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ゲーム・スポーツなどについての感想と妄想の作文集です 管理者名(記事筆者名)は「O-ZONE」「老幼児」「都虎」など。
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「ネトフリ」で見たい作品が無いので、「マチルダ・ザ・ミュージカル」を15分ほど見たが、演出の下手さにあきれて、残りを見る気が失せた。
主役の少女の顔があまり可愛くないのは仕方ないにしても、その表情(当然、監督が指示している)があまりにも醜い。顔のアップが続くのだが、それが相手(視聴者)を睨みつける、嫌悪感を掻き立てる表情なのである。まるで、グレタ・トンベリ(サンバーグ)である。あの顔を3分見続けて平気な人間がいるだろうか。
原作では、マチルダは天才だが、運動能力が高いとは書いていない。しかし、この映画では前転やら逆立ちやら、いろいろと体技を誇示する。原作を変えるなら、その原作を使う意味はない。つまり、原作への冒涜である。
ミュージカル化自体は、悪いとは思わないが、あまりに演出が下手すぎる。

ロアルド・ダール

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

ロアルド・ダール
Roald Dahl
Roald Dahl.jpg
ロアルド・ダール、38歳の写真(1954年)
誕生1916年9月13日
イギリスの旗 イギリス
ウェールズの旗 ウェールズ カーディフ
死没1990年11月23日(74歳没)
イギリスの旗 イギリス
イングランドの旗 イングランド オックスフォードシャー州オックスフォード
職業小説家
脚本家
詩人
国籍イギリスの旗 イギリス
ジャンル短編小説
冒険小説
ファンタジー小説
児童文学
代表作『チャーリーとチョコレート工場』
Portal.svg ウィキポータル 文学
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ロアルド・ダール(Roald Dahl [ˈroʊəld ˈdɑːl]ノルウェー語: [ˈruːɑl ˈdɑːl]1916年9月13日 - 1990年11月23日)は、イギリス小説家脚本家

略歴[編集]

パイロット[編集]

カーディフランダフ地区にてノルウェー移民の両親のもとに生まれる。シェル石油で働き、タンザニアカナダにも行ったが、第二次世界大戦が始まってからはイギリス空軍の戦闘機パイロットとして従軍、5機撃墜を公認されエース・パイロットとなっている。1940年9月19日、搭乗していたグロースター・グラディエーター複葉戦闘機エジプトマルサ・マトルーフ近郊の砂漠で機位を喪失し不時着、重傷を負うも生還した。しかし、この際に脊髄を負傷した事による後遺症に生涯苦しめられた。後にこの事故はダールが発進前に受けた、誤った飛行ルート指示によるものと判明した。

作家[編集]

その後、アフリカでバカ話やパイロット時代の経験を元に小説を書くようになった。作家セシル・スコット・フォレスターが、取材のためにダールの飛行体験についてメモを書くよう依頼したが、ダールは話すより書く方が早いと思ってメモを作った。そのメモ(デビュー作の中の「簡単な任務」)の素晴らしさにそのままダール名義で出版されたことがきっかけでデビュー。1942年にはすでにグレムリンの話を書いていた(これをディズニー映画化しようとしたが頓挫)。風刺ブラックユーモアに満ちた短編小説や、児童文学で有名。


特に、「奇妙な味」と評されるダールの短編小説は、作家・評論家・翻訳家らへのアンケート結果によるミステリ・マガジン2007年3月号で、ミステリ小説オールタイム・ベストの短編部門第1位に輝いた『南から来た男』の他、『味』、『大人しい兇器』などで、日常的な風景や会話の中に人間の心の奥底に潜む狂気をうかがわせ、高い評価を得た。


007シリーズで有名なイギリス人作家のイアン・フレミングの友人であり、映画『007は二度死ぬ』と『チキ・チキ・バン・バン』の脚本も手がけた。

家族[編集]

パトリシア・ニールとロアルド・ダール

1953年女優パトリシア・ニールと結婚した。ダールとの結婚前、彼女はゲイリー・クーパーと3年間不倫関係にあり、彼の子を妊娠したが、クーパーの妻はカトリック教徒であったため離婚に応じず、中絶せざるをえなかった。ニールはマスコミから袋叩きにあい、仕事も来なくなった。そんな時に彼女を可愛がっていた劇作家リリアン・ヘルマンの紹介によりダールと出会い結婚した。結婚後も女優を続け、アカデミー主演女優賞を受賞した。5人の子供に恵まれたが、妊娠中に脳卒中に襲われ、ダールの献身的な看護とリハビリのおかげで無事に出産し回復した。しかし、度重なる浮気を理由に、1983年に離婚した。後にニールは自伝の結びに「自分の愛した男性はゲイリー・クーパーただ一人だった」と書いている。[1]


その後ダールは同郷の女性フェリシティー・クロスランドと再婚する。2人の間に子供はいなかったが、連れ子の長女オリヴィアが7歳の時に脳炎で亡くなり、息子セオは4ヶ月の時に交通事故で脳に障害を負った。ダールの死後、妻によってロアルド・ダール基金が設立された。ちなみにニールとの間に設けた子供たちは全員父になついていたため、その後もクロスランドのもとに集まったという。

エピソード[編集]

  • 宮崎駿はダールのファンであり、オマージュとして『紅の豚』や『風立ちぬ』で「銀河(天の川)」のような、「ヴァルハラへの昇天する飛行士たち」のエピソードを挿入した[2]。また、ダールのいくつかの日本語訳書において前書きや解説なども行っている。
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