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ゲーム・スポーツなどについての感想と妄想の作文集です 管理者名(記事筆者名)は「O-ZONE」「老幼児」「都虎」など。
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ゆうきまさみのツィートだが、まったく同感である。そうした再掲載によって、若い人は過去の「超名作漫画」と出会えるし、漫画家には掲載料(出版社の支払う原稿料とは掲載料であり、著作権は漫画家にある。)が入るだろう。これは「漫画文化」が崩壊の危機にある現在、漫画家の生活を救う道でもある。
最初は短編漫画中心で、それが好評なら中編や長編にまで拡大したらいい。
さらに思うのは、「子供向け漫画」が消滅の危機にある現在、昭和の頃のように子供を対象とした過去の漫画だけを集めた雑誌を作ることである。手塚治虫や藤子不二雄、あるいは死去したりしてその存在すら忘れられた過去の漫画を再掲載するわけだ。もちろん、原稿料は遺族に払うのである。この「子供漫画誌」は子供の頭脳世界や心の世界(感情世界)を大きく広げることになるだろう。
もちろん、青年漫画でも同様の「再掲載枠」があるといいわけで、私などは宮谷一彦の漫画などが現在の青年誌に掲載されたら、買ってしまうかもしれない。(そこで大事になるのが編集者の漫画鑑識眼である。私自身がその「再掲載枠」のラインアップを決めたいほどだ。)
ちなみに、過去作品ではなく、大御所の新作が掲載されたために掲載誌が馬鹿売れした例が萩尾望都の「ポーの一族」である。これが示すのは「読者は本物の価値を求めている」ということだ。


(以下引用)


テレビに再放送枠があるように、雑誌に再掲載枠があってもいいように思う。>RT
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