終盤は打ち込まれる試合が目立ち、8月27日に二軍降格後は一軍での登板の機会はなかった。
プレースタイル・人物 [編集]
直球は最速148km/hながら、140km/hを下回ることが多い。しかし球速表示以上に球に力があり、試合中盤で2桁奪三振を記録することも度々あった。変化球はスライダー、カーブ、チェンジアップを投げるが決め球として用いることは少ない。
初回から全力で投げ込むスタイルで、最長でも7回までしか投げたことが無い。
多村は故障の回復度が問題だが、完治すれば現在の横浜に不足している長打力を補える。クリーンアップになれる可能性も当然ある。
それよりも私が面白いと思うのは神内である。
課題だった制球力が向上しており、たまたまソフトバンク最後のあたりで結果が残せなかっただけで、見どころのある投手だと思う。たしか、以前に日本シリーズで投げたと思うが、その時には有望な投手だと思った。球が実際の球速以上に速く見えたのである。緩急をつけて試合をまとめられるタイプではないようだし、スタミナも足りないようだから、中継ぎと抑え候補として期待できそうだ。
ソフトバンク最後の年(今年)でも、投球回とほぼ同じ数の三振を奪っているところからも、化ける可能性があり、化ければ面白い投手だろう。
(以下「ウィキペディア」より引用)
神内 靖(かみうち やすし、1983年8月12日 - )は、福岡ソフトバンクホークスに所属するプロ野球選手(投手)。
目次
[非表示] 1 来歴
2 プレースタイル・人物
3 詳細情報 3.1 年度別投手成績
3.2 記録
3.3 背番号
4 脚注
5 関連項目
来歴 [編集]
延岡学園高等学校では高校2年の夏に甲子園出場。宮崎県内では寺原隼人と並ぶ評判の投手で、ライバル関係を築いていた。2001年、ドラフト4巡目指名を受けダイエーに入団。なお3年夏の甲子園で注目された寺原は、4球団の1巡指名を受け抽選でダイエーに入団している。
1年目から結果を残した寺原とは対照的に、神内は課題の制球難から2軍でも満足な成績を残せずにいたが、3年目の2004年7月25日の対ロッテ戦でプロ初先発を果たす。勝利投手にはなれなかったが、7回までを無失点に抑えた。この好投が認められ、この年は12試合に登板。翌2005年は中継ぎとして一軍に定着し、46試合に登板。防御率3.26、17HPと好成績を残した。
2006年、大幅な筋肉改造に着手。体重が10kg増加するとともに球速も10km/h近く増加した。5月18日には交流戦の対巨人戦に先発し、先発初勝利。その後も何度か先発を任され、自己最多の6勝を記録。特にこの年チームが苦手としていた日本ハムに対しては6試合に登板し2勝、防御率1.10をマーク。しかし後半戦は6連戦のほとんどない緩い日程であったためあまり登板の機会がなかった。
2006年6月18日の中日戦(ナゴヤドーム)では、5回1/3を11奪三振、以降三瀬、吉武、篠原、藤岡、馬原のリレーで、1試合最多タイ(継投による達成は初)となる19奪三振を記録した。
2008年3月25日、群馬県内の病院で左肘内側側副じん帯の手術を受けた。1軍登板は無かった。
2009年4月5日、対オリックスとの開幕戦で約2年ぶりとなる1軍登板を果たし勝利している。
2010年4月14日、対オリックス戦(京セラドーム大阪)で降板する際、グローブをベンチ内の扇風機へ投げつけ、ベンチの背もたれを蹴るなど破壊し、その結果、球団より厳重注意処分がくだり、修理代7万円の弁償が課せられた[1][2]。 さらに同シーズンは、同じ左腕の森福の急激な台頭もあり登板機会が激減し、10試合の登板にとどまった。
2011年は1軍での登板は2試合で防御率16.20と1軍では自己最低の成績に終わった。2軍では31試合に登板して、防御率2.94であった。
2012年は開幕1軍で中継ぎを任されるも、初登板の4月3日楽天戦では暴投で失点した。その後一旦二軍で調整し、6月に再昇格後は成績も安定しこの年は4ホールドを記録した。しかしシーズン終盤は打ち込まれる試合が目立ち、8月27日に二軍降格後は一軍での登板の機会はなかった。
プレースタイル・人物 [編集]
直球は最速148km/hながら、140km/hを下回ることが多い。しかし球速表示以上に球に力があり、試合中盤で2桁奪三振を記録することも度々あった。変化球はスライダー、カーブ、チェンジアップを投げるが決め球として用いることは少ない。
初回から全力で投げ込むスタイルで、最長でも7回までしか投げたことが無い。
私が前に書いた愛知産業大の湧川雄貴投手の最終シーズンの成績が、「アマチュア野球通信」というサイトの掲示板に載っていたので、紹介する。二部から一部に上がって、チーム自体は一部の最下位だったと思うが、湧川投手は大健闘だろう。とにかく、投球回数が凄い。二部の頃も一人で90イニングくらい投げていたが、一部でも他の投手の倍くらい投げており、それでいて防御率1点台なのだから立派なものだ。おそらく、バックが良ければ、7、8勝したのではないか。
1シーズンに7勝すれば、春秋8シーズンで56勝という、馬鹿馬鹿しい成績になるわけだ。強豪チームの投手の勝ち星と弱小チームの投手の勝ち星は内容が違う、ということである。菅野や東浜でさえ、通算勝利数は35勝前後であるはずだ。もっとも、強豪チームにいれば、登板数自体が限定され、最大でシーズン5勝くらいになるのだが。
で、湧川投手がこれだけ投げることができるというのは、投げ方がいいはずだ、と私は推測しているわけである。三振が取れる投手かどうかは知らないが、「ゲームを作れる」というだけでも私はプロでやっていける素材ではないか、と思っているのである。
投げられる投手の数そのものがない横浜などなら取っても面白いと思う。二流三流の素材型の高校生投手を取るよりはまだ成功する可能性は高いだろう。
(以下引用)
▽防御率
規定投球回数に達した投手は、下記の8人です。(カッコ内の数字は投球回数と自責点)
① 波多野 0.57(31回1/3、 2)
② 平井克典(愛知産業大、3年、右・右、飛龍) 1.51(41回2/3、 7)
③ 湧川雄貴(愛知産業大、4年、右・左、中部商) 1.53(76回2/3、13)
④ 萩原 1.59(45回1/3、 8)
大野 1.59(39回2/3、 7)
⑥ 森貴之 (愛知大、2年、右・右、天白) 1.68(48回1/3、 9)
⑦ 森本俊 (名古屋商科大、3年、右・左、箕島) 2.38(34回、 9)
⑧ 田村雅樹(中部大、4年、右・右、土庄) 2.95(36回2/3、12)
規定投球回数の半分以上で未達の投手は、下記の6人です。
伊佐地佑紀 (愛知大、4年、右・右、津島北) 2.16(33回1/3、 8)
河野清太郎 (名城大、2年、右・右、愛知啓成) 2.97(30回1/3、10)
水越太一 (愛知大、3年、左・左、一宮南) 3.14(28回2/3、10)
平塚征臣 (中部大、4年、右・右、土岐商) 3.23(30回2/3、11)
下平(しもだいら)将一(名城大、4年、左・左、東邦) 3.29(27回1/3、10)
森田将行 (名城大、2年、左・左、常葉学園菊川)4.05(20回、 9)
▽勝利数
4勝=波多野
湧川
萩原
森
3勝=大野
森本
田村
2勝=角屋(かどや)龍太(名城大、4年、右・右、岐阜・富田)
伊佐地
河野
1勝=平井
水越
平塚
下平
1シーズンに7勝すれば、春秋8シーズンで56勝という、馬鹿馬鹿しい成績になるわけだ。強豪チームの投手の勝ち星と弱小チームの投手の勝ち星は内容が違う、ということである。菅野や東浜でさえ、通算勝利数は35勝前後であるはずだ。もっとも、強豪チームにいれば、登板数自体が限定され、最大でシーズン5勝くらいになるのだが。
で、湧川投手がこれだけ投げることができるというのは、投げ方がいいはずだ、と私は推測しているわけである。三振が取れる投手かどうかは知らないが、「ゲームを作れる」というだけでも私はプロでやっていける素材ではないか、と思っているのである。
投げられる投手の数そのものがない横浜などなら取っても面白いと思う。二流三流の素材型の高校生投手を取るよりはまだ成功する可能性は高いだろう。
(以下引用)
▽防御率
規定投球回数に達した投手は、下記の8人です。(カッコ内の数字は投球回数と自責点)
① 波多野 0.57(31回1/3、 2)
② 平井克典(愛知産業大、3年、右・右、飛龍) 1.51(41回2/3、 7)
③ 湧川雄貴(愛知産業大、4年、右・左、中部商) 1.53(76回2/3、13)
④ 萩原 1.59(45回1/3、 8)
大野 1.59(39回2/3、 7)
⑥ 森貴之 (愛知大、2年、右・右、天白) 1.68(48回1/3、 9)
⑦ 森本俊 (名古屋商科大、3年、右・左、箕島) 2.38(34回、 9)
⑧ 田村雅樹(中部大、4年、右・右、土庄) 2.95(36回2/3、12)
規定投球回数の半分以上で未達の投手は、下記の6人です。
伊佐地佑紀 (愛知大、4年、右・右、津島北) 2.16(33回1/3、 8)
河野清太郎 (名城大、2年、右・右、愛知啓成) 2.97(30回1/3、10)
水越太一 (愛知大、3年、左・左、一宮南) 3.14(28回2/3、10)
平塚征臣 (中部大、4年、右・右、土岐商) 3.23(30回2/3、11)
下平(しもだいら)将一(名城大、4年、左・左、東邦) 3.29(27回1/3、10)
森田将行 (名城大、2年、左・左、常葉学園菊川)4.05(20回、 9)
▽勝利数
4勝=波多野
湧川
萩原
森
3勝=大野
森本
田村
2勝=角屋(かどや)龍太(名城大、4年、右・右、岐阜・富田)
伊佐地
河野
1勝=平井
水越
平塚
下平