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ゲーム・スポーツなどについての感想と妄想の作文集です 管理者名(記事筆者名)は「O-ZONE」「老幼児」「都虎」など。
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別ブログに書いた私自身の文章だが、少し前に「メタ視点」についての記事をこの「アンファニズム」に書いたので、その補足としてここにも載せる。メタ視点というのは、それ自体「これはただのお話だよ」と作り手が自分で「読者のフィクションへの没入に水をかける行為」であるから、フィクションの衰退につながる危険性があるわけだ。

(以下自己引用)

フィクションにおける「メタ視点」の危険性 2022/04/21 (Thu)

藤本タツキの「さよなら絵里」を読んだ。傑作であるが、或る危険性を持っている作品だと思う。この種のメタ視点の作品が流行ることの危険性だ。つまり、読者は常に「これは『作品内現実』か。『作品内フィクション』か」と疑いながら漫画を読む姿勢を持つようになり、それは作品への全的没入を妨げ、その結果、漫画を読んでも心から楽しめないという人が増えて、漫画全体の衰退につながる可能性があるからだ。
「何を大袈裟な」と思う人は、この「さよなら絵里」を見て、心から満足したか。漫画を読む快感、楽しさを得たか反芻してみると良い。作者の才能の凄さは分かるし、細部まで計算しつくされた作品のレベルの高さは誰でも感じるだろう。漫画界のベテランたちも彼の才能に讃嘆の声を上げている。ただ、問題はその作風の中心である「メタ視点」なのである。これは「ルックバック」でも見られた特徴だと思う。たとえば時間の再構成などもメタ視点が強調される技法だ。これには細心の工夫と注意が要るし、下手な漫画家には不可能な力技だ。だから評論的には必ず高評価を受けるだろう。「ルックバック」が主にプロ漫画家から絶賛されたのは、そのためだと思われる。
だが、漫画でも小説でもそうだが、我々は「作品内現実」を「批判を一時的に棚上げにして」受け入れて読むのであり、そうでなければすべて「ただの作り事じゃん」ということになる。実際、漫画や小説を読まないという人の中でそういう発言をする人は多い。
しかし、「作品内現実」が本物の現実と同等かそれ以上の意味を持つという漫画愛好家・小説愛好家は多いのであり、そういう人々が漫画や小説の愛読者として漫画や小説を支えているわけだ。
そういう人々に「これはただのお話だよ」と作者が面と向かって言うのが「メタ視点」作品なのである。
「さよなら絵里」のラストシーンの「爆発」が意味しているのは、そういうことだ。果たして爆破されたのは何か。それは作品に没入していた読者の心でないと言えるだろうか。

考察サイトからコメントをふたつ転載する。おそらく読んだ人の8割くらいはこのどれかになる
のではないか。そして残りが「エヴァンゲリオン」のように、勝手に妄想的考察をするわけだ。

あっという間に読み終わった。
面白かった。でもなんだろう、心のどこかに小さなしこりが残ってるんだけどそれが何なのかわからない。
いやいや、いやいやいや、まてまて。最初の数ページでタツキ先生にしては平凡な漫画描いたんだなと思ったけど、いやいや、とんでもねえな。ルックバック割とまともだったじゃん?? あまりにもまともな漫画描いた自分が嫌になっちゃったのかな??? ねえ、感想とかねえよ、何を見せられたのか解らん
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