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ゲーム・スポーツなどについての感想と妄想の作文集です 管理者名(記事筆者名)は「O-ZONE」「老幼児」「都虎」など。
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取りあえず横浜ファンを標榜している以上、今年の横浜のドラフト方針への私案を書いておこう。ただし、評判だけで判断した選手も入っているのはもちろんだ。
現在の横浜は

1 投手が最低でも後7、8人は必要。できれば先発候補5人、中継ぎ2人、リリーフ1人が欲しい。つまり、現在の投手陣を全員首にできるだけの数が欲しい。
2 クリーンアップを打てるスラッガーが最低でも1人、できれば2人欲しい。
3 (即戦力の)捕手が欲しい。 (*「即戦力」ならトレードで得る方が確実。)
4 打てる三塁手が欲しい。

といったところである。つまり、ドラフトでは投手中心になるが、またいい野手なら上位で指名しないと横浜には来てくれないから、投手の半分は下位指名でも来てくれる無名選手にする必要がある。

さしあたって、欲しい順番に並べると、こうなる。中継ぎ候補とかリリーフ候補とか書いてあるのは、もちろん将来的には先発への転向なども含んでのことだ。それ以外の投手は、最初から先発候補である。


1 東浜(亜大)投手
2 松永(大阪ガス)投手
3 古本(龍谷大)外野手
4 田村(光星)捕手・三塁手 *当座は三塁手として使うのも可。
5 福谷(慶応)投手
6 増田(NTT西日本)投手 *リリーフ候補
7 三嶋(法大)投手 *リリーフ候補
8 神林(東海大甲府)投手 *中継ぎ候補
9 北條(光星)遊撃手 *三塁手に転向させるのがベター。
10 竹内(慶大)投手 *中継ぎ候補
11 松葉(大阪体育大)投手  *中継ぎ候補
12 高橋(龍谷大平安)外野手・捕手
13 藤浪(大阪桐蔭)投手
14 手登根(浦添工)三塁手  


とまあ、こういった具合で、何と藤浪が13位にしかならない。というのは高卒投手というものの不確実性とリスクを勘案した結果である。横浜というチームに投手養成能力が無い以上、「完成品」以外の投手には用が無いわけだ。横浜はそういう自己認識を厳しくやった上で、ドラフトに臨んでもらいたい。
こうして「欲しい順番」を決めた上で、他チームの指名に応じて、どんどん指名していけばいいのである。他チームと同じ選手を指名して籤任せにするのは愚かである。
後はスカウト陣が独自調査した「隠し玉」を下位で指名すればいいわけだ。

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「ドラフト会議情報局」というサイトから「外れ1位候補」の記事である。
正規1位候補は誰でも同じようなメンバーになるだろうから、こういう情報の方がファンにとっては役に立つ。
正規1位候補が「菅野、東浜、藤浪、大谷」で、そのうち菅野は巨人以外は手が出せない「囲い込み」状況だから、他球団にとっては「存在しない選手」である。また大谷もメジャー行きを決めたようだから、これも「存在しない選手」だ。まあ、「メジャー行き」が契約金吊り上げのための布石だという可能性もあるが、そういう選手が大成したためしは無いから、手を出さないのが無難だろう。
某情報によれば、日ハムが菅野から手を引いたのは、菅野周辺の人間の醜さにうんざりしたためらしい。菅野自身の人間性も「推して知るべし」ということだろう。投手育成に関しては12球団一の日ハムを袖にし、現在は投手王国で新人にはまず出番の無い巨人に入るつもりだとは、菅野はまったくの阿呆である。
こうして正規1位は藤浪と東浜の二人だけになったわけだ。即戦力の東浜か、将来性の藤浪か、という選択であり、投手王国の巨人以外なら東浜を選ぶのが当然だろう。これは私が同郷の人間の肩を持っているわけではない。現在、大学野球のナンバーワン投手であるならば、それはそのままプロで通用する、と見ていいのである。
東浜は、投手としての頭の良さがある、と私は思っている。これは実は得難い素質なのである。こういう投手は常にローテーションの一角を担い、投手生命も長い。昔で言えば北別府のような感じになる可能性が高い。非常に「お買い得」の選手だ。
藤浪はまだ完成品ではない。不調の時に、ゲームの中での自己修正ができないのである。したがって、田中マー君とは違って、1年目から大活躍する可能性は少ない。(もちろん、高校時代は同じ高校生にポカスカ打たれた釜田が、プロでいきなり活躍した例もあるから、これは絶対ではない。)プロで鍛えれば大投手になる可能性もあるが、そうなる前に駄目になる可能性もある。そういうリスクを考えれば、私なら東浜を選ぶ。
その他の選手については、海のものとも山のものとも分からない選手がほとんどだ。
ここには出ていないが、龍谷大の古本武尊という選手が面白そうな感じだが、現在故障中でもあり、全国的には無名だから、故障の具合次第では狙うのもいいのではないか。思いがけない掘り出し物になるかもしれない。(追記2参照)


(以下引用)



2012ドラフト、外れ1位候補はダレ?
2012年10月18日
夕刊フジwebsiteより (source)


今秋のドラフト会議(25日)まであと8日。注目は花巻東・大谷翔平(動画)、大阪桐蔭・藤浪晋太郎(動画)、亜大・東浜巨(動画)、東海大・菅野智之(動画)らだが、競合は必至。そこでプロのスカウトに“外れ1位候補”を聞いてみた。

投手では最速155キロの慶大・福谷浩司(動画)と、法大・三嶋一輝(動画)の両右腕。中日の佐藤充スカウトが「直球の威力が飛び抜けている。後ろ(抑え)を任せてみたい」と絶賛する。その他では、大阪ガスの松永昂大(動画)や九州共立大の川満寛弥(動画)、東福岡高の森雄大(動画)の名が挙がった。いずれも、即戦力の左腕の需要が高い。

野手では大学、高校とも遊撃手に人気が集中。大学ナンバーワンの呼び声高いのが、駒大4番の白崎浩之内野手(動画)だ。甲子園出場こそないが、今春の東都リーグ首位打者にも輝いた逸材に、ソフトバンクの田口昌徳スカウトは「スケールが大きい。素材はピカイチ」と期待を寄せる。

高校生なら、OBの巨人・坂本勇人内野手の“2世”とも呼ばれる光星学院・北條史也内野手(動画)だ。今夏の甲子園でも2打席連続で本塁打を放つなど、パワーもあわせ持つ。また菅野の女房役を務め、田口氏が「右方向の長打力があり、守備もいい。アマではトップ」という東海大・伏見寅威捕手(動画)も、上位指名は確実とみられる。はじめから“ビッグ4”を回避する球団もありそうだ




(追記)

どこのチームも投手は喉から手が出るほどほしいので、下記の選手はすべて1位か2位で指名される可能性がある。もちろん、これ以外の投手の「隠し玉」もいるだろう。このリストは某ドラフト関連サイトのコピーであり、私自身が見て知っている選手は半分もいない。何しろ、甲子園野球以外で、アマチュア野球がテレビ放映されることはほとんど無いのだから。



【右投手】
 大谷 翔平(花巻東)
 藤浪晋太郎(大阪桐)
 佐藤 峻一(道都大)
 小川 泰弘(創価大)
 福谷 浩司(慶 大)
 三嶋 一輝(法政大)
 東浜   巨(亜 大)
 鍵谷 陽平(中央大)
 菅野 智之(東海大)
 則本 昴大(三重中)
 井納 翔一(NTT 東)
 増田 達至(NTT 西)
【左投手】
 濱田 達郎(愛名電)
 笠原 大芽(福城東)
 森   雄大(東福岡)
 川満 寛弥(九共大)
 松葉 貴大(大体大)
 竹内 大助(慶 大)
 松永 昂大(大阪ガ)


(追記2)

古本武尊

  打撃成績

     試合 打率  打 安 二 三 本 点 振 球 盗 出塁率 長打率
   09春: 6 .250  20  5 0 0 0 2 8 4 1  .375  .250
   09秋: 12 .250  40 10 5 1 0 4 13 6 1  .348  .425
   10春: 10 .286  35 10 1 1 1 5 15 2 0  .324  .457
   10秋: 13 .306  49 15 4 0 2 8 14 6 2  .382  .510(9位)
   11春: 15 .328  58 19 4 1 2 9 9 6 1  .391  .534(1位)
   11秋: 1 .400  5  2 1 1 0 2 0 0 0  .400 1.000
   12春: 11 .391  46 18 1 0 2 9 3 5 0  .451  .543(2位)
   通算: 68 .312 253 79 16 4 7 39 62 29 5  .383  .490
    ※ 12春:MVP 11春:首位打者 10秋:平古場賞
      10秋11春12春:ベストナイン 

【 全国大会 】
     試合 打率 打 安 二 三 本 点 振 球 盗 出塁率 長打率
   10秋: 1 .000  3  0 0 0 0 0 3 0 0  .000  .000 
   11選: 1 .000  3  0 0 0 0 0 2 1 0  .250  .000
   12選: 4 .500 16  8 3 0 0 4 6 2 0  .556  .688
   通算: 6 .364 22  8 3 0 0 4 11 3 0  .440  .500
  最新記事

 ■ 龍谷大・古本がプロ志望届提出(スポーツ報知) 12/10/7

 左目のケガでリーグ戦を欠場している今秋のドラフト候補、龍谷大・古本武尊外野手(4年・福岡大大濠)=175センチ、77キロ、右投左打=がプロ志望届を提出することが6日、わかった。視力などプレーへの影響がないことが判明したためで、指名を信じて待つ。古本は8月上旬に自打球を左目付近に受け、その後に手術。ドラフトまでに復帰できず、評価が難しいとされていたが、すでに連盟に書類を提出したという。6月の大学選手権は首位打者に輝いて4強入りに貢献。ケガをするまでは上位候補だっただけに、各球団の判断に注目が集まる。










現在の野球がつまらない、とお嘆きの諸兄に、「ウィキペディア」からタイ・カッブについての項目を引用して紹介する。
私が見たいのも、こういう「タイ・カッブ的野球」なのであって、「統一球」になった今の日本では実はそれが可能であり、効果的なはずなのである。
デブ打者が馬鹿でかい打球を空に打ち上げ、その大半が凡フライになる寝ぼけた野球ではなく、相手の一瞬の隙をついて次の塁を狙う、殺気に満ちた格闘技的野球がここにはある。



(以下引用)




タイ・カッブが生んだ野球とプレースタイル [編集]






この節の内容に関する文献や情報源が必要です。
出典を明記するためにご協力をお願いします。(2011年8月)






野球殿堂のタイ・カッブのブース 握りの部分(グリップエンド)が根元に近づくにつれて円錐状に太くなっているバットを発案し、愛用していた。日本では、そのようなバットを「タイ・カッブ型バット」と呼ぶことがある。
右手と左手を離してバットを握っていた[2]。このようなバットの握り方を「タイ・カッブ式グリップ」と呼ぶことがある。
走塁時、二塁に滑り込む際にタッチを避けるためになるべくベースから遠ざかって爪先をひっかけることでセーフ判定を狙う「フック・スライディング」を考案・実践した。さらに、二塁へ進む際、ダブルプレーをとられないよう相手内野手に足を向けて滑り込んでゆく「ゲッツー崩し」を積極的にしかけたのもカッブが初めてである。また、鉛をつめて普通の3倍も重くした靴を履いて走塁の訓練をしていたという。
相手投手の投球フォームやクセの観察によって弱点を見つけたり、攻撃時や守備時に外野へ吹く風を計算に入れるという戦術を最初に編み出した。
選手の権利と言う概念を主張し、メジャーリーグでの選手雇用契約の基礎を作った。
打率維持のため、長打狙いのバッティングはしなかったが、実際は長打力も併せ持っており、ある時、ベーブ・ルースの豪打ばかりもてはやすマスコミ陣に対し、「君たちに見せたいものがある」と宣言して、セントルイス・ブラウンズ戦に臨んだことがある(1925年5月5日と6日)。カッブはその日の試合で柵越えの本塁打を3本、その次の日の試合でも本塁打を2本放ち、フェンス直撃の二塁打も2本打ってその実力を証明している。また、その話を聞いた警官が、自動車のスピード違反でカッブを捕まえた際、「今日の試合でホームランを2本打てば違反はなかった事にしよう」と言ったところ、カッブは本当に本塁打を2本打ち、約束どおりに違反は取り消しになったという逸話もある。





1924年8月16日、カッブの三塁打 シングルヒット狙いで、普段は柵越えを狙わないため、通算本塁打の半分近くがランニング本塁打である。
両手をあけてバットを握るため、ボールに十分「力」が乗らないのではとの声もあったが、単に「力」のみが強い打球を生み出すものではないと言い、そのグリップで剛速球をたたいて、奥深く守っていた右翼手のグローブをはじきとばした上に彼の指を折ってしまったこともあったという。
足はそれほど速くはなかったと自身も語っており、上記に記したように相手にスパイクを研ぐところを見せたことや、クセを見つける戦術によって、盗塁数を稼いでいた。1イニングで二盗、三盗、本盗を決めるサイクル・スチールを通算4度達成している。また1年に2度やってのけたこともあった。
外野の三つのポジション以外にもファースト、セカンド、サード、さらには投手として3試合に登板している。打撃面だけではなく守備面の能力も高く、堅実なプレーをしていた。
以上のように細かい野球をするカッブだが、闘志を前面に出すプレーをし、それが結果として悪態として扱われてしまったことも少なくない。乱闘のときなどは、ボールをあてられたチームメイトのために激しく攻撃したことも多かったとされ、観客との乱闘などもプレーに集中したいがためにしてしまったことであった。また乱闘などは基本的に、これらはこうしておけばやじはなくなる、こうしておけば相手は恐れを抱くなど、したたかな計算の上での行動であったとのことである[要出典]。





逸話 [編集]






この節の内容に関する文献や情報源が必要です。
出典を明記するためにご協力をお願いします。(2011年8月)


野球選手として [編集]





1920年、ベーブ・ルースとカッブ(右)
カッブ(キツい性格、しかしたゆまない努力と引き締まった体)はよくベーブ・ルース(愛嬌のある性格、それでいて天賦の才能とたるんだ体)と対極を成す人物として挙げられることが多い。引退後のメジャーリーグでの本塁打至上主義には批判的な見解を示し、「野球本来の面白さは、走塁や単打の応酬にある」と自らの回顧録で語っているように「スモール・ベースボール」の重要性を説いている。

本塁打至上主義に批判的な見解をしめす理由の一つとして、本塁打狙いになることによっての大振りによる打率低下を言っており、ベーブ・ルースの本塁打狙いの打撃はまさにその典型だと語り、その打撃スタイルを否定していた。さらに、ルースがカッブの安打狙いの打法に対し、「あんたみたいな打ち方なら俺なら六割はいけるだろうな。でも、客は俺のけちなシングルヒットじゃなくて、ホームランを見に来ているのさ」とコメントしたため、カッブも「打てるものなら打ってみろ。3割そこそこでなにを言ってやがる」と反論している。しかし、そのルースが.376という高打率を記録したため、ルースを認める評価をするようになる。さすがに本塁打狙いの打撃への否定は続けたが、ルースの打撃の才能を高く評価しはじめ、打率.393で投票数満票でのMVPをとったときなどは「本塁打狙いの打撃をやめれば、4割を超えるのは間違いない」と述べ、自らのバッティングとの考え方の差を感じたコメントをしている。

そのルースに黒人の血が流れているという噂が流れた時などは、同室にいることを拒否したほか、対ヤンキース戦での乱闘のときなども、いつもカッブに向かって野次を飛ばしていたルースに真っ先に殴りかかり、激しい乱闘をしていた。しかし、そのようなカッブも野球選手としてのルースには高い評価をし、回顧録で記した『自身の選ぶオールスターチーム』のメンバーにもルースを選び、ルースの死にも「また来世で会えることを願う」という一節を記している。

本塁打狙いの打撃を否定していたカッブだが、バースデーアーチだけは狙っていたらしく、20歳と40歳の誕生日に本塁打を打っている。

カッブの球歴の大部分はメジャーリーグの初期であり、非常に「飛ばない」ボールの時代であった。その時代において、4割打者であるカッブに来るボールはひどいものが多く、今日とは比較にならない、スピットボール(ボールに唾を塗りたくって作る不正球)による変速投球だったと言われている(1920年にメジャーリーグが公式に禁止を発表するまで、スピットボールは黙認されていた)。始めは普通の速球のようにプレートに近づくが、打者のバットの下までくると突飛な曲がり方をするボールや、速球のスピードでナックルのように揺れるボールなどが当たり前のようにカッブに投げられていたという。
また、絶好調のときのカッブはさらに凄まじく打つため、相手から報復とも言える行動をされることも少なくはなかった。相手選手の中には、審判がボールをストライクと言うところのみしか投げないよう投手に指示する捕手や、危険球ともいえるようなボールしか投げてこない投手などが非常に多かったという。ボールをストライクと言う審判については、選球眼に絶対の自信があったカッブはすぐさま文句を言い、審判との乱闘になることもあった。カッブへ行われた乱暴行為は打席のみに留まらず、外野への安打で、二塁をまわった際に腰に体当たりをされて三塁打を二塁打にされ、乱闘になったなどの逸話もある。

対ヤンキース戦で、相手チームの選手から打席のカッブにひどい野次が飛んだ。野次のせいで集中力を失ったカッブは、三振を喫してしまう。試合後、野次に怒ったカッブは、銃を持って選手控え室に乗り込み、野次を飛ばしていた選手に銃口を向けた。カッブの悪評を聞いていたその選手は本気で殺されると思い、野次について謝罪した。その後、ルースに「おい、カッブ。まさか俺を打ちはしないだろうな」と宥められ、事態は収まった。この試合以後、ヤンキースの選手は「タイ・カッブを怒らせると、どうなるかわからない」と野次やラフプレーを全くしなくなったという。また、この時の銃は空砲であった。

足は速くないが、盗塁の技術が素晴らしかった理由の一つとして練習方法に理由があるという。カッブの秘密の練習場は台所で、妻が台所で料理をしているときに、横から背中を叩いて反対側に逃げる。妻が後ろを向くまでに反対側にいけたら盗塁成功で、妻のほうが先に振り向いたら盗塁失敗。これを繰り返しているうちに、盗塁のスタートのタイミングがうまくなったとのことである。妻からは「あなたは邪魔だから台所に来ないで」と何度も怒られたという。

カッブは安打を放った際、走りながら常に相手野手を観察していた。自伝でカッブが述べたところによると、走者は心理的な面や確率上から見ても、本人にその気さえあれば、ほとんどいつでも余分のベースを取ることが出来るという。同時代の選手であったケーシー・ステンゲルは、現役時代におけるカッブの進塁の巧さを振り返り、「あなたは外野に打ったヒットで、どうしてああも余分にベースを取ることが出来たのですか。足はそれほど速くなかったと思いますが」と質問した。
これに対しカッブは、「そう、足は速くない。しかし、私は外野手がボールを処理するときに、利き腕で取っているかどうかを常に見ることにしていた。それが私のつけ目だった」と答えた。 外野手が走者にばかり気を取られていた場合、走者の動きを見極めるために、ほんの一瞬にせよ野手はボールから眼を離す。その隙を突いて進塁すれば、野手はジャッグルし、走者は野手に打ち勝って進塁することができたのだという。

来日した際、中等野球に飛び入り参加して盗塁を試み、当時強肩で鳴らしていた嘉義農林の捕手に刺された。カッブはセカンドから捕手のもとへ駆け寄った。判定を不服として一瞬怒鳴りにいったのかと思いきや、笑顔で「やるな坊主」と言い、捕手の頭を撫でたという。人種差別で有名だったカッブだが、来日して野球を熱心に指導していたとのこと。

カッブは野球というスポーツについて、「50cm先に転がしたヒットと、50m先に飛ばしたヒット。この両方が同じヒット一本として扱われることは、野球のルールの最も素晴らしい部分である」と述べている。

1942年、MLBの監督や引退した名選手らを対象に、「史上最高の選手は誰か」というアンケートが行われた。最終的に回収できた票数は102票で、得票は14人の選手に分かれることとなった。結果は半数を大きく越える60票をカップがひとりで集め、断トツの1位であった。投票に参加してカップに1票を投じたエディ・コリンズは、理由を書く欄に「明白である」とだけ記入していたという。他には「カップはすべての事を他の誰よりも上手くやることができた。」いう声もあった[3]。

日本プロ野球の元コミッショナーである内村祐之は、自著において、印象に残ったメジャーリーガーとしてカッブの名を挙げている。1927年の春、内村はフィラデルフィアにて、メジャーリーグ視察のためにアスレチックス対インディアンズの試合を観戦した。同年シーズンはカッブがタイガースからアスレチックスヘ移籍して1年目のシーズンであった。試合はアスレチックスが劣勢の展開となり、9回の最終回に1点をリードされたまま、アスレチックス最後の攻撃となった。この回の先頭打者であったカッブは、安打で出塁を果たす。カッブの安打にアスレチックスのベンチは沸き返った。しかし直後にカッブが相手投手の牽制球に刺され、アウトとなり、アスレチックスはそのまま敗退した。
内村はその時のカッブのプレーを見て、「4000本安打を目前にしている、あの海千山千のカッブでもあんな無駄死にをする事があると思うと、とても面白かった」と回想している一方で、「しかしそれより感心したのは、カッブのその時の態度である」と述べている。内村によると、それは文句なしのアウトであり、審判に抗議の余地はなかった。カッブは気の毒な程に項垂れ、ベンチに帰る顔がないという表情で天を仰ぎ、打ちひしがれていたという。この時のカッブは既に40歳の大ベテランであり、しかも同試合はシーズン初頭のゲームであった。それにも関わらず、カッブは前述のような真剣さと闘志を持って試合に臨んでいた。内村はカッブの野球に対するこの姿勢に、たいへん驚いたと述懐している。

引退後に出場した試合で、捕手に「ひさしぶりにバットを握るので、バットがすっぽ抜けてしまうかもしれない。少し後ろにさがっていてもらえるか?」と頼んだ。捕手が後ろにさがると、カッブはすかさずセーフティーバントを試み、見事に成功させた。これを見ていた周りの選手は、「引退してもタイ・カッブという選手はあくまで勝利のみにこだわっている」と感心していたという。





私は山本浩二のファンでも何でもないが、下記記事は最初から悪意をもって山本氏を誹謗しているように見えるので、いささか眉をひそめる者である。ここでの山本氏の解説にはどこにも「失笑」するようなところはない。
(両チーム無得点で)無死一塁での走者が出た場合の戦法は、「送る」「そのまま打たせる」「ヒットエンドラン」「まず盗塁させる」の4つが主であり、走者や打者の能力、相手守備陣形や相手投手の個性を考えて、攻撃側は決断することになる。その決断は簡単ではないから、山本氏がその予測をするのに数秒沈黙したのは当然である。そして、その判断は非常に微妙なものであり、実際の監督の気まぐれ、無知、無能などのために思いがけない決定が下されることも当然ある。解説者の予想が当たるかどうかなど、偶然でしかないし、解説者の役目は予言や予想ではない。プレーの「解説」をすることなのだ。
そして、「ヒットエンドラン」は「どのようなボールが来ても打たねばならず、打者はそのリスクを負う」「通常の盗塁とは異なり、どんな投球状況でも走者は必ず走らねばならないから、ピッチアウトされると二塁で刺される確率が盗塁より高い」というリスキーなプレーなのだから山本氏が「意外にも」と前置きしたのは当然のことだ。両チーム無得点の3回表で、ヒットエンドランが失敗したら、チームの士気に悪影響が出るのも当然なのだから、こういう冒険的戦法をこの段階で取るかどうかは攻撃側監督の個性にもよるが、ほとんどはその場の思いつきにすぎない。
さらに、「その谷繁の三遊間の深いゴロで森野は二塁へ。1死二塁となり」ということは、明らかに中日側は「ヒットエンドラン」をやったということであるから山本氏の予測は当たったのだ。これのどこが「失笑」ものなのか。それとも、谷繁の次の打者が投手なのだから、監督なら百人が百人とも「ヒットエンドラン」をやるはずだ、とでも言うのだろうか。それなら監督など不要な存在だろう。まあ、実際そういう監督も多いが。
要するにこの記者は「ヒットエンドラン」という戦法の意味内容もほとんど知らず、そのリスクにもほとんど無知なままで「野球の戦法と言えばヒットエンドラン」くらいの頭で書いているのだろう。
そして、「1死二塁からのバント」などほとんど高校野球でしかやらない戦法であり、ワンヒットで二塁からホームに帰るのがプロの基本能力である以上、こんな戦法はアウトカウントをわざわざ一つ増やして相手側に貢献する愚劣な戦法でしかない。投手といえどもバットを持っている以上はヒットを打つ可能性はあるが、バントではそれがほとんどゼロになるのである。高木監督のこの愚劣な作戦に対しては「(エッヘッヘ。)珍しい作戦をするね。ペナントではああいう作戦はあまりない」と言うのは当然であり、「自分のアタマにはなかった作戦を笑ってゴマカしていた。」という評は悪意からの評以外の何物でもない。ここでもこの記者の頭には「打者が投手ならバント」という固定観念しかなく、自分の野球頭が低レベルであることに気付いてもいない。しかもその書き方が悪意に満ちている。まあ、そういう「夜郎自大」人間はこの現代社会には溢れているのだが、報道関係にいてはならないタイプの人間だ。
新聞記者の中でもスポーツ記者にはわりとまともな記者が多いものだが、このように最初から悪意をもって記事を書く、という場合もあるから、困ったものである。あるいは、ただ無知なだけなのかもしれないが、無邪気な読者は書かれたことをそのまま信じるのだから、読み手が注意すべきことであり、また新聞上層部は、こうした記事には厳重注意を与えるべきだろう。それはひいてはその新聞全体への信頼の低下となるのだから。
まあ、「たかが新聞だ」と書き手側自身が思っているなら、話は別である。



(以下引用)


山本 WBC代表監督の失笑解説




ゲンダイネット
2012年10月19日17時00分

コメント 9





<2死から前進守備?>

「何が言いたいんでしょうね」

 と、関係者も苦笑いだった。17日の中日が3―1で巨人を下したCS最終ステージ第1戦。WBC日本代表の山本浩二監督(65)が就任後初となるテレビ解説を行った。以前からこの人の解説は「当たり前のことしか言わない。中身がない」ともっぱらだったが、案の定……。

 0―0で迎えた三回表に中日先頭の森野が中前打で出塁。打席に谷繁を迎えて、実況のアナ氏が山本監督に「ここはどう動いてくるでしょう」と話を振った。すると山本監督、「どうしますかねぇ……」と言ったきりしばらく沈黙。数秒後に「意外とエンドランが考えられる。この(2ボール1ストライクの)カウントなんか確率が高いですよ」と意外でも何でもない予想をしてみせたが、中日ベンチは動かず。実況席には沈黙が流れた。

 その谷繁の三遊間の深いゴロで森野は二塁へ。1死二塁となり、打席に投手の大野。アナ氏が再び、「ここはどうしますか?」と山本監督に水を向けるや、

「ここは打たせてくるでしょう」

 と、キッパリ言い切ったが、その直後に大野は無情にもバントの構え。「エッヘッヘ。珍しい作戦をするね。ペナントではああいう作戦はあまりない」と、自分のアタマにはなかった作戦を笑ってゴマカしていた。

 こうなってくると、もうグダグダだ。隣で解説していた江川卓氏が、「ここで送る意味があるとすれば、三塁に進めることで巨人が点数を与えたくないと、前進守備を敷いてくるかもしれない」と“助け舟”を出すと、「あーあー、それはありますね」と江川解説に乗っかったものの、たとえ大野が犠打で走者を三塁に送っても、2死から巨人が前進守備を敷くわけがない。2人ともメチャクチャだ。

 ゲスト解説として登場した元阪神の金本が「センターだけが少し前に動いた」とか、六回に内海が平田に適時打を打たれた場面では、「(前打者の)ブランコと同じ配球だった」などと視野の広さを見せただけに、山本監督の中身のない解説が際立ってしまった。

 この日の試合前、報道陣の囲み取材に応じた山本監督は、代表入りが熱望されているダルビッシュ(レンジャーズ)についても、「(交渉が)スムーズにいってほしいよな」とリップサービスもなく、「記事を作れないよ」と記者を困らせていたが、やっぱりこの人には日の丸監督は荷が重い。

(日刊ゲンダイ2012年10月18日掲載)
巨人の沢村が、このままでは二流投手で終わるだろう、ということを書いた昔のブログを再掲載しておく。
現在の沢村の不調は一過性の病ではなく「慢性病」なのである。しかし、それはある意味では「頭の病」なので、変わる可能性もある。
私はべつに沢村ファンでも何でもないが、彼が下記記事を素直に読めば、自分のどこが悪いのかは分かるはずだ。あるいは、一生の転機になるかもしれない。

ついでながら、日ハムの斎藤は大学中盤で「半分終わっている」投手だが、本人がそれを分かっていない、という点で沢村と同じ「頭の悪さ」がある。
今シーズン前半は「フォームが一定していない」ことが逆に好結果を生んで勝ちを重ねたが、もともと決め球が無い投手だから、相手に慣れられたら勝てなくなるのは当然だろう。彼に対しては良い処方箋は無い。リーグを変えればあと何勝かはできるかもしれないが、一回り対戦した時点で終わりである。
いくら「投球術」が大事だ、と言っても、それを生かす確実な「武器」を持っていなければ、プロではやっていけるはずはない。


(以下過去ブログより引用)


勝てない投手
「日刊ゲンダイ」電子版から転載。
いやあ、こういうふうに論理的分析をしている野球記事は面白いねえ。私が野球が好きなのは、こういうふうに「考える楽しみ」があるからなのだ。
パのエース投手が言う「勝てない投手」の代表が、高校時代の「怪物」江川である。投手が一人で相手打線をどんどん三振に取るからバックはすることがない。だから、たまに打球が来るとエラーをする。たまに活躍してもちやほやされるのは江川だけだから、打って投手を援護する気にもなれない。そういう悪循環で、江川は二年生の時は、県予選のほとんどの試合をノーヒットノーランに抑えるというあきれた働きをしながら、県予選決勝では味方エラーで敗れ、甲子園に出られなかったのである。ちなみに、この頃の江川が投手江川のピークであったようだ。


(以下引用)


パのエース投手が看破「だから沢村は勝てない」
【野球】
2011年6月7日 掲載
日本ハム打線を5回3安打2失点も4敗目
 巨人の沢村がプロ最短の5回でマウンドを降りた。
 6日の日本ハム戦に先発。5回3安打3三振2失点だった。打順が回ってきたわけではなく、球数は88球。降板の理由について原監督は「チームとしての最善策」と言うにとどめたが、打線が2試合連続で完封され、沢村は4敗目(2勝)を喫した。
 好投してもなかなか勝てない――。この日は課題が浮き彫りになった試合でもあった。交流戦で沢村と投げ合ったパ・リーグのある投手は親しい関係者と会食した際、こう話していたという。
「スピードがあっていい球を投げる。だけど、勝てないタイプの投手かもしれない」
 理由は「球数が多過ぎる。三振と四球が多いと、野手はやることがなくてリズムが悪くなる。何とか勝たせてあげよう、点を取ってあげようと思われない、結果として打線の援護をもらえないタイプの投手に見えた」と指摘していたというのだ。
 この日の沢村は四回、1死満塁から暴投で先制点を献上すると、陽には144キロの直球を狙い打たれ、痛恨の2点目を与えた。原監督は「スライダーの精度が良くなかったね。でも投手はよく頑張っている」と責めなかったが、沢村は「トータル的に変化球が決まらなかった。勢いのあるチームに流れを渡してしまったことが反省点」と独り相撲の失点の場面を悔いた。

●球種が少ないだけじゃない
 ライバル球団のスコアラーはこう分析する。
「球種が直球とスライダーの2種類。フォークとカーブがあるにはあるが、精度が悪いからほとんど無視できます。直球狙いでスライダー対応。各球団と一通り対戦して、どのチームもそう対処していると思います。あと1つか2つ使える球種がないと、打者は絞りやすい」
 評論家の堀本律雄氏がこう言う。
「前回、西武戦で完投した時とは一変して、この日はスライダーがほとんど決まらなかった。相手は直球だけを待てるから、かなりの確率で芯に当てられる。四回に坂本の失策から始まったピンチでワイルドピッチで失点。味方がミスをした時こそ、ギアを上げて無失点で切り抜けられるくらいでないと、野手に信頼されるエースにはなれません」
 これまでの先発9試合で沢村が降板したイニングまでの味方の援護点を見てみると、3、2、0、1、3、0、1、4、0。1試合平均で1.56点しかもらえていない。これでは防御率2.20の沢村がまだ2勝なのも必然といえる。
 川口投手総合コーチは「沢村の投球は自己満足」と話したことがある。打線の援護がないのは偶然ではない。沢村の課題はまだまだ多い。

▽東京ドーム=4万5507人(日本ハム3勝1敗)
日本ハム000 200 000-2
巨人000 000 000-0
(勝)ウルフ6勝1敗 (S)武田久1勝13S (敗)沢村2勝4敗








私は横浜ファンというよりは弱小チームファンであり、その結果横浜ファンでもある、……って何度も言っているな。とすると、来季は阪神ファンになるかもしれない。
その反対に、強豪チームは嫌いか、と言うとそうでもない。ただ傲慢チームは嫌いだから、自然に強豪チームも嫌いになるのである。中日はいくら優勝しても傲慢チームにはならなかったが、巨人は少し勝つとすぐに傲慢チームになるから嫌いである。まあ、20勝級投手を5、6人も集めれば、独走で優勝しても当たり前だろう。しかも、選手に故障がほとんど無かった稀有なシーズンなのだから、阿部が生涯最高の成績を残さなくても楽に優勝はしていたと思う。しかし、野手のほとんどと、中継ぎや抑え投手は生え抜き選手なのだから、フロントの力と努力も素晴らしい。ここを他チームは見習うべきなのである。坂本など、当時のドラフトなら他チームでも獲れたはずだが、その素質を見抜いて上位指名し、立派に育てた巨人は偉い。
さて、問題は沢村である。この投手は、「勝てない投手」になる可能性が高い、と彼のデビュー当時の記事に書いた記憶がある。と言うより、10勝すれば10敗する投手になる可能性がある、と、ある先輩投手が彼を評したのである。
その予言はまさしく実現したわけで、これほど的中した例も珍しいだろう。彼の通算成績は、その「勝ち負け同数」、という成績にほとんどなっているのである。
要するに、投手としての馬力、エンジンは凄いが「投球術」がヘボなのだ。頭が悪いのである。速球さえ投げれば抑えられる、というのはアマチュア野球での話だ。何度も同じ相手と対戦するプロ野球の世界なら、速球だけならいつかは打たれるし、凄い速球が投げられる期間は短いものだ。このままでは彼は二流投手で終わるだろう。
もっと駄目なのは、せっかくの村田の忠告を聞こうともしない傲慢な姿勢である。ここを頭が悪いと言っているのである。村田は見かけとは違って繊細な人間である。こうした沢村の態度を快く思うはずはない。私が村田なら、沢村が投げるたびにサードゴロは「上手く」エラーするだろう。
そういうものである。まあ、今の村田は「傲慢チーム」に溶け込むことで精いっぱいで、そんな余裕もないのだろうが。


(以下引用)



巨人 沢村 クセがバレている




ゲンダイネット
2012年10月16日17時00分

コメント 6





<「ちっちゃくなっちゃう」>

 巨人は14日、CSファイナルステージの調整のための宮崎合宿を打ち上げた。

 14日に続き、秋季教育リーグで韓国LGと対戦。野手は主力組が出場し、5番に入った高橋由が2試合連続の2安打。村田との「5番」争いで一歩リードした。「順調。緊張感があっていい試合だった」と1泊2日の実戦合宿を振り返った原監督。13日の練習試合で登板した沢村が4回無失点と好投したこともあり、表情は明るかった。

 左肩痛を訴えている杉内の登板が難しくなり、一時はCSの先発争いから脱落した沢村が第3戦の先発に浮上。だが、懸念材料もある。

 先週11日の練習でブルペンに入った沢村は、原監督から直接指導を受けた。この時、打席に入った川口投手総合コーチは本人ではなく、なぜかブルペン捕手にこうささやいていた。

「変化球を投げる時にフォームがちっちゃくなっちゃうだろ。あれじゃバレちゃうよ」

 自慢の直球と決め球の変化球の投球フォームが違うなら一大事。打者が直球と分かっていれば、150キロを超える球がいとも簡単にはじき返されるのも合点がいく。さるチーム関係者が言う。

「沢村の直球と変化球のフォームの違いはこれまでも言われていた。今年加入した村田が『投げる時のグラブの位置が、帽子のツバより高いと直球、低いとフォーク、スライダー』と入団早々打ち明けてくれたのに『まっすぐを速く、強くすれば関係ない』と一蹴。川口コーチだってとっくに沢村に指摘しているはずです」

 今季10勝10敗。シーズン終盤は打ち込まれるケースが目立ち、二軍にも落ちた。ヤクルト戦は今季1勝2敗、防御率4.45。「チーム単位で何かを徹底してくる」と苦手としている。以前、「沢村は直球と変化球の投げ方が違う」と中日の球団関係者が指摘していたこともある。沢村の“クセ”が他球団に研究されているとしたら、もう剛速球でどうにかなる問題ではなさそうだ。

 原監督には「軸足からの体重移動」を重点的にアドバイスされたというが、早急に直すべき重大な欠陥は他にある。

(日刊ゲンダイ2012年10月15日掲載)
「2ちゃんねるDays Plus」から転載。
少し面白い記事だが、私はこの悪意ある記事にけっして賛成ではないし、ダルビッシュ批判のコメントにも不賛成だ。ダルビッシュこそ、「正しい部活」の在り方だし、だからこそ高校で潰れることがなかったのである。黒田の成功例の陰には、そうした「しごき部活」で潰された無数の選手、辞めていった無数の選手がいる。あの落合ですら、大学野球のしごき体質に嫌気がさして、大学を辞めているのである。
ただし、ダルビッシュはプロに入ってからの精進と研究が並はずれていたから、あそこまでの大投手になったのであるが、高校野球の間は遊び半分でもプロ入りできるだけの素材であったわけだ。


(以下引用)





res:169 名無しさん@恐縮ですsage2012/10/12(金) 22:52:33.87 ID:JdC2CqRB0

アマチュア時代の黒田

・早朝から深夜までの練習
・水を飲むのが禁止されていたので川で水を飲んでいた
・軍隊式でミスをすればケツバット(次の日は椅子に座れないほど)
・焼けた歩道に正座をさせられて殴られるのは日常茶飯事
・早く起きて先輩の靴下を手洗い
・洗濯ができていないと、熱くなっている屋根の上に正座(足の感覚がなくなり、はって部屋に帰る)
・罰走は朝6時から午後9時の15時間走×4日連続


東北高校時代のダルビッシュ

・他のチームメイトがやってる午前練習に参加しない
・1人だけ食堂で寝起き姿
・チームメイトいわく「一緒に練習したことがない」
・1年生は寮内で長ズボンと靴下の着用が義務づけられているが、ダルは入学当初から短パンに素足
・監督はダルを怒らず、練習も本人任せ
・高校球児は全力で試合に臨むものだが、ダルは6割くらいの力で試合の中で色々試していた
・キャプテンにつくも誰もついてこないで実質チームを引っ張ってたのは副キャプテン
・神宮大会の数日後にダルが「野球を辞めたい」といって副キャプテンは監督に怒られる
・辞めたい理由は「みんながついてきてくれない」「チームメイトが陰口を言う」
・食堂でチームメイトを集めミーティング。そこでダルはチームメイトから不満の集中砲火を浴びて号泣
・ダルは小声で言い返すが聞こえないので同級生の通訳が大声で翻訳していた

2012年メジャーリーグ成績

黒田
16勝 219イニング 防御率3.32 whip1.17 ポストシーズン進出&大活躍  

ダルビッシュ
16勝 191イニング 防御率3.90 whip1.28 ワイルドカード敗退   

黒田「子供のときは野球が楽しいと思ったことはないです。もし試合で200球投げろと言われたら、
疲れるでしょうが、やると思います。そうやって教えられて来ましたから」

ダルビッシュ「全然 大丈夫なんですが、大事を取っただけですので、ご心配なく」 ――太もも張りが出てローテ回避のとき
ダルビッシュ「アスレチックス戦は寝違えで登板回避しました。まさかです!寝違えは防ぎようがないからなぁ。
チームに迷惑かけて申し訳ないですね。。切り替えて次、頑張ります!!」 ――試合前に首の張りでローテ回避のとき


res:175 名無しさん@恐縮です2012/10/12(金) 22:55:00.02 ID:Sk0Ie2Nj0

>>169
黒田は高校やきうのとき控えで高校やきう文化から逃れてたんだよ。
バカじゃね。この焼き豚w


res:177 名無しさん@恐縮ですsage2012/10/12(金) 22:55:06.08 ID:bX8qRq7n0

>>169
高校時代のダルビッシュは成長痛で練習ができなかったんだよ
あと基本的に人付き合いは不得意な方


res:182 名無しさん@恐縮です2012/10/12(金) 22:56:56.92 ID:cHmuLoktO

>>169
なんかnumberに載ってた記事かな


res:204 名無しさん@恐縮ですsage2012/10/12(金) 23:05:20.55 ID:acWsaqNe0

>>169
コレを見るとここってときにメンタルが発揮されるのは黒田なんだろうな
粘りの投球をするし大舞台でも活躍してる
ダルビッシュはWBCでもここ一番で最低の投球してたし
ポストシーズンかかった大一番でも惨敗
少しでも打たれたらワイルドピッチ連発するわフリーで盗塁許すわ
厳しい練習から逃げてるからメンタルが弱すぎる


res:209 名無しさん@恐縮ですsage2012/10/12(金) 23:07:30.34 ID:Apfjesuw0

>>169
レーニング環境とか関係なく、幼少期に既に形成されてる性格の違いだな
黒田とダルが同時期にしごきトレーニング始めても黒田は耐えるがダルは半日と経たず辞めるだろ
「ヤフー・ニュース」で拾った記事だが、いい記事なので転載しておく。
鎌田という選手のことはまったく知らなかったが、野球選手としては気が優しすぎるようだ。あるいは謙虚すぎる。勝負の世界では、これは美徳にはならない。
引退した或るプロ野球選手が言っていたのだが、プロ野球の名選手は例外なく「嫌な奴」だったそうである。それはある意味当然であり、他人を蹴落として生き延びるのがプロスポーツの世界なのだから、そこで生き延びた人間がお人好しのはずはない。つまり世間的な意味での「いい人」ではないはずだ。
我々も外部から見ているだけだから「名選手」のプレーに喝采を送り、ファンとして喜ぶのだが、その選手と身近に接したいか、と言えば、私は御免蒙る。私は野球というゲームを愛し、その要素としての選手たちを愛するだけである。
さて、鎌田選手が台湾に渡っていい結果を残したことは喜ばしい。人生は、思いがけないところに思いがけない事が待っているものだ。この幸運は、彼自身の努力や才能の結果でもあるが、彼にそのきっかけを与えたヤクルト時代の先輩の存在が大きい。また、その先輩がそういう親切をするに値するだけの好ましい人間性が鎌田選手にはあったのだろう。そういう意味では「いい人」であることは、どこかで報われるわけだ。


(以下引用)



『まだ、終わりじゃないから……』


木村 公一 | スポーツライター・作家
2012年10月12日 12時14分




コメントを見る(83件)
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~~明るい未来が欲しくて 僕らは今を飛ばして先を見ようとする。

色あせない過去にしがみついてばかり。それでも 今という時は美しいから。~~

(キマグレン『リメンバー』より。)

『野球はこの1年限りと決めて来た』

9月某日、台湾・台南市立棒球場。統一ライオンズの本拠地。試合開始前の6時半が近づいても、掲示板の気温はまだ34度を表している。ジットリとまとわりつく、南国特有の湿気が身体を包む。

「なんか最近、だるいんですよね」

中継ぎ陣の練習を見遣りながら、ウェート・トレの順番を待つ鎌田祐哉(33歳)は呟いた。

「1年の疲れが出てきた感じ。ストレス解消できたらいいんだろうけど、なかなかできないし……」

そしてどんよりと垂れ込めた雲の浮かぶ空に目を移した。

鎌田はデジモノ好きだ。愛機は2003年頃からHDを交換しながらも使い続けるMacと、ipad。バス移動がほとんどの台湾では、車中、DLした音楽やアニメで時間を過ごしてきた。お気に入りはアニメの『交響詩篇・エウレカセブン』。50話のストーリーをもう3回は観たろうか。スカイプやSNSで、日本の家族や友人と連絡も容易に取れる。とはいえ異国での暮らしは、目に見えぬ、言葉に表しにくいストレスを溜める。

それでなくとも、疲れていても無理はなかった。

今季、初めて海を渡った鎌田の活躍は圧巻だった。開幕から11勝0敗というケタ違いの活躍。当然のごとく統一は、前後期制の台湾で前期ダントツの優勝を勝ち得た。184センチの長身から角度のあるストレートと、鋭く曲がり落ちるスライダーにチェンジアップ。日本時代と投球スタイルに違いはなくとも、それらを丁寧に内外角に配せば、台湾の打者たちを翻弄するに十分だった。7月のオールスターには、ファン投票でトップも飾った。

元楽天で、統一の投手コーチを務める紀藤真琴は言う。「台湾は日本に比べて一段下に見られがちだけれど、11連勝なんて簡単にできるものじゃない。ましてやエース格として先発することは、責任を負って投げるということ。精神的な負担も大きかったはずです」

そして、ローテを1年間通して守ってきたのだ。鎌田は言った。だるさと疲れを振り払うように。

「でもあと少しですから、想いでづくりも」

これまで幾人もの選手が、日本から台湾にやって来た。ある者は1年でも長くユニフォームを着続けたいがために。ある者は成功し、日本球界へ戻るキッカケを求めて。

彼は、そのどちらでもなかった。鎌田は“確かめるため”に、この1年を最後の野球人生と考え、海を渡った。

『やるならば、集大成のつもりで』



昨季オフ、楽天から自由契約の通告を受けた。前年のシーズン途中にトレードで移籍していたが、一度も1軍から声はかからなかった。だから通告にも、大きな驚きはなかった。心の中で覚悟もあった。「これで野球は終わりだ」。鎌田はそう決めた。結婚もしている。第二の人生ってヤツに踏み出す潮時なのだ、と。合同トライアウトも薦める人がいて受けはしたが、どの球団からも連絡はなかった。野球に対する気持ちが、萎えていくのがわかった。

もとより、それはヤクルトにドラフト2位で入団した頃から「クビになったら未練を残さず、野球を辞めよう」と考えていた。解雇されてもどん欲に他チームでの機会を求め、移籍し、渡り歩く者もいる。鎌田には、そうした考えはなかった。「クビということは、通用しないと烙印を押されるようなもの。それでもし他球団から声がかかったとしても、先は知れている」。ポジティブに野球人生を生き抜こうとする猛者たちに、少しだけ羨ましさも感じる。しかし野球をしている時間より、その後の人生の方が長いのだ。ならば、潮時は見誤りたくない。

冷静。堅実。謙虚。どんな言葉が当てはまるかは、わからない。ただ現役時代から、そんな想いを心の隅に置いていた。そのためか、無為な誤解も受けた。「やる気が見えない」。そう一言で断罪されたこともあった。マウンドに行けば燃えるし、いつも、精一杯やっていたつもりだった。なのに。度重なるヒザや肩の故障経験も、鎌田をより慎重な性格にさせただろうか。ただ第二の人生は、必ずしも思ったようには転がらなかった。新たな仕事がすぐに見つかるほど楽観はしていなかったものの、一般社会の現実は、鎌田の想像以上にシビアだった。心を決め、ハローワークにも足を向けた。しかし、仕事はない。解雇通告を受けてから一ヶ月、二ヶ月。「無職」の時間は、33歳の自身を不安にさせるだけだった。

そんな年明けたある日、ヤクルト時代の先輩から連絡が入った。「台湾のチームのテストを受けられるように頼んだ。行ってこい」

ありがたいと思う反面、萎えた野球の心ともう一度向き合えるのか。自信はなかった。テストを受けられるという光明より、戸惑う気持ちが正直だった。それに、もし合格しても1年でまたクビになったら。それだけ一般社会に入っていくのが遅くなりはしないか。いや、かりに何年プレー出来たとしても、いつかは必ず野球を辞めるときが来るのだ。それが、今なんじゃないか……。

1月半ば、台湾の統一ライオンズの練習に参加した。合格。ただし外国人投手は他にも3人合格していた。つまりは4人のうちの1人。出場登録は3人と聞き、同時に自分は4番目の合格なのだとも知った。「だから日本に戻ってきても、素直に入団を喜べなかった」。

しかし一般職を探せなかった鎌田に、“野球の運”は味方をした。2月のキャンプに正式参加して3月を迎えた頃、他の外国人投手がケガで解雇になったのだ。対照的に鎌田はオープン戦で内容ある登板を示し、開幕時には先発の3番手に“昇格”。

鎌田は思った。「どうせやるなら、日本のプロで11年間やって来たことが間違いでなかったと思えるシーズンにしよう」

いわば自身の集大成としてのマウンドに。鎌田の心から、迷いが消えた。

自身の最初の先発は3月18日、対兄弟エレファンツ。鎌田はこの試合で6回3分の2を投げ無失点で初勝利を挙げると、同24日には興農ブルズ戦で7回無失点で2勝目を得る。そして同30日には兄弟相手に1失点の完投勝利。以後、投げれば抑え、白星が並んでいった。

鎌田の今季の活躍で評価されるべきは、表向きの連勝ばかりではない。ほとんどの先発機会で7イニング以上を投げ、勝ち星がつかずとも試合を作っていた点にある。統一の監督、元日本ハムの中島輝士もこう認める。「長いイニングを任せられたことは大きな意味があった。ベンチも試合の計算が出来る。勿論、中継ぎ陣を休ませることにもなった。数字だけでは計れない貢献もしてくれましたよ」

その積み重ねが、前期だけで無傷の11連勝に繋がった。登板11試合目での10勝は、台湾での開幕からの「最短到達記録」を更新。11連勝は1993年に野中尊制(元日本ハム)が作った9連勝という日本人としての記録をも更新した。

鎌田祐哉という漢字名は、中国語で「LiauTian YoZai」と読む。カタカナにすれば、リャンテェン・ヨウザイという感じか。「子供にもカマタじゃなく、リャンテェン!って呼ばれるようにもなったんです。サイン書くときも、1番に僕のところに走ってきて待ってくれる」。嬉しくないはずはなかった。



台湾で抜群の成果を表し、日本にカムバックしたい……。そんなストーリーを他人が勝手に描くことは簡単だ。しかし、現実の鎌田は違った。11連勝しても、今シーズン限りと決めた想いに変わることはなかった。むしろ好投すればするほど、もう1人の自分が言った。「調子に乗るなよ」「勘違いしちゃいけないぞ」。間違っても“オレ、やれるじゃん”なんて思えない。

なぜだろう。投手にとって、いやプロ野球選手にとって成績は、すべてといっていい。その成績が素晴らしいのに、そんな自分に自信を持てない。

鎌田は思う。「もし二十代だったら、ストレートに野球にしがみつきたいって思えたかも知れない。でも33歳になってしまうと、現実に目がいってしまう」。脳裏には、職探しで困惑した時期の不安がこびりついて離れない。最悪のことを想定して生きていかねばならないという意識も強くなった。生来、自分を抑えるような気質もある。

「それに」と、鎌田は続けた。

「僕、内心、野球に向いてないと思ってるんです。それが、自信を持ち難くさせている一番の理由かも知れない」

『僕、野球に向いてないんですよ』

例えばスライダーを投じるとする。アウトコースギリギリのところでボールにしたい。しかし、鎌田はそんなときに限って、ボール一個ぶん、中(なか)に入ってしまうのだという。

「プロで生き残る投手って、制球ミスをするにしても、外(そと)に外れるものなんです。それならボールになるだけで済む。でも中に入るということは、甘く入るということ。それではプロじゃ通用しない」

ボール一個ぶんの甘さ。それが日本のプロ野球で11年、ユニフォームを着てきた鎌田の、プロというものの“定義”だった。その精緻さが自らには欠けている。だから、野球には向いていない。「完璧を求めすぎてるかな、と思うときもありました。でも日本で結果を出せなかったということは……」。

鎌田のほろ苦い記憶の中には、いくつかのマウンドがある。ヤクルト時代、ここで抑えていれば、ここで結果を残していれば、次に繋がり、1軍に定着出来ただろうという光景が。

鎌田は、そうした光景を心に抱え、あるいは言い訳したかったことも呑み込み、台湾にやって来た。同じ過ちを繰り返さないために。時を戻すことは出来ない。けれどあのときのマウンドの代わりに、台湾という異国のマウンドで、もう一度、目一杯に腕を振って……。

一度、野球を辞めた。だから野球のなくなった時間の怖さというものを、知っている。

一度、野球を辞めた。だから一試合の重みも、一球の意味も、鎌田は知っている。その結晶が、今季の一試合、一試合に刻まれている。

「実際には打たれた試合も、悔しい投球もありました。でもこの1年、台湾で野球して良かったと思えた。記録を作れたことも喜ばしいし、誇りだし。もし誰かが“それは台湾のことだろ”と言ったとしても、僕は誇りに思う」。

鎌田には好きな曲がいくつもある。なかでも、キマグレンの『リメンバー』の歌詞がお気に入りだ。楽天時代には、出場時のテーマ曲にもしたほどだった。



~~明るい未来が欲しくて、僕らは今を飛ばして先を見ようとする。

色褪せない過去にしがみついてばかり。それでも今という時は美しいから~~

アップテンポな心地よいリズムに、ともすれば聞き過ごしてしまいそうな歌詞。だが、言葉たちは前向きに、確かなものがなんであるかを、訴えている。そしてこの曲は、こう結んでいる。

~~何度くじけたとしても、僕らは精一杯今を生きてゆきます~~

鎌田はいう。「僕はこう解釈しているんです。人は不安な先のことより、過去を美化してしまいがち。でも、今を大切に生るべきなんだって。二度と戻らない、今を」

まるで今季の鎌田を表しているように思えた。



来季、鎌田が再びユニフォームを着ているかどうか、わからない。それは野球という仕事の宿命でもある。鎌田の選択もある。

「でも、どういう形であれ野球というものには携わっていきたいです。それと中国語を話せるようにもなりたい。日本に戻ったら、語学学校にも通いたいと思ってます。外国語に関心を持つなんて、台湾に来なければ思いもつかなかったこと。それも僕には収穫でした」

異国の地が、少しだけ鎌田を変えた。





鎌田は前後期通算して16勝(7敗)を残し、最多勝のタイトルを獲得した。10月13日からは7戦4勝制の台湾シリーズに臨む。それに勝ち台湾で総合優勝を遂げれば、11月に韓国・釜山でのアジア・シリーズも控えている。そこでは日本一となったチームとも対峙することになる。

だから、まだ終わりじゃない。

まだ、終わりじゃないから……。

それは来年34歳となる彼の人生はもちろん、鎌田祐哉という、投手の人生も。
「迷スカウトニュース」から転載。
まったく同感である。と言うより、私は前にもそう言っている。大谷は、「高校でも勝てなかった投手」にすぎない。それがプロで勝てる投手になるには、時間がかかるのは当然の話である。プロ野球は球速を競う競技ではない。
もしも大谷を取るなら、彼を三年くらいは塩漬けにできる余裕のある球団でないと、無駄金を使うことになるだろう。

今の野球界は、野球とは、チームが勝つためにやるものだ、という観点が欠如しすぎている。チームを勝利に導ける選手こそが価値ある選手なのであって、ホームランを何本打とうが、三振を何個取ろうが、まったく勝利とは関係ないことだ。
打者ならば、他の打者が打てない時に、攻略のきっかけとなる1本のヒットを打てる打者こそが価値ある打者なのであって、そういう意味では光星ならば北条よりは田村の方がワンランク上なのである。北条は、自分が好調の時はホームランを量産できる。あるいはプロの本塁打王になれる素材かもしれない。だが、不調時はまったく打てない打者である。つまり、チームの勝利への貢献という点では不安定すぎる。
現役時は、数字さえ残せばいい、というタイプの天才だった落合も、自分が監督になったらチームプレー重視で守備優先のチームを作った。昔の巨人の川上も同様であり、だからこそ彼らは名監督なのである。
今の監督たちやGM、フロントの中で、そういう「チーム構想」を持っている人間がどれほどいるだろうか。
さて、各球団のそういう「チーム構想」の有無を知る上でも、近づくドラフト会議は楽しみである。



(以下引用)


蔵建て男‏@kuratateo

大谷は、プロへの適応にも時間がかかりそうなのに、メジャーとか選択として絶対間違っているだろ。精神的に不安定な奴が、最初から海外でなんかで野球やるものじゃないよ。誰だ、そそのかしたのは。

広島の堂林がマイナス査定をくらう予定だ、という東スポ記事に関連して、広島の査定の厳しさが一部で話題になっている。
まあ、野球好きで、しかもマニアックな趣味の人間にしか興味の無い話題だろうが、私は年俸闘争もトレードもドラフトも野球の面白さだと考えているので、記事を転載しておく。と言っても、堂林の記事ではない。
私は堂林のマイナス査定は当然だと思う。もっとも、マイナス査定とは言っても「一軍レベルからすればマイナス査定にしかならない」という話であり、年俸は今季よりは当然上がるはずだ。しかし、今季の700万円から一気に2000万円超えとかいう甘い夢を見ていると馬鹿を見るよ、という話である。
堂林は、ホームラン数だけは立派だが、何しろエラーが多く、好機での三振、凡退も並はずれて多い。まあ、普通ならレギュラーでは使えない。将来性を見越して使うと言っても、それでは「現在のチーム全体を一人の選手の将来性のために犠牲にしていいのか」という話になる。実際、犠牲にしたわけだが。
もちろん、堂林一人の責任ではなく、チーム力そのものが無いのだが、しかし今の野球では上位3チームに入れば逆転日本一の可能性もあるのだから、その可能性を潰した野村監督の「えこひいき」の責任は大きい。
堂林の例から分かるように、今の野球では、あまりに守備力が軽視されすぎである。
ついでながら、堂林は、彼の年度の高校野球では一、二を争う打撃センスだ、と甲子園の頃から私は見ていた選手であり、嫌いではない。だが、彼の三塁守備はひどすぎる。なぜ彼を三塁で使い続けたのか、野村監督の見識を私は疑う。まあ、数年もたてばいっぱしにはなるだろうが、それまでチームを犠牲にし続けるつもりか。



(以下引用)


698 :風吹けば名無し:2012/10/11(木) 17:57:00.82 ID:RxfK9VXm
選手の年俸どう査定? 1000超す項目チェック

年俸算出の基準となるのは査定ポイントだ。これはプレーごとに決められている。
2人の担当者が、千を超える査定項目に照らして全試合をチェックする。
打った、抑えただけでなく、全力疾走をしたかどうか、同じ三振でも見逃しか、空振りかでポイントは変わる。
これを加味して、適時打にはプラス○点、凡打にはマイナス○点—などとパソコンに打ち込む。

「勝ち試合はプラスポイントを増やすようにしている」と鈴木球団本部長。
選手が個人プレーに走らず、勝利を最優先するためだ。
勝った試合は監督、コーチがそれぞれ貢献した選手を選定し、ポイントを加算する。




http://www.chugoku-np.co.jp/Carp/Cw200912300064.html



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