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ゲーム・スポーツなどについての感想と妄想の作文集です 管理者名(記事筆者名)は「O-ZONE」「老幼児」「都虎」など。
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絵に限らず、芸術は才能が80%だろう。後は、死ぬほど努力してプロレベルになる人がいるだけの話。で、一番の才能は、その分野の芸術が好きでたまらないかどうかだろう。
下のふたつのコメントの下のほうは、「好き」という才能すらなかったのではないか。それが好きなら、一生その道を続けるだろう。つまり、こういう人は「他人に評価されること」が絵の価値だと思っているにすぎない。たとえば、アンリ・ルソーの絵を最初から多くの人が凄い絵だと評価しただろうか。抽象絵画ならなおさらだ。

(以下引用)

■「絵は才能ではない」とかいう欺瞞
いや、「絵は施工回数を重ねて初めて能力が開花する」ってのはまあ、そうなんですよ。

幼少期に基礎が仕上がっている人なんて例外中の例外で、大多数は平面的で歪な線を引き続けるところから始まります。適性の差こそあれ、10年20年、たゆまず死ぬほど描き続ければ、大体の人が最低限「正しい絵」を描けるようになるでしょう。

ただね、絵ウマ自認の人がのたまう「努力さえすれば誰でも」という欺瞞には我慢ならんのです。

絵を描くには最低限、正確に線と空間を視覚で入力し、それを頭で解釈し手で出力する作業が必要です。

ネットのオタクが大好きな『ケーキの切れない非行少年たち』を読めばわかりますけど、それらの作業を実行するために必要な能力が先天的に欠けている人って確実にいるんですよ。

というか、いつまで経っても幼稚園児みたいな絵しか描けない人がいることはpixivヘビーユーザーの絵描きが一番よく知ってることでしょ。

彼らが寝食を惜しんで講座受講とデッサンと教則本模写とオリジナル絵作成を並行して行ったとして、上手くなると思います? というか、彼らにできると思います?

そういう人の存在を無視して努力論を語るのはすげー残酷なことですよ。俺だっていつか……と夢見ながら描きまくって、成果が出なければ努力が足りなかったことにされるんです。こんな辛いことってないですよ。

努力論を語りたい絵描きはまず、人はスペックの差によってスタートラインに絶望的な格差があることを認め、「誰でも」という欺瞞を引っ込めて「やってみなければ適性の有無ははかれない」とでもすべきです。

こと努力の話になると「俺ができたのだからお前らもできるはずだ」と想像力の欠落した教員のようなことを言い始める絵描きが多く、なんとも暗澹たる気分にさせられます。

自慢を兼ねた激励のつもりでしょうが、才能がない人を追い詰めかねないですよ、それ。

あなたは自分が指から血が出るほど小説や詩を書きまくったとして、プロ級の腕前になれると思いますか。思わないとしたら、それはなぜですか。






私はそれこそ幼少期から40代までずっと絵を描き続けてきたし、20代になって働き始めて、自分の自由になるお金ができた後は、

本格的なデッサン教室に通ったり、最近はオンライン講座を受けたりしたけど、10代の頃の絵と見比べて上達はしていない。

絵柄こそ今風にはなってるけど、人体は破綻してるし、左右反転したら顔が歪んでるし、右向きの絵は描けない。

デッサン教室には5年くらい通ってたけど、先生が苦笑いしながら「絵を描くだけがあなたの人生の全てじゃないんだから」と言っていたのが心に残っている。

教えることの専門家ですら救えない、本当に才能のない人間ってのは明らかに存在するんだよな。

努力すれば誰でも最低限のラインを超えられるなんて幻想を持たせないで欲しい。
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